最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

卒業生との再会

 先日、7年前の3年生と再会した。

この私もいよいよ大詰め、今度の2月で60歳となるのを記念して、今回の吹奏楽部の定期演奏会でOB/OGバンドを結成しよう、という話を誰かが旗を振って、何やら暗くなってから20人ぐらい集まったのだが、その中の最年長がその元生徒であった。今は大学3年生で、いわゆるリケジョなのだが、まあ、手際がいいこと気が利くこと、もう最初っから
「ワタシが仕切ります!」
っというオーラをバリバリに出してササササッと話し合いを進めていく。
3年生の時からとても積極的にいろいろやってくれた部長だったのだが、それがすくすく成長すると、なるほど~こうなるのか~と感動してしまった。

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

新学期開始の不安

 今年の夏休みも、よくもまあこれほど、というくらい中学生がかかわった事件や事故が日本中の話題をさらっていた、というか、マスコミをにぎわせていた。特に、埼玉県東松山市の少年殺害事件に関しては、やはり距離的にも近いし、
「逮捕された中学生というのはいったいどこの中学校の生徒か?」
というようなある意味下世話な詮索が職員室でもあったのだが、(知り合いの先生にかかわりある人もいるかもしれないわけだからね)まあ、対岸の火事的なムードがないわけでもなかった。

 さて、いろいろな話を見聞きしてやっぱり、中学2年生の担任としては9月1日というのは楽天的に迎えられるものではない。生徒が最も変化するのは”中2の夏休み”というのは定説であって、事実上本当のことでもあり、俺なんかでさえも夏休み明け初日というのはちょっと特別な思いをもって教室に向かうわけである。

 ところが、そういう俺の思いなんてものは杞憂というか取り越し苦労というか。わがクラスの面々は元気に明るくそれぞれに真っ黒に日焼けして、あるいは一回り大きくなって、再び教室に集っていた。

思わず笑ってしまった。うれしくて。

テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

コンクールの出番がオオトリとなる件について

 先日、わが吹奏楽部のコンクールの本番があった。くじ運がいいのか悪いのか、出番は一番最後。
 演奏が終わり、スコアと指揮棒を持ったまま生徒とともにホワイエに行ってみると、前の団体の記念撮影をまだやっている。しかも手に楽器を持っていない。ということは管楽器を片付けてから撮影か、と判断して、生徒に、
「大至急楽器置き場に行って管楽器をしまって来い。」
と指示を出し、自分は閉会式から会場撤収までのスケジュールを考えて、着替えるのは今しかない!と判断し、楽屋へ行って服を着替えた。それから大道具搬入口に行ってみると、案の定うちの打楽器をトラックに積む作業がまだ終わっていないので、それを手伝って片付けてから舞台下手袖を通り抜けて(その時には表彰式に参加する各校の部長たちがもう勢ぞろいしている…やばいじゃないか!)再びホワイエへ急行すると、全員集合写真を撮るばかりに管楽器の連中はひな壇に整列済みだ。生徒からは、私が着替えてしまったことに対するブーイングの嵐である。そりゃそうだ。まあともかくそこで写真を撮って、解散してみると、なんと、あと15分で閉会式開始の時刻である。だが、管楽器をトラックに積み込む作業がまだ残っている。なんてこった!
「5分以内にトラックに管楽器を積み込め!」
と、通常ならあり得ないメチャクチャな指示を出し、梅雨明けのクソ暑い中、みんな全力疾走で楽器置き場に殺到する。そこから重たいチューバとかも含めて担ぎ出すが、そこでもなんと、運搬計画係の生徒がいちいち運び出す楽器の種類と数をチェックしている。律儀と言っちゃ律儀だがまだるっこしいこと夥しいじゃないかい!第一、トラックに積み込む作業だってそんな簡単にできることじゃないんだぞ!と叫びたいところだが、手順を踏まないのは失敗のもとだ。慌てちゃいかん。
 で、駐車場へ行ってみると、卒業生も来ていて積み込み作業の真っ最中。途中から、
「作業がなくなった人は客席へ行ってください!」
という指示も部長から飛んで、生徒はかき消すようにいなくなっていくが、肝心の部長は舞台袖集合じゃないのか?こんなところで指示なんか出してる場合じゃないだろ!今頃
「ホニャララ中学校の代表の生徒は舞台袖に来てください」
なんてアナウンスが入ってるんじゃないか?
 で、トラック積み込みが終わった時点で閉会式開始予定時刻の3分前。積み込み作業は驚くべき素早さだったというべきであろう。本当に、中学生はすごい。で、急いでホワイエに行き、今日の演奏のCDを販売している業者に注文をかけてから客席に入ろうとすると、うちの生徒数人(そのほかはどこに行ったのか見当もつかない)が出てくるところとぶつかる。
「先生、どこにも座る座席がありません!」
「上に行け、上に!」
で、階段を駆け上ると、先に行ったそいつらが2階席のドアから出てくるところで、
「先生、座席がありません!」
「3階席に行け!そっちのほうのドアが3階席につながっているから!」
と誘導し、そこから入ってみるとすぐ真下が舞台、というすごい前の方の席であるが、そこしか座席がない。仕方がないからそこに生徒を座らせ、自分も座ったが、その時には既に閉会式・表彰式は始まっていて、代表生徒も舞台に整列している状況だ。何たる忙しさ!一番最後の出番というものがこんなにも忙しいとは知らなかった。

教訓
 コンクールで出番が最後になるようなクジはひかない方がいい。

おまけ
 スコアと指揮棒を会場に置き忘れて帰ってきてしまいました。ホントしょうもない顧問である。

テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

カリキュラムの未履修問題が中学校で!


 何日か前、通勤中になんとなくラジオニュースを聞いていたら、都内のどこだかの中学校で、ここ何年も「保健」の授業が行われてなかったという話が出てきた。そんなのがニュースになる時代かいな、とも思うし、困った中学校だ、とも思う。しかし、もともとの教科の名前そのものが、小学校では「体育」だが、中学校では「保健体育」である。(小学校では「図画工作」が中学校では「美術」というのもある。)保健の授業の内容は、薬物乱用や喫煙の健康被害、救命救急や応急手当、性教育などそれなりに重要なものではあるが、けっこう多くの学校で「集中講義」みたいな形で実施している場合もあるんじゃないだろうか。
 問題になった学校でも、かつて生徒が荒れていた時代に実施できなくなってそのまんま何チャラみたいなことを言い訳していたようだが、さもありなん。自分が中学生の時にも、そもそも「体育」が座学になるなんて、全く納得できない事態であった。体育の時間であるにもかかわらず教室で座って黒板に座っている状況そのものに「憎しみ」すら覚えていたな。荒れてる学校じゃそんなことしようもんなら生徒が全員どこかに逃げ出しちゃうだろうし。
 で、教育委員会から中学校への指導として、在籍中の生徒には卒業までに履修させること、というのはわかるが、卒業しちゃった生徒には、希望すればその内容の授業を行う、みたいなことを言っていた。マジ噴飯ものである。そんなの希望してくる人なんているのかいな。

あぁ、でも日本人って意外に真面目だからそういうのありかもしれないね。

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

新たな不平等~放っとかれる不良たち

 この間、部活を指導しているところへ不良女子二人が現れて、なんだか俺に用事があったようなのだが、そんな用事に心当たりはなかったし、全員を集めて指示を出している場面だったので、
「5分ぐらい待ってて。」
と言ったところ、
「チッ」
だと。
そして、さらにこっちがいろいろ話をしているすぐそばで二人して無遠慮にでかい声でギャハギャハ笑いながら、なんだか話をしてやがってうるさかったから、そのミーティングが終わったところで
「空気読め」
とかなんとか文句を言ったのだが、なんだか不発に終わってしまった。(しかもそれがきっかけで後で大トラブルになった。)

 それにしても俺は、以前だったら(と言ってもその「以前」っていつ頃だったのか)、「チッ」の時点でほとんど反射的にそいつらをどやしつけたはずなのに、なぜそれをやらなかったのか。絶好の機会なんてものは早々はないはずなのに…と考えてしまった。そして、そういうやつらとのトラブルを避けている、逃げている自分がいる、と感じているのだ。
 その大きな要因の一つが、
「こいつに言っても無駄だから」
という判断だ。以前はそんな思いはなかった。なぜならば、みんな平等だから。悪いことをしたら平等に叱る。ダメなもはダメ。当たり前だよね。しかし今は違う。そういう意味では生徒は平等じゃない。そこに新たに現れたキーワードは「発達障害」だ。 
昨今では、例えば年度当初とか夏休みの事例研修とかで、そういう生徒を一人ひとりピックアップして、
「こういう生徒ですので、こういう指導をしてはいけません。」
とかなんとか、いろいろな注意が担任とかから示されて、「共通理解」を図るわけである。で、前述の女子生徒はそういう事例に引っかかってる連中だったわけなのだ。
 つまり無力感。「発達障害」という免罪符を与えられた、要するに不良はやりたい放題。親も、ちゃんとそこのところはわきまえて、わが子がみんなに迷惑をかけている、という状況は上手にそっちの方へ置いて、しっかりと学校にイチャモンをつけてくる。一番に言ってくることは、
「お前(教師)の指導の仕方が悪い。」
である。しかし、目まぐるしく速く動く(つまり複数のことが同時進行で、あっという間に進んでいってしまう)学校の時間の中で、その時々に、それぞれの個別の生徒に、もっとも的確に対応するのはもともと不可能であろう。第一でかい学校では(良くも悪くも)かなり有名な生徒であっても、そうそうは顔と名前さえ一致しないことも多い。ましてや性格もそうだし、俺とそいつとの個人的なかかわりにしても、担任が日ごろどういう指導をしているのか、とか、親とどういう話になっているのか、とか、そんなことをいちいち考えてそれぞれの生徒に最適な指導方法を選んで対応しろと。それがプロだ、と。

ホント、いい加減にしてください。それは「ないものねだり」です。親もバカだよね~。子供と同じ目線で子供と同じに憤る。そこに大人の判断、一段上からの判断が存在しない。一段上の判断って何かって?それはわが子の「将来」だよ。中学の教師をサンドバッグにして言いたい放題に言い負かし留飲を下げるのはできる。先生に
「申し訳ございません」
といってもらっていい気持になるのもできる。だが、それが通用するのはいつまでだ?高校じゃあまり無理をすれば「進路変更」を勧められるだろうし、バイト先だったら
「明日から来なくていいよ。」
で即終了だろう。ましてや就職は?結局、、何をやったところで立場は安泰な場所として、親子して中学校の先生に甘ったれているという、ただそれだけのことだ。はたから見てみっともない、と思われているの、わかってるのかね。「中学校卒業」までが猶予期間で、それまでに人としてそれなりの品格を身に着けるべきだし、その訓練の場として学校があるのに、時間を無駄にしちゃっていいんだろうか。

吹奏楽の市民権

最近のテレビのバラエティ番組で、BGM にしばしば吹奏楽曲が聞かれるようになってきた。吹奏楽がある意味市民権を得てきた、ともいえるので、喜ばしいことではある。自分が中学高校のときには
「部活は吹奏楽部で、クラリネットを吹いています」
なんて、恥ずかしくて(少なくとも大人には)言えなかった。なにしろ、
「ああ、ブラバンね。ブカブカドンドンのあれね」
「そうかいクラリネットかい。将来はチンドン屋になるのかね?」
とか、(少年である自分としては)なんだか一段低くみられてるような、悪いことをしているような気がしてくる反応しか返ってこなくて気が滅入るからね。大人というものが、いかに狭い固定観念の世界の中で暮らしているのか、ということを肌で実感したということでもあった。

 時代が変わったということもあるので、ま、それはともかく置いといて、バラエティ番組のBGM。
 鉄腕ダッシュの無人島のコーナーにおいて、「天国の島」が使われているのを初めて聞いた時には、実は冷汗が出たのであります。というのも、その曲をやったコンクールの時での(あのときああしとけばああああああああ!!)とか(あの○○のあのヤローがぎゃあああああ)とか、忘れようとしてやっと忘れられた嫌な思い出が一気に目の前に飛び出してきたからね。当事者にしては刺激が強いわ~~。(もう慣れたし、全く代替わりした生徒たちがあの番組を見てやりたがったので定期演奏会で再演しちゃったけどね。)

 しかし、それにしても、ついこの間、とりだめてある番組を見た時の「クローバーグラウンド」にはマジぎょっとした。今やってるヤツじゃん!なぜこんなところで流れる?!
 正直、今年の課題曲はよしてほしかったです!本当に刺激が強すぎだよ!

テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

「人材の不良債権」の作り方

埼玉新聞の記事「高校中退者 無職19% 増える『消極的進学』(4月7日)」について、思うこと。

 わが県の高校中退者が、昨年度一年間で1842人、大きめの高校が1.5校分、まるごと消えてしまう人数だ。何のために税金を使って高校の定員を用意してるんだか…と言いたくなる惨状だが、まあ仕方がない。なにしろ、子供たちに夢がない。夢を語る大人がいない。

 俺の小学校の時の親友で、
「俺は大人になったら八百屋になるんだ!」
と目を輝かせてしょっちゅう言ってるヤツがいたが、そういうヴィジョンを持てる環境そのものがないから、中学1年になっても2年になっても自分のことが分かっていない。例えば運動能力や体格など自分のことを顧みずに
「プロスポーツ選手(野球、サッカーなど)になりたい」
なんて絶望的なことを言ってるオコチャマが実際たくさんいるのだ。子供がそう言ってるのに、その夢を壊すなんてかわいそうでできない、と考える周囲の大人、特に親が問題を先送りしているのだろう。じいちゃんばあちゃんもこの頃は近くにいないし、大甘だし。(女子の方がパティシエ、とか美容師、看護師など、言ってることに現実味がある。)

 そして、夢破れた、あるいはもともと夢なんか持ってない生徒たちは次のステップに進めない。現実的な夢の描き方を知らないのである。だから、退学した生徒の高校進学理由も、「みんなが行くから」「家族や先生に勧められたから」というのが大半を占めている。他力本願なんだよね。自分でなんとかしていく、という一番大事な心が育ってない。
 さらに「高校生活を振り返り、高校にどんなことを望むか」の質問に対し、
「先生がもっと生徒のことを理解してほしい。」
とか
「もっと先生に相談に乗ってほしい。」
というのが以前より増えているという。だいたいからして、こういう生徒たちが実際に先生に自分を理解されるようにアクションを起こしたり、相談を持ちかけたりしたのかどうか、というところが大いに疑問なのであるが、それを置いといても、どこまで甘ったれれば気が済むのか。自分の経験を言えば、悪さをした3年生を呼んで説教していた時に、
「先生は俺の気持ちなんかわからないだろうが!」
と面と向かって言われたことがあるが、その時俺が
「お前の気持ちを理解する必要なんかあるのかよ!」
と返したら、相手の目が宙を泳いだことがあった。まさかそんな風に担任から言われるなんて思ってもみなかったのだろう。だが、そいつがどんな気持ちを持っていようが、やっちゃいけないことはやっちゃいけないだろが。さらに言えば、時間がたてば年齢が進んで自動的に中学は卒業する。仕事がなければ生活はできない。みたいな、オマエが何考えていようと、動かせないものは動かせない、という冷酷な現実が存在する、という当たり前の事実に思いが至らない、あるいは見ようとしない、あるいは見せないように大人が仕向けている、というこの状況は何とも嘆かわしい。うっかり見せれば「子供の心を傷つけた」というクレームが入ることさえあるが、現実を知らなければ地に足の着いた夢を描くことなんかできないのに。

 お前の気持ちなんかカンケーないんだよ!という世界が一歩一歩近づいている。それを大人たるもの、子供に見せつけなければならない。中学校でも少しずつ生徒に示しているはずなのだが、高校はさらにそれを一歩進めた形で示すはずだ。それが高校ってところじゃないのかなぁ。と俺は思う。
 だから、高校の先生が生徒のことを理解しなかったからって、それがどうしたんだよ。と俺なんか思っちゃうね。

 しかし、こういう新聞記事が誘導する世論は、
「高校ってのは冷たいところだ。高校の先生を再教育しろ。」
とか
「子供たちのことをもっと理解しなけりゃいかん。そのための環境を整えろ。人員を配置しろ。予算を出せ。法整備をしろ。」
ということになる。そして、こういう大甘の意見に支えられて、自立できない若者がぬくぬくと生き続け、またどこか世の中の一角が崩れ落ちる。こんなの絶対間違ってるだろうに、そういう日本に誰がしたんだ?

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

FC2Ad