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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

吹奏楽の市民権

最近のテレビのバラエティ番組で、BGM にしばしば吹奏楽曲が聞かれるようになってきた。吹奏楽がある意味市民権を得てきた、ともいえるので、喜ばしいことではある。自分が中学高校のときには
「部活は吹奏楽部で、クラリネットを吹いています」
なんて、恥ずかしくて(少なくとも大人には)言えなかった。なにしろ、
「ああ、ブラバンね。ブカブカドンドンのあれね」
「そうかいクラリネットかい。将来はチンドン屋になるのかね?」
とか、(少年である自分としては)なんだか一段低くみられてるような、悪いことをしているような気がしてくる反応しか返ってこなくて気が滅入るからね。大人というものが、いかに狭い固定観念の世界の中で暮らしているのか、ということを肌で実感したということでもあった。

 時代が変わったということもあるので、ま、それはともかく置いといて、バラエティ番組のBGM。
 鉄腕ダッシュの無人島のコーナーにおいて、「天国の島」が使われているのを初めて聞いた時には、実は冷汗が出たのであります。というのも、その曲をやったコンクールの時での(あのときああしとけばああああああああ!!)とか(あの○○のあのヤローがぎゃあああああ)とか、忘れようとしてやっと忘れられた嫌な思い出が一気に目の前に飛び出してきたからね。当事者にしては刺激が強いわ~~。(もう慣れたし、全く代替わりした生徒たちがあの番組を見てやりたがったので定期演奏会で再演しちゃったけどね。)

 しかし、それにしても、ついこの間、とりだめてある番組を見た時の「クローバーグラウンド」にはマジぎょっとした。今やってるヤツじゃん!なぜこんなところで流れる?!
 正直、今年の課題曲はよしてほしかったです!本当に刺激が強すぎだよ!

テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

軍隊の合唱団

 合唱祭(ウチの学校では「校内音楽会」)が終わり、先日はその代表が集まる「市内小中学校音楽会」が開かれた。そこでよその学校の演奏の時に気になったのが、
①指揮者が右手をあげる。
②それを合図に合唱団(クラス合唱だから学級全員)が気をつけの姿勢から足を開き、「歌の姿勢」をとる。
③指揮者がその手を上に上げたまま舞台下手にいる伴奏者(ピアニスト)の方を向く。
④音楽が始まる
⑤音楽が終わると、指揮者が右手を下ろす。
⑥間髪を入れずに全員がそれに合わせて気をつけの姿勢に戻る。

という、あの一連の流れである。よくないよね~。
俺はこれが大嫌いで(というよりもあってはいけないことだという信念を持っている)、15年以上前から、行く先々の学校においては禁止しているのだが、それでもうっかりすると学年主任や担任がそういう指導をしてしまい、クラスによってはこういうみっともない光景が、この俺様の監修下にある校内音楽会でさえも、未だに見られてしまうことがあるのは、実に不快で残念なことである。
 なぜダメなのか。それはこの動きが
「音楽」をぶち壊しにするからである。よ~く考えてほしいのだが、全員が一斉に姿勢を変える動きは、軍隊、といって悪ければ体育のものである。それは一見
「よく訓練されている。指導が行き届いている」
「クラス全体の心が一つになっている。チームワークがある」
という雰囲気を見てる人にもたらすのだが、舞台上で音楽をする、という行為の上では残念ながら邪魔なだけである。よく言われることだが、舞台に上がってからおりるまでが演奏だ。明るい音楽なら最初から最後まで明るい雰囲気。悲しい音楽なら最初から最後まで悲しい雰囲気。それを舞台に上がった瞬間から作り出すことも「演奏(パフォーマンス)」のうちである。

 それなのに、この一連の動作は、その雰囲気の中に一瞬にして「軍隊」の雰囲気を持ち込んでしまう。せっかくしずしずと舞台に上がり、クラス代表が自分のクラスの紹介やクラス曲の説明をして、じゃ、それを聴こうかいな、という気分になった瞬間に舞台上の木製の床がどんっ!という感じに鳴り響き、軍隊的な物々しいムードが立ちこめる。まさにぶち壊し。そしておしまいはもっと悲惨だ。曲が終わり、その余韻の中に賞賛の拍手がわき起こる、何ともいえないほっとする雰囲気の中に再度、いきなり木製の床がどんっ!という感じに鳴り響き、生徒の努力の結晶であるところの独特の感動をもった演奏を聴いてそれなりにうっとりしている脳みそに激震が走り、それまでの感動は一瞬にして消し飛んで現実の世界に引き戻されてしまう。こんな暴虐が許されていいのだろうか。

 だが、小学校からそういう流れでやってきた生徒も、それしか知らない教師も、「そういうモンだ」と思っている常識の中では無頓着。言われてみて初めて気づく、ということなんだろう。何しろ、ある年に俺が意を決して
「今後はそれ、やめてください!」
と言い出すまで、全く誰も疑いも持ってなかったようで、会議中の職員全員がびっくりして、不思議そうに
「何でですか??」
と言い出す始末だったからな。そして、言われてみれば
「そりゃそうだよな。」
という話になり、合唱祭が終わってからは、
「やっぱりよかったね、あれ」
ということになって次の年からは定着し始める。

 生徒に説明するのも大変だ。
「あれはな、音楽の流れをぶっ壊しちまうんだよ。指揮者が右手を上げたら、もう音楽は始まっているんだ。始まってから姿勢を作るなんて、おかしいじゃないか。指揮者が君らの前に現れたら、もう準備完了でなければイカン。一人一人の自主性で、指揮者が出てきたその時から自分で姿勢を作って待つ、というのが正式ってモンだぞ。実はその方がずっと難しいんだ。なにしろ一人一人自分の意志でよい姿勢にするんだからな。でも、それができてこその中学生ってモンだ。小学校の音楽会とは違うんだよ。第一、舞台の上でどんっ!なんて音を立てたら全然音楽的じゃないだろ?」
生徒もさるもの、
「でも先生、オーケストラや吹奏楽では指揮者が手を上げてから、楽器を構えるじゃないですか」
なんて言ってくることもあるが、
「あのな。オーケストラの演奏は全員一斉に始まる曲ばかりじゃないんだよ。彼らだって、いつでも演奏できるような準備完了の状態はちゃんとできているの。」
と、とにかく説明しとかねばならない。放っておくとその年に転任してきた担任とかが、旧来の舞台マナーを指導しちゃうからね。



 くどいけど、ホント、よくイメージしてみてよ。軍隊の動きみたいな姿勢の変化のあとで、
「ありその~~、いわかげに~~。」(親知らず子知らず)
とか
「わたしはっ いまっ どこに~ある~のと~。」(YELL)
みたいに音楽が始まるって、おかしいでしょ? あり得ないっての。曲のおしまいなんかはもっとそう。いま例に挙げた曲の終わりの静かな雰囲気が漂う中での、あの
どんっ!て音と動き(体育館でやるにしても市民会館でやるにしても同じ)、もはや
暴力行為でしょう。海上自衛隊の進水式かなんかで軍艦マーチを歌いましょう、なんていうのと違うんだっての(そういうシチュエーションがあるかどうかは知らないけど)。皆さんの学校でも、未だにそういうことしてる音楽の先生がいらしたら、その人はちょっとは恥を感じてもらって、来年からは廃止してくださいね。

テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

ピアノの呼称など

 ピアノという楽器は、昔も今も、なんだか神秘的な存在感というか威圧感というか、独特な思いを多くの子供に抱かせる。学校にあって、先生が弾くピアノは先生とともに何かを(それも饒舌に)語り、「ピアノを習っている」という友達が弾くと、なんだかあこがれたくなるような世界がちょっと自分に扉を開いてくれたような気がして、だが自分たちが鍵盤に触れてみても、せいぜいチャルメラか猫踏んじゃったかが関の山で、結局は無駄な雑音しか発しない。たぶん、昔(俺らが子供の時分)には、
「ウチもピアノを買って我が娘に習わせるぐらいの甲斐性は持ちたいものだ。」
と、日々仕事に打ち込んだお父ちゃんなんかも多くいたことであろうか。なんかわからんが、特別なものではあるのだ。

 最近、それでも住宅事情とか、景気とか、世の中の様子が様々に変わって、ピアノは、家庭においてはかつてのような扱われ方をしていないようだ。この頃家内が語っていたところによると、今や家にあるピアノはデジタルピアノが当たり前になっていて、普通のピアノは少数派となっているという。そして、グランドピアノ(本来あるべき姿の、普通のピアノ)は「学校のピアノ」、アップライトピアノ(場所を取らないために開発された簡易タイプ)は「幼稚園のピアノ」と呼ばれているのだそうな。もはやアコースティックなピアノは過去のものになりつつあるのか?

 昨今では、住宅事情もピアノ様が生息するにはなかなかつらいものがあるし、なんと言ってもアコースティックピアノは値段が高い。アップライトでさえもうっかりすれば100万コースだが、デジタルピアノは20万も出せばそこそこのものが買える。年に1回、調律にかかる費用だって、けっこうバカにはならない。そして、お父ちゃんなんかの幼稚化も、見逃せないものがある。何しろ、ウチで娘なりが練習していても、
「うるせぇ!」
なんてのたまう低レベルな人格も一般的になっているから、子供にしても、思ったように練習できないこともある。

 それでも、毎年入学してくる中学生の中には必ず一定数の「ピアノ」つまり音楽祭で伴奏者がつとまる生徒が存在するし、その数も減っているようには思えない(増えてはいないし、以前ほど熱心に練習する生徒も減ったが)。やはり日本人は教育が好き。「教育することもされることも、根っから好きなのであろう。

テーマ:習い事 - ジャンル:学校・教育

麦茶・梅干し・蚊取り線香・SDカード


これ、吹奏楽部練習の必需品であります。
麦茶は、熱中症対策の水分補給のため。部員が回り持ちでタッパーに氷を作ってきて、朝急いでジャグポットに作るのです。
梅干しは、熱中症対策の塩分補給のため。要するに「薬」として置いてあるのだが、好きで食っちまうヤツが最近続出している一方、嫌いだから、ということで食わないヤツもいる。この間テニス部男子1年と話したときに、
「先生、吹奏楽部は梅干しなんですか。は~俺、吹奏楽部に入らなくてよかったわ~」
なんて言っていたヤツがいた。はぁ?もう、何言っとんじゃこの小僧どもは!そういうモンじゃないだろうが~。
蚊取り線香は、朝、(間借り中の小学校の)体育館に行くと、まあそういうヤツらの襲撃に遭うわけですよ。で、開始二日目には準備しました、部費で。毎朝盛大に炊きまくります。昼になると蚊は出てきません。あまりにも暑すぎて行動できないのでしょう。
SDカードは、最近導入した簡易録音機材の必需品です。手軽に録音して再生できるのでとっても便利。

 コンクール本番は8月6日ですが、一日練習は一昨日で終了。きのうからは午前中だけの半日練習です。体力温存、気力充実を目指します。しかも、この暑さでは、もはや午後の練習は健康に重大な影響を及ぼしそう。練習もあと二日だ!がんばれ、俺!!そして、部員達よ!

「仰げばとうとし」にこだわるわけ

 前項では書き損じたが、俺が「仰げばとうとし」にこだわる理由はひとつ。この歌が、世代を超えて一緒に歌える歌である、というところだ。ワケのわからないイデオロギーとか裏の意味とかそういうものは一切なく、純粋に音楽上の問題だ、とこの際だから明確にしておこう。

 中学校の「卒業式」は、小中学校のすべての行事の中でも最も重大な行事である。何しろ、それまで住んでる場所が一緒だから、というだけで半ば強制的に集められた有象無象が半ば仕方なくそれなりのコミュニティを作ってそれなりの絆を作り、いいことも悪いこともひっくるめて9年間も過ごしてきたあげくに、それを解散させる、という式であるから、卒業生にとってはかなり特別の感情を持つことになる。
 また、昔からそこで暮らしてきて、そこの中学校を卒業して社会人になり、なにげに地域の中学校を見守ってきた大人たちにしてみれば、今年もまたイニシエーションを終えて一歩大人に近づいたヒヨコたちを祝う節目の式ということでもある。

 そんなわけで、「卒業式」というフィールドは独特の雰囲気を持っている。日頃体育の授業や部活動で暴れ回る場であるはずの埃っぽい体育館が完璧に清掃されて紅白幕や鉢植えの花なんかで化粧し、国旗や市町村の旗やでかい生花が飾られ、いすも定規で測って正確に並べる。もうそれだけで非日常感たっぷりだが、さらに居並ぶ教師もいつもとは違う式服を着て(女性の卒業生の担任は袴をまとい)、地元の市議会議員さんや場合によっては市長さん、代議士さんをはじめとする来賓が50人近くも格式張って着席すれば、いやでも生徒は緊張する。事前指導が(たいていは)行き届いて、日頃おかしな異装(髪の脱色、腰パン、ピアスそのほか)をしているバカ共もこの日ばかりは折り目正しくかしこまる。

 そこで演奏される卒業の歌は、基本「別れの歌」になるわけだが、その中でももっともポピュラーな曲が「仰げばとうとし」である。何しろ、発表されたのは明治17年だ。つい最近どこだかの国のメロディを持ってきた、ということが判明したようだが、格調高い歌詞が附されて極めて重厚な音楽となった(と思う。その証拠に、廃れちゃった文部省唱歌だっていっぱいある中で、未だに生命力を保って歌い継がれている)。だから、参列した保護者だけでなく、教師、来賓など、一切の「その場に居合わせた人」が一緒に歌うことが出来る唯一の歌なのだ。そういう、音楽を通じで、世代を超えて感動を共有できる瞬間を作ることができる歌がこの日本に存在するということそのものが奇跡的なことだし、幸せなことなんだよ。音楽は不思議なもの。若い頃習ったり歌ったりした音楽は、年をとった人でさえも自分の人生の中の、過ぎ去ったその瞬間を眼前に思い出させてくれる。
 「大地讃頌」もいいけどさ、やっぱり、こういう形にならない「日本の財産」を大事に守っていきましょうよ!

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

響き渡る「仰げばとうとし」

 大いなる高揚感をもってご報告させていただこう!

私crabfaceguyはついに年来の念願をひとつ果たすことが出来たのであります。すなわち、
「卒業式における"仰げばとうとし"斉唱の復活」!!
これについては以前にも書いたとおり、新任の学校で年寄り連中の反対を押し切って卒業式の歌から排除してしまい、その「若気の至り」を自分としてはずっと気に病んでいたのである。だから、その後に赴任した学校で廃止の動きがあったときには断々固として叩き潰し、「仰げばとうとし」を死守してきた。
 だが、歌わなくなった学校で改めて復活させたのは今回が初めてである。というより、今いる中学校は昭和末期の新設校で、いわゆるリベラル派?が伝統を築きあげてきた学校だから、開闢以来仰げばとうとしなんて歌ったことなんかないのだ。
 そんなわけだから1月の職員会議で提案したときには、(すでに授業で練習は始めちゃってたが)ちょっと緊張した。ああ言ったらこう言ってやる、と臍を固めていたのに、しかし誰も異議を唱える先生がいないとはちょっと驚きだったぜ。組合の人とかなんかいうかと思ったのに。でも、一番抵抗が強かったのは3年生だったかな。1・2年生は別にそんなモンか、という感じで脳天気に何も思ってないのだが、3年はちがってて、いつもだったら卒業式で何か違う歌をやることになってるのに、それが上からのお仕着せになっちゃうってのが気に入らない感じだった。でも、あくまでもそう感じるだけ。
「うちの親も、今更そんな古い歌…とか言ってたし」
と聞こえよがしに言ってる女子もいたりしたが、面と向かっては言わないから、そんなのは完全無視!で授業も押し通し、心配していた式練習の時に集団で抗議してくるというのもないし、無事、卒業式当日を迎えられたのであった。3年の担任が協力してくれて、この歌の歌詞の意味は、とかこれを歌う意義は、とかいろいろ学級指導の中で取り組んでくれたのも功を奏したのであろう。
 一番困ったのは、在校生連中が歌詞を覚えられなかったことである。やっぱり週に1回しか授業がないのってきついよ~。ヤツらにしてみれば明治時代の文語調の歌詞なんてすでに「暗号」でしかないし、3番までの有節歌曲ってけっこう歌詞が頭に入らないものだ。最後は1年の主任なんかが毎朝の朝読書の時間を学年集会にしちゃって歌の練習をしてくれるなど、本当に迷惑をかけまくってしまったが、どうにか卒業式当日には間に合った。

 そして、本番。体育館いっぱいに響き渡る歌声。目を赤くする3年女子たち。しかも3年男子までも?本当かい?!

 泣けました。

 この歌のもつ音楽としての力は、もはや破壊力とも言っていいほどだ(涙腺直撃だな)。そこいらの合唱曲なんか寄せ付けないものすごい迫力がある。しかも斉唱って、いいよね~。独特の説得力だ。式が終わった後、俺は茫然としてしまって言葉が出なかったよ。「仰げばとうとし」、絶対来年以降も定着させてやる。

って、独りよがりでなきゃいいですけどね。

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校内音楽祭の迫る日々

 いよいよ明日に迫った「校内音楽祭」。毎年のことだが、数日前からもはや思考停止状態となっている。周りの先生方は、あれをどうしますか、これはこうするけどいいですよね、といちいち聞いてくるのだが、ほとんど「よきに計らえ」的な受け答えで終わってしまう。そんなに偉い人でもあるわけないのに尊大に見えてるかも。結局、そうやって周囲の好意と気配りで行事は無事に進んでいくのだ。もちろん、別に私のためにみんながやってくれるわけではないのさ。すべては生徒のためである。
なんやかんやで残って仕事していると、今日に限っては
「一緒に帰りましょう」
という人もなく、当然のごとくに一人帰り二人帰り、気づいてみれば職員室には我一人。結局21時直前に引けてきた。もう、後は野となれ山となれ、である。

 だが、こっちは音楽祭のことばっかりにかかずらわっていて、ほかのことを何もしていない、ということに、ふと気づいた。そういえば、研究授業も、3年の調査書も、会計も、あれもこれもどれもそれも、自分の関係する仕事は音楽祭の主担当、という立場をいいことにすべて棚上げ状態である。本当に怖いのは明後日からではないだろうか。おそろしやおそろしや。

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