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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

2月から退職金削減の埼玉県で教員110人が「駆け込み退職」の動き

 本当に腹が立つね。なぜこういう至極当然なことがニュースになるのか。しかもそれに対する批判的な論調…!まさに学校バッシング。批判のための批判でしょ。イジメっていうんだよ、そういうの。

退職金減る…埼玉の教員110人が駆け込み退職

 退職金減額の話は昨年暮れの職員会議で校長から説明があった。皆無言で聴いた。会議終了後、俺は資料の数字を見ながら、定年までの残り数年のどこで退職するのが一番得なのか電卓片手に計算した(当たり前だ)。俺の場合ちゃんと定年まで勤務した方が得だ、ということが判明したが、途中でやめた方が得な人はどうなるのか。やっぱ辞めるよね~。

 で、埼玉県では110人もの定年を迎える教師がそういうことを言い出した、というわけだな。中には担任もいれば教頭もいる、と。すごい話だ。でも、何も不思議なことではない。もともと行政側としては早期退職を推進していたし。
「1月末で減らすよ」
といわれれば、それは
「1月までに辞めなさい」
ということでしょう?違うんですか?むしろ
「1月までで辞めさせられた」
と表現するのが正しいワケで。それなのに首謀者の県知事が
「不快なり」
なんて言ってる。ナニ、それってただ働きをするのが当然だ、ということか。普通の感覚として正常ですか、このヒト?担任している生徒を放ったらかして辞めざるをえない方々の胸中や如何?

 一番腹が立つのが、
「聖職者のくせにはした金に目がくらんで」
という言い方をする低脳(といって悪ければ時代遅れの石頭)がかなり多いことだ。聖職者ってナニ?お坊さんのこと?
 かつて「聖職」とされる職業がいくつかあったが、今はないでしょ、そんな仕事?みんなして仮面を引っぺがすのに一生懸命になっちゃったんだから。代議士はカネの力で統率するボスがいなくなって会派が乱立。お医者さんだって、医療事故が起こる度に裁判になる。それがいやで、実際に産婦人科のなり手がいなくなっちゃったじゃない。
 教師もそう。モンスターペアレントというほど理不尽な要求でなくても、かつてあり得なかった面倒くさい要求、細かいところのアラ探しはもちろん、以前は全然やってなかった「親切心に基づくサービス」を当然享受できるものだと思っていて、そうならなかったときにブチ切れる異常性格者が、想像以上に多く保護者の中に紛れ込んでいる。
 ムチャクチャにやりにくい対生徒・対保護者の自分勝手であるゆえに錯綜した人間関係を綱渡りのように捌き、山のように風呂敷残業を持ち帰るが残業代もなく、夜討ち朝駆けの家庭訪問で何しに来たんだと露骨に迷惑がられ、土日に部活指導に出て行っても休日出勤手当もチョー泪金でボランティアそのもの、給食費払ってるのにタダメシ食ってると誤解されてしかも炭水化物ばっかり食わされてメタボになり、挙げ句の果てに保護者はみんな自分の子供を預けた教師をバカだと思っていて、それをストレートに子供に言っちゃう。だいたい、今の生徒は、先生のこと呼び捨てが当然ですからね。少なくとも陰に回っては名字で呼び捨て。年端もいかない小僧小娘にハゲとかジジイとか誹られて、それもあまりにも多すぎていちいちとがめ立てもできず、懲戒処分がイヤだからぶん殴ることもせずに全部腹の中にしまい込んでるうちに感覚が麻痺してどうでもよくなってしまい、それをまた見とがめられて
「学校のしつけはどうなってるんですか」
とクレームを付けられる。お前がやれよそんなしつけ!ってなもんだ。今時の教師は、とにかくバカにされるばっかりで尊敬されない。
「いつもお世話になって」
という人間関係円滑化のための当然のあいさつさえもロクに交わせないお子チャマ保護者に囲まれて日々不安になるばかり。
一体この仕事のどこが「聖職」なのさ。誰からも聖職者扱いなんかされてないじゃない。それで、正当にサラリーをもらおうと思っているだけなのに、そういうときだけ
「聖職者なのに情けない」
って、どこからそんな死語を探し出してくるの?そういうアナタだって、日頃は教師なんか聖職だなんて思ってないでしょ?一体何様のつもりですかっていうの!
「退職する方は結局生徒の指導よりお金を選ぶという時点で先生ではない気がする。」
なんて趣旨の発言をなさる人も多いが、マジ腹が立つ。さんざんバッシングしまくられて、ボロ雑巾のようにされ、精神疾患での休職者を大量に出し、給料も長年にわたってどんどん減額され、子供は指導しても指導しても年々バカになる一方で、やりがいを感じることもめっきり少なくなってしまったこの仕事。「生徒の指導よりお金を選」んで何が悪いのか、本当に教えてほしいよ!

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なんだコイツら?年度当初訪問

 先日「年度当初訪問」があった。教育事務所とか教育委員会とかのエライ方々が4~5月に学校がちゃんとやってるかどうか、見に来るというやつですな。
 指導要録とか健康診断表とか歯の検診表とか、出席簿、出勤簿、年休記録簿、出張命令簿等々、様々な帳簿類、学校備品の管理状況などをチェックされるので、学校では何日か前からそれらの準備を始める。年度当初のクソ忙しい時というのに!指導要録なんかの生徒関係の書類は2年生から上は前年度のやつを並べ直して新クラスと出席番号なんかを書き加えれば終了だが、1年生は新しく作らなければならない。また、特別教室の準備室、特に技術科室や家庭科室、理科室など、危険物や薬物が保存されている場所ではその整理確認はもちろん、(人が来るわけだから)お掃除もしとかなきゃね。いつもちゃんとやってればどうということはないが、それでもいつの間にか目が行き届かなくなる場所だってある。それをこの機会に何とかせねば。年度当初のクソ忙しい時というのに!さらには、普通教室も通りがかりに覗かれたりしたときにあまり突っ込みどころがあってはしょうがないので、「教室掲示」もちゃんとしとかなきゃ。生徒の存在感を表す様々な掲示物(係活動や委員会や班ポスターや清掃当番表やなんやらかんやら)をどれだけかっこよく掲示しているか、担任が夜遅くまで残って競うように飾り立てる(俺は途中でダウンしちゃってリタイヤ)。
 それでもまあ、一応やっておいて悪いことというわけではないから、ちゃんと準備するわけですよ。年度当初のクソ忙しい時というのに!

 ところが!

 前回(去年の4月)の訪問の時に注意されたことといえば、何と、
体育教官室にある冷蔵庫の中がキタナイ」ということだったのだ。これには教頭(体育科)もあきれ果てて
「まさかそこへ来るかヨ~
というわけで一同大爆笑だったのだ。

 しかし!今回注意されたことは、いったいどうとらえればいいのか。
「学校日誌」というやつがある。たいがいは日直に当たった先生が日々記入する。(たまに「これを書くのは俺の仕事だ!」とて抱え込んじゃう教頭先生もいらっしゃる。)
その「学校日誌」のいろんな記入欄の最後に、「校舎内見回り」の項目があったと思いねえ。その欄に、
鍵閉めの時間と最終チェックの時間を記入することになっているのだが、そこんところに、
「勤務時間内の時間を記入しておいてください。」
というのだ。何を言ってるのか、この木っ端役人は。そもそも、校舎の鍵締めなんて、生徒が帰ってからでなければできない。部活が終了して生徒が完全に校舎から消え去るのは18時00分。勤務時間が終了してからすでに1時間15分も経過している。さらに、最終チェックをする時間、となればもっと遅くなるのは必然である。それをありのまま書いて何がいけないのか、さっぱりわからない。これって、すなわち、正式な帳簿には嘘を書け、って要求してるんだよね、若き次代の担い手に正しい人の道を説く教師たる人間に対して。その意図は何かと問われれば、要するに教師が過労死したときに証拠を隠滅するってことかいな。それとも、今後の給料の制度改定に備えて、「教師は残業なんかしてる実績はない」という証拠集めでもするつもりか。それとも何なのか、誰か教えてほしいものだ。第一、何か(わからんが)事件・事故が発生した場合にこういう日誌が証拠物件となっちゃったら、何か不具合が生じたりしないのか、も心配である。

 おまけにいうと、上の方に「木っ端役人」と書いたが、実際にはもともと教師だった人たちが試験を受けて管理職になってやってる仕事なのだ。どういうバイアスがかかると、これらの優秀な人たちが、いい年をして、こんなイカレたことを言い出すのか、その仕組みを知りたいものだ。最近はあまり腹の立つこともなくなってきたのだが、今日、教頭からそういう「指導内容」についての話を聞いて、久々にイラッと来たぜ。

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通信簿は誰のため

 一学期の音楽の成績にクレームをつけてきた保護者がいた。音楽の(通知表の)成績を1にするなんてひどいじゃないか。わかっててつけたのか。うちの子はまじめにやってるじゃないか。音楽で1になる子なんて、音楽祭の舞台の上でさえもそっぽ向いてうちわで扇いでたりする奴(つまり誰が見たって不良)だけじゃないのか。

 ごもっともである。正直申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、しかしそれを表に出すわけにはいかない。だったら修正しろ、という話になっちゃうし。
 うちの県で、音楽や美術で1とか2がつくというのは3年の1学期においては重大な意味を持っている。なにしろ、その通知表を持って保護者と一緒に私立高校の事前相談に行くんだからね。かなりの私立高校で、「安心して受験してください」と言われるための条件として成績の基準のほかに、①3年1学期の通信簿のすべての教科で1(高校のレベルによっては2以下)がないこと、②年間の欠席日数が10日以内、などの付帯条件がついている場合が多い。高校にしてみれば、いわゆる技能4教科のよしあしは生活態度の現れ、と見ることができるからだ(俺も原則その意見に反対ではない)。となれば、技能教科の教師としても3年1学期の成績で1なんかつけたくない、というのが人情といえる。だが!

 本当に生活態度の悪い奴の成績はどうするのか。音楽で言えば、授業をやってる最中に4階の音楽室の窓の淵に立ちあがる、合唱の時に級友の後ろにそっと近づいてひざカックンをする、話しかける、相手にされなければ怒鳴りかける、しまいには殴りかかる、数人で教室の後ろのほうに座り込んで遊戯王ゲームをやっている、取り上げようとするときわめて暴力的にくってかかってくる、パート練習用のCDラジカセを占拠してラジオや勝手にもってきたCDを聴いている、1時間ずーっと(合唱がうるさくて互いの話し声が聞き取りにくいから)大声でおしゃべりしてる。鑑賞の時間にも大声でしゃべっている。トイレだといって音楽室から出て行ってしまい校舎を徘徊している。あるいはバタバタと出たり入ったりしている。電気のスイッチをいたずらして教室の照明がついたり消えたりを繰り返す。これらの行為に対して教師としては指導を入れるわけだが、もちろんそういうことをやる奴はそういう奴なんだから素直に聞き入れるなんてことはまずない。よくても現状そのまんま、である。(悪ければどうなるか?って想像してみてよ。)こういうのを恒常的にやられちゃうと、すべての生徒にとってまさに授業妨害、音楽の時間は台無しになってしまうのだが、そういう奴の成績って1にするしかないよね。誰でも納得だと思うのだが…。
 しかし、そう簡単にはいかないのだ。不良といえども、別にバカばっかりじゃない。中には音楽的な能力が高い奴だっている。思い切りのいい奴だと歌のテストなんかをやってもけっこう高い評価にしなければならないような歌い方をすることもよくある。じゃあそいつらに4とかつけたらどうなるのか。励みになって以後頑張るようになるかって?まあそれも期待できないわけじゃないが(現実にはあり得ない)、周りは納得できないでしょ。そいつ(ら)のせいで楽しいはずの授業はめちゃめちゃ、自分はまじめにやってるのに何が何だかわからず、思ったような成績が取れなくて3だったのになんであいつが4?!前提として、互いの成績表は見せ合っちゃうんだから、しかもそういった連中は思ったよりもいい成績をもらったりすれば
「お~い!俺、音楽4だってよ!!」
と英雄気取りで触れ回ってしまう。そうなると、まわりも巻き込んで
「は~、あいつ(俺のこと)は適当にやってても4くれるわけだ。」
とかえってなめられるのがオチだし、真面目にやってる連中は失望してしまう。したがって、断固として
こういう奴らには1をつけなければならない!
 だが、単に授業態度が悪いから1をつけるわけにはいかない。これこれこんな風に出来が悪いから1なんですよ、という確固たる理由が必要だ。そうでないと、思わぬ揚げ足とり(授業態度が悪くても実力を評価するべきだろ?!第一どう悪かったというんだ、そういうことならあいつだってあいつだって…)に苦しめられることになる。そこで、提出物とか、忘れ物とか、授業の時にチャイム着席をしてない、とか、いっぱいメモを取ってそれを評価の際に数値化して減点する、期末試験では授業の話を聞いてないと答えられない問題を(しかも記述式や論述式で)出題する、歌のテストでは姿勢や服装などを観点に入れちゃうなど、かったるい連中なら面倒だから途中で投げちゃうようなことを中心に評価することで、自動的にそいつらが1になるようにする。何しろ、奴らは通信簿見せ合っちゃうわけだから、矛盾があってはいけないのだ。で、表計算ソフトでザザッと順位をつけて上から順に54321と記入していき、めでたしめでたし、となるわけである、普通は。

 だが、この方法も実は万全ではない。不良連中が落っこちるように仕掛けた落とし穴にはまっちゃう真面目な奴が出てきてしまうことがあるのだ。それが最初に書いたクレームの主のお子さんなのである…。もちろん、そういう子は不良じゃないというだけで、やっぱり普通の生徒ではない。ボーッとしているので話は聞いてない。モタモタしててノートを取ってない。提出しろといってるのにその提出物を持って帰っちゃう(そしてなくす)、歌のテストをしても全然声が出ない、テストはほぼ0点状態、結果的にソートされたデータの一番下の方に、自然にたまってきてしまうのだ。そして、いろいろ算段しても、やっぱり1だわ~。となってしまう。
 だいたいからして、もともと1なんかつけるつもりはない。いつもだったら最低ラインの奴でも2にするようにしているのだよ、俺だって。だが、1をつけなければならない奴が大量にいる学年(つまり、ぶっちゃけ荒れた学年)ではそうもいかなくなってしまうのだ。本当に不幸な状態である。(それとも、もしかして自己撞着?)


 それにしても、通信簿は何のためにあるのか。本来は生徒のありのまま(といっても学校という枠の中でのごく狭い価値基準によって、たったの一人または数人の教師が~偏見も交えて~しかもたったの一方向から見たものにすぎないが、それでも一応平等に)を本人および家庭に通知する、ごく個人的なものであるにすぎなかった。かつて文部省の見解のなかでも
「通信簿は公文書ではない~学校独自でやっているもの」
というものが飛び出してきて世上を仰天させたこともある。(今は感覚的にもそうではないが。)
 しかし中3の成績表は、我が県では(ある馬鹿な県教育長のせいで)生徒を離れて一人歩きしてしまっている。前述のごとく1学期の通信簿を持って生徒は親と一緒に私立高校へ確約をもらいに行くのだから、塾の先生が「進路指導をするために」見るのも当然である。技能教科とはいえ、というよりむしろ技能教科だからこそ1なんかつけられた日にはたまったものではないのが現実だ。あまりいいたくないが、我が息子も家庭科が2だったというだけで散々な目にあったことがあり、そこら辺の事情は痛いほどわかる。
 当然、通信簿の記述内容は、特に所見欄なんかはあまり過激なことは書けなくなってしまう。たとえば、
「もっと食事マナーを考えてほしい」
「掃除をサボらないでやりましょう」
「集中力に欠けてます。授業中によそ見をしないように」
なんておいそれとは書けないよね。高校の先生が見て、そういう子だと思われちゃうわけだから、持ってく方だって気が引ける。技能教科でも(どんなに出来が悪くても)1はつけられない、何しろ生徒が困るからね。改ざんしちゃえ。
 しかし、それでは元々の通信簿の目的であるところの、現実の生徒の姿を家庭に伝える、ということは出来なくなってしまう。なにしろ
「書かれてないことは、ないこと」というのが通常の感覚だ。ある教科の成績が2と書いてあったって、それは「実力として」2なのであって、本当は1のはずがお情けで2にしてもらっている、なんて誰も思いも及ばないし、我が子がサボってばかりで掃除なんかしたこともない、なんて想像もできない。
 そうなると、何のための通信簿なのか、特に3年1学期(2学期も)に関してはぼやけた目的のものになってしまう。奥歯に物がはさまったような、ワケのわからない所見欄の文章には担任の悩みが込められているんだ、ということは察してほしいなぁ。少なくとも、
「このヒト日本語の文を書くのがヘタで、なに言ってるかわからないわ。」
なんていってほしくないものだ。ハッキリ書いていいんならそうするわ!
 さらに、音楽の成績が1だったなんて、現実としてそれをつけなければならないこっちの苦衷も察してもらいたいような気もするが、まあ、それは保護者に望むべきことではないであろう。全くいやな役回りだ。

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教員免許状更新講習2年目

 結局、民主党がでくのぼう過ぎて、教員免許状更新制廃止の話は全く手つかずのまま。昨年度は「必修」関連の講習を受けたので、今年は「選択」ということで何か音楽関係のバカバカしいのはないかいな、とのんびり探していたのが失敗であった。日々の多忙に紛れてふと気づけば、どこの大学の講習も定員オーバーキャンセル待ち、という有様である。
「このままじゃ失効になっちゃうぞ~(教頭)」
「何とかしてくださいヨ~~(校長)」
というプレッシャーの中、いろいろ探すが、要するに去年の段階で廃止になるかも知れないからって更新講習を受けるのを待った連中が、大挙していろんな講座に殺到した、ということらしい。去年行った駅弁大学なんかもちょっと面白そうな講座があったので受けるつもりでいたら、とっくの昔にいっぱいである。「印象派以後の作曲技法の諸相」なんて話、聞いたってたいていの教員じゃどうせワケがわからないだろうに。全く。

 マ、結局のところモタモタしていたこっちの責任だ。普段ならハナも引っかけない(というのも失礼な話)名前を聞いたこともない大学の講座でもいいから何しろつじつま合わせをしなければ、と探しまくったら、まあどうにか予約を取ることができた。3日間、電車に1時間半も揺られてさらに駅から15分も歩いて通う。何十年ぶりの難行苦行だ。いつもそうしている人々は偉いのう。

結論。
初日…すごく面白かったです!
2日目・3日目…メッチャためになりました!

初日、歌舞伎の黒御簾音楽についての実技講習。歌舞伎の下手側の黒御簾の中なんて、日頃見たことがない、というより通常そこに特化して興味を持つなんてこともないからね。大太鼓をつかって、波音や雨音や雪音(!そんな音存在しないのにね。江戸時代の人の感性は独特である。)や幽霊の登場なんかをやったり、さまざまな効果音専用の道具なんかを鳴らさせてもらったりして、大いに感心した。
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とにかく、ある一つの効果音を作るのにメチャクチャこだわり抜くのだ。日本人の真骨頂ここにあり、だね。昔テレビで見たことがある、NHKのラジオとかの効果音を作るための道具にも相通じるものがあるのは偶然ではないであろう。

 さらに、三味線の実技!これはゴージャスだ。
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かっこよく和服を着こなした女性が講師で、それだけでも非日常の雰囲気満点で楽しい。楽器は10棹あるが受講者は18人いるもんだから、2人に1棹だ。それなりの時間三味線をいじれる機会なんてそうないから、これは得難い体験と言えるであろう。さくらさくらとか弾き唄いしちゃったりして、なかなかグレードの高い講義である。

(文科省は何をトチ狂ったか、中学生に必ず和楽器をやらせなければいけない、という学習指導要領を作ったのだが、おそらく中学生に一番ウケがいい和楽器は三味線である。しかしこれはメンテナンスや指導がやっかいで手間と時間がかかるうえ、楽器の単価もバカにならない禁断の果実だ。そもそも、授業で使うほど(最低6台?)三味線の数をそろえるなんて、まあやってる人もいるが、簡単にできることじゃない。ここ何十年かでいったいどれだけ学校の予算が削られたと思っているのか。そんな中で和楽器やらせろなんて、どこの財布を当てにして言ってるのか。ホント、机の上だけでものを考える役人は脳天気だ。こっちはため息しか出ないさ。)

 さて、2日目と3日目、指揮法についての研究なのだが、これは実に有意義な講義であった。というより、最初っから個人レッスンの趣だ。いい年した20年選手なんかに
「あんたの振り方が悪いから吹奏楽部の中学生が困ってますよ」
なんて、言ってくれる奇特な人なんて、まずいない。つまり長年の間に悪い癖をつけちゃった音楽の教師はけっこう存在するとうことでもあり、俺の最も恐れるところだ。それを、

・最初にあいさつ。
・「もう一回お願いします」はなぜもう一回なのか、必ず言え。
・何時までやる、と必ず予告して、それを絶対守れ。
・肩を動かすな。
・3拍以上目線を下げるな。
・打点ははっきりくっきり。
・必要ないことは言うな。
・立った姿勢をキレイに。前屈みになるな。
・感情は体にためて、出さないように我慢しろ。
・手首は動かすな。
・歌手や演奏家に主導権を渡すな。
・指揮者は絶対権力者なんだから、自分が思っているよりでかい音や小さい音、イメージとテンポが違ってたなんて、あっちゃいけないことだ。
・嘘でもいいから、演奏者より一万倍も大きい音楽性を持っている、と思い込んでなきゃダメだ。

なんてことをズバズバ言ってくれるわけだから、これはありがたい!まさに得難いチャンスであった。
二日目はあるオペラの一部を受講生同士で指揮をしたり練習ピアノを弾いたりしてやり合い、3日目はさらに「持ち時間7分である楽曲の所定の場所をリハーサルする」という課題をこなす冷や汗まみれの時間となった。講師は長くウィーンと東京の二重生活を続けている指揮者兼作曲家。思いも寄らぬ超ハイグレードの講座を3日間も受けて、まさに教師としての姿勢リフレッシュである。
 それなのに、他の受講生の何とレベルの低いことか。あそこに集まったのは確か、中学高校の音楽教員のハズだよな~。全然ピアノが弾けない、というのは専攻のこともあるからまあ百歩譲るとして、リズムわからない、楽譜読みこなせない、声出せない。指揮の図形の形も作れない、って、コイツら本当に音楽の教師なのかいな。免許が交付されてから10年目20年目の現役教師のはずなのに、いったい今まで何を身につけてきたのだろう?!こんなんでいいのかな~、ニッポンの教育。

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複雑な喜び…それとも?

 ウチの職場で、精神疾患?で休職中のヒトがいる。俺は副担だったのに、そのヒトの代わりに9月から担任になってしまったのだ。(まあそれはいいとして)
 で、一応3月いっぱい休職の予定なのだが、先月中旬から職場復帰のためのリハビリ、ということで彼は今職員室でとぐろを巻いている。たまに年休取ったり出張に行っちゃった人の代わりに自習監督に入ったりするのだが、傍で見ていてもよくわからない立場である。何しろ、本人はもとより管理職も、彼が何故に休職に入っちゃったのか教えてくれないんだもんね。誰も詳しいこと(どころか基本的なところも)はわからないのだ。それなのに「職場リハビリ」っていっても、どう接していいかわからないじゃん。しかも、彼は3年の学年団なのに2年の自習監督ばっかり行ってるのだ。3年生の生徒と接しようとしない。やっとのことで10日ほど前から俺の学活の時に~要するにもと担任していたクラスの~教室の後ろの方に立ってるようになった。それも管理職にかなり説得されてそうすることになったっぽいが、結局よくはわからない。何より、生徒に話しかけたり一切しないのだ。
 明日、その「職場リハビリ」の最終日を迎えるわけだが、1時間目に「道徳」がある。今日は公立受験の二日目で、面接を実施する高校を受検する生徒がいなくてクラスは閑散としている。残った生徒もかったるさ満点で、明日の「道徳」で何をするのか聞いてくる。
「センセー、席替えするんでしょ。」
「レクだよね!レクってありだよね!」
「何するんですか~?自習ですか~?」
ま、俺が日頃どんな道徳やってるかコイツらの発言でもわかっちゃうというものだが、それもともかくおいといて、
「明日の道徳はホニャララ先生(つまりそのヒト)が担当するぞ。」
と予告すると、俺にしてみれば非常に意外なセリフが生徒たちから飛び出した。
「え~?いまさらかよ~?
考えて見りゃ、そりゃそうかもしれない。生徒にしてみれば、1学期にもしょっちゅう休んでクラスはまとまらないまんまで形が作れず生活は落ち着かず、2学期に入ったそうそうに休職しちゃって、そのままクラスは放り投げちゃったわけだし、その後の合唱祭とか進路相談とか、一番重要な部分は(うまくいくわけがないとはいえ)俺が担当して面倒見てもらったんだからね。しかも、「職場リハビリ」で一ヶ月も学校に顔を出しておきながら、もとのクラスの生徒と意図的に接触を避けてきちゃって。
 しかし、生徒にそういってもらえるのはある意味うれしいはずなのだが、彼の立場を思って俺は絶句してしまい、そのまま帰りの会は終わってしまった。

 この場合いったい生徒にどう言えばよかったのか。そもそも1年生の時からの彼と生徒との関係は何だったのか。それを忘れて、そんなこと言っていいのか!と叱るべきだったか?それとも、「職場リハビリ(なんて言葉を生徒には言えないが)」は明日で最後だから、ひょっとするともうホニャララ先生には会えないかも知れないぞ、何しろ君ら卒業しちゃうんだから、と情に訴えるべきだったか?それとも、彼にとって明日道徳やるのは、復帰に向けての活動の一環だから協力しろ、と言うべきだったか?俺にしてみれば、なんでかんで同僚だからね。まだまだ続くはずの今後の彼の教員人生がよい形で続いて欲しい、という気持ちもあるのだが、それを生徒に言ってもまずいよね~。なにしろ、彼らの中学生人生は1回こっきり、俺たちの教員人生と一緒にはならないし、結局俺たちの側の都合でしかない。ドライな現代の生徒にしてみれば、カンケーないってことでしかないのだろう。
 そういうわけで、自分の中でもワケもわからず納得もできずどうしていいかもわからない中途半端状態で今日は終わってしまったが、明日はいったいどうなるのであろうか。まさか本人に向かって
「いまさら~?」
なんて言わないよね!言わないって言ってくれ~!

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こんなのありか?教育実習

以前にも、最近の教育実習生のヘタレさ加減について書いたのだが(そしてこのブログの読者の方から「これからはもっと大変ですよ~」なんて反響もあったところだったが)、それにしても今回来た女子学生は群を抜いて意味がわからなかったぞ~。俺はもう教育実習生を受け入れるのは金輪際ご免である、と言いたくなった。

 実習生成績表?に書こうとした所見は以下の通り。

「音楽の専門的な事柄についても、中学校の教科としての音楽についても、全く無知の状態であきれました。本年度の採用試験を受ける、という約束(実習に当たっての条件として教頭より本人に提示)も勝手に反故にし、不誠実です。教師になりたいという意欲が感じられず、生徒の前に立つ自分、というイメージも自覚もないままに実習を「敢行」されてしまい、迷惑しました。しかも、ちょっと言えば泣いてばかりで、指導するにも困りました。」

 これでもけっこう優しく書いたつもりである。とにかく、何をやるにも中学生目線で指導者としての自覚がない。どんな指導をするか、どんな教師になりたいか、というイメージが全然ない。指導案の書き方がさっぱりわからなくて一から指導しなければならない。教科書に書いてある内容を吟味してないならまだしも、何が書いてあるかすら知らない。合唱のパート練習を面倒見てくれ、と言っても全然進めることができない。掃除の監督をサボって実習日誌を書いている。給食指導をまかせてもそのときに何があったのか全然報告をしない。文句を言ってもやっぱりしない。授業実習をするにもこっちが指示した教材を使わずに関係ない授業を展開する。etc.etc...
 とにかく先生になるには、あまりにも人物実力ともに能力不足というわけだ。でも、そういうバカが相手でも、実習生ということであれば指導に時間を割かなければいけなくなるわけですよ、合唱祭直前のメチャメチャ忙しい時期とはいえ。
 ところが、上述の鉛筆書きの下書きを校長に見せたところ、
「とにかく地元の子だし、昨今の教授は直接本人に見せちゃう可能性もあるから、もうちょっと当たり障りのない書き方にして、評価も一応実習の単位が認定されるぐらいのところにしといてよ。」
なんて言うもんだから、取り敢えず清書しないでおいたのだ。
 だというのに、あろう事か彼女は実習終了当日に提出するはずだった実習日誌を提出しないまま、すでに10日以上たってしまった。これでは評価も不能である。どうすればいいのだろうか。

 とにかく、そんなバカがいずれ教師になってしまえば、どう考えても生徒が迷惑するだけではないのか、とも思うが、それでもやっぱり「よくできました」という評価を下さなければならないのか。釈然としない思いだ。

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「人権」と、思想の自由・言論の自由

夏休みの校内研修で委員会から指導者も来て、人権学習についてやった。男女共同参画に関する部分があって、その中で「ちがいのちがい」という資料をもとにグループで話し合いを行った。資料はいくつかの質問が書いてあって、それに各自答え、その後互いにその答えを見せ合ってグループでの結論を出す。例えば、「国会議員は圧倒的に男性が多く、女性が少ない」なんて質問が並んでいて、それにたいして、「あってもよいこと」「あってはいけないこと」「どちらでもよいこと」に分けろ、というのだ。要するに生徒にやらせる教材について、教員同士で事前にやってみる、という研修なのである。
で、まあ年齢もまちまちな男女のグループだから意見もまちまちではあったのだが(結論が正しいか間違いか、ということよりグループで話し合って意見をまとめる、という過程そのものが大事、というのがこのときの研修の意図だから、どうでもいいのだが)、こういうのってどうなのだろうか。
「かけっこで、男子が女子に負けたときには笑われたが、女子が男子に負けても笑われなかった」という質問では、全員が「あってはならない」。なぜかというと、「負けるのを嘲笑うことそのものがそもそもいけないことだから!」…?…なんだか本来の出題の意図とはズレてるかも、だな。
「学校では男子は男子用トイレを使い、女子は女子用トイレを使う」なんてのは、「あってはいけないこと」にしろ、と解釈しちゃって本当にいいのかな?若い先生なんかは「あってもいいこと」に何のためらいもなくしちゃうようだったが、俺たちぐらいから上の年寄り連中なんかは、そもそも学校のトイレは職員も含めて男女共用だった木造校舎の時代を知っている。それで何か不都合があった、という意識も俺なんかは特になかったが、そうでない人もいるだろうし、ちょっと質問に対するとらえ方にも温度差を感じる。
「商業用ポスターでは水着の女子の写真が多く使われる」なんてのは、年配の人も含めて女性の先生も「あってはいけないこと」とは思わなかったようだし。価値観はいろいろ、ということだな。生徒にやらせるとどういうことになるのだろうか。

 だが、「男女共同参画社会」が進行し、「男は仕事、女は育児」という固定観念が解体していったことにより、世の中では反動的な意見が「言いにくい」状態になりつつある、と、ふと思った。たとえば、少子高齢化を解消するには女性の社会進出を食い止めればいいだけのはずなのだが、現代日本でそんなことを声高に叫んだら狂人扱いされるのがオチだろう。
しかし、考えてみれば、「言論の自由」というのは憲法で保障されているわけだから、そういうことを言ったからって、なんにも後ろめたい思いをする必要はないはずなのだ。それなのに、実際のところ心の底にはエキセントリックなまでにアナクロニズムが渦巻いている俺なんかにしたって、やっぱりそんなこと人前で言うことはできない。人格が疑われちゃったらイヤだからな。結局、思うことは自由だが、発言することは意外と不自由なんだな~っと、そのとき思ったのだった。自分自身の思想信条を口に出して言うのも「人権」のウチなんだけどね。パラドックスってやつだな。

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