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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

教科書会社の底の浅さ

 俺が思うに、教科書会社が教科書を編集する際の方針って間違ってる。文科省検定済みの教科書って数年ごとに全く新しいものに置き換わるので、俺が知ってるだけでこれまでに6回変わった。結論としてわかったことを発表しよう。まったく、何でこうなるんだ、と本当に情けないのだが、

中学校の法則その2:教科書は新しくなるたびにダメになっていく。

 皆さん、お子さんがいるなら学校の教科書、見せてもらってご覧なさい?あれを見て不安にならない人は、はっきり言って子孫が「負け組身分」に堕ちていく人です。
 まず、今の教科書はどれもこれも全ページ色刷りである。とっても色とりどりで、図版も多く様々な事柄が視覚的にわかるようになっている。上質な紙が使ってあって美しい発色である。
 と、ここまで読んだだけでも、賢明な方ならいかに教科書が堕落しているかわかると思う。

 つまり、今の教科書は「よごせない」のだ。我々古い世代は、赤鉛筆(古いか)なんかで傍線を引いたり書き込みをしたりして、教科書をよごし放題によごしたものである。そこから、教科書には個人個人の思い入れや思い出、覚えなければならない事柄や学習の道程・やり方などが浮き出てくるものであり、一人一人にとって大切な「一品」に育っていくものであった。
(若い人たちのために注釈をすると、昔は教科書に書き込みをしたり、傍線を引いたりして勉強したものだった。何しろみんな金がないから参考書なんてそうそう買わなかったし、塾に通う人もごく少数だったから、教科書だけが頼みの綱だったからね。従って、勉強すればするほど教科書には色とりどりの書き込みや傍線が増えてくるし、1ぺー1ページが手あかで実際に汚れてくるし折れ目も増えてくる。それは「勉強した」ということの証になったし、そういう書き込みが多い教科書を持つことに皆プライドを持っていた。つまり、教科書を「汚す」というのは一種のステイタスでもあったのだ。)

 だが、今の教科書はダメだ。まず、最初っから「色とりどりである」ということから、例えば赤鉛筆やラインマーカーの書き込みが、全然目立たない!!次に、「上質な紙」であることから、鉛筆などの書き込みが、紙の上に思ったように乗らない!さらに、音楽の教科書なんか特に顕著なのだが、「総天然色」の美しい写真や図版は、生徒の「脳みそを使って奮い起こすはずの想像力」を「事前に用意」してしまう!もっといえば、イメージが「固定されてしまって」ふくらますことができない!!
 要するに、使い物にならない、ということである。

 「教科書が使い物にならない」というのは、現行の指導要領になってからけっこう言われていて、その話題の方向としては「内容が貧弱」という部分に集中していたように思う。例えば中学の歴史の教科書なんかも、図版ばっかりで本文がどこにあるかもわからない代物ばかり。かろうじて教科書の体裁を保っているのは「作る会」ともう一社ぐらいのものである(それはそれで、いったいそれだけの豊富な内容を教えるだけの時間なんかあるわけないのでは?と危惧される状況だが)。
 旧課程の教科書がオークションで出回っている、というのも当然のこととして納得できる。

 教科書会社は、何とかシェアを伸ばしたい、という欲求の前に、カラフルに、キレイに、「子供にウケる教科書」を作ってきたようだ。だが、学問に王道なし、の格言にある如く、楽をしていたのでは学力は身に付かない。それは子どもに与える教科書や資料集の体裁にしても同じである。物わかりのいい人のフリをするのではなく、一見取っつきにくそうに見えてもちゃんとつきあえばどんどん面白味がわき上がってくる、というような本を、本当は生徒も必要としているのではないだろうか。
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テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

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