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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

総合的な学習の時間

 まことに慶賀すべきことに、今度改訂される学習指導要領では「総合的な学習の時間(以下総合)」が減らされるらしい。俺としては全廃になるのを期待したのだが、あれだけ鳴り物入りで始めちゃったものをそう簡単には引っ込められないのであろう。困ったものだ。
 だいたいからして、この「総合」というヤツは始まる前から壮大な時間の無駄遣いとなることが誰(まともな中学の教師)の目にもはっきりと見えている企画であった。なにしろ、金がない、場所がない、道具がない、人がいない、ノウハウがないと、どちらを向いてもないない尽くし。文科省としてみれば、「教員の創意工夫で」カリキュラムを作ってほしかったようだが、誰もどうしていいのかわからなかったことから渋々「国際」「福祉」「環境」「情報」といったものを例示したせいでそれが金科玉条となり、生徒をして「またカンキョーかよ…」とため息をつかせる始末となった。

 一番困ったのは、やはり「人」である。だいたい日本全国津々浦々の教師の中に、週2~3時間もの総合的横断的な学習のカリキュラムを考え出せる、文部官僚並みに頭のいい人間がそうそう多くいるはずがない。たとえいたとしても、教科指導だ生徒指導だ、やれ部活だ研修会だ、と駆け回っている合間の片手間でやれる仕事ではない。よしんばできたとしても、それを元に学校全体を動かしちゃっていいものなのかどうか自信もない。さらに管理職が「あれやっちゃダメ、これやるにはこうしなきゃ」とハードルを置きつつ横槍を入れる。教師のアイディアは施設設備や時間や金の制約でつぶされ、生徒のアイディアは「それは総合じゃなくて社会でしょ理科でしょ」とくさされてつぶされる。誰もどうしていいかわからないから、他人が何をやっても間違いに見えてくるのだ。いかに管理職が教師を信頼せず、教師が生徒を信頼してないか、が図らずも如実にわかっちゃったな。

 そして、現実の「総合」の時間はどうかといえば、まずまともに取り組んでいる生徒は少数派。ほとんどの生徒は、
①こんな時間は無駄だ、と見限って塾の宿題を黙々とやる。
②コンピュータ室でネットにつなぎ、株式会社の研究と称してバーチャル株取引に興じる(ウチの倅がやらかした)。
③活動場所が教室や図書室などに分散しているのをいいことに校舎の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてよからぬこと(喫煙など)をくり返す。
④保健室や相談室にしけ込んで担当の教師の手を焼かす。
⑤何をしていいかわからずに暗い顔をしてじっと何もせずにいつまでもいつまでも座っている(これは一番危惧された事態だが、低学力の生徒の場合が多く、最もどうすることもできない連中だ)。
 そして、まともに取り組んでいる生徒といっても、現実には「これが中学生のやること?」と目を疑うような情けない内容のものばかりなのだ。しかもそれを指導する教師の側もどこまでやれば満足、という基準がないから評価のしようもない。A先生に「すばらしい」と言われたりB先生に「なんだこりゃ、ダメ!」と言われたりで生徒は混乱し、さらにやる気のない生徒を生み出す。

 こんな状態を学校は座視して見過ごすのか、と大方はいいたくなるだろうがとんでもない。教師は席の温まるヒマも気の休まるヒマもないですっ飛んで歩っている。だいたい、「総合」は個人の活動だから、普通に考えれば40人40通りの面倒を見なければならない。一クラス50分で一人にかけられる時間は物理的に考えても1分ちょっと。コマネズミのようにいろいろやったところで、子ども達はほとんどほったらかしになる構造なのは考えればすぐわかるであろう。まあ、現実にはグループでの活動がほとんどになってきたし、副担任も総出で指導に当たっているから、これほどのことは最近は少ないであろうが。(でも、そのおかげで、総合の時間には職員室は空っぽ。何かコトがあったときにはいつだって対応は後手後手になるんだよ。)

 というわけで、たいていの中学校では「総合」は目の敵だ。だから今ではかなりの学校で、例えば「基礎力養成」という題目にして数学や英語の授業をやっていたり、体験教室みたいな行事にしてまとめ取りしちゃったり、修学旅行などの事前学習にしちゃったり、など、様々な知恵を絞ってこれを形骸化するように努力している。最終目標としては、総合の時間を「部活代替」にしちゃうことだな。

 ところが、小学校では事情が違うようだ。なんだか、総合的学習の評判がいいのである。それも「子ども達の目が輝いた」などと、ワケのわからないことを言って自己満足の世界に浸っているようなのだ。どうも小学校の先生の考えていることは浮世離れしている。(悪いけど、小中連携の仕事関係でも我が息子娘の通った学校関係でも、これまでに関わった小学校教師で信頼に値する先生は10人に一人もいなかった、と断言できるが、その話は別の機会に書こう)
 そりゃ子どもなんだから、面白いこと・興味のあることを提示すれば乗ってくるよ。そしてそれなりの活動もして、立派にキミの思うとおりに動いてくれるかも知れない。だけど、それでお前らの子ども達の学力はどうなったんだよ!と言いたいのさ、こっちは。
 そんな立派な学びを積んできたはずの肝心の生徒たちは、分数の割り算どころか九九も怪しいヤツもいて、漢字は書けずものも知らず中学校に上がってくる。もちろん保護者はとっくの昔に小学校の授業なんか見限って、頼みの綱は塾だと思っているのに、学力が保持できているのは自分の力だなんて勘違いしているのだ。ちょっと、これからは小学校の先生の意識をなんとかしなきゃいけないな。

 それとマスコミ!
 あれだけ導入時には批判的で、学力が下がったといっちゃあ授業の時間が足りないだの総合の時間が無駄だのって騒いでたのに、いざ減らすとなったら「これまでの積み重ねはどうなる」とか「詰め込みや偏差値輪切りに逆戻り」とか何とか、ま~た文句言ってやがる。
 いったいどーして欲しいんだよ、お前ら。文句のための文句はやめてくれよ。普通の人が混乱するばかりじゃないか。
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テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

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