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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

部活動は全くやってません。どうにもならん。

武漢肺炎の影響は長引くばかり。例年6月に行われる、支部吹奏楽研究発表会は中止になりました。まあ、状況からいって当たり前の判断ですね。2月の末からすでに一月半というもの全く練習していません。ほかの部活もそうですが、「雲散霧消」というイメージがまさにぴったり。職員室でも時々
「・・・大会が中止になった…」
みたいな話題が運動部の顧問の先生から出てくるが、こっちの「夏のコンクール」はどうなるんだろう。5月7日に予定通り学校が再開されるとして(それだってあまり明るい見通しではない)そこから練習するにしても、新入部員の面倒を見ながら曲を完成させるなんて、ほとんど無理(完成度を度外視すれば無理じゃない)。そもそも部活がないから演奏曲も決まってないし。今は黙って待つしかない。
 で、その辺のところをググってみたら、
「コンクールがないなら、部活に行く理由がない。」
「何のために部活をやっているかわからない。」

という中高生の意見が飛び交っている傾向というか、状況があるようだ。悲しいことである。こいつらの顧問の先生は日頃ちゃんと指導してるのか? そんなこと言わせるなんて。

 ちなみに我が部活では、コンクールは「目標」ではあるが「目的」ではない、と常々生徒に話してきた。コンクールに出る以上、「目標」はもちろん金賞、県大会、支部大会…である。しかし、コンクールの演奏は、音楽ではない。集団演技である。どれだけ縦線をそろえるか、どれだけ音程を正確に出すか、どれだけハーモニーをきれいに響かせられるか。もっと言うならどれだけ指揮者に「服従」できるか。それだけを徹底的に生徒に要求する。俺はそれを悪いことだとは全く思わない。なぜなら、そうやって身に着けることができる技術は、「演奏」に必要な能力となって、本来の吹奏楽の目的であるところの「音楽の演奏」に生かすことができるからだ。その演奏は、例えば「敬老会」とか、「地区の・・・祭のお呼ばれ」で発揮される。お客さんは「どっちがうまいか固唾をのんで見つめているライバル」ではなく、純粋に私たちの演奏を楽しんでくださる方々である。そういうお客様に向けて、感謝を込めてご披露させていただき、喜んでいただき、その生の反応というかお客様との心の通い合いを実感する。吹奏楽部の演奏の「目的」はこれじゃないんですか?そして、その「目的」をさらにより良い形で達成するための手段として、コンクールというツールを使って個々の技術力を高め、集団としてのポテンシャルを高める。だからコンクールの演奏が、練習が間に合わなくて結果的に無機質なものになったとしても、まあいいのさ。
 もちろん部員にとってはなかなかそういう顧問の思いというか考え方を、自分のものにできるとは思えないが、感情で納得できなくても、理屈でそういうもんなんだ、と教えていくことってすっごく大事なんじゃないだろうか。音楽ってのはもっともっと自由で豊かなものなんだぞ。
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テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

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