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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

率先垂範:掃除をするなら


 昔、「The 中学教師」という宝島mookがあって、その中で、清掃の時間が大嫌いな先生が、掃除サボってばかりの生徒たちにちゃんと掃除をさせる作戦の話が出ていて、とても共感した。何しろ、俺も小学生の頃から掃除が大嫌いな人間だからね。その頃の友人に聞けば、俺が掃除をさぼって先生に叱られてばかりいた、とだれもが証言するであろう。(正確に言えば学校での「清掃の時間」が嫌いなのかな、身の回りをきれいにしておくことはイヤじゃないからね。)それなのに何を勘違いしたか、学校の先生になったせいで、俺は嫌いな「清掃の時間」からずっと離れることができなくなってしまった。
 それどころではない、新任、というより臨採の最初から、
「教師たるもの、率先垂範!」という方式を叩きこまれた。これは俺にとってはかなりつらいことであり、それから何十年もずっと、清掃の時間こそが一日の中で一番いやな時間である、という状況が続いていた。
 だが、「率先垂範」ってどうなのよ。教師の姿を見て生徒は学ぶ、とかいうけど、現実は全然違うじゃん!本来だったら、先生にさせるなんてとんでもない、とか、先生が率先してやってるんだから、私たちも遅れを取ってはいけない、という感情というか実践力が育つのを「誘う」わけでしょ?なんだかうまくいく気がしない発想だと、ほかの人は思わないのかな~、と以前から思ってはいた。
だって、先生がやってくれるんでしょ。俺たち生徒が掃除する必要あるの?やんなくていいよね。となるのが今時の生徒だったらごくごく普通なんじゃないのか、50年前ならともかく。こういう指導がうまくいく先生って、どうやってるんだろう。てか、そんな指導をちゃんとできる先生なんているのか?

 結局、「率先垂範なんて、もともと無理なんじゃないのか」という長年の疑問は、定年後再任用で赴任した中学校で初めて、やっと、明確に答えを出すことができた。ここでは何と、
「生徒がするべき清掃に、教師は手を貸してはいけない。」という形の指導が徹底して行われていた。そう、教師は「指導」する立場で、「実習」するのはあくまでも生徒なのである。先生が手を下してしまっては生徒の実践の機会が奪われてしまうのだ。なぜこんな当たり前のことが、清掃の場面だけでは教師の目が曇ってしまうのか、不思議である。で、実際にこの方式でやってみると、これもまた不思議不思議である。なんと、生徒はサボりません(比較の問題ね。やらないやつはやらない。いつの世にもどこにでも一定数は存在する)。そして清掃のクォリティは高いです。みんなまじめに丁寧にやってくれます。先生のストレスも少なくなるので、イライラしません。声を荒げることも減ります。というか、むしろ褒める場面を発見しやすくなります。やり方を指導したり、ダラけたやつに文句言ったりはもちろんあるけど、何しろ見てるだけだからね。

結論。
掃除の時間の「率先垂範」なんて、自己満足に過ぎません!
「率先垂範でやっている自分」に酔ってるだけなんじゃないのかな~…。
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テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

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