FC2ブログ

最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

軍隊の合唱団

 合唱祭(ウチの学校では「校内音楽会」)が終わり、先日はその代表が集まる「市内小中学校音楽会」が開かれた。そこでよその学校の演奏の時に気になったのが、
①指揮者が右手をあげる。
②それを合図に合唱団(クラス合唱だから学級全員)が気をつけの姿勢から足を開き、「歌の姿勢」をとる。
③指揮者がその手を上に上げたまま舞台下手にいる伴奏者(ピアニスト)の方を向く。
④音楽が始まる
⑤音楽が終わると、指揮者が右手を下ろす。
⑥間髪を入れずに全員がそれに合わせて気をつけの姿勢に戻る。

という、あの一連の流れである。よくないよね~。
俺はこれが大嫌いで(というよりもあってはいけないことだという信念を持っている)、15年以上前から、行く先々の学校においては禁止しているのだが、それでもうっかりすると学年主任や担任がそういう指導をしてしまい、クラスによってはこういうみっともない光景が、この俺様の監修下にある校内音楽会でさえも、未だに見られてしまうことがあるのは、実に不快で残念なことである。
 なぜダメなのか。それはこの動きが
「音楽」をぶち壊しにするからである。よ~く考えてほしいのだが、全員が一斉に姿勢を変える動きは、軍隊、といって悪ければ体育のものである。それは一見
「よく訓練されている。指導が行き届いている」
「クラス全体の心が一つになっている。チームワークがある」
という雰囲気を見てる人にもたらすのだが、舞台上で音楽をする、という行為の上では残念ながら邪魔なだけである。よく言われることだが、舞台に上がってからおりるまでが演奏だ。明るい音楽なら最初から最後まで明るい雰囲気。悲しい音楽なら最初から最後まで悲しい雰囲気。それを舞台に上がった瞬間から作り出すことも「演奏(パフォーマンス)」のうちである。

 それなのに、この一連の動作は、その雰囲気の中に一瞬にして「軍隊」の雰囲気を持ち込んでしまう。せっかくしずしずと舞台に上がり、クラス代表が自分のクラスの紹介やクラス曲の説明をして、じゃ、それを聴こうかいな、という気分になった瞬間に舞台上の木製の床がどんっ!という感じに鳴り響き、軍隊的な物々しいムードが立ちこめる。まさにぶち壊し。そしておしまいはもっと悲惨だ。曲が終わり、その余韻の中に賞賛の拍手がわき起こる、何ともいえないほっとする雰囲気の中に再度、いきなり木製の床がどんっ!という感じに鳴り響き、生徒の努力の結晶であるところの独特の感動をもった演奏を聴いてそれなりにうっとりしている脳みそに激震が走り、それまでの感動は一瞬にして消し飛んで現実の世界に引き戻されてしまう。こんな暴虐が許されていいのだろうか。

 だが、小学校からそういう流れでやってきた生徒も、それしか知らない教師も、「そういうモンだ」と思っている常識の中では無頓着。言われてみて初めて気づく、ということなんだろう。何しろ、ある年に俺が意を決して
「今後はそれ、やめてください!」
と言い出すまで、全く誰も疑いも持ってなかったようで、会議中の職員全員がびっくりして、不思議そうに
「何でですか??」
と言い出す始末だったからな。そして、言われてみれば
「そりゃそうだよな。」
という話になり、合唱祭が終わってからは、
「やっぱりよかったね、あれ」
ということになって次の年からは定着し始める。

 生徒に説明するのも大変だ。
「あれはな、音楽の流れをぶっ壊しちまうんだよ。指揮者が右手を上げたら、もう音楽は始まっているんだ。始まってから姿勢を作るなんて、おかしいじゃないか。指揮者が君らの前に現れたら、もう準備完了でなければイカン。一人一人の自主性で、指揮者が出てきたその時から自分で姿勢を作って待つ、というのが正式ってモンだぞ。実はその方がずっと難しいんだ。なにしろ一人一人自分の意志でよい姿勢にするんだからな。でも、それができてこその中学生ってモンだ。小学校の音楽会とは違うんだよ。第一、舞台の上でどんっ!なんて音を立てたら全然音楽的じゃないだろ?」
生徒もさるもの、
「でも先生、オーケストラや吹奏楽では指揮者が手を上げてから、楽器を構えるじゃないですか」
なんて言ってくることもあるが、
「あのな。オーケストラの演奏は全員一斉に始まる曲ばかりじゃないんだよ。彼らだって、いつでも演奏できるような準備完了の状態はちゃんとできているの。」
と、とにかく説明しとかねばならない。放っておくとその年に転任してきた担任とかが、旧来の舞台マナーを指導しちゃうからね。



 くどいけど、ホント、よくイメージしてみてよ。軍隊の動きみたいな姿勢の変化のあとで、
「ありその~~、いわかげに~~。」(親知らず子知らず)
とか
「わたしはっ いまっ どこに~ある~のと~。」(YELL)
みたいに音楽が始まるって、おかしいでしょ? あり得ないっての。曲のおしまいなんかはもっとそう。いま例に挙げた曲の終わりの静かな雰囲気が漂う中での、あの
どんっ!て音と動き(体育館でやるにしても市民会館でやるにしても同じ)、もはや
暴力行為でしょう。海上自衛隊の進水式かなんかで軍艦マーチを歌いましょう、なんていうのと違うんだっての(そういうシチュエーションがあるかどうかは知らないけど)。皆さんの学校でも、未だにそういうことしてる音楽の先生がいらしたら、その人はちょっとは恥を感じてもらって、来年からは廃止してくださいね。
スポンサーサイト



テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

コメント

音楽会でもとは恐れ入谷の鬼子母神

 運動部も同じでしょう。私の時代は好きかってに始めて好き勝手にポジションを決めて、下手ならキャプテンがポジションを変えてくれました。顧問などまず練習にも試合にも来ませんでした。
 今の学校の運動部が私は気持ち悪いのです。まるで、聞いていた話だけですが、教練と同じように思えるのです。偉そうな顧問がタバコを加えながら近づいてくると、直立不動になり一斉に挨拶する。
 顧問は偉そうに演説を始める。口の利き方はやくざ屋さんと同じ。生徒は2列縦隊でランニングを始める、頑張りましょう、頑張りましょうなどと誰かの声で唱和する。
 私は運動公園で見るたびに吐き気がするのです。陸上競技も野球もサッカーも大同小異。やはり運動部は昔の教練に戻ったのです。
 音楽だけ違うのは不公平。もちろんこれは悪い冗談。ついでに死んでもラッパを話さなかったラッパ手の話もでっち上げだすのが関の山。
 だって明治の尋常小学校は貧乏国の国力向上、富国強兵、兵隊さん養成の意味がそもそもあったのだから。弱小国は何処までいっても国を守るための教育になるのです。
 個性尊重をうたった我が母校すら今は怪しい全体路線のように制服すら見えてしまいます。もうだめですよ。デモシカト消滅ともに個性尊重など消えたのです。管理人様は絶滅危惧種、いいえオンリーワンかも。
 今さら無理ですね。音楽顧問が頑張っても灯篭の斧ですよ。南無阿弥陀仏。

  • 2015/11/10(火) 09:45:16 |
  • URL |
  • tsuguo-kodera #-
  • [ 編集 ]

 いつもコメントをありがとうございます。
 しかし、どうもこちらの意図するところとは違うとらえ方をしたように思われます。
これまでのところ、私が進めてきた「軍隊的でない」指導は周りの同僚には好意的に受け入れられているし、じわじわ広がってきている、といろいろな場面で見て感じています。
それゆえ、この頃では少なくなった非音楽的な指導が、(少数の学校で)生き残っているというのは、恥ずかしいね~!ま~だそんなことやっているのかよ! という趣旨のことを書いたつもりだったのですが…?

  • 2015/11/11(水) 23:59:40 |
  • URL |
  • crabfaceguy #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://crabfaceguy.blog87.fc2.com/tb.php/307-2339fcb6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)