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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

子供たちは平等ではない

 昔、運動会の時に、徒競走でお手々つないでゴールインし、全員一等賞、なんてことを真面目に指導していたキチガイ教師(の集団?あるいはそういう思想、というべきか)があったらしい。俺は時代が違って、そういう狂った光景を目の当たりに見なくてすんだ。大変幸せなことである。 
 要するに、ビリになった子供の心が傷ついて可哀想だから、ということなのかな。それとも他にあるのかも知れないが、狂った人間の考えることはようわからんし、今さら深く知ろうとも思わない。もちろん、子供たちの競争意識をこんな形でゆがめるなんてことが正しいのか、社会に出て行けばありとあらゆる場面で競争ばっかりじゃないか。なんてことは健全な大人が考えればすぐわかることだ。かけっこが速いヤツもいれば、遅いヤツもいる、そんなの天然自然のことで俺なんかがいちいち言うほどのことでもない。

 だいたいからして、人間というのは、一人として同じ構造の脳味噌(肉体も)を持った人はいない。細かい作業が好きな人もいるし、何事もよくとって誰でも信用しちゃって損ばかりしてる人もいるし、物事を考えることさえも面倒くさいから体で稼ぐという人もいる。
「本を読むと頭が痛くなるから、読書はしたことがない。」
なんてのたまう御仁にも出会ったし、
「活字は見ない。漫画でさえも(吹き出しを)読むのがいやだ。」
という信じられない生徒に担任として出会ってビックリしたこともある。

 それなのに、学校(特に小学校?)ではなぜ、子供たちを執拗に、平等扱いしようとするのか。あるいはそういう思想がいまだに残っているのか、意味がわからん。というか勘違いしてるよね、平等の意味を。社会全体が。

 結論から言っちゃうと、つまり生徒にはすべからく同じ内容を同じように教えなければならない。たとえばカリキュラムの一部を、故意にしろ過失にしろどこかのクラスなり個人に教え損ねたりすれば、これはまずい。生徒の「知る」権利、というかチャンスを奪っちゃうからね。しかし、平等じゃなきゃいけないのはそこまでなのだ。生徒がその教えた内容を、全く同じように受け止められたか、と問われれば、絶対にそんなことがあるわけはない。(そういう意味でも寺脇の言ってたこと:子供たち全員に100点を~は根本的に間違っている、とはどんな馬鹿にでもわかるのだが、それは置いといて)
 優秀な生徒には手に取るようにわかる内容も劣等生にはちんぷんかんぷん、テストをやっても100点取るヤツもいれば0点のヤツもいる。当たり前のことだ。教科によっても違うし、掃除とか、どうってことのない生活の場面でも一人一人の「差」というものは歴然と存在する。
 それなのに、絶対あり得ない「教えた結果を平等にする」ことに、日本の教師は汲々としているのだ。そりゃそうである。なにしろ、せっかく教えても生徒が
「わかりませ~ん!」
ということになれば、それはその生徒が馬鹿なのか、教師の教え方が悪いのか、一概には言えない。そういうとき、教師は基本的に「いい人」ばっかり(これは事実だ)だからどうしても教え方が悪い、という方向に大概考えが行ってしまう。そこで、さまざまな工夫をしてあれこれ教えまくり、一応、子供たちの意識の上でも、みんな「平等に学習内容がわかった」ということにしてしまう。わかりやすいところで言えば、九九を暗唱するとか、逆上がりができるようにするとか、を「クラス全員が」できるようにするわけだ。誰もが主役の素晴らしいクラスを作る第一歩だな、教師の側から見れば。

 同様に、特別活動のジャンル、たとえば委員会、生徒会などにおいても、
「誰でもできる」
という幻想を植え付けようとする。そのためにあらゆる方策を立てて、クラス全員に対して「リーダーシップを育て」ようとする。もちろんやってることは間違いとは言わないが、しかし、どう工夫したところで、実際には誰もが学級委員になる能力なんか持ってるわけはない、というか育つわけない。40人のうちに2~3人がいいところだ。しかし、その現実を隠すんですよ、学校というところは。
 その結果、中学校においても、どうしようもないヤツがたとえば掃除当番の班長とか各種委員会の委員長(それだって大迷惑だが)ならまだしも、生徒会長とか、学級委員とか、あり得ない役職に立候補してまわりの奴らを半ば強引に蹴散らして当選し、その後の半年なり1年なりは当該の集団がハチャメチャになっちゃうなんてことがしょっちゅうあるのだ。
 一度なんか、俺のクラスの大馬鹿が生徒会長になってしまい、さまざまなトラブルがありすぎるので、あるとき他の生徒の前でついに俺と大げんかとなり、しまいにそいつが
「つまり僕には生徒会長なんかできる能力がない、ということですか!?」
と詰め寄ってきたもんだから、答えに窮した俺が
「それを俺の口から言わせようというのかっ!!!」
と叫んだ瞬間に、それまで固唾をのんで聞いていたクラスの連中が一斉に何事もなかったかのように無駄話を始める、なんて場面もあった(その時には本当にまわりに感謝した、というか何でそんなことができるのか、いまだに不思議だ)。だが、なぜ、俺はその時「答えに窮し」なければならなかったのか。それも当然だ。たとえば本物の馬鹿に対して「お前は馬鹿だ」と言うわけにはいかないだろ、人を教える身としては。だが、現実問題、そいつが生徒会長なんて、根本的にできるわけないのだ、あまりにも馬鹿すぎて。指導というか要するにフォローの仕方次第で誰だって出来るんじゃないか、というご意見を持つ方もいるかも知れないが、本当にそれどころじゃない生徒、というのはいるでしょ。たとえば原稿を全校生徒の前で読むにしたって、漢字(それも簡単な)が読めないんじゃ仕方がない。
 もっとやばいのが、いじめが絡む場合だ。「誰でもできる」のが大前提なんだから、結託してターゲットをそいつには絶対無理な(普通の子にはちょっと面倒な)役職に祭り上げてしまう。新任の頃、俺の担任したクラスでもそういうことがあって、ある弱っちいやつを学級委員の投票で1位にしてしまい、俺が
「どういうことだ!」
と怒ったところ
「先生は、ホニャララ君には無理だ、というんですか?」
と首謀者の生徒が反撃してきて(当然だ)困った。しかし、とにかくホニャララ君が学級委員では学級が機能しなくなるのは確実だ。
「人はそれぞれなんだ!向き不向きなんかあるに決まってるだろ!」
さらに、たまたま投票用紙を2枚書いて出したヤツがいたのが発覚したことで、その投票そのものを(俺の強権で)ご破算にしてしまい、そのときは事なきを得た。しかし、後々まで、
「先生はホニャララは能力のないヤツだと思っている。」
と陰口をきくヤツがいて癪に障った。

 ちょっと本題と外れてしまったが…(つづく)

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テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

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