FC2ブログ

最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

悪夢の始まりか?最悪の合唱曲が氾濫の予感

 去年の「市内音楽会」(市内の中学校の代表クラス~各校の合唱祭で優勝したクラス~が集って演奏を披露し合う会)で、ある学校の3年のクラスが、歌詞がゴチャゴチャしすぎで全く何を歌っているのかわからない、メロディも歌詞を聴かせる効果の薄い出来損ないで、俺にとっては「聴く価値なし」としか思えないお粗末な曲を披露し、しかも客席の反応がそれなりによい、という、さっぱり意味のわからない出来事があった。
 この出来の悪い合唱曲(作曲を専門に勉強したことのない「アーティスト」さんがでっち上げたポップスを無理矢理クラス合唱用に編曲したというのが容易に想像できる曲)については、その歌ったクラス(ないし指導に当たった教師)の選曲眼?に多少の軽蔑を感じただけで、それっきり忘れていた。ところが、その年度のウチの3年生が、これを3送会で歌いたい、といいだしたのだ。は?どーゆーこと?と、いろいろリサーチしてみると、その曲の題名は「手紙~拝啓、十五の君へ」。あろうことか「NHK合唱コンクール」のその年の課題曲で、しかもそのアーティストさんが出した元歌のCDがけっこうヒットしているというんだな。ありゃーやっちまったか…、と俺はまさに苦虫を噛みつぶす気分になった。ま、その年の3送会の練習は授業と全く関係ないところで進んだので、こっちのおシゴトには影響がなかったからよかったのだが、その後の音楽の授業では、いろいろとやりにくいことが発生しやすい事態となってしまうことは想像できたし、実際その通りになった。
 さて、今年。NHK合唱コンクールの課題曲はまたしても「アーティスト」さんの曲となり、しかも今度の3送会ではウチの学校の3つの学年すべての学級委員会が、このYELLとかいう、もの悲しいばっかりで俺のようなジジイには何がいいのか全然わからない曲をやりたい、やりたい、と騒ぎ出す事態になったのだ。いったいどうしてくれるのかい、NHKさんよ!

 だいたい、歌というものはシチュエーションや演奏形態その他諸々の「目的」に基づいて、作られて(あるいは発生して)いるものだ。オペラアリアしかり、演歌しかり、民謡、唱歌、アニメの主題歌、ゴスペル、ロックンロールetc.すべてその場で必要とされる形として定着し、それを必要とする人々、あるいは場面場面で愛唱されるようになるものだ。中学生が歌う合唱曲だって、まあ略同型である。それなりにスキルのある作曲家が、合唱という演奏形態の持つ特性を考慮し、それなりの効果を考えて歌詞を処理しメロディや構成を考えて作ってくれていて、その中でもうまくいったヤツが副教材の合唱曲集なんかに定着して、流行り廃りを繰り返しながら何年も歌い継がれているわけだ。もちろん、たまにはクロスオーバーもあるよ。それがうまく機能して、新しいレパートリーが広がることだってしばしば起こる。だがもちろん、うまくいかない方が多いのは世の常だ。
 そして、ポップスを合唱曲にリメイクして移植する試みは、ずーっと続けられている、どちらかというと空しい努力の一つである。その理由は簡単で、ようするにそういう曲、それも昭和50年代以降の、「シンガーソングアンドライター」が歌謡曲の世界にドッと流れ込んできた頃からのものは、メロディに対する「日本語」の処理が合唱向きじゃないのだ。その理由も簡単で、ようするにその歌手自身が(あるいはその頃から台頭してきたカラオケで誰かが一人で)歌えればそれでいいのであって、みんなが一緒に愛唱しよう、というそれまで一般的だった農耕民族的な発想は作曲に当たって考慮されていない。だから新しいっちゃ新しいんだが、これらの曲は異様に十六分音符が多く使われ、シンコペーションも多用されて、普通に口ずさむにも実に歌いづらい。というより中には「メロディ」としての体をなしていないものさえも多い。おまけに、その「特定の」歌手が自分の個性を生かそうとすれば、余計に歌いづらく、合唱にしにくいものになる。たとえばそいつが「イ行」の発声がチャーミング(?)ならばその発音がことさらに高音域に集まるように曲作りをしたりするものだから、もしうっかりそんなのを合唱曲に作り直したりすれば、ソプラノが聴くに堪えない騒音を発生するようになるとか、そいつが異様に音域が広かったりすれば無理矢理な編曲を強いられるとか、ということになる。また、(サザンの曲のように)その歌手が歌ってこそ味が出て、他の人間が歌ったのでは曲のよさが完全に死んでしまう、あるいは(かつてのイカ天のヤツみたいに)根っから音楽性なんて皆無、なんてのも多い。たとえ(その世界で)それなりに出来のいい曲であっても、そういう細かい音符の連続にチマチマとシラブルの入ってっるメロディなんか、一人一人ならともかく、合唱として大勢で歌ったりすれば、ピンボケの写真を見るが如く子音はうすらぼやけてわからなくなり、言葉はさっぱり聞き取れなくなるのは当然の帰結だ。(あくまでも一般論よ。たとえば超人的な指導者が部活とかでたっぷりと時間をかけるとかすれば、また話はちがってくる)

 しかし、中学生程度の音楽体験では、そこまでの審美眼は望めないし、カラオケ屋のいい気分のまんまに歌えるものと思って、彼らは安易にこれらの曲をやりたがっちゃうわけである。だが、練習が始まるとすぐに、必ず発生する不協和音がある。それは、男子の
「何で俺たち普通のメロディが歌えないの?」
という、至極もっともな不満である。こっちにしてみればそんなのは当たり前で、合唱は「ハーモニー」を作るのが大事なわけだから、メロディとは別のドレミファで歌わなきゃいけないパートが必ず出るのだ。特に「サビ」の部分は聴かせどころなわけだから、編曲家にしてみればどうしてもかっこいいハーモニーをそこに持ってきたい。そうなるとたいていの場合メロディはソプラノに振るより他に方法がないので、男子が「カッコイイ」あるいは「よく知っている」サビのところをその通り歌わせてもらえる、なんてことはまずない。ところがたいていの場合、中学校の音楽の授業なんてものは「男子のやる気」をどう保つかにかかってるわけだから、音楽の教師は苦しい立場に立たされることになる。
 それをどうにかクリアしても、今度はそのメチャメチャに歌いにくいメロディにどこのパートも苦しめられることになり、おまけに完成しても何を言ってるのかわからなくなっちゃう、というのではあまりにも切なくはないかい?つまり、よくても「自己満足」にしかならない、困ったジャンルの合唱曲なのだ。第一、YELLというヤツのパート別CDを購入したのだが、この手のCDにもかかわらず、何を歌ってるのか歌詞カードを見るまではさっぱりわからなかった、というのは初めて聴いた。ホント、劣悪な教材である。(CDじゃなくて曲が。)

 だから、俺(俺たち?)は極力こういう歌を授業で合唱しないように気をつけてきていたのだ。たとえば(生徒に渡した歌集の中に入ってるというのも困ったものなのだが)AIのStoryとか、Kiroroの未来へとか、コブクロのここにしか咲かない花とかね。それなのに、NHKはそういう俺(俺たち?)の努力を、一番上の方からあっさりと空しいものにしてくれたわけである。何しろ「NHK合唱コンクールの課題曲」として、こういうしょぼい曲(あくまで合唱曲としてだよ)に完全無欠の権威を与えちゃったわけだからね、この罪はかなり重いものじゃないだろうか。結局、「ゆとり」の考え方、要するにやりたいことだけやって、一生懸命子供が打ち込む姿に大人たちが感動し、本当のところ中身は空っぽ、という現実をあらためて再現する道を大きく切り開いてくれたわけだからね。でも、合唱コンクールの(NHKサイドの)関係者は、普通(またはそれ以下)の学校現場でそんな混乱が起こっちゃってあちこちで教師が困惑してるなんてことちっとも考えてないだろうな。そもそもコイツら死ぬまでそういうのは理解できないであろう。むかつくぜ!
スポンサーサイト



テーマ:合唱 - ジャンル:音楽

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://crabfaceguy.blog87.fc2.com/tb.php/167-476f1afc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)