最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

不快な音楽会~音楽教師の孤独その2


今回はまるっきりの愚痴ですから。

今年度のわが勤務校の合唱祭。最後に職員アンケート(自由記述)のまとめをさせられて、無事終了となったのだが、今回、この仕事は不愉快極まりないものであった。
 まず、こういう記述があった。
来年度以降、もっと合唱の声の大きさ、響き、ハーモニーも高めていかないといけない、と強く感じた。練習方法も含めて。
なに、これ。俺の指導がそんなに下手だと。生徒の声は小さく、響きがなく、音程がめちゃめちゃだからハーモニー感もないと。そういうことですね。そして、来年度以降は音楽の教師なんか相手にしないで自分たち他教科の教員ががっちり指導に介入していこうと。そういうこと?
これほど失礼千万なことを、音楽の教師が読むことがわかっていて書いてくるとは、すごい人間性の持ち主だ。校内音楽会の後で金賞クラスが参加した「市内小中音楽会」の時には校長が
「うちの学校の合唱は水準が高いねえ!」
と顔中笑いにして言ってたんだけどね。これ書いた人は何がご不満なんだろうか、聞いてみたいものだが、残念ながら無記名でやがんの。

~略~担任の合唱指導の力量の違いや、曲数がこなせないとか、~略~
担任の合唱指導の力量」だとよ!笑わせてくれる。いつ誰がそんなの要求したんだ?お前らにそんなもの最初から、一つも期待したことなんかない。新任以来何十年も!思い上がるのもいい加減にしろ!と言ってやりたいよ。 あわせて、
私が若いころは合唱指導をどうしたらよいかわからず、先輩の先生のやり方を盗んでまねたりしていました。若い先生たちにサンプルとなるような、学級での担任の合唱指導を、ある年齢以上の教員は、していかなくてはいけないなあ、と思いました。
な~んてのもあった。今までこういう思い上がった先生がクラス合唱に手を出して、変にいじり回しこねくり回し、せっかくの指導を台無しにしてくれたことはあるけど、役に立ったことなんか記憶にない。もちろん、音取り用のCDをクラス人数分製作して夏休み前に配るなど、有効な側面支援をしてくださる担任の先生もいらっしゃって、そういうのは感謝なのだが、割り箸を奥歯に咥えて声出すみたいな、わけのわからない民間療法を生徒に押し付けるとか、女子のせっかくの頭声的発声を地声に戻してホールでの響きをかき消しちゃったりとか、迷惑なことしか記憶にない。大体、そういう担任のクラスであればあるほど、そもそも女子の声が聞こえなくなる。なんでなんだろうね~。だいたい、こういう指導にしゃしゃり出てくる先生は、昔(学生時代)合唱部だった、とかそういうことで妙に自信があったりするんだけど、神話時代の音楽指導(腹を膨らませて息吸え、とか)にどっぷり浸ってて、現代の科学的(になりつつある)な教科指導を知らない場合が多い。第一、音楽専科と違うことを教えたら、自分の立場が危うくなることぐらいわからないのか。

もっとも、市町村によっても違うかもしれない。これまで(といってももう10年近く前になるが)勤務していた市ではそういうことはなかった。
「まったく生徒に任せたまんまで合唱練習が進んでいく。楽させてもらった。」
「今年の放課後練習は怒鳴らないでやろう、と決心していたが、本当に一度も怒鳴らないで終わってしまった。」
という感謝の言葉をいただいたことは多々あるし、プロ教師の会の河上亮一氏も
「女子の細いきれいな声は音楽の先生に任せるしかない。」
みたいなことを何かに書いていたのも読んだことがある。若いペーペーだった時期から、音楽のことは音楽の先生に任せるべし!という風潮のなかで、俺は仕事をしてきた(させられてきた)。だからいろいろな工夫を考えたし、卒業式なんかの指導では(今日はどうやって…???)と何日も前から頭を悩まし、緊張して取り組んできた。そして、それが当たり前だと思っていた。変な民間療法の指導をする人も俺が取り組んでいる合唱祭に影響を与えるほどの人数というか勢力はなかったし。
ところが、現任校の市にきてから風向きが変わったんだよな~。どういういきさつでこうなったのか、よほど指導力のない音楽教師ばかりがのうのうとのさばっていたのか?(そうと確信するに足る様々な状況証拠を俺は把握しているが。)しかも、それまで勤務していた市に比べて合唱祭のグレードはまるっきり低いのに。偉そうに何言ってるんだっつうの。
いずれにせよ、こんなふうに音楽教師がないがしろにされたのでは何をかいわんや。ただただ怒りに震えるばかりである。一時、
「合唱祭は大声コンテストではない」
というスローガンが出回ったこともあったが、俺みたいな頑迷なジジイが消えていくに従い、合唱祭は大声コンテストに戻っていくのであろう。歴史は繰り返す。だが、知ったこっちゃない!勝手に怒鳴り合いやってろっつーの!
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音楽教師の孤独

音楽の教師になって以来ずっと、音楽の教師って、なんだかとても損な役回りである、と思っていた。

 まず、音楽の授業って、生徒が黙って座っていただけでは成立しない。例えば、一人残らず数学や英語が嫌いな生徒ばかりの教室でも、そいつらが座っている限り数学や英語の授業は成立する(というほど単純な話ではないのは分かっているが一応)。体育が嫌いな生徒ばかりでも、強面の先生が怒鳴りつけ、殴りつければ(という時代もなかったわけでもない)一応授業は成立する。だが、音楽の授業は、生徒が「音楽が好き」で、「その気になって」いなければ成立しない。
「歌うから立ってください。」
などという指示を出したとして、生徒が言うことを聞かなかったからといって、怒鳴ったり殴ったりしては「音楽」の雰囲気はぶち壊れて楽しくなくなっちゃうし、音楽嫌いな生徒ばかりの前で
「一緒に歌いましょう」
といっても無視されれば、やっぱり成立しない。今ではいろいろ(周囲からしてみれば)魔術も使えるようになったので何とも思わなくなったが、若いころ他教科の先生がどれほどうらやましかったことか。

 そして未だに、一番腹立たしいのが、俺みたいなボンクラ音楽教師が卒業式の式歌斉唱の指導とかで四苦八苦しているときに
「ホニャララ先生はすごい(すごかった)!何しろあの先生が教えると、生徒が見る見るうちに変わっていくのさ!すごく大きな声で歌い始めるのさ。」
「ホニャララ中学校じゃ、生徒の声が大きくてさ。全校合唱では体育館のガラスが本当にビリビリ響くんだよ。本当にさ!あの音楽の先生は本当にすごいねえ!」
みたいなことをこちらに言ってくる同僚の存在である。これは全くイライラする。だからどうしろちゅうんだ?教えてくれよ!!ってこと。
 この世界では、伝説的に偉大な音楽の先生、というのが存在していて、かつてその人と同僚だった先生がその時にいかに感動したか、という話をするのである。もちろんその人は掛け値なしに尊敬できる素晴らしい指導者なのは間違いない。それは実績にも表れているし、小中音楽会みたいな行事の際の、その先生が指導した生徒たちの演奏を聴いても(いやっちゅうほど)わかる。
 だが、そのホニャララ先生がどれほどのものか、その本当のところは他の音楽の教師には全く知るすべがないのである。何しろ、その場に居合わせないわけだから。昔からどんなに大きな学校でも音楽の教師は1校にせいぜい3人、今やほとんどの学校で1人しかいない。自分の勤務校を放ったらかしてその大先生の指導を見に行くなんてことできるわけないでしょ。実際、その先生がどんな表情で、どんなテクニックを駆使して、どんな指示をして、そもそも生徒とどんな関係を築いていたからそういう指導ができるのか、また、「大きい声」といってもどの程度の大きさなのか、声の質はどんなだったのか、響きはどういう風についていたのか、絶対に知るすべはない。また、知ったところでそれを自分が実践できるわけでもない。

 結局、様々な断片的な情報を組み合わせ、自分でできることを自分でイメージし、自分で工夫し、自分で完成させ、生徒とともに試行錯誤していくほかに方法はないわけだ。だから、その結果がホニャララ先生と違っていて周りの先生がもどかしい思いをしたところで、そんなのどうすることもできないわけですよ。私は私で必死にやっているんです。

 最後に、音楽の教師は、というか技能教科の教師は、常にほかの先生方から評価の対象にされる、ということ。なにしろ、体育はグラウンドでやっている授業はすべて見ようと思えばオープンであるし、美術ならば作品が並ぶ。(アホな美術教師の指導の下では幼稚な作品が並ぶ:これホント。)音楽の場合は音楽室から聞こえてくる合唱の声が直接的に評価される。それどころか、卒業式や入学式では全職員の前で歌唱指導をしなければならない。これはすっごいストレスなんですよ、実際。うまくいけば
「今年の生徒はよく歌うね。」
うまくいかなければ
「日頃の音楽の授業、どうなってるんだよ?(先生のせい)」
そして、いつだって指導者は褒められないような仕組みになっている。誠に、音楽の先生とは損な役回りである、ということが…少しはわかってくれよ~~~!!

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