最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

仕事をさぼる二宮尊徳

 テレビのニュースで見たのだが、最近の二宮金次郎像は様変わりしてるらしい。
 何しろ、小学校の校庭でおなじみの従来のものは本を読みながら薪を担いで歩いている。こういうことをしては危険だろう。こんな像を小学校に置いておくとは良くないことだ。改善せねばならない。で、完成した新しい二宮金次郎の像というのは、荷物の薪を下ろし、腰を下ろして本を読んでいる姿である。
ninomiyason.jpg
本当に、この国の大人は子供をスポイルするのが上手だのう!こういう像を考え出す輩に言いたい。
余計なことすんな!
こんなクソな像、置いとくだけで恥さらしだ。もし、従来の像の通りに子供がまねして、道路を本を読みながら歩いたりしたら交通事故とかで危ない、っちゅうんだろ?バカバカしい。今どきの子供がそんなことするかいな。ながら勉強はいけないちゅうんだろ?今どきの日本にそんなシチュエーションの子がいるかい。ちょっと考えればすぐわかる。

 こういう「像」というのは、現実のものではなく、何かを象徴するものなんじゃないのか。二宮金次郎の像が教えていることは、「勤勉」。「夢の実現」。将来のために、寸暇を惜しんで、なおかつ与えられたお仕事をおろそかにすることなく、粘り強く、勉強を続けることが大切だ、というその考え方である。薪を担いで歩く道々(まあ、車もない安全な時代だったからというのもあるが)、毎日同じ景色を見てるのも時間の無駄だから歩きながらでも本ぐらい読めるだろ、という「発想」が大事だ、というのであって、わが身を危険にさらせ、といってるわけではないのは、誰が考えたってわかる。俺らが子供の時(半世紀前)でさえ、こんなのその通りにやったら大人に叱り飛ばされたはずだ。実際、そういうことを説明して、眼前の生徒に
「わかりませ~ん」
って言われてみ?
「お前、バカだろ!」
って言いたくなるから。あるいは(もしかして、こいつ本当のバカ??)と思いたくなる。しかも、わからない子供にはわかるように教えるのも教育だ。手間を惜しんじゃいけませんぜ。
 勉強もする、だが仕事もおろそかにしない、という「勤勉」なところが大事なのに、この像はつまり、仕事を
さぼって
なんか関係ないことしてる図ということになっちゃうんだけど、それには気づかないのかな、この像の責任者は?

 何かを変えよう、というときに、物事の本質を忘れてしまうようじゃ、浅はかな人といわれても文句を言うわけにもいきますまい。
スポンサーサイト

テーマ:子供の教育 - ジャンル:学校・教育

E.T.…感動の嵐

 時々あることなのだが、年度末のこの時期になると妙にあるクラスだけ、教科の時間が偏って余り過ぎちゃって困る。今年も担任している我がクラス(1年生)の音楽が3コマも余ってしまった。全くもう!
 そこで奥の手、この3時間で分けて映画を一本見よう。「E.T.」。スピルバーグ監督の往年の名作だ。映画音楽の学習の一例として教科書にも載っているし。で、昨日が第1回目。古い映画で特撮なんかもCGとか使ってなくてちょっとバレバレに見えるところもあるし、メディアはなんとレーザーディスクで(かける機械があるだけでも奇跡的)画像もそれほどシャープじゃないし、あまり受けないかな~とか思っていたのだが、実際封を切ってみると、なんだかみんな見方が真剣なのである。感情移入してる。
 で、今日は第2回目。チャイムが鳴って職員室から音楽室に行ってみたら、もうみんなして勝手に音楽室の暗幕を完ぺきに閉めて、テレビモニターの前に押すな押すなでいすを並べて陣取っているというありさま。この期待感、微笑ましいことではあります。で第2回目は物語が佳境になる。E.T.が雨の中、沢のふちで倒れているのを主人公の兄が見つけて駆け寄るあたりから、けっこう来るんだよな~。で、こっちも年取って涙腺がもろくなっているので、別のことを考えようと、そこら辺から生徒の様子をうかがっていると、物語が進むにつれて、なんと、みんな泣いてる!!!!ホントかい!素直なやっちゃの~~ぅ!!
 あまりの影響力の大きさにこっちはかえってびっくり仰天である。で、それからE.T.が一度心臓が止まっちゃって、医療チームがみんな防護服を脱ぎ始めるあたりでは、顔を抑えて泣き崩れてるのまでいるじゃないか!なんか、こういうのに耐性がないのか?
 ところがそこで無情にもチャイムが鳴り、あとのお楽しみになってしまった。誰もがなんと言っていいのかわからないままに音楽室を後にして教室に向かい、たまたま4時間目だったから、そのあとすぐ給食だったんだけど、なんとも不思議な、実に珍しい沈黙が支配する食事時間でした。

テーマ:今、教室で - ジャンル:学校・教育

かわいそうな谷川俊太郎

「春に」という合唱曲がある。谷川俊太郎の詞による美しい曲想の音楽で、わが校では卒業式で在校生によって歌われる。
 ところが、1年生のあるクラスの授業でのこと。男子パートの練習をしているときにどういうわけかこの連中、とある一節で
「ぼくの~~、はらへ~~、むね~への~~どへ~~」
と歌うのである。これは当然、
「僕の腹へ胸へ(そうして)咽喉へ」
という歌詞なのであるから、明らかにフレージング(息継ぎの場所)がおかしい。それで俺としては当然、
「おい、おかしくないか?」
と指摘するが、みんなきょとんとしている。しかも、
「いいんじゃないすか?」
なんて言うヤツまでいる始末。それで、さらに追及する。
「だってさ、腹へ、胸へ、といってるんだから、その次は咽喉でしょ?」
「ああ、そうか~…。」
「変だと思わなかったの?むねへの。どへ。とか、そんな日本語ないでしょ?何だと思って歌ってたの?」
するとこ奴ら、口々に、
「でもさ、谷川俊太郎でしょ。そういうのもありだと思ったんですよ。」
「だって、頭おかしいじゃん。」
ですって。まあ、詩人というのは、時々聞いたことのないような文字の並び方を考えて、独特の語感というか雰囲気を作り出したりするものだが、この場合、そんな効果を狙った詩じゃないから、まさか生徒がそういうことを考えているとは、予想だにしなかった。それにしても、これでは谷川俊太郎も形無しじゃのう!

テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。