最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

突然の余命2週間

 こんなことって世の中にあるものなのだろうか。
 担任している男子(1年生)の父親が、なんだか体調悪い、と言って病院に行ったところ、医者から
「もう手遅れ。余命2週間。」
と突如として宣告されたという。先月の27日の朝に、
「なんだかここのところの両親の様子がおかしい、と怪しまれたために、ついに隠しきれなくなって、昨夜二人の子供に、そういう状態なのだ、と打ち明けたため、子供はショックを受けたようなので、様子を見ていてください」
という母親からの涙ながらの電話があり、朝の会で教室に行ったらそいつ(いつもは腕白小僧)が目を泣きはらしている、という衝撃の状況。
 次の日からは彼は平静を取り戻しているようだったのだが、実際には非情というか予定通りというか、事態が進行していたらしく、ほとんど医者の予言した通りの2週間で、GW中に亡くなってしまった。42歳。こっちより一回り以上年下だ。妻と、二人の男の子(兄貴は高1:中1の時に担任した…。次男坊はこの4月に中学生になったばかり)を残しての旅立ちである。当人の無念の思いもあるだろうが、残された家族のことを思うと胸がつぶれる。

 今日そのお通夜であった。こっちはそんなこととはつゆ知らず、GW明けに学校に行ってみて初めて知って、びっくり仰天である。そんな大事な話、サッサと言ってよこせっての。
 かといって午前中は授業もたくさんあるし、午後は家庭訪問だし、全然動きもとれない。かろうじて斎場の場所を確認するのが精一杯だ。まだ日中と明るさも変わらない18:00、そのままの服装で行ったら、どなた様も喪服である。普段着のヤツなんか、俺ぐらいのもので、なんか浮いている。お通夜は黒じゃなくてもいいはずなのに、どうしたことか。思うに、昨今は全国的に高齢化の影響で葬祭場が混み合っていて、順番待ちになってしまうことも珍しくないため、参列した人はみんな事前に知らされている状況になっちゃうから皆さんも服を準備できるのであろう。想像だけどね。

 それにしても、故人と比べるのは不謹慎であるが、何事もなく健康で年を重ねられるというのは、ものすごく幸運なことなんだ、と改めて思う。この頃とみに思うのは、自分のやってること、というのはすごいことである。何しろ、両手はピアノの鍵盤を10本の指を駆使してたたきまくり、右足はペダルを踏んで音を引き延ばす。それには耳から仕入れた情報を脳みそに入れて、常にフィードバックしている。目は鍵盤を走る両手ばかりでなく、楽譜も見つつ、生徒の顔も見渡し、身振り手振りで注意を与え、ピアノを弾きながら口頭でも注意を与え、自らも生徒とともに歌い、時にはガン飛ばしたり、悪ガキを怒鳴りつけたり、女子の姿勢に文句を言ったり、生徒の歌声を聞いて頭声的発声に問題がないかチェックする。無数にある脳細胞の、どこか一カ所でも故障があれば、とてもできることではない。それがずっと故障しないできたのだが、今日は大丈夫だったが、明日も大丈夫なのだろうか。そんな不安を感じつつ、健康に感謝しながら、また今日も無事に終わった。運命はこの私に、いつまでこのような仕事をさせ続けてくれるのだろうか。
 そして、その一方で、今回の父親のように病を得て急逝してしまう運命に見舞われる人もいるとは、どう解釈すればいいのか。世の無常を感じてしまうのである。
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テーマ:一人言 - ジャンル:学校・教育

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