最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

世界一忙しい日本の先生

最近の報道によると、先生のなかで日本の先生というのは世界でも一番忙しいんだそうな。

 経済開発協力機構(OECD) は25日、中学校教員の勤務環境などの国際調査結果を発表した。日本の教員は指導への自信が参加国・地域の中で最も低く、勤務時間は最も長かった。理解が遅い子に合わせた指導をする割合やICT(情報通信技術)を利用する割合は低い。多忙な中、指導に集中できずにいる教員のすがたが浮かび上がる。

 2013年に実施した国際教員指導環境調査(TALIS)で、主に先進国の34カ国・地域が参加。08年に続き2回目で、初参加の日本では、全国から抽出した国公私立中学校192校の教員3484人と校長から回答を得た。
 学級運営や教科指導などについて、指導がどの程度できているか、自信の度合いを4択で尋ねた。「非常に良くできている」「かなりできている」の割合の合計を比べると、12項目すべてで参加国・地域中、最低だった。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機付けする」では21・9%で、平均の70・0%の3分の1以下。「生徒の批判的思考を促す」は15・6%(平均80・3%)、「生徒に自信を持たせる」も17・6%(同85・8%)だった。
 残る選択肢のうち「ある程度できている」を選ぶケースが多かった。
 教室での指導をどれくらいやっているかも4択で聞いた。「課題や学級活動にICTを用いる」に「しばしば」「ほとんどいつも」やっていると答えた 割合は計9・9%(同37・5%)、「全生徒が理解するまで類似問題を練習」も計31・9%(同67・3%)でともに最低だった。
 一方、1週間の勤務時間は53・9時間(平均38・3時間)で最長。内訳をみると、部活などの課外指導が7・7時間(同2・1時間)、一般事務が5・5時間(同2・9時間)と飛び抜けて長かった。授業は17・7時間で平均(19・3時間)を下回った。
 研修の必要性についても14項目を4択で質問。「高い」と答えた割合が参加国・地域で最高だったのは「担当教科の知識」(51・0%)、「個に応 じた学習」(40・2%)など6項目に上った。だが過去1年以内に研修を受けた割合は83・2%で平均の88・4%を下回った。受けられない理由は「仕事 のスケジュールと合わない」が最多(86・4%)だった。
文部科学省の担当者は「控えめな国民性もあるが、多忙で授業準備に時間が取れていないという意識や研修に出られないことが(自信の低さに)影響しているかもしれない」と指摘し、事務職員らの配置を進めることなどを対策にあげた。(朝日新聞20140626)


 まあ、やっぱりね~。という思いしかありませんが。勤務時間内に仕事が終わらない構造になっているのだから当然ですけど(勤務時間終了が16時45分なのに生徒の最終下校時間が18時00分ってどうなのよ~生徒が帰るまではそうそう集中して事務仕事はできないっすよ)、担任外の人だったらヒマな時期、というのもあるにはあるけどね。きのうも、午後から出張に行って、18時ちょい前に学校に戻って、23時までテスト問題作ったりなんだりしてた。教務主任はその時点でまだ机上のパソコンと印刷室の間を行ったり来たり。)記事の内容も話題になってて、最後の方で文科省の「事務職員の配置を進め…」というコメントに対して、1年の学年主任(50代女性)が
「Kさん(ウチの県費事務:かなりシゴトの早い人)が50人になったところで私たちの忙しさって何も変わらないわよね~。」
だって。そりゃそうだわな。

 それにしても、またもやウチの市教委はやってくれるね。昨日の朝、職員室に行ってみたら、「教員の多忙感に関するアンケート」というプリントがそれぞれの机上に置いてある。朝の職集で教頭先生が、
「お忙しいところですけど、これをいついつまでに提出してください。」
とおっしゃる。ハァ?(またかよ)ってなもんなんだけど、すかさず2年の学年主任が
「忙しくて書いてるヒマないんですけど!」
と突っ込んでどっと笑いになったのでした。でもみんなちゃんと提出するんだよな~。俺も書いたよ、急遽入った自習監督の1時間目が終わるまでに。休み時間に(真っ先に提出だ!)と意気込んで提出したら、すでに5~6枚のアンケート用紙がすでに教頭先生のところに集まっていたのでした。みんなどうやって時間を生み出しているんだ?!
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被爆者に「死に損ない」 長崎修学旅行で横浜の中3

 修学旅行で5月に長崎市を訪れた横浜市立中3年の生徒が、長崎原爆の爆心地近くを案内した被爆者の森口貢(みつぎ)さん(77)=長崎市=に「死に損ない」などの暴言を吐いていたことが分かった。森口さんは「私は死に損ないではない。一生懸命生きてきた。大変悲しい」と同中学に手紙で抗議。校長が電話で謝罪した。(中略)
学校によると、森口さんが説明していた際、私語を続けていた1人の男子生徒に「聞く気がないなら出て行け」などと何度も叱る場面があり、生徒は退席させられた。暴言を吐いた男子生徒らは「そうしたやり取りに腹が立った」と話している。校長は「自分たちの発した言葉が森口さんにとってどれほどつらく悲しい言葉だったのかを伝え、反省を促していきたい」と話している。(毎日新聞2014年6月8日)



これはまた、何とも不快なニュースである。人としてとても許せることとは思えないが、背筋の寒くなる話でもある。つまり、ウチの中学校にも、そういうことを言いそうな奴がいるということだ。あるいは、どこの中学校でも、
「ん~…あいつなら言っちゃいそうだにゃ~」
と容易に想像できる最低のクソ馬鹿ガキが一人や二人いるのではないか。
 「言っちゃいそうなバカ」のタイプはいくつかあるように思えるが、報道記事をよく見ると、コイツらは、聞く気がない奴を退席させるとかそういうやり取りに腹が立った、ということなので、それに沿って考察してみれば、ようするに、こいつらの中には
正義がある、と認められることが重大なポイントだ。自分あるいはその仲間に対して不快な行為を仕掛けてくる相手なのだから、悪いのは被爆者(だろうが何だろうが立場なんかどうでもいい)の方なのだ。つまり、罪悪感なんかカケラほども感じてないどころか、あとから教師など大人がどんなふうに叱責しても諭しても、
「向こうが悪いんだから、仕方がないじゃん。」
という返事が返ってくるのは100%間違いない。断言できる。

なぜこういうことになるのか、それは簡単だ。
「人間はすべからくみな平等」という素晴らしい、美しい教育の、燦然と輝きわたる成果なのである。つまり、麗しき教育を享受して育ってきた彼らにしてみれば、自分も教師も親も大人も、すべて平等、立場は同じ、対等な相手だ。その対等な人間が、この俺様がお友達様と楽しく会話をなさっているところに、こともあろうに割り込んできて、黙れだの出て行けだのと理不尽なイチャモンをつけてきやがるとはなんたる失礼な奴だ、うるせぇ、この死にぞこないのくそじじい!と叫んだそのどこに非難されるいわれがあるというのか、俺様には全く理解できない。
 というあやつ等の声がはっきり聞こえてくる。(中学校の先生には共感してもらえると思う。)ということになると、記事の中の校長先生の、
「自分たちの発した言葉が森口さんにとってどれほどつらく悲しい言葉だったのかを伝え、反省を促していきたい」
という言葉が全くの頓珍漢だというのも分かるだろう。なにしろ奴らにしてみれば「つらく悲しい言葉」を投げつけられたって当然の相手なんだから。反省なんかするわけないさ。そして、理をつくして説明して「わかっていただく」のはほぼ不可能に近い。何しろ、赤ん坊並に幼稚で、自分の外の価値観を取り入れようとする脳細胞そのものが未発達なまま14~5年も放ったらかしにされてきちゃったんだから。

 とにかく、こういう精神は実際のところ単に幼稚なだけで、それに屁理屈をつけただけである。場面場面をとらえて、
「お前、そういう言い方ってないでしょ?」
とか
「誰に向かってそういう口をきいてんの?」
とか気色ばんで迫り(つまり指導するってこと)、ある場面においては口のきき方を気をつけなければならないのかも…あるいは、自分がへりくだらなければならない相手というものが存在するんだ、という意識を育てておかなければならないはずなのだ。それが放置されているのは、こういう生徒が次々と生まれていて、文句を言わなければならない場面があまりにも多すぎて中学校(小学校の事情はよくわからん)だけでは対応ができないというか、もはやそういう問題に対して不感症になってしまった先生も多くなってしまっているうえ、うっかり指導すれば、言われ慣れない文句を言われてショックを受けた生徒の保護者様の激しいクレームにさらされてしまう場合もある、という問題も見逃せない。中国の小皇帝じゃないけどわが子を「攻撃」する相手は「敵」として認識しちゃう幼稚な保護者や、
「いいじゃないかそんなことうるさく言わなくても」
というジジババ感覚の大アマな保護者がどんどん増えてきているから、そういうモンスターどもの前で地雷を踏みたくないという気持ちも全くないと言ったら嘘になる。
そして、躾のタイミングを失して精神構造が赤ん坊のまんまでデカくなった生徒たちにつける薬なんかない、というわけだ。

 昔だったらその場でボコボコにぶっとばして首根っこをひっつかんで本人の前に引き据えて謝らせる。昭和の先生たちだったら必ずそうしたであろう。逆に、先生や周りの大人たちにそういう迫力があったからこそ、今回の事件のような不心得者なんかが発生するはずもなかったのだが。時代ですね。

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