最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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大学入試改革の怪

 最近聞いたニュースで、大学の入試改革が論議されているという。基本的には学力偏重を廃し、人物重視で学生を選ぶような方向に大きく舵を取るのだ、ということだ。かつての(昭和40年代とか)熾烈な受験戦争を知る者(すでにジジイだが)にとっては耳あたりのいい話である。
でも変だよね。これだけ基礎力不足の学生だらけになったなんて話がごろごろしていて、それもゆとり教育のせいで馬鹿が大量生産されたからだ、という反省のもとに学習指導要領も学力重視の方向に書き換えられた今、なぜこんな話になるのであろうか。頭のおよろしい方々が集まってこんな矛盾した議論が、矛盾だという反対意見もあまり強く聞かれないまま進んでいくなんて、どう考えても変である。だいたい、最高学府であるところの「大学」という場で、基本的常識的な学力がない、知識が豊富に脳みそに詰め込まれていない人材なんか、存在そのものがお荷物ではないのか、ということも、ここ20年の教育現場の惨状をみて、みんなが悟ったことではなかったのか。

 ただ、ひとつだけ納得できる理由がある。それは、東大とか医学部などの難関国立大学の入試を突破してくる受験生に、ことのほかアスペルガーないし高機能自閉症の人が含まれている、という話だ。そういえば俺が知っているアスペルガーの中学生の中にも、特定のジャンルで異常に優れた記憶力の持ち主が結構いたのは確かである。ある男子生徒は、うっかり保健委員が放置した健康診断の記録用紙をちらっと見ただけでクラスの女子全員の体重をすべて記憶してしまい、それを口に出してバラしちゃって学年中の女子から蛇蝎のごとく嫌われた、なんてこともあった。
 実際どこだかの(実名は伏せるが)国立大医学部ではすでに何割という学生がその手の人で占められてしまって大問題になっているらしい。もちろん、東大なんかにしても、そういうのが集まって来ちゃった日には日本の将来の舵取りはどうなるのか、政治家ならずとも心配ではある。ひょっとして、そういう状況をさすがに放置しておく訳にいかなくなったということか?優秀な頭脳とは、人格とセットでなければ結局は意味をなさないもんね。
 もっとも、難関大学のそういう傾向は多かれ少なかれ昔からあったんじゃないかとは推察できるのだが、昔はどうしてたんだろう。さらに言うなら、一部の大学の困った現象をどうにかするために、他の「普通の」大学の入試まで普遍的にまとめていじっちゃったのでは、それこそ大変なことになるのではないか、やっぱりたいていの受験生は勉強しないでも大学生になれちゃうって勘違いして学力を下げたあげくに、馬鹿学生がドバッと増える方向に進んでしまうのではないか、という心配はどうしてもぬぐえないね。何しろ、ほとんどの人間は勉強なんか嫌いでやりたくないんだからさあ。

ま、危ない話ではあるから、滅多なことは言えないけどね。
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テーマ:大学受験 - ジャンル:学校・教育

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