最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

どこで狂った?このMP

 この頃倅が小学校の臨採を始めて、今2年生の担任をやっているが、モンスターペアレントに再三遭遇するようになって、その実態にあきれ果てている。どこでどう狂えば、こういう基地外が発生するのであろうか。こういうヤツらを生み出す「現代日本」ってどういう社会なのだろうか。

 中でも、ついきのうのホットな話題を一つ。
低学年のプール指導の時間のことである。一人の女子児童(ウルトラわがままちゃん)がプールカードを忘れてきた。「プールカード」とは、一部の親からは「形式化している」と認識されている傾向もあるにはあるが、当日の体温とか親のはんことか、要するにプールに入っても大丈夫な健康状態ですよ、と保護者が認める、重要書類である。
 当然、彼女はプールには入れず、プールサイドで見学させられた。(当たり前だ。学校側に全く落ち度はない。)ところが、それに対して激烈な苦情の電話をしてくるわけですよ、母親が。曰く、
「プールカードを忘れたぐらいでプールに入れないとは何事だ!プールサイドで見学する子供の気持ちを考えたことがあるのか!」

 学校だって何もしないでいるわけではない。プールカード忘れればプールには入れませんよ、と刷り物にしても出し、保護者会でも説明し、子供にも再三言い、それでも忘れたときには家庭に連絡して児童の健康状態を確認して保護者の了解を取った上でプールに入れる等々、至れり尽くせりの対応をしているのですよ。それだけの対応をしているにもかかわらず、まあそれでも彼女のお子さんは入りそびれたわけだな。で後からクレームをつけてくるわけだ。

 こんなクレームはもはや暴力と言っていい。電話にしても何にしても、応対をしなければならない人もいるわけだし、何人もの先生が
「どうしましょう?」
と困惑の渦に巻き込まれる。だいたいからして、学校には「クレーム処理」の部門があるわけではないから、応対する人、すなわち先生は、限られた時間の中で日々どうにかこなしている本来の仕事が出来なくなるのだ。つまり一撃で仕事に穴があき、教育の質の低下に直接つながる。
「お子さんの生命を守るためです。安全第一です。万一、発熱していて、それを子供がプールに入りたい一心で隠して無理にプールに入っちゃったとして、その子が死んじゃったらどうするんですか。その子が中耳炎だったらどうするんですか?お子さんの気持ちも大事かも知れないけど、命の方がもっと大事なんじゃないですか?さらに言うなら、決まりを守らなければこういうことになる、というのを味わってもらうのも大事な教育なんですけど?」
みたいな、
誰でもわかっている常識が通用しない相手に、一体どうやって話せばいいのか。
しまいに
「教育委員会に報告するから」
みたいな感じになって、ぜひそうしてくださいませ的な対応で「今日のところは」終わったというが、全く暗澹たる気分にさせてくれるじゃないか。だいたいこういうヤツらはほとんどみんな、異常にしつこく執念深いのだ。(まわりのおかあさん方から相手にされていなくて、さみしいのかも知れない、という感触を持つことも多い。)

 そういえば、先の東日本大震災の時にも、
「ウチの子が心配だから、学校に何度も電話したのに、学校は電話に出ないんですよ!一体どうなっているのかしら。本当に学校というところはけしからん!しかたがないから宅の子の様子を確認しに学校までわざわざ行ったんですよ!!」
と言って怒り狂っていた母親がいた(これは家内から聞いた話)。あのシチュエーションで電話がつながると思っている時点で、救いようのないバカであることは自明なのだが、その怒りの矛先が「学校」に向かう、という理不尽さが不気味である。

 学校で何か気に入らないことがあると、何が何でも学校が悪いに決まっている、というスイッチが入ってしまう人間がこれほど普遍的に存在するようになったのは、どこかで教育が間違っていたのか、マスコミなどから入ってくる情報に偏りがあるのか、よくはわからんが、学校だって人がやってることなんだから、限界がある、というところをもうちょっと理解してもらってもいいんじゃないかな~、とか、モンペに対する防波堤は真面目に構築しなければいけない時代なのかもな~、とか考えさせられることが多くなってきた。
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開けてびっくり中間テスト

 4月に新しく中学生の親となった人にとって、わが子の定期テストの結果というのは悩ましいものである。
 小学校の評価というのは、まあ困ったことに、どんなにできない子でも親の目からはそこそこできるような幻想を覚えられるようになっている(らしい)。テストも単元ごとにやるから、つまり仕入れたばかりの知識を問われるテストにおいて、はなはだしく点数が取れない児童はそうそういない。たいてい100点であろう。だが、ここで気をつけてほしいのは、100点満点で80点を取ってきたときに
「(大学なら「優」のはずだから)うちの子勉強できるわ~」 
という認識でいると、中学校に入ってから泣きを見ることになる、というところだ。実は小学校のテストは100点取るのが当たり前で、その80点というのは破滅的な劣等生でなければとらない点数だったりする場合があるのだが、そんなこと気付かない(関心もない)親も多いのではないか。通信簿にしたって到達度による絶対評価で、その基準が妙に低かったりすれば、かなりのバカっ子でもオールAの成績を持って帰ってきたりする。親にすれば、とりあえず安心だよね。だけど、そんな通信簿を発行することには何の価値もない、ということに教師の方もなぜ気付かないのか不思議だ。

 で、太平楽な夢が破れる場が中学校である。ここでは何しろ、少なくとも自分の得点と、平均点が知らされる。つまり全体の中で自分(わが子)がどのレベルにいるか、が大まかにわかる。また(わが勤務校では口頭に限ることにしているが)学年内の順位も教えてくれる。というか突きつけられる。さらに、数学とかでよくあるが中間期末の得点で機械的に5段階の評定が出ちゃったりすれば厳然と『1』をもらっちゃう生徒も。まさかずっとオールAだったわが子が5段階評価で1をもらってくるとは、想像もつかないよ。
そして、その時になって初めて親は気付くのである。
「ウチの子、出来るじゃん!」
と信じていたわが子が、実は自分と同等、あるいはそれ以下の脳みそしか持っていなかったという当たり前の事実に。

(俺ごときがあらためて言うほどのことではもちろんないが)現実問題として、小学校の「テスト」と中学校の「定期考査」では構造が違う。中学校の「定期考査」は単元とは(あまり)関係なく、1~2か月間にやった分だけ、しかも5~7教科を1~2日で一気にやっちゃう。つまり、かなりの量の学習内容をもう一度復習して、掘り起こして頭の中に叩き込んでおかなければならず、日頃の授業への真剣度、記憶力、計画性、忍耐力、構成して解答する能力、その他の「まさに総合的な学力」が真正面からまわりの生徒と比べられることになるのだ。

そして、当然のことながら1番の生徒もいるしビリの生徒もいる。中位以下の成績を持って帰ってきた親は、大概びっくりしてあわてるようだ。なにしろ、中学校でも最初の方の勉強はそんなに難しいことはなく、生徒も家に帰っては
「勉強?大丈夫、大丈夫。先生もやさしいし、授業もよくわかるし、カ~ンタンだから。」
と実感を話していて、親子ともども安心しきっていたからね。さあ大変、うちの子が劣等生になっちゃう!という騒ぎに、多かれ少なかれなるようだ。ここで親がとる作戦は、塾に入れる。家庭教師をつける。部活をやめさせて早帰りさせて勉強させる(なぜかたいてい吹奏楽部ばかり)。などあるが、無駄なことだ。効果が上がったのをほとんど見たことがない。実は、中学最初の中間テストではっきりするのは、かなりの部分、小学校での積み重ねである。例えば、ローマ字の読み書き、とか、掛け算九九、とか、漢字の読み書き、など、要するに基礎的な学力が中学校での学習を理解する上での前提になっているのだから、ちょっとやそっとでどうにかなるものではない。小学校でも劣等生だったものが、ここにきて明確になるだけの話である。(例えば、「二酸化炭素」って漢字が読めなければ理科はどうなるのかなど、ちょっと考えても見てよ)

結果は必然であって、何かの間違いなんかでは、断じてない!のである。

 結局のところ、勉強をしないからできないのか、もともとやってもダメなのか、とにかくわが子の本当の姿を見極めることが必要なはずだと思うのだが、親はやんないんだよな~。現実を見るのが怖いのかもしれないし、見果てぬ夢を見続けているのかもしれない。ある意味、わが子の将来を規定することにもなりかねないからね。(「お前は勉強ムリだから、体で稼ぐことを考えろ」と引導を渡すことに、究極には繋がっちゃう。)そんなの、自分自身もお子ちゃまであるところの、今どきの親には想像もつかないことなのかもしれない。

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