最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

いやな時代の定期テスト

 まあ、どこの中学でもありふれた話をするか。

 中間テストが終わって、テスト返しが行われている。そこで毎回のように問題になるのが、答案用紙の改竄である。つまり、赤ペンを出して答えの訂正をするときに自分の間違えた答えを消しゴムで消してしまい、正解を鉛筆で書いちゃって、
「センセ~、答えあってるのに、×になってますぅ~」
と申し出て何点かズルしちゃう、というあれだ。古くて新しい話だな。

 俺が教員になったばかりの昭和末期、どうもそういう改竄癖?があると噂されている女子生徒の答案用紙を、ある先生が事前にコピーを取っといて(といっても学校でコピーを使うのは珍しい話。たしか「青写真」だったんじゃないかな。)答案の返却・答え合わせをしたところ、件の女生徒がまんまと引っかかり、答えを改竄して申し出てきたのでそのコピーを突きつけてとっちめたところ、頑として認めず、(そんなことやってません!そんな複製を作っとくなんて、生徒を信用しないのか!)学年主任も同席し保護者も呼んで大騒ぎしたあげく、結局頑として認めず、
「なんて女だ!」
と職員一同をあきれさせた、という事件があったっけ。

 だが平成25年、時代はさらに先へ進んでいる。まず、すべての生徒の答案用紙をコピーする、というあきれた作業が今やかなり一般的になっている。これはどう考えてもとんでもない紙の無駄、資源の浪費じゃないか?と思ったら、スキャンして電子データにしている人もいるんですな。そこまでするかい!とも思うが、意外に重要なんですよ。特に1年を中心にそういう悪事を働くヤツが多いからね。1年は初めてでまず「ひどい点数」というのに慣れていないので、それまで取ったこともない悪い点数に仰天してしまい、母親の怒りの形相なんかも脳裏に浮かんだりしてパニックになってしまうんじゃないかいな。2~3年になると、あまりそういう誤魔化しは通用しない、というのがわかってくるから、やらない。ただし、内申書の都合上1点を争う、という事情を抱えた3年生は別。

 つい昨日も、職員室で話題になっていた。ある1年の男子が、国語の答案を2カ所も改竄してしまい、やはりコピーをもとに追及したら、1カ所は認めたけどもう1カ所はついに認めなかったとか認めさせたとか。さらに、別の生徒は、マルを書いてあるはずの場所に後からマルを描き込んでしまい、詰問されると
「ペン回しをしていたらシャーペンが落っこちたときにマルが描き込まれたんだと思います。」
「何だと!じゃあそのペン回しをやってみろよ。」
(やってみる)
「おかしいだろ!お前のペン回しと、書いてあるマルは向きが逆じゃないかよ!お前、自分で描き込んだんだろうが!」
「違いますよ、ちゃんと書いてあったと思ったんですよ。」
「なに?そりゃ変だよな。お前わざわざ俺のところに持ってきてるンじゃん。俺をだまそうとしてるんじゃないのかよ!」
「…書いたかもしれません…」
かもしれませんだとそりゃどういう意味だっ!」
ともかく、こういう場面では生徒の方も必死なのである。だが、ウソを通してしまえば味をしめてしまって本人のためにならないから、何とかしてこういうのは叩きつぶさなければ。
 でも、その話を聞きながら、『偉いな~このヒト、俺だったら、話の途中で答案用紙をびりびりにしてゴミ箱にたたき込み、「テメ~は0点だ!!」と怒鳴っちゃうだろうに、いちいち丁寧に証拠を積み重ねつつ論破していくわけだ~』なんて思ってたが、現代の学校でそんなことをしたらそれこそ大変である。証拠がなくなっちゃうわけだからね。保護者も一緒になってどんなイチャモンをつけられるか知れたもんじゃない。

 2年のあるクラスでは、答案を返却しようとしたときに一人の生徒が教師のそばにツツっと寄ってきて、
「先生、その答案、コピー取ってあるんですか?」
だと。取ってない、といったら改竄するつもりか、コイツ。わかりやすいのう。(実際ちょっと足りないヤツなんだけどね。)

最後に一言、
「お前、たったの2点上げるために人間性を何点損してるんだよ。」
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知能の高い人物がはまる落とし穴

 橋元知事はほかの党が絶縁を決定するに及んでも、結局自分の発言について、「趣旨が理解されてない、正しく報道されてない」などと言いつのり、我を張っている。何という、状況の読めない奴だ。若いからじゃすまないよね~。もう取り返しがつかないであろう。「維新の会」は終わりかな。

 かつて、国力の劣る日本は、軍隊をちょっとでも強くするためにあらゆる研究・調査をした。飛行機の搭乗員を選考するのに骨相学を参考にしたり、血液型と性格の関係を調査したり(血液型神話のもとになったという)、女郎屋に通っているか否かと事故発生率との関係、など多岐にわたる研究をしたらしいんですよ。その過程で従軍慰安婦という考え方も生まれたのかもしれない(よくは知らない)。当時としては、よその国の軍隊は占領地域での婦女暴行は当たり前(当然の権利?)だったわけだから、それよりは進んでいた、と考えることもできる。現代とは違う人権感覚の時代だったこともあるしね。

 だが、それを言ってどうなるのだ?しかもあの立場の人間が。言ってることの正否はどうでもよくて、それよりも「従軍慰安婦問題」は理屈で話せるものではない、という肝心のことが彼にわかっていないのはなぜなのか。だいたい、そんなことをうっかり肯定的にしゃべっちゃうだけで、即座に世の中の半分の有権者、すなわち女性からそっぽを向かれるでしょ。無条件で嫌悪感を持つ人だって多いわけだし。さらに特定アジア諸国では反日政策のネタを探してるんだから、日本の政治家が何か言えば、内容なんかどうでもよくて、大騒ぎができればいいだけでしょ。いかに論理の正当性を主張しようとしても、その中身なんか最初から検討する気のない連中が大勢群がっているその中に、無計画に何か言っちゃうことの危険性がわからないとは、あきれた馬鹿野郎である。だいたい、ああいうことを話題にしちゃう時点で、品性を疑っちゃうのは俺だけだろうか。


 彼の悲劇は「知能が高い」というところにあるのだろう。俺みたいな阿呆から観察してみると、知能の高い奴は、まあ何しろ理屈で物事を考える。そして、計算づくで
「これはこうだから、こうなって、だからこれで大丈夫なはずだから、そこでこうやって、こうすれば、ん、OK!」
てな感じに筋道を立てて考える。まあ、だいたい正論ではあるし、うまくいけばこんないいことはないのだが、けっこうな確率でその中には「余裕」がなかったり、周辺のことについての思いがめぐらせてなかったり、ほかの人間がどう考えるか、という視点が欠けていたりする。それで、フツーの脳みその持ち主が直感的に危険を感じ、彼を心配して、
「え、それ、よした方がいいんじゃないの?」
なんて言おうものなら、バカにバカにされたという腹立ちもあって
「大丈夫だ!」
と、必要以上に抗弁してしまう。そしてうまくいかなかったときにはまわりの(バカな)人間のせいにして、自分に原因があった、という反省はしない。
(その最も顕著な例が原子力であろうか。とにかく、「一般人」がいろいろ心配しても学者連中や官僚の頭のいいのが「大丈夫なはず」というので進めちゃって、結局「一般人」の心配した通りの事故や事件がすべて実際に起きている。どこだかの原発も、「活断層の上に立ってない」ということにしたいのだろうが、本来は「活断層かもしれない」という時点で撤退決定でなければいけないはずだろ。ユトリ教育もそう。建前が独り歩きするが、誰も文科省の言うような高邁な理想の通りに学習なんかできるわけなかったのに、はっきり「失敗した」とは言わないわな。)
 橋元知事もそういう落とし穴にはまっちゃった、というべきだろうが、あの調子ではリカバリーは無理だね~。結局のところ、思いやりが少ないのだ、周辺の自分を支えてくれる人に対して。というか、自分以外の他人にも「感情」というものがある、ということをわかってるのかね~。

 ああいうのを見ていると、コイツ中学生の時にどういう生徒だったんだろう、と思ってしまう。きっと、いろいろ軋轢があっても自分に都合のいい理屈を論理的に主張して通してしまい、教師なんかも言い負かされてそのまま走っていくのを止める人間が周囲にいなかった、という少年時代かね~。
 まあ、中学生にもそういう生徒はいるね。しかも、年々生徒と教師(あるいは生徒同士)との関係性が薄れてくる中で、自我が他者とのすり合わせでとんがりを削りつつさらに大きく育っていくということが少なく、どんどん独善的な考え、というより狭い価値観の中の思い込みだけが肥大した状態でそのまま卒業しちゃってる感じがする。そういう頭がいいけど青臭い(というのは親切な言い方か)奴って、本当は放っておいちゃいけないんじゃないか、どこかでガツ~ンとやっちゃわなければ世のためにならないんじゃないか、とも思うんだけど、どうすることもできないんだよな~。奴らの屁理屈に対抗し、論破するだけの時間の余裕も心の余裕も、なかなかないもんね。

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親って、どうやってなるの?

 市の教育研究会で年に一度の行事、すなわち「総会並びに講演会」というのがあった。いつもはひたすら舟を漕いでいるうちに終わってしまうが、今年はか~な~り面白かったこともあって、最初から最後までちゃんと話を聞いていたぞ。講師は「ハートフルコミュニケーション」?の代表の人だった。その中で、例えば小学校とかのお母さん方対象の講演会なんかで
「自分の子供が、朝起きて、遅刻しないように家を出るようにするのは、誰の仕事ですか?」
と問うと、
「それは私の仕事です。」
と、いささかの躊躇~疑問もためらいもなく(しかもちゃんとできていないことを恥じている風をも見せつつ)答える母親がフツーにいるのだそうな。自分がどれだけ馬鹿なのかわかってない奴が本当の馬鹿、というのの見本だな。もちろん、しょっちゅう学校に遅刻されたのではかなわないから根負けして、あるいは共働きで空っぽになる家に子供だけ寝かせとけなくて、朝、子供をたたき起こす親も多かろう。現実はムヅカシイ。軌道に乗るまでどういう我慢をするか、というところが親としての頭の良し悪しの分かれ道だな。

 いったい、それまでなんでもなかった人間が「人の親」になる、というのはどういうことか。長男が妻とともに産院から帰ってきて小さな布団に寝ているのを見て俺がまず考えたことは、
「これからは俺がちゃんとしなきゃいかん。」
と漠然と思ったことと、
「まず俺は食べ物の好き嫌いをなくそう」
という決意であった。食い物の好き嫌いなんかしてたら、自分の子供の手前恥ずかしいからな。何らかのアクションを、自ら起こさないことには、人は「親」にはなれないんじゃないか、すなわち我が子が「人」として育つことができないんじゃないか?
 それなのに、ただただ授かるばっかりで何も成長しないガキ人間のいかに多いことか。1歳にもならない嬰児を、泣き止まないからといって折檻して死なせちゃうなんて、犬畜生よりもグレードが低いでしょ。動物は普通の環境でそんなことしないよ、絶対に。
悪魔君命名事件じゃないが、最近のDQNネームも心底あきれるものが時たまいて驚かされる。たとえば「陵(りょう)君」。陵という字はお墓のことだよ!
あと、「ゆな(漢字はともかく)ちゃん」。ゆな(湯女)って春もひさぐ温泉場の女の人のことじゃなかったっけ?ま、とにかく通常なら絶対にあり得ない命名だが、だいたいからして我が子の末永い幸せを願うというより、たまたまそのときの自分のセンスの良さ?をひけらかすためとか、呼んでみて語感がよければいいとか、自分の都合だけで子供の名前つけちゃうからそういうことになるわけで、最後に恥ずかしい思いをするのは自分だし、不幸になるのは子供本人だ、という想像力が働かないものなのかね~!まあ、そいつら要するに馬鹿だから仕方がないということなのだろうが、かわいそうなのは絶対に子供である。
 最近の若い奴は(なんて言い出せばあまりよくない意味でトシをとった証拠だが)根本的にちゃんと育ってないと感じてしまうことが多い。いくら何でも、「人の親」として最低限の何か(といわれても漠然としすぎだが)を身につけていないことには子供産んじゃだめ!ってことにしないとまずくないか?と、どうしても思っちゃうのである。

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ある生徒指導の筋道と実際

 3年生にハチャメチャな奴がいる。あまり詳しくは書けないが、4月当初にカツアゲをして警察沙汰になり、入学式の日には弱っちいのをぶん殴り、その指導をされて
「もうやりません」
という舌の根も乾かない次の日には別の奴をぶん殴り(やらない、というのはあくまでもそのときやらかした相手限定の話)、さらに
「ホニャラが悪口を言ってやがる。」
といって(悪口を言っている現場に居合わせた、とはなんたるバッドタイミング)そいつをつけ回し、次の週の頭にはギャラリーを呼び集めた上でそのホニャラをトイレに呼び出してボコボコにやってしまい、やられた方は怖くて学校にこられないという保護者の訴えもあり、担任が登下校時に送り迎えをする、という事態になってしまった。もはや出席停止処分ものであるが、まあ諸般の状況から当分の間、相談室での「別室指導」ということになった。
 そいつの言い分を聞いていると、
もうやらない、って俺が言ってるんだからいいじゃねえかよ!お前ら(教師)は関係ねーだろ!」
「いつになったら普通の教室に戻してもらえるんだ!」
の一点張りである。そして、暴行を働いたことについては全く、そう言葉の真の意味で「全く」良心の呵責を感じていない(あんな奴殴ったってあたりまえだろ。そのどこが悪いんだ)という状態は、もはや不気味と言っていいほどなのである。
そもそも教師側として求めているのは「反省」である。暴力行為は悪いことだと思ってもらわなければならないし、やられた相手の痛みに心を向けてほしいし、少しでもそういうそぶりというか心の動きが見られないことには、危なくてほかの生徒とは一緒にできない、というのが現実で、これでは「隔離しておく」しか手がないではないか。万一次のターゲットがやられてしまうようなことになったら、もはや責任は学校にある。「何であんな奴を野放しにしたんだ、こうなるのはわかっていたじゃないか。」と追及されても仕方がない。だがコイツと来た日は、そういう状況をいくら説明しても理解できない(理解する回路がない?)というのはやっぱり一種の発達障害なんだろうか。全くの膠着状態である。「別室指導」の期限をつけるメドが立てられないのだ。

 それにしても、困ったのはその「別室指導」である。これはそいつ一人のために教師が最低一人はついていなければならない。総合的な学習とか選択教科とか手間と人手のかかるバカらしい授業が減って、持ち時数が一頃より多少は少なくなったとはいえ、小さい学校の少ない人数の職員でのやりくりは大変である。何しろクラスが一つ増えたのと同じ事になってしまうわけだから!そればかりか、そういううろんな輩と一対一で角を突き合わせて一つの部屋にいる、というのは、わかる人にはわかるだろうが、マジ骨が折れるぜ!
 「危ない奴」を普通の生徒から隔離する、というのは普通の生徒の親からすれば当然の要求である。そいつのために学校に来られない、なんて生徒が出てしまえばまさに、悪い奴がのさばり、まともな奴が息を潜めている、という西部劇映画のような世界であり、いやしくも学校という場でそんなのを許しておけるわけがない。だが、現実には不可能なことも多いのであろう。うちの学校はトンデモちゃんが今のところ他にいないからどうにかなっているが、これが複数になってしまえば間違いなくソッコーお手上げである。現実に数年前はそうだったし、以前いた学校でもそういう状況にこれまで何度も陥ってきた。そういうときに関係機関(児童相談所とか警察とか)との連携を上手にコーディネートしつつ危機を乗り切る才覚のある管理職がいてリーダーシップをとってくれるといいのだが、そうでない場合(のほうが多数派じゃないかと推測できるが)は、たとえば職員一人一人の生徒への対応がまちまちになってきて余計に混乱したりとか、善良な生徒が教師を信用しなくなったりとか、とにかく秩序が根本から崩れてしまい、それこそ弱肉強食、全校の生徒がまさしく不幸になる。
 生徒指導、毅然とした態度で、一歩も引かず、とはわかっているが、現実には思うようにはいかない事の方が多いのだ。(タメイキ)

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