最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

評価は外にある

 最近ツボにはまった言葉、「評価は外にある」!
TOSSに参加して研鑽を続けていらっしゃる同僚の国語の先生が生徒に言うセリフである。現代の子供たちにとって極めて重要な意味を持った言葉であろう。
 それというのも、ユトリ教育の悪弊により、親も子供たちも、「結果よりも過程」を重要視するからである。よく考えればわかることだ。あるテストで、100時間勉強して35点しか取れなかった生徒と、20分復習しただけで90点取った生徒と、どっちが高く評価されるのかなんて、言うまでもない。それなのに、極端に言えば100時間勉強した生徒の方がエライ!というのが今の学校(生徒たち?)の風潮である。
 掃除もそう、生徒は
「ちゃんと掃除しました。サボってません!」
というが、どんなに一生懸命掃除しても、終わった時にゴミだらけではやったことにならない、ピッカピカだったら、何もしてなくても掃除を「した」ことになるのだ、ということを生徒は理解しようとしないのだ。時間内に作業をし続けたかどうか、だけが彼らの尺度なんだな。「キレイになったかどうか」が断固として尺度にならないのは不思議としか言いようがない。(褒められた時だけは「でしょ~!!」と大得意で威張りくさる。)
 特に、前者の例なら数字として明白にわかるからいいのだが、掃除とか、歌のテストの評価、授業の態度など、数値化されない、ある意味「評価者の主観」で評価されるものについては、トラブルが多発してしまう。一番言い募るのは、
「先生、俺だってちゃんとやってましたよ!」
「私はまじめにやってたじゃないですか!」
という、自分の思い込みが教師に認めてもらえない不満である。
「うるさいっ!お前が出来たと思ってるかどうかなんて、何の関係もないのだっ!」
と口に出して怒鳴るかどうかはともかく、何とか説得はしなければならない。最近では説明責任なんて言葉も声高に叫ばれているからね。でも、こういう場合はなかなか納得しない、というかもともと聞く耳を持ってない奴も多い。自己中心的なのだ。そしてそういう精神を家庭が補強する。そんなときに
「評価は外にある」
というのはまさに魔法の言葉だな。ねじ込んできた奴らもとりあえず鳩が豆鉄砲を食らったような顔になって一瞬ひるむからな。
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テーマ:中学校 - ジャンル:学校・教育

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