最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アレルギーの生徒と給食

 またまた学校バッシング。給食を食べたアレルギーの5年生女子が命を落としてしまって、それが学校のせいだ、ということになり、教育委員会だかが頭を下げたりしている。犯人を本人(達)以外のせいにしたがる気持ちはわかるけどね。子供が死んでしまう、というのは最悪の結末で、とやかく言うことがいいことかどうかはともかく、これ、本当に学校側に落ち度があったんですかね。

 まず、親の立場になって考えてみる。
 自分の子が命にかかわるアレルゲンを持っているということになった場合、学校給食を食べさせるべきなのか。そもそも、気がつかないでエビを食べたとかソバを無理矢理食べさせたとか、
給食がらみで児童生徒が死んでしまった事件はこれまでにも何回か聞いたことがある。
無理解な先生に、
「食べ物を残しちゃいかんぞ。食べ物を粗末にするとは罪悪だ。好き嫌いなんかしてたら性格がひねくれるぞ。(全部正論。必要な躾)」
とか何とか言われて無理矢理勧められたら、(さらにまわりの子供たちが「そうだそうだ!」なんてはやしたりしたら)それを断る勇気のある子供が何割いるのか。わけがわかってる担任の先生がいつでもいればいいけど、出張だ病休だで替わりの先生が来ることだってある。運の悪いことが重なればうちの子だって同じ運命に見舞われることになるかもしれない、と俺なら思うね。最初っから給食はお断り、弁当持参の方向へ持っていくしかないであろう。実際そうしている生徒も何度か見かけたことがある(一度担任したこともある)。とにかく何度も言うけど、我が子が死んじゃったらどうしようもないんだから!自分の子供の命にかかわる問題を医療関係者でも何でもない人に預ける勇気はちょっと俺にはないなあ。

 次に担任の先生の立場になって考えてみる。今実際に俺が思っているのは、
「は~、その(死んだ)子が俺のクラスの子じゃなくてよかったわ~。」
である。何しろ報道の内容を知れば知るほど、どこのクラスでも起こりうる事件だからである。しかも俺みたいなずぼらなヤツでは献立表なんかちゃんと確認せず全部給食当番と本人任せになっちゃう可能性がかなり高い。(今回の事件の担任の先生はかなり気を使っていて、すごいと思う。:それでもこんな事故が起きるとは…。1000回成功しても最後の1回で失敗すればすべての努力が水の泡になるのだ。)
 だいたい大勢生徒がいるクラスの中で、給食準備の(戦争のような)時間に毎日、常に、ある特定の生徒の動向を気にすることなんかそう簡単にできることではない。生徒はその子だけではないのに、自分の子だけはこんな風にしててもらいたい、なんて親に要求されても所詮ムリなのだ。そして、不運にも何か起こると、親は
「言った通りにしてくれなかった!」
と目を剥いて怒るのだが、はっきり言わせてもらうけど、100%を期待する方が間違ってるんじゃないのか。親にとってはたった一人の子供でも、先生にしてみれば気持ちの上ではともかく時間的にも物理的にも40分の1でしかない、というのはどうしようもない現実だ。要するに、引き受けちゃいけないことを引き受けちゃったところに問題があるのだ。そして、それが学校で起きる他の様々なトラブルの原因であったりもする。何ができて、何ができないのか、学校としても個々の先生としても明確にしておかなければいけないのかもしれない。

 だから、これを機会に「給食廃止」の論議が再びおこってくれないかな~。とにかく学校の1日の生活の中で、かなり労力を裂かなければならない部分なんだし。何より人の命には代えられないでしょ。というか、これほど問題が起こっても、そういう話を出してくる人がほとんどいないのは不思議なことであ…ないか。子供の昼メシを作るなんて面倒だし、他人の子のアレルギーなんてどうでもいい話だもんね!
スポンサーサイト

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

想像を絶する美談

 前項の「退職金が減る前に教員が早期退職!」という話は、実は全く別の視点から語ることができる。

 そもそもの発端は、埼玉県で、退職金の計算式を1月いっぱいで変更して、定年退職の人でだいたい150万円減らすよ、という風に条例改正が行われた、ということだ。(教員の定年退職は60歳になった年度の3月いっぱい。)つまり定年を迎える教師は、平均的な給料を40万として、1月末で退職するよりも、3月の期限いっぱいに勤め上げて給料もらうほうが手取りで70万もマイナスになってしまう。別の言い方をすれば、
「おいジジイ、いつまでも仕事してるんじゃねえ!1月で辞めろ!3月まで勤めるつもりなら、その二ヶ月間は給料払わないどころか、一ヶ月あたり35万円上納してもらうからな!」
と言われたに等しい。まるでバブル期の地上げ屋レベルの無茶苦茶な話である。
 それで定年を迎える110人の先生方が、それまで指導してきた生徒のことを思って後ろ髪を引かれつつも、お上のご意向に従って泣く泣く詰め腹を切ることにしたところ、学校バッシングを無上の喜びとするマスコミの目に留まり、偏向報道に遭ってさらにいじめられた上に、そういう条例改正を行った張本人の県知事までもが尻馬に乗って「不快」などと言ってイジメに荷担したのである。そして、さらにあきれたことに、文部科学大臣までが
「決して許されないこと」
などと、まるで殺人事件に対するコメントのようなことを言い出した。選挙目当てとはいえ無責任すぎないか?立場を考えてくれよ!


 だがしかし!物事はよくよく見てもらいたい。1月で駆け込み退職をした先生は、定年を迎える先生のおよそ10%という数字が、当初の報道にはあるのだ。つまり、残りの90%、埼玉県だけで、1000人以上の先生が、二ヶ月間、無給かつ35万円の上納金を払いつつ仕事を続ける道を選んだ、ということになる。それなのに、その後の報道では肝心の母集団の数字は意図してかどうか知らんが、さらっと流されるか欠落しているのだ。
「教師の倫理が地に堕ちた」
とバッシングばかりがすさまじくクローズアップされているが、途中退職は犯罪でも何でもない、当たり前の行為であるし、実際にはほとんどの先生が生徒のことを思い、大量出血にも我慢して、黙って最後まで職務を全うしようとしている高潔な人たちだったということになる。教師の倫理はちっとも低くなってないでしょ?それなのに
誰もそういうことを褒めてくれないどころか、取り上げてもくれないじゃないか!大事なのはそっちだろ?!また、この視点から見れば、中途で退職した人たちには何かやむを得ぬ事情があったのではないか、という観測の方が自然だと思うのだが、どう思いますか皆さん。
これを美談と言わずして、何というのですか?教師残酷物語、かな?
 それが、報道のしかたによって、全く逆のとらえ方をされてしまう恐ろしさ。これほどの高い倫理観を持った教師集団の存在は無視!全くなかったことになっている。学校をターゲットにしてマスコミが垂れ流すニュースが、どれだけ悪意に満ちているか、どんなに鈍い人間でも今度ばかりは少しは理解できたであろう。

 
 ここからは蛇足だが、それにしても、教師というのはこれほどまでに職務に対して熱意ある人が多いということだ。俺よりも年上の先生方の、生徒に対する愛に根ざした丁寧な仕事ぶりには、傍で見ていても頭が下がることがしばしばである。だが、そういうボランティア精神に基づく行き届きすぎたサービスが逆に教師の仕事を増やしてしまうばかりでなく、サービスを享受する側の生徒保護者がどんどんそれを当たり前だと思うようになって、さらに仕事がややこしく窮屈になっていく。お人好しぶりもいい加減にした方がいいんじゃないのか。

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

2月から退職金削減の埼玉県で教員110人が「駆け込み退職」の動き

 本当に腹が立つね。なぜこういう至極当然なことがニュースになるのか。しかもそれに対する批判的な論調…!まさに学校バッシング。批判のための批判でしょ。イジメっていうんだよ、そういうの。

退職金減る…埼玉の教員110人が駆け込み退職

 退職金減額の話は昨年暮れの職員会議で校長から説明があった。皆無言で聴いた。会議終了後、俺は資料の数字を見ながら、定年までの残り数年のどこで退職するのが一番得なのか電卓片手に計算した(当たり前だ)。俺の場合ちゃんと定年まで勤務した方が得だ、ということが判明したが、途中でやめた方が得な人はどうなるのか。やっぱ辞めるよね~。

 で、埼玉県では110人もの定年を迎える教師がそういうことを言い出した、というわけだな。中には担任もいれば教頭もいる、と。すごい話だ。でも、何も不思議なことではない。もともと行政側としては早期退職を推進していたし。
「1月末で減らすよ」
といわれれば、それは
「1月までに辞めなさい」
ということでしょう?違うんですか?むしろ
「1月までで辞めさせられた」
と表現するのが正しいワケで。それなのに首謀者の県知事が
「不快なり」
なんて言ってる。ナニ、それってただ働きをするのが当然だ、ということか。普通の感覚として正常ですか、このヒト?担任している生徒を放ったらかして辞めざるをえない方々の胸中や如何?

 一番腹が立つのが、
「聖職者のくせにはした金に目がくらんで」
という言い方をする低脳(といって悪ければ時代遅れの石頭)がかなり多いことだ。聖職者ってナニ?お坊さんのこと?
 かつて「聖職」とされる職業がいくつかあったが、今はないでしょ、そんな仕事?みんなして仮面を引っぺがすのに一生懸命になっちゃったんだから。代議士はカネの力で統率するボスがいなくなって会派が乱立。お医者さんだって、医療事故が起こる度に裁判になる。それがいやで、実際に産婦人科のなり手がいなくなっちゃったじゃない。
 教師もそう。モンスターペアレントというほど理不尽な要求でなくても、かつてあり得なかった面倒くさい要求、細かいところのアラ探しはもちろん、以前は全然やってなかった「親切心に基づくサービス」を当然享受できるものだと思っていて、そうならなかったときにブチ切れる異常性格者が、想像以上に多く保護者の中に紛れ込んでいる。
 ムチャクチャにやりにくい対生徒・対保護者の自分勝手であるゆえに錯綜した人間関係を綱渡りのように捌き、山のように風呂敷残業を持ち帰るが残業代もなく、夜討ち朝駆けの家庭訪問で何しに来たんだと露骨に迷惑がられ、土日に部活指導に出て行っても休日出勤手当もチョー泪金でボランティアそのもの、給食費払ってるのにタダメシ食ってると誤解されてしかも炭水化物ばっかり食わされてメタボになり、挙げ句の果てに保護者はみんな自分の子供を預けた教師をバカだと思っていて、それをストレートに子供に言っちゃう。だいたい、今の生徒は、先生のこと呼び捨てが当然ですからね。少なくとも陰に回っては名字で呼び捨て。年端もいかない小僧小娘にハゲとかジジイとか誹られて、それもあまりにも多すぎていちいちとがめ立てもできず、懲戒処分がイヤだからぶん殴ることもせずに全部腹の中にしまい込んでるうちに感覚が麻痺してどうでもよくなってしまい、それをまた見とがめられて
「学校のしつけはどうなってるんですか」
とクレームを付けられる。お前がやれよそんなしつけ!ってなもんだ。今時の教師は、とにかくバカにされるばっかりで尊敬されない。
「いつもお世話になって」
という人間関係円滑化のための当然のあいさつさえもロクに交わせないお子チャマ保護者に囲まれて日々不安になるばかり。
一体この仕事のどこが「聖職」なのさ。誰からも聖職者扱いなんかされてないじゃない。それで、正当にサラリーをもらおうと思っているだけなのに、そういうときだけ
「聖職者なのに情けない」
って、どこからそんな死語を探し出してくるの?そういうアナタだって、日頃は教師なんか聖職だなんて思ってないでしょ?一体何様のつもりですかっていうの!
「退職する方は結局生徒の指導よりお金を選ぶという時点で先生ではない気がする。」
なんて趣旨の発言をなさる人も多いが、マジ腹が立つ。さんざんバッシングしまくられて、ボロ雑巾のようにされ、精神疾患での休職者を大量に出し、給料も長年にわたってどんどん減額され、子供は指導しても指導しても年々バカになる一方で、やりがいを感じることもめっきり少なくなってしまったこの仕事。「生徒の指導よりお金を選」んで何が悪いのか、本当に教えてほしいよ!

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

死んでしまっては何にもならない

 大阪で、高校生が体罰で自殺したのをきっかけに、当該高校の体育科の入試が中止になった。このままの勢いでは教員の異動もかなり大規模なものになるのであろう。校風が刷新されて体罰が根絶できればそれは慶賀するべきであろうが、その一方で進路に悩む中学生が大勢出ているのも事実である。今までどおりでもよかったのに、と思っている在校生もいっぱいいるようだし…。

 で、今回の問題は入試とか教育委員会の制度とか、そっちの方に話が進んでしまっているので、それは別の方面にまかせておき、俺としては不謹慎を承知で突っ込んでみる。この、自殺した高校生~バスケ部部長は、騒ぎがこういう方向に進むことを想定して死んだのであろうか。もしそういう覚悟の死であるなら別だが、単に苦しい立場から逃れるだけのために死を選んだとしたら、もってのほかと言いたい。

 遺書の中で本人も自覚していたように、自殺は周りに迷惑をかける行為である。また、一生懸命やってる奴ら(仲間)を見捨てる行為である。あらゆる人間から受けた恩をすべてむなしくする行為である。命の尊厳を真正面から踏みにじる行為である。当然ながら、まともな宗教ならどこの宗派も自殺は原則禁止の悪行であり、地獄に堕ちるとされている。どんなに苦境に立たされたときでも、「自殺」だけは打開策の中の一つにしてはいけない、というのは常に変わらぬ真理であろうが!(目の前の生徒に話す場合でも、その視点だけは変えるわけにいかないでしょ?)
 
 とはいえ、自死を選ぶ人の、その時の精神状態は病んでいることがほとんどといわれる。彼にしても死ぬぐらいだったら、例えばストライキをする、登校拒否をする、警察に告訴する、部活をやめる、学校をやめる、と傍目にはちょっと考えただけでもいくらでも選択肢を思いつくことができるのに、それをしない(というより考えられない)わけだから、相当追いつめられて精神状態が硬直していたのだろう。

もし、自殺したこの生徒が、自分の高校がこんなことになっている、と地獄で知ったならばどう考えるのか聞いてみたいものだが、もはや彼が語ることはないのである。

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

最低最悪の体罰事故

 大阪の高校で体罰を苦に自殺する生徒が出た、というニュースは、本当に暗澹とした気持ちにさせてくれるじゃないか。一番あきれるのはこの学校、体罰が常態化していた、というところだな。たとえ「体罰」というものが法的に許容されているとしたって、人様の大事なお子さんに手を上げるなんてことは、そう簡単にやっていいはずはない。そういう「畏れ」の感覚が麻痺しているというのは極めて危険である。何の考えも指導上の工夫も無しに生徒をぶったり蹴ったりして普通だと思っている、さらには教師の虫の居所で子供たちが被害を被る、もっと進めば生徒をぶん殴ることにある種のカタルシスを感じる変態サディストが紛れ込む可能性だってある。体罰が禁じられている現代の日本の学校では絶対あり得ないことでしょ。そういうのを容認する風潮があったらしい件の高校の「教師を全部入れ替えろ!」と大阪市長がわめくのも、あながち的外れではない、というより明確に事の本質をついていると思う。なぜなら、一番心配なのは<俺たちは体罰による指導がよかったから、強くもなったし、成長したんだ!体罰は正義だ!>と考える人間が生産され、周囲に拡散して体罰の連鎖を引き起こすことなのである。つまり、体罰による指導を容認する雰囲気こそが諸悪の根源であり、ぶっ潰さなければならないのは事件を起こした個々の教員ではなく、職員室に巣くう空気ということになるからだ。
 それにしても、今時体罰で指導する先生がいるとはね~。本当に何回もいうが、俺の周囲で生徒に手を上げる先生なんて、もう10年以上皆無だからさ、その存在が信じられないよ。大阪って遅れてるのかね~。というか、今回のことが特異な場所で起こった極めて特異な事件というか現象であってほしいものだ。

 以前に書いたことの繰り返しになるが、「体罰」が法律で禁止されている以上、学校には「体罰」は存在しないはずだ。したがって学校で先生が生徒を殴ったりするのは刑法208条でいうところの暴行罪にほかならない、と俺は考えるが、どうなんだろうか。(もちろん、「生徒が先生を」のシチュエーションでも同じこと。)
一方、「体罰」はある極めて限定された場面では絶対に必要なものだ、というのも現実ではあるのだが、そういう場面に出くわしても俺は絶対に手を出さない、自分がかわいいから、というのも以前と変わりない俺のスタンスである。
 とにかく、ぶっちゃダメなのよ、何がどうあっても。手を出したら負けなんだから!

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。