最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

胸くそ悪い歴史教科書

 大掃除をしているうちに、倅が使っていた高校の教科書が出てきた。日本史A。6~7年前のものだから、旧課程のヤツだな。面白そうなので、職場に持って行き、ちょうど期末試験のテスト勉強をせよ、という自習監督に出たときにざっと読んだのだが…。
 これは一体何だ?自虐史観の極限の姿、というよりも、一体これほどまでに執拗な悪意を持って書かれた本が、「教科書」という体裁をとって有為の若者達の手元に届いてもいいものなのだろうか。裏表紙の口絵なんか、大東亜戦争で日本がどれだけアジア諸国に人的物的損害を与えたか、というのを見開き2ページ分も丸々使って地図の上に図表で表す、という驚くべきものだ。そして、1ページ1ページ、どこをとっても、この日本(の政府?または日本人とも言い換えられる?)がいかに非人道的で、いかに無慈悲で、いかに悪辣であるか、そして、罪もない弱い立場の庶民や近隣諸国の人々がどれだけ悲惨な目に遭ってきたか、ということが虚実交えてこれでもかこれでもかと綴られている。これはもはや教科書の名を借りた、「日本なんか大嫌い教」の布教活動じゃないか。若いヤツらにこんな偏った思想教育をしちゃってもいいのか?その上、セーラー服がいかに女子高生の制服となっていったか、なんて変態性癖を惹起させそうな記述が何ページにもわたって続くとか、全く意味不明である。もはや、この本を手に取っているだけで、何か薄汚い小動物の腐った死骸を持っているような気がしてきて、気分が悪くなってきた。これが胸くそが悪くなる、ということか、なんて改めて気づいちゃったよ。
 我が倅は3年間というもの、通っている高校がキライで、途中で授業を抜け出して近所の映画館にしけ込んだり、とか不良なことをやっていたらしいが、こんな教科書を採択するような学校じゃさもありなん、と当時のことを思い出して同情してしまった。(といってもバカ校じゃなくて一応県下有数の公立進学校なんだよ。)
 それにしても(何年も前とはいえ)こんな教科書出すなんてどういう会社だ?と思わずネットで調べてみたら、なんだか都教委がこの会社の本の採択を決めた高校に圧力をかけてやめさせた、なんて話題が出ている。まあ、こんなのを書くような執筆者をもし今でも抱えているようだとすれば、そうなるのも当たり前だろう。法的にどうとか、いろいろ怒って騒いでるようだが、だからなんなの?と冷たく思ってしまった。
実教出版!教育の名を借りた、偏った思想のプロパガンダ工作はやめてもらいたい。
我が子の3年間を返せ(ってそこまででもないか)。
スポンサーサイト

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

大学設置不認可騒ぎ

 田中真紀子が新たに文部科学大臣になる、と聞いて一抹の不安を覚えた人は多いと思う。そして、案の定というか大学の新設を認可しないなんてことを言い出して大騒ぎになってしまったようだ。実際話が進んでいて、最後の最後の手続き上のところまで来ていて、行政としてそれ(不認可)はないだろ、というのが結論なんだろうな。いやはや。

 だが、彼女の言ってることが間違いじゃないというのは、実は誰でもわかっていることであろう。
 そもそも俺が受験生だった頃は、どこの大学でも(まるっきりの大馬鹿大学でも、かつ現実的としてどうかはともかく)倍率は最低でも2~3倍だったように記憶している。定員割れの大学なんて想像もつかなかったわな。だから学生は勉強せざるをえず、それこそバカ大でもそれなりの学力を身につけた者が入学していたのではないか。それが時代が下り、今や一部のエリート大学を除いてどこでも受験生集めに東奔西走の有様だ。当然だな。30年も前から少子化を危惧する声があったにもかかわらず、どんどん大学を作っていったからね。かつては、この日本に何という名前の大学があるかなんて、大人も子供もほとんど知っていたけど、今じゃ、名前を聞いたことのないところが山のようにある。毎年、新聞で大学の新設や学部の増設のニュースを見ながら、こんなにいっぱい大学を作ってどうするんだろう、とはかなり以前から思っていた。平成に入ってからは、それこそ定員割れの大学が話題に上りはじめ、中国あたりからの留学生を受け入れて、そいつらがドロップアウトして不法滞在者となり云々、というニュースも聞かれるようになり、しまいに地方で大学が閉鎖される、という事態に陥り始めているというのも耳にしていた。なおかつ、全体で見ると大学進学希望者よりも募集定員が多い、という事態になれば、とにかく選びさえしなければ勉強しなくても出来なくても大学生にはなれるわけだから、若者達の勉強へのモチベーションもあがらないし、諸外国からはそのレベルの低さが嘲笑の対象になっちゃうし。結局「将来どうするか」という問題を先送りするだけのモラトリアム人間のたまり場に陥ってるわけでしょ、一部を除いて?


 それでもなお、大学の新設ですか~?それはないんじゃないでしょうか。というのは、普通の国民の普通の感情のような気がする。だって、補助金とか、国から税金で出すんでしょ?空気に向かって学問を説くとかって、このご時世にやっていいことなのだろうか? 
 何しろ、これからはもう大学を新しく作る時代じゃないのは確かだ。むしろ減らさなければならないでしょ。

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

指導できない教師

 市内小中音楽会であった。午前中は中学校の部、午後は小学校の部で4年生が参加することになっている。午前中はウチの学校も参加して演奏して、さて、午後。
 最初の学校の演奏が始まった瞬間、すごい違和感を覚える。よく見ると、というか聴くと、要するにホールの中が普通にざわついているのだ。何じゃこの鑑賞態度は!さすが中学生(午前中)は立派じゃのう、それに引き替え小学生と来た日は…とあきれて、さらによく見ると、特定の学校だけがやかましくおしゃべりなのだ。そして、その他の学校の児童はけっこう静かに聞いている、というか「真剣に」と言ってもいい学校さえあるのに!
 一応役員として会場のドア係を仰せつかっている行きがかり上やむなく、演奏の合間にすぐそばにいたその学校の先生(男)に
「すいません、この学校だけ私語が目立つのですが…よろしくお願いします」
と、やんわり申し上げる。だが彼は特に動かない。おや~??
で、次の演奏の合間に見ていると、子供たちの方へいってなにやら言おうとするのだが、奴ら、人の話なんか聞いてないじゃないか!何という押し出しの弱さ。こりゃダメだ、と乱入して、
「お~い君たち!周りをよく見てごらん!演奏中におしゃべりしてるの君たちの学校だけだよ!!」
と、あたりに聞こえる声で言うと、皆さんポカ~ンとしてこっちを見ている。で、ようやく(ここは少し静かにしなければいけない場所なのかもしれない)と子供たちなりに悟ったらしく、次の演奏からはやや静かになった。
 だが、それにしてもあきれるのはこの小学校の教師達である。その後も、(ありがちだが)子供たちが覚えのある演奏とか、知ってる曲の演奏になると、どうしてもおしゃべりがわき起こってしまうのだが、それに対して、脇で鑑賞している複数の教師が全く何事もなかったかのように、身動きもせずに、一心不乱に、舞台を注視しているのだ、まるで傍らに児童がいないかのごとくに!(「傍若無児」という四文字熟語を突然思いついてしまった:アホだな、俺)
 だいたい、自分のところの子供が行儀が悪ければ何とかしよう、と思うのが先生じゃないのか?そいつらの方を振り向いて指一本たてて口に当てるとか、恐い顔をするなりすれば、少しは抑止力にもなるはずなのに、何もしないってどうなのよ?
しかも、多分その中に管理職だってまざっているだろうに、こういうことがまかり通っちゃうわけ?

 おまけに言えば、俺がわざわざよその学校の子供を注意してやったのに、そこの教師から俺に対してお礼の一つもないのだ。普通なら、
「お手数おかけして申し訳ありません」
とか、
「ありがとうございます。」
だろ?俺なら言うよ、言わずにはいられないから。そんな当たり前のことが教師からして出来ないんだから、ガキもこのザマなんだな、とは納得できた。別にお礼を言ってほしくてやってるワケじゃないが、こんな礼儀知らずどものために何かしてやったか、と思うとムカっ腹が立つわな!

テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。