最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

女子中学生っていったい…?

 よその中学生がウチの学校に遊びに来る、というのは、教師にとっては嬉しいことではない。たいていの場合、単に遊びに来る、ということではなく、つまりウチの生徒がよその生徒とトラブルをおこしているか、よからぬことをつるんでやろう、という遊び仲間であったりする。だから、こういう「招かれざる客」には、できるだけ居合わせた教師全員で威圧的に取り囲み、なるべく相手が不快感を感じるような対応をして(とっとと帰れ!)お引き取り願う。

 さて、昨日来たとなりの中学校の女子生徒4名。
「誰に会いに来たの?」
というウチの教員の問いかけに
「Nさん」
と答える。
「でもまだ部活中だから、待っててもしょうがないし、帰りなさい
と、定石通り追っ払う。(さらに、乗ってきた自転車のステッカーでどこの学校の何番か、とチェックする→あとでその学校に連絡するのだ。)ところが、角を曲がったところで待ち伏せをしている。まあ、そうおいそれとは帰るタマじゃないとは思ったけどね。それを教頭先生(かなり強面)が
「シカトしてんじゃねぇぞコラ
と、さらに追っ払う。その後、Nさんが部活を終えて出てきたので、事情を聞いてみると、、、、

まずその中心となっている生徒の名前や学年が判明し、目的もわかってきた。実は本当に用事があるのはNさんと仲のよいKさんなのだそうな。それも、何かのつながりで知り合った、相手の学校の男子生徒を巡ってのことらしい(やっぱり男がらみかい)。その男子生徒というのがかなりのイケメンで多くの女子生徒の心をとらえており、何人もの女子が順番待ちで彼女になろうとしているらしいのだ。それというのも、中学校のカップルなんてものはくっついてもすぐに別れてしまうので、そういうことが成立するんだそうな。ところが、なんかの拍子にKさんがその列に横はいりしてしまい、怒った次の順番のはずだった女子が、
「Kさんってどういう子?」
と知り合いのNさんに聞きに来た、ということなんだそうな。で、そのいきさつの中で、誰かがKさんのメルアドを相手の女子に教えちゃったりとか、家がどこだか知られちゃったりとか、いろいろとトラブルの予感のする問題が持ち上がっている、という。
 話を聞いてみると、なんだか笑っちゃうのだが、もちろん本人たちは真剣なのであろう。女子中学生の考えることって…、ねえ。

 しかも、最後にバイクでパトロールしていた教頭が、Kさんの家(団地)まで行ってみると、彼女たちがそこの当該の号棟の入口の前で張っていたので、Kさんに知らせて親戚の家に避難させた。ちょっとしつこいかもです。これで終わりになればいいのだが。
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通信簿は誰のため

 一学期の音楽の成績にクレームをつけてきた保護者がいた。音楽の(通知表の)成績を1にするなんてひどいじゃないか。わかっててつけたのか。うちの子はまじめにやってるじゃないか。音楽で1になる子なんて、音楽祭の舞台の上でさえもそっぽ向いてうちわで扇いでたりする奴(つまり誰が見たって不良)だけじゃないのか。

 ごもっともである。正直申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、しかしそれを表に出すわけにはいかない。だったら修正しろ、という話になっちゃうし。
 うちの県で、音楽や美術で1とか2がつくというのは3年の1学期においては重大な意味を持っている。なにしろ、その通知表を持って保護者と一緒に私立高校の事前相談に行くんだからね。かなりの私立高校で、「安心して受験してください」と言われるための条件として成績の基準のほかに、①3年1学期の通信簿のすべての教科で1(高校のレベルによっては2以下)がないこと、②年間の欠席日数が10日以内、などの付帯条件がついている場合が多い。高校にしてみれば、いわゆる技能4教科のよしあしは生活態度の現れ、と見ることができるからだ(俺も原則その意見に反対ではない)。となれば、技能教科の教師としても3年1学期の成績で1なんかつけたくない、というのが人情といえる。だが!

 本当に生活態度の悪い奴の成績はどうするのか。音楽で言えば、授業をやってる最中に4階の音楽室の窓の淵に立ちあがる、合唱の時に級友の後ろにそっと近づいてひざカックンをする、話しかける、相手にされなければ怒鳴りかける、しまいには殴りかかる、数人で教室の後ろのほうに座り込んで遊戯王ゲームをやっている、取り上げようとするときわめて暴力的にくってかかってくる、パート練習用のCDラジカセを占拠してラジオや勝手にもってきたCDを聴いている、1時間ずーっと(合唱がうるさくて互いの話し声が聞き取りにくいから)大声でおしゃべりしてる。鑑賞の時間にも大声でしゃべっている。トイレだといって音楽室から出て行ってしまい校舎を徘徊している。あるいはバタバタと出たり入ったりしている。電気のスイッチをいたずらして教室の照明がついたり消えたりを繰り返す。これらの行為に対して教師としては指導を入れるわけだが、もちろんそういうことをやる奴はそういう奴なんだから素直に聞き入れるなんてことはまずない。よくても現状そのまんま、である。(悪ければどうなるか?って想像してみてよ。)こういうのを恒常的にやられちゃうと、すべての生徒にとってまさに授業妨害、音楽の時間は台無しになってしまうのだが、そういう奴の成績って1にするしかないよね。誰でも納得だと思うのだが…。
 しかし、そう簡単にはいかないのだ。不良といえども、別にバカばっかりじゃない。中には音楽的な能力が高い奴だっている。思い切りのいい奴だと歌のテストなんかをやってもけっこう高い評価にしなければならないような歌い方をすることもよくある。じゃあそいつらに4とかつけたらどうなるのか。励みになって以後頑張るようになるかって?まあそれも期待できないわけじゃないが(現実にはあり得ない)、周りは納得できないでしょ。そいつ(ら)のせいで楽しいはずの授業はめちゃめちゃ、自分はまじめにやってるのに何が何だかわからず、思ったような成績が取れなくて3だったのになんであいつが4?!前提として、互いの成績表は見せ合っちゃうんだから、しかもそういった連中は思ったよりもいい成績をもらったりすれば
「お~い!俺、音楽4だってよ!!」
と英雄気取りで触れ回ってしまう。そうなると、まわりも巻き込んで
「は~、あいつ(俺のこと)は適当にやってても4くれるわけだ。」
とかえってなめられるのがオチだし、真面目にやってる連中は失望してしまう。したがって、断固として
こういう奴らには1をつけなければならない!
 だが、単に授業態度が悪いから1をつけるわけにはいかない。これこれこんな風に出来が悪いから1なんですよ、という確固たる理由が必要だ。そうでないと、思わぬ揚げ足とり(授業態度が悪くても実力を評価するべきだろ?!第一どう悪かったというんだ、そういうことならあいつだってあいつだって…)に苦しめられることになる。そこで、提出物とか、忘れ物とか、授業の時にチャイム着席をしてない、とか、いっぱいメモを取ってそれを評価の際に数値化して減点する、期末試験では授業の話を聞いてないと答えられない問題を(しかも記述式や論述式で)出題する、歌のテストでは姿勢や服装などを観点に入れちゃうなど、かったるい連中なら面倒だから途中で投げちゃうようなことを中心に評価することで、自動的にそいつらが1になるようにする。何しろ、奴らは通信簿見せ合っちゃうわけだから、矛盾があってはいけないのだ。で、表計算ソフトでザザッと順位をつけて上から順に54321と記入していき、めでたしめでたし、となるわけである、普通は。

 だが、この方法も実は万全ではない。不良連中が落っこちるように仕掛けた落とし穴にはまっちゃう真面目な奴が出てきてしまうことがあるのだ。それが最初に書いたクレームの主のお子さんなのである…。もちろん、そういう子は不良じゃないというだけで、やっぱり普通の生徒ではない。ボーッとしているので話は聞いてない。モタモタしててノートを取ってない。提出しろといってるのにその提出物を持って帰っちゃう(そしてなくす)、歌のテストをしても全然声が出ない、テストはほぼ0点状態、結果的にソートされたデータの一番下の方に、自然にたまってきてしまうのだ。そして、いろいろ算段しても、やっぱり1だわ~。となってしまう。
 だいたいからして、もともと1なんかつけるつもりはない。いつもだったら最低ラインの奴でも2にするようにしているのだよ、俺だって。だが、1をつけなければならない奴が大量にいる学年(つまり、ぶっちゃけ荒れた学年)ではそうもいかなくなってしまうのだ。本当に不幸な状態である。(それとも、もしかして自己撞着?)


 それにしても、通信簿は何のためにあるのか。本来は生徒のありのまま(といっても学校という枠の中でのごく狭い価値基準によって、たったの一人または数人の教師が~偏見も交えて~しかもたったの一方向から見たものにすぎないが、それでも一応平等に)を本人および家庭に通知する、ごく個人的なものであるにすぎなかった。かつて文部省の見解のなかでも
「通信簿は公文書ではない~学校独自でやっているもの」
というものが飛び出してきて世上を仰天させたこともある。(今は感覚的にもそうではないが。)
 しかし中3の成績表は、我が県では(ある馬鹿な県教育長のせいで)生徒を離れて一人歩きしてしまっている。前述のごとく1学期の通信簿を持って生徒は親と一緒に私立高校へ確約をもらいに行くのだから、塾の先生が「進路指導をするために」見るのも当然である。技能教科とはいえ、というよりむしろ技能教科だからこそ1なんかつけられた日にはたまったものではないのが現実だ。あまりいいたくないが、我が息子も家庭科が2だったというだけで散々な目にあったことがあり、そこら辺の事情は痛いほどわかる。
 当然、通信簿の記述内容は、特に所見欄なんかはあまり過激なことは書けなくなってしまう。たとえば、
「もっと食事マナーを考えてほしい」
「掃除をサボらないでやりましょう」
「集中力に欠けてます。授業中によそ見をしないように」
なんておいそれとは書けないよね。高校の先生が見て、そういう子だと思われちゃうわけだから、持ってく方だって気が引ける。技能教科でも(どんなに出来が悪くても)1はつけられない、何しろ生徒が困るからね。改ざんしちゃえ。
 しかし、それでは元々の通信簿の目的であるところの、現実の生徒の姿を家庭に伝える、ということは出来なくなってしまう。なにしろ
「書かれてないことは、ないこと」というのが通常の感覚だ。ある教科の成績が2と書いてあったって、それは「実力として」2なのであって、本当は1のはずがお情けで2にしてもらっている、なんて誰も思いも及ばないし、我が子がサボってばかりで掃除なんかしたこともない、なんて想像もできない。
 そうなると、何のための通信簿なのか、特に3年1学期(2学期も)に関してはぼやけた目的のものになってしまう。奥歯に物がはさまったような、ワケのわからない所見欄の文章には担任の悩みが込められているんだ、ということは察してほしいなぁ。少なくとも、
「このヒト日本語の文を書くのがヘタで、なに言ってるかわからないわ。」
なんていってほしくないものだ。ハッキリ書いていいんならそうするわ!
 さらに、音楽の成績が1だったなんて、現実としてそれをつけなければならないこっちの苦衷も察してもらいたいような気もするが、まあ、それは保護者に望むべきことではないであろう。全くいやな役回りだ。

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子供たちは平等ではない

 昔、運動会の時に、徒競走でお手々つないでゴールインし、全員一等賞、なんてことを真面目に指導していたキチガイ教師(の集団?あるいはそういう思想、というべきか)があったらしい。俺は時代が違って、そういう狂った光景を目の当たりに見なくてすんだ。大変幸せなことである。 
 要するに、ビリになった子供の心が傷ついて可哀想だから、ということなのかな。それとも他にあるのかも知れないが、狂った人間の考えることはようわからんし、今さら深く知ろうとも思わない。もちろん、子供たちの競争意識をこんな形でゆがめるなんてことが正しいのか、社会に出て行けばありとあらゆる場面で競争ばっかりじゃないか。なんてことは健全な大人が考えればすぐわかることだ。かけっこが速いヤツもいれば、遅いヤツもいる、そんなの天然自然のことで俺なんかがいちいち言うほどのことでもない。

 だいたいからして、人間というのは、一人として同じ構造の脳味噌(肉体も)を持った人はいない。細かい作業が好きな人もいるし、何事もよくとって誰でも信用しちゃって損ばかりしてる人もいるし、物事を考えることさえも面倒くさいから体で稼ぐという人もいる。
「本を読むと頭が痛くなるから、読書はしたことがない。」
なんてのたまう御仁にも出会ったし、
「活字は見ない。漫画でさえも(吹き出しを)読むのがいやだ。」
という信じられない生徒に担任として出会ってビックリしたこともある。

 それなのに、学校(特に小学校?)ではなぜ、子供たちを執拗に、平等扱いしようとするのか。あるいはそういう思想がいまだに残っているのか、意味がわからん。というか勘違いしてるよね、平等の意味を。社会全体が。

 結論から言っちゃうと、つまり生徒にはすべからく同じ内容を同じように教えなければならない。たとえばカリキュラムの一部を、故意にしろ過失にしろどこかのクラスなり個人に教え損ねたりすれば、これはまずい。生徒の「知る」権利、というかチャンスを奪っちゃうからね。しかし、平等じゃなきゃいけないのはそこまでなのだ。生徒がその教えた内容を、全く同じように受け止められたか、と問われれば、絶対にそんなことがあるわけはない。(そういう意味でも寺脇の言ってたこと:子供たち全員に100点を~は根本的に間違っている、とはどんな馬鹿にでもわかるのだが、それは置いといて)
 優秀な生徒には手に取るようにわかる内容も劣等生にはちんぷんかんぷん、テストをやっても100点取るヤツもいれば0点のヤツもいる。当たり前のことだ。教科によっても違うし、掃除とか、どうってことのない生活の場面でも一人一人の「差」というものは歴然と存在する。
 それなのに、絶対あり得ない「教えた結果を平等にする」ことに、日本の教師は汲々としているのだ。そりゃそうである。なにしろ、せっかく教えても生徒が
「わかりませ~ん!」
ということになれば、それはその生徒が馬鹿なのか、教師の教え方が悪いのか、一概には言えない。そういうとき、教師は基本的に「いい人」ばっかり(これは事実だ)だからどうしても教え方が悪い、という方向に大概考えが行ってしまう。そこで、さまざまな工夫をしてあれこれ教えまくり、一応、子供たちの意識の上でも、みんな「平等に学習内容がわかった」ということにしてしまう。わかりやすいところで言えば、九九を暗唱するとか、逆上がりができるようにするとか、を「クラス全員が」できるようにするわけだ。誰もが主役の素晴らしいクラスを作る第一歩だな、教師の側から見れば。

 同様に、特別活動のジャンル、たとえば委員会、生徒会などにおいても、
「誰でもできる」
という幻想を植え付けようとする。そのためにあらゆる方策を立てて、クラス全員に対して「リーダーシップを育て」ようとする。もちろんやってることは間違いとは言わないが、しかし、どう工夫したところで、実際には誰もが学級委員になる能力なんか持ってるわけはない、というか育つわけない。40人のうちに2~3人がいいところだ。しかし、その現実を隠すんですよ、学校というところは。
 その結果、中学校においても、どうしようもないヤツがたとえば掃除当番の班長とか各種委員会の委員長(それだって大迷惑だが)ならまだしも、生徒会長とか、学級委員とか、あり得ない役職に立候補してまわりの奴らを半ば強引に蹴散らして当選し、その後の半年なり1年なりは当該の集団がハチャメチャになっちゃうなんてことがしょっちゅうあるのだ。
 一度なんか、俺のクラスの大馬鹿が生徒会長になってしまい、さまざまなトラブルがありすぎるので、あるとき他の生徒の前でついに俺と大げんかとなり、しまいにそいつが
「つまり僕には生徒会長なんかできる能力がない、ということですか!?」
と詰め寄ってきたもんだから、答えに窮した俺が
「それを俺の口から言わせようというのかっ!!!」
と叫んだ瞬間に、それまで固唾をのんで聞いていたクラスの連中が一斉に何事もなかったかのように無駄話を始める、なんて場面もあった(その時には本当にまわりに感謝した、というか何でそんなことができるのか、いまだに不思議だ)。だが、なぜ、俺はその時「答えに窮し」なければならなかったのか。それも当然だ。たとえば本物の馬鹿に対して「お前は馬鹿だ」と言うわけにはいかないだろ、人を教える身としては。だが、現実問題、そいつが生徒会長なんて、根本的にできるわけないのだ、あまりにも馬鹿すぎて。指導というか要するにフォローの仕方次第で誰だって出来るんじゃないか、というご意見を持つ方もいるかも知れないが、本当にそれどころじゃない生徒、というのはいるでしょ。たとえば原稿を全校生徒の前で読むにしたって、漢字(それも簡単な)が読めないんじゃ仕方がない。
 もっとやばいのが、いじめが絡む場合だ。「誰でもできる」のが大前提なんだから、結託してターゲットをそいつには絶対無理な(普通の子にはちょっと面倒な)役職に祭り上げてしまう。新任の頃、俺の担任したクラスでもそういうことがあって、ある弱っちいやつを学級委員の投票で1位にしてしまい、俺が
「どういうことだ!」
と怒ったところ
「先生は、ホニャララ君には無理だ、というんですか?」
と首謀者の生徒が反撃してきて(当然だ)困った。しかし、とにかくホニャララ君が学級委員では学級が機能しなくなるのは確実だ。
「人はそれぞれなんだ!向き不向きなんかあるに決まってるだろ!」
さらに、たまたま投票用紙を2枚書いて出したヤツがいたのが発覚したことで、その投票そのものを(俺の強権で)ご破算にしてしまい、そのときは事なきを得た。しかし、後々まで、
「先生はホニャララは能力のないヤツだと思っている。」
と陰口をきくヤツがいて癪に障った。

 ちょっと本題と外れてしまったが…(つづく)

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