最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

定期演奏会始末

 今年の「吹奏楽部定期演奏会」ほど恵まれない環境の演奏会はなかったかも知れない。当たり前だっつーの。

 ウチの場合。

本番が20日(日)13:30開演ということで進んでいた。だが、曲の数は多いし、かなり企画に無理があるな~、最後の追い込み練習で何とか間に合うかどうか、と、今にして思えばのんきな感覚で気をもんでいた。ところが…。

まず地震が11日(金)、当日は6時間目も打ち切りとなって強制的に下校。部活動も自動的に停止。

次の日12日(土)は生徒の安全面も考慮して様子見で部活を無しにした。一日中ヒマ。というかテレビつけっぱなしですさまじい地震と津波の映像、世の中の動きなんかをみていて、部活なしにしたのもあながち間違いではないように思えた。ジリジリしたけどね。

翌13日(日)1日練習。この時点で、1部から3部までの内容のうち2部(ソロ・アンサンブルステージ)を中止とする。

さて、14日(月)この日は卒業式の準備のため部活無し。

15 日(火)も卒業式の本番で朝も放課後も部活無し。ところが、この辺から計画停電の話が持ち上がってきた。しかも、市内の給食が打ち切りとなり、弁当持参のため明日以降の朝練習は自動的に禁止となる。計画停電に関連して、最終下校は16時30分となり、吹奏楽部の「延長練習」も認可されない事態となった。これじゃ定演できないじゃん!保護者からも連絡が入り、取り敢えず定演のあとにいつも家庭科室でやっているいわゆる「打ち上げ」を中止することになった。

16 日(水)追い打ちをかけるような凶報、何と1年1組がインフルエンザで金曜日まで学級閉鎖となる。このクラスには部員が5人もいるのだ。しかし、「閉鎖」を金曜日までにして土曜は練習に出る(だから全員で定演をやってくれ)、ということで…と校長から言われる。そのほかにも1年生でインフルで休んじゃった子が2人ほど。あとから知ったけどバスクラの2年生もインフルだったらしい。部員の間にも動揺が広がり、
「定演ができない…」
とほとんど半泣き状態に。卒業式を終えた3年生の部員も、いつものつもりで16時頃登校するが、もはや終了時刻が迫っていてあきれ顔。連絡するにも電話が通じないんだよ!
そこで、3年の部長と、1部2部というのはやめにして思いっきり曲数を減らし、全部通しで演奏することにしちゃおう。という話になる。こんな時だもの、しょうがないでしょ?

17日(木)3年生はもう定期演奏会はあきらめてしまった。代わりに、保護者だけ呼んで演奏も1曲か2曲にとどめて謝恩会みたいな形にしよう、という動きが出始めた。だが俺や在校生にしてみれば、それじゃ3年生が可哀想すぎる。3年生は今年度いろいろ報われなさ過ぎた。この上定演無しかよ、それだけは避けたい。校長も
「何が何でも20日に開催しましょう!うまくいかなくてもその辺は私が挨拶の中で触れますから!」
曲目を極力減らしてできる曲だけで何とかするしかない。それも、現時点である程度練習が進んでいる曲だけだ。一番痛いのは、23年度のコンクール課題曲と自由曲候補がかけられないことだ。これは今度のコンクールで痛恨のダメージとなるかも知れない。さらに、計画停電が予定取り行われた場合、定演当日にウチの学校は15時20分から電気が落ちてしまう。そうなると18時過ぎまでセコムのセットができなくなり、職員がそれまで帰れなくなるんだけど、何とかならない?と教頭から脅しがかかる。別に脅してるワケじゃないけどね。とにかくスピーディーに片付けて15時までに校舎から追い出して、ミーティングは校舎の外でやるか、と覚悟を固める。どこまでついてないんだ。
 で、帰りのミーティングの時にみんな暗くなってるから、
「とにかく、こんな時なんだからしょうがないじゃないか。元気を出せ!こういうのも絶対一生の想い出になるぞ!むしろそういう状態を楽しんじゃったっていいんだぞ!」
と、ムチャクチャなことを言って励ます。あとで聞いたら、このアジテーションで勇気づけられた部員もいたらしい。

だが18日(金)、さらに痛恨の一撃、1年生の残ったクラス、2組と3組が猛烈にインフルエンザの欠席者が増えてしまい、2時間目で授業打ち切り~下校、となってしまった。結局、卒業式で一堂に会したことが蔓延の原因になってしまったのだろう、と観測されるが、今更何を言ったって仕方がない。だが、この学校のすばらしいところは、それでも吹奏楽部の定演のために動いてくれるところだ。まったく頭が下がる。何と、この2クラスは「学級閉鎖」ではなく「様子を見るため」の帰宅、という形を取ったのである。つまり、校長からの「出席停止命令」が出ているわけではない、というギリギリの選択をしてくれたのだ。とにかく少ない人数でも練習はしないとどうにもならない。最終的な演奏曲目を決めるため、午後の練習は1年生全員抜きでひたすら合奏をやって、できそうな曲を探していく。去年の春にやった曲なんかまで引っ張り出して、「星条旗よ永遠なれ」とかを加えることにする。アンコールはどうする?
「センセー、プログラムはどうするんですか。」
なんて生徒が聞いてくる。
「明日決めるから、練習終わってから書いて、当日の朝印刷するしかないだろ!」
生徒、殊勝にうなずく。ゆるせ!何ともしようがないのは誰でも一緒なのだよ。しかもなお悪いことに、2年生の部長がインフルで倒れてしまったのだ。仲のいい部員が、
「本人は当日は這ってでも来るそうです!」
なんて言っている。ホントに来るかはともかく、その心意気がありがたいではないか!だが、ヤツがいなければ物事が進まない。何をやるにしても相談相手がいない、というのはまさに困った事態である。
それでもやることはやる。日本中がこんな事態に陥ってるのにやらないでどうする!これから必要になるのは元気の素だ!それは若い力から発生する。そして、音楽やスポーツなどのパフォーマンスから心が明るくなるのだ!俺たちは日本を明るくするための鍵を握っている活動をするのだ!とにかく客を呼んでこい!親類縁者、クラスの友達、塾の友達、卒業した部活のOB、妹や弟の友達とかの小学生だ!今からでも遅くない!と、生徒に檄を飛ばして解散。

そして前日19日(土)、この日は1日練習だが、インフルなどで5人ほど欠けている。部長は…出てきている!大丈夫なのか?
「インフルじゃありませんでした。」
なんて言ってる。ホントかよ!
ともかく、昨日の続きの合奏をやって、やる曲をピックアップする。こりゃダメだ、というのも一つぐらいあったような。
午後からは体育館の設営だ。まず観客席を作る。俺が、
「横10×10列を左右に二つだ!200あれば何とかなるだろ!」
生徒、
「え~そんなにたくさん来るんですか~?」
俺、
「何言ってんだ!部員が35人いて、その両親が来ただけでも70人だぞ!その上友達とか呼ぶんだろ?」
3年の生徒、
「え~保護者だけじゃないんですか~。ホントに定演やるんですか~。」
俺、
黙れ~!!やるっちゅったらやるんだ~~~!!!」
ほとんど独裁者じゃん。
 さて、設営が終わって2時半。部長はついに力尽きてダウンとなり、早退。やっぱり無理だったのね。しかし、ポップス系のドラムスはほとんど彼女が担当しているので、これでは練習にならない。でも練習するしかない。特にやばいのが「ジャパニーズグラフィティー嵐Beautiful days」というハードな曲。全然知らない曲ばっかりのメドレーで、途中でテンポの変化があるし、おとといの段階で何度やっても指揮とドラムが合わないせいで途中で止まっちゃうという俺(みたいな爺さん)にとっては鬼門の曲だ。もう運を天にまかせるしかない。とにかく、
「今回の定演は、来てもらったヒトに元気になってもらう、というのが基本テーマだからな!今や、そういうことになったから!そのつもりで明日は演奏してくれ!」
と、とってつけたようなことを言って解散。副部長の親が心配して練習の様子を見に来ていた。この日は計画停電は中止になっていたが、当日も中止になるでショ、という観測を語ってくれて、少しほっとした。実際中止になった。これで、あとの時間を気にする必要がなくなる。助かったわ~。一筋の光明だ。

ついに当日 20日(日)となった。前日に休んだ生徒には夜連絡をしたのだが、ともかくもみんな出てきた。一番やばいと思ってたヤツも(顔は土色だが)いて、心配そのもの。午前中のアップの時には保健室で寝てた。何でそんな無理するんだヨ~。けなげではあるが、明日からどうなるのか考えると心配すぎる。だが、こっちも仕事に忙殺される。まずプログラム。昨日最終決定した曲目を並べて、パソコンで解説を打ち込んで、印刷する。司会原稿の添削をして、最終チェック。もう一人の顧問の先生(前日は熱出して寝ていたそうな)に頼んで、会場の飾り付けをしてもらう。10時半からは司会合わせと曲の最終練習。いわゆるゲネプロだが、ゲネプロとはとても言えない完成度の低さ。でも仕方がないね。とにかく司会合わせは取り敢えずできたので、いろいろな問題点の修正も行った。練習終了時点で12時。何と、もうお客さんが入り始めたではないか!家内とかが来ていて、
「サッサとお昼食べて着替えて詰めていた方がいいよ!」
と言ってくれる。こりゃ忙しい。で、今日は3Pの黒礼服のチョッキを着ないでカマーベルト・蝶ネク、と思っていたのだが、朝間違えてタキシード持ってきちゃったので、そういう出で立ちである。職員室で着替えてお弁当を食べて、なんやかんやしているうちに13時、開場時間だ。体育館の入り口付近に「生徒会室」があって、そこが今日の控え室になっているのだが、行ってみると部員はなんだかのんびりムード。中には記念写真撮ってるヤツまでいる。で、チューニングをすると、たちまち時間がたって、13時30分、開演時間となってしまう。一人、トランペットで全然音が出ないヤツがいる。昨日欠席した1年生だ。話を聞いてみるとかなり体調も悪いみたい。大丈夫か、泣いちゃってるけど?
「とにかく堂々といけ!」
と肩を押すが"元気と明るさを届ける"というテーマというのに、肝心の部員の方が元気がないのが多い、というのでは困ったな~。そういう俺も実のところ昨日ぐらいから悪寒がするのだ。
 だが、なんやかんや言ってもついに開演である。いや~いろいろあったな~。
スポンサーサイト

テーマ:学校での出来事 - ジャンル:学校・教育

伝統、もとい「悪しき習慣」との格闘

 先日卒業式があり、3年生が巣立っていった。今年この学校に異動してきた俺は、ついにこの3年生達としっくりいかないまま(というより反目したまま?)、1年間の音楽の授業を終えざるを得なかった。
 さて、卒業に当たって、お世話になった先生に感謝のメッセージを送りましょう、という企画があって、何人かの生徒が俺宛にもメッセージを書いてくれたのだが、その中に、
「先生のせいで音楽が嫌いになりました。」
「この学校の伝統をぶっ壊されたみたいな気がしました。」
「もっと生徒の気持ちになって考え直した方がいいですよ。」
「P~先生(前任者)の時の方がずっとよかった。」
みたいな「お便り」が複数あった。言ってくれるじゃねぇか。「感謝の」とわざわざ断っているのにこんなことを平気で書いてくる失礼な感覚(しかも無記名)、これは現代のガキどもの困ったところかもしれないが、まあ書く必要のない場面で積極的かつ確信犯的に書いてきた、というところはなかな興味深いことである。何しろ、俺がこんなことを言われたのは何十年も前の新任の時以来だからな。それに、確かに俺は「面白い(interestingじゃなくてfunnyという意味:今時の生徒はそういうのじゃないと食いついてこないのよ)授業」というのは苦手だし。

 そもそも、この中学校は地域でも有名な(それも悪い意味で)「合唱の盛んな」中学校なのである。なにしろ、朝の学活は合唱。生徒集会も合唱。道徳の時間も合唱。学活も合唱。掃除の時間にはみ出しても合唱。放課後も下校時刻過ぎまで合唱。その一方で、服装に代表される校則はとっても「自由」。合唱さえやってれば何やったって自由なのよ、というムード満点の学校だったらしい。一度なんか、卒業式を3年生が途中から乗っ取っちゃってほとんど合唱祭のような有様になって30分以上も延々とやらかし、来賓がトイレに行けなくて往生し、居合わせた県議があとで県教委に文句を言って騒ぎになったこともあったという(本当の話)。過年度の合唱祭の反省なんかを見ても、保護者から
「歌がうまくっても舞台マナーは最低」
なんてアンケートに書かれていたようだし。俺も10年ぐらい前に勤務していた学校にたまたま招待状が来たので見に行ったことがあるのだが、まあ、やってる本人達は、(自分たちは上手だ)と思いこんでいるのはよくわかるんだけど、実際そう大してうまくはないな、という印象だった。つまり一言で言ってマスターベーション。それなのに教員の方も、生徒のこういう自堕落で勝手な動きを「自主性に富んだ活動」と読み違えをして、積極的に支援していたというのだから病膏肓である。この学校に勤務していた教員の中には、ここの合唱祭の独特のやり方や雰囲気を異動先の学校に移植しようとして大顰蹙を買っている人も多いという。

 結局のところ、俺のせいでコイツらが「音楽(の授業)が嫌い」になるのは、実は当然なのだ。何しろ、こんな現実はブッ潰してやる!俺はヒールに徹するぜ、という覚悟をかためつつ授業を始めたからな。それに「音楽」というものに対する考え方が根本的に違うんだよ、前任者と。

 前任者のP~先生は、実は我が県の教育課程とかそういう関係の出版物の執筆とか研究活動とかいろいろしていて、県の中学校音楽教育では名の知れたヒトである。今年度指導主事として委員会にご栄転なさったので、俺がその後釜に据えられたのだ。まあ、授業の仕方も能率的かつ上手で生徒の興味を引きつけて放さないんだろうな~、みたいに思っていた。実際ずいぶん生徒から好かれていたみたいだし。
ところが、現実は違ったのよ。第一、P~はそれまで使っていた音楽室の派手な掲示物とか意味のわからない飾り付けとか廃棄すべき大量の備品とかをそっくりそのままにして異動して行きやがった。失礼千万である。俺の4月はまたしても音楽室の後片付けから始まったのだ。

そして、いったい彼は音楽を何だと思っていたのか。

 まず、合唱の授業をしていると生徒からこんな要求が頻発する。
「センセー、ホニャララ(曲の名前)が歌いたい!」
そのホニャララという曲(複数ある)は、合唱の発声にあんまりよい影響を与えないことから、俺が自分のカリキュラムから注意深く外してきたものばかりなのだ。なんだかセンスないな~。そして
「いや、その曲は…」
と言えば生徒は当然
「毎年この歌を歌うのは伝統なのに、なんでですか?!」
と聞いてくる。となるとどうしても選曲した前任者の感覚を否定することにつながってしまう。前任者を否定するのは生徒から嫌われる一番簡単かつ効果的な方法だ。さらに、ある意味よく訓練されていることで一見上手そうに見えるこの人たちの合唱は、当然のことながらよく聴くと技術的に極めて問題が多い。言葉の下手な俺はついそれを表に出してしまうので、よけいに嫌われちゃうのだ。困ったのう。

 次に多く聞かれた言葉。これが実は最も問題だ。
「P~先生の授業はとにかく楽しかった。
音楽はまず楽しくなければいけないでしょ。
 以前にも書いた通り、学校というところは必ず楽しくなければいけないのか?俺は真っ向から反対である。知識が満たされる快感、技術が高まる充実感こそを「楽しさ」と規定すべきであり、つまり数学や英語が楽しいと感じるのと同じ意味で、音楽だって楽しくなければならない。「まず楽しくなければ」なんてのは極めて低レベルな発想じゃないか。P~はそんなことをいつも生徒に言っていたのか?そんなんだったら、お笑い芸人のバカ番組でも見てた方がよっぽどいいだろ。それに、そんな考えが嵩じれば生徒にとって好きな曲ばっかりがカリキュラムの中にあふれかえる事態になっちゃうし、もっと嵩じれば、「自分が楽しいと思うことだけしかやらないでよい」というユトリな方向に音楽室の枠を超えて生徒は突っ走ってしまい、正常な教育活動だってやりにくくなるんじゃないのか。(実際学校がそうなっていたんだろ:ウチの校長~けっこう切れ者~も「この学校の悪いところはすべて音楽から発しています」と常々つぶやいている。)そういうレベルの低い思想から発している、しかも音楽的にセンスのない授業を自分のキャラクターと話術でうまくごまかして生徒を丸め込む力量は俺にはないが、それに慣らされた生徒だっていい面の皮ではないのか。

さらにトドメの一撃、
「先生は何で褒めないんですか?P~先生はいつも褒めてくれました。私たちは褒められることで伸びるんですよ!」
指導することで上達する。それは褒める対象にはなるし、そういうのはいつだって褒めているつもりだが、うまくもないものを褒めるのは苦手である。俺が指導したことを聞きもしないで勝手なことばかりやって
「褒めてください」
と言われたって、味噌汁で顔洗って出直してくれば、ぐらいのことしか言ってやれないんだよな~。残念でした。
 第一、人様に「褒めてくれ」と強要するなんて、何という行儀の悪さ。どういう教育を受けてくればこうなるのか、親の顔が見たいわ!…いや、教師の顔か。何をやっても褒めてもらえるんじゃ、子供なんてどんどん堕落するわな。

結局、P~先生の(過去4年間で)したことと言えば、それまでの勝手気ままな「悪しき習慣」を「伝統」の名の下にそこそこに形を壊さずに守ってやって、生徒との間に波風を立てないようにしていただけではないか。何というくだらない野郎だ。

 というわけで、俺はこの1年間、労多くしてなかなか効果の上がらない教育活動をえっちらおっちら続けてきて、挙げ句の果てに
「先生のせいで音楽が嫌いになりました。」
とさげすまれるに至ったのだ。もう放っといてくれ!

テーマ:子供の教育 - ジャンル:学校・教育

いよいよ大変なことに!

 ガソリンスタンドがどこも閉まっている。昨日は朝から1日部活で夕方に帰ったのだが、その段階で我が愛車のDioのガソリンタンクはほとんどEの状態。とにかくガソリン入れなければ、とあちこち見てもどこも閉鎖。開いてるところは長蛇の列で周辺道路は猛烈な渋滞。話にならん、と帰ってきちゃったのが致命的になってしまった。

 今朝は空っぽのガソリンタンクを抱えて、といっても片道分は大丈夫だろう(まるで特攻隊だ)と踏んで、とにかく職場に出発。一応無事に到着する。同僚に話を聞いても、ガソリンを入れるのはもはやほとんど不可能らしい。やばい、明日は職場に来られないかも知れないじゃないか。卒業式なのに、音楽担当にして3年1組担任のこのワタシがいなくてどうなるのだ。

 仙台の家内の実家が心配なので、卒業後恒例の3学年職員旅行には参加しない旨を表明すると、その旅行はあっさり中止となってしまった。北海道2泊3日でおいしいものを食べに行こう、ということだったのだが。つまりそれどころじゃない、ということに皆さんが気づくきっかけになったようだ。
 一方、明日の卒業式後恒例の飲み会も中止となった。電車も止まってるし、酔っ払っちゃうと帰宅が不可能になるヒトが大量に発生してしまうから、ということだ。担当者がずいぶん恐縮していたが、ま、それどころじゃなかっぺ。その分、昼食(仕出し弁当?)を豪華にした、といっていたので、ちょっと楽しみだ。

 午後になって、明日からの学校給食を停止する、というニュースが入る。ありえね~~!ウチの市の教育委員会はいつもながらに過激である。こんなに食料が手に入りにくくなっている現状で(というのはあとになって知ったのだが)、児童生徒の家庭ではどうやって弁当を準備しろというのか。

 とにかく明日は卒業式なので、そのための準備を進めつつ勤務時間を過ごし(というより1時間もオーバーし)帰宅の途につく。こんどこそガス欠でエンジンが止まるかも知れない、という恐怖に駆られつつ、あちこちのガソリンスタンドをチェックするが、結局どこも店を開けているところがない。
 幸いエンジンは止まらず、自宅に帰り着く。結局、息子のバイクにはまだ少しガソリンが入っているということなので、明日はそっちで職場に行くことにする。それにしたってあと何日かこの状態が続けば通勤は完全に不可能になる。停電で電車も運休だし、本当にどうなっちゃうのか。実際どうすることもできないじゃないか!!

テーマ:学校での出来事 - ジャンル:学校・教育

地震・避難

 この揺れはこれまで経験したことがなかった。5時間目の2年生の授業。この時期卒業式の練習で歌ばっかりやってるので、音楽の授業では目先を変えて、関係ない歌とか鑑賞なんかをやるようにしている。ま、多少ぬるい時間の中で、何年か前の合唱コンクール(全国大会)のDVDを見ていたところ、突如として、というよりも何となく揺れ始めた。最初に気づいたのは俺だったかな。
「あ、地震だ。」
ややあって生徒、
「あ、ゆれてる。」
「ホントだ~。」
のんきなムードである。横揺れだしね、予震は長かったから震源も遠いでしょ、と多寡をくくっていた。だが、なかなか収まらない。音楽室は4階だから一番大きく揺れるのだ。もしかしてこれ以上続く?と不安になった頃になって、まさに本震がおそってきた。新鋭の50インチモニターがガクガク揺れている。普通なら机の下に潜るのだが、音楽室にはそういうものはない。ふと見ると生徒はみんな床に座り込んでしまっている。となると、天井からものが落ちてくるのが一番まずい、と思って、
「蛍光灯の下にいるんじゃない!」
と叫ぶ。揺れはいよいよ激しく荒々しく揺さぶられる。我に返ってみると俺はピアノにしがみついていたが、部屋の真ん中はやばい、と思って壁ぎわに移動する。校内放送で机の下に潜れ、なんて言ってる。体育の若い臨採が
「大丈夫かっ!」
と様子を見に来る。身軽な動きがうれしい。頼もしいことだ。揺れはいよいよ激しい。ところが、見ると生徒はまったくそのまま動かない。コイツらなめてんのか。
「電気の下にいるんじゃねぇよ言ってんじゃねえか!!」
と怒声を発するが、動きはまったくはかばかしくない。これだけ大きな地震にもかかわらずこの揺れ方からいって震源地はかなり遠いはず。ということは震源地はどういうことになっているのか、相当とんでもない地震ではないだろうか、なんて想像する。
 やがて揺れも収まる。校内放送で、
「念のため、避難してください。サッカーゴールのところに集合しなさい。」
と指示が出る。ここは教師としてリーダーシップを発揮しなければ、と妙な使命感に駆られて
「お~い!学級委員が前と後ろだぞ~」
みたいなトンマな指示を出す。男連中はサッサと移動してしまうが、女子の方はかなりグズグズしてる。泣いてるのもいっぱいいて、動けないようだ。よっぽど怖かったのか。それをとにかく追い立てて外に出る。余震もあるだろうし、気が気じゃないからね。生徒の動きを見ているとなんだか避難訓練のノリであるが、実際に訓練通りに避難するなんて滅多にあることじゃないよな~、なんて思う。
 外に出ると、もうほとんど避難は完了しているが、生徒たちは何か珍しいことが起きた時のお祭り気分で、教師の指示にもなかなか静まらない。教頭先生が腹を立てて、激しく怒鳴ってやっとのことで静かになる。横を見ると、いつもはモーター音を唸らせて疾駆していく私鉄電車が音もなくゆっくりと通過していく。校長が、
「訓練じゃなくて本当に避難をしたのは、校長先生は33年やってきて初めてのことです。」
なんて話を生徒にして、とにかく今日の6時間目は中止になり、生徒はすぐに帰すことになった。余震を警戒してしばらく校庭に待機し、その後教室に入るが、そのとたんかなり大きな余震がおそってきた。なんというバッドタイミング!校舎じゅうのガラス窓がガタガタ不気味な音を立てている。その後すぐに放課となり、教師は通学路のあっちこっちに散って下校指導をする。隣の小学校も授業が切り上げになったらしく、小学生と中学生が合わさって通学路は一時的にごった返している。その上、妙に自動車がいっぱい走っていて、俺が立っていた県道との交差点はとんだ混雑になってしまった。まあ、それも生徒があらかた通過してしまえば落ち着いて、その後校舎のチェックをして、特に被害がないことも確認されたところで15:45。校長室のテレビを見ると津波で自動車が木の葉のように翻弄されている場面が繰り返し放送されている。仙台の家内の実家を思うと気が気じゃないが、ケータイは全然つながらない。学校の電話は何かあるかも知れないし使うわけにいかんだろ。やきもきしつつもやることはなく、勤務時間終了と同時に帰宅しました。

テーマ:防災・命の尊さ - ジャンル:学校・教育

FC2Ad