最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

道徳の授業、どう乗り切ってるんだ、この人たち?

 10年ぐらい前の話だったか、ある先生(男:俺と同年代)が飲み会の時に酔って話していたことである。
いつものように担任していたある年の3月のこと。卒業式も終わって彼は3年生を卒業させ、自分の教室の後片付けをしていたのだった。様々なゴミとか掲示物の残骸とか生徒の忘れ物(というか意図的に置いていっちゃったもの)とかをかき集めて教室を掃除する。ちょっと寂しいけど新しい年への期待も感じられる作業である。
 ところがその時、前のロッカーの奥に、何やら気になるものが見つかったのだ。紙にくるまれたそれはなんと、梱包を解かれてないまんまの道徳の副読本(生徒の人数分)だったのである!つまり、4月に配布するはずのいわゆる「道徳の教科書」をクラスの生徒に渡さないまま1年たってしまい、そのまま彼らは卒業してしまった、ということなのだ。まさに前代未聞!彼はあまりの恥ずかしさに、他の教師に見つからないように、その梱包を解かないままの道徳の本の束をそっと家に持って帰り、ゴミの日に出したところ、何とそれは「回収できない」という紙が貼られたままゴミ置き場に残されてしまった、という。やむを得ず、彼は再びそれを家に持って帰り、梱包を解いて、毎回のゴミの日に数冊ずつ普通ゴミに混ぜ、何週間かかけてやっとの思いで処分した、と言っていた。
 そんなあきれた話、初めて聞いたぜ。 特にその話を聞いたときには、それまで新任でいた学校(文部省の指定研修とかで学校をあげて道徳の授業に取り組んでた)なんかでメチャメチャ道徳にはこだわって、というかこだわらされて暮らしていたもんだから、周りの先生なんかが大笑いする中、あきれ果てて聞いていたのを思い出す。彼はいったいどうやって1年間道徳の授業をやり過ごしたのだろうか、実は未だにどうしてもわからないところである。それに、うるさいことを言えば、道徳の本は厳密には「教科書」ではなく、あくまでも「副読本」である。つまり無償ではなく、学年集金の中から生徒(の家)が払っていることを考えれば、これはけっこうヤバい話でもある。

 これはまさに信じられない話だったのではあるが、その後もっと信じられないものを俺は目撃したのだ。件の話を聞いた1~2年後の4月のこと、俺は異動でいなくなったある先生(女)が昨年度使っていた教室をチェックしていたところ、見てしまったのである。梱包のままの道徳の本を。

 以上、誇張無しの実話である。それにしても、いったいこいつらどうやって道徳の授業やってたんだろう。自作資料とか、そういうのだけで1年間やれるものなのだろうか。俺には絶対無理なのだが?本当に謎が深まるばかりだ。
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テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

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