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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

「人権」と、思想の自由・言論の自由

夏休みの校内研修で委員会から指導者も来て、人権学習についてやった。男女共同参画に関する部分があって、その中で「ちがいのちがい」という資料をもとにグループで話し合いを行った。資料はいくつかの質問が書いてあって、それに各自答え、その後互いにその答えを見せ合ってグループでの結論を出す。例えば、「国会議員は圧倒的に男性が多く、女性が少ない」なんて質問が並んでいて、それにたいして、「あってもよいこと」「あってはいけないこと」「どちらでもよいこと」に分けろ、というのだ。要するに生徒にやらせる教材について、教員同士で事前にやってみる、という研修なのである。
で、まあ年齢もまちまちな男女のグループだから意見もまちまちではあったのだが(結論が正しいか間違いか、ということよりグループで話し合って意見をまとめる、という過程そのものが大事、というのがこのときの研修の意図だから、どうでもいいのだが)、こういうのってどうなのだろうか。
「かけっこで、男子が女子に負けたときには笑われたが、女子が男子に負けても笑われなかった」という質問では、全員が「あってはならない」。なぜかというと、「負けるのを嘲笑うことそのものがそもそもいけないことだから!」…?…なんだか本来の出題の意図とはズレてるかも、だな。
「学校では男子は男子用トイレを使い、女子は女子用トイレを使う」なんてのは、「あってはいけないこと」にしろ、と解釈しちゃって本当にいいのかな?若い先生なんかは「あってもいいこと」に何のためらいもなくしちゃうようだったが、俺たちぐらいから上の年寄り連中なんかは、そもそも学校のトイレは職員も含めて男女共用だった木造校舎の時代を知っている。それで何か不都合があった、という意識も俺なんかは特になかったが、そうでない人もいるだろうし、ちょっと質問に対するとらえ方にも温度差を感じる。
「商業用ポスターでは水着の女子の写真が多く使われる」なんてのは、年配の人も含めて女性の先生も「あってはいけないこと」とは思わなかったようだし。価値観はいろいろ、ということだな。生徒にやらせるとどういうことになるのだろうか。

 だが、「男女共同参画社会」が進行し、「男は仕事、女は育児」という固定観念が解体していったことにより、世の中では反動的な意見が「言いにくい」状態になりつつある、と、ふと思った。たとえば、少子高齢化を解消するには女性の社会進出を食い止めればいいだけのはずなのだが、現代日本でそんなことを声高に叫んだら狂人扱いされるのがオチだろう。
しかし、考えてみれば、「言論の自由」というのは憲法で保障されているわけだから、そういうことを言ったからって、なんにも後ろめたい思いをする必要はないはずなのだ。それなのに、実際のところ心の底にはエキセントリックなまでにアナクロニズムが渦巻いている俺なんかにしたって、やっぱりそんなこと人前で言うことはできない。人格が疑われちゃったらイヤだからな。結局、思うことは自由だが、発言することは意外と不自由なんだな~っと、そのとき思ったのだった。自分自身の思想信条を口に出して言うのも「人権」のウチなんだけどね。パラドックスってやつだな。
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テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育