最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

鉄道唱歌

 鎌倉の、鶴岡八幡宮の石段脇の大銀杏が倒れた、というニュースをやっていた。何でも樹齢1100年とか。すごい古木だったわけだ。中央部は腐って空洞になってしまい、ついに巨体を支えきれなくなったということだ。

 この銀杏は何と、鎌倉幕府の第3代将軍、源実朝が暗殺されたときにもそこに立っていて、しかも、その暗殺を主導した公暁がこの木の陰に隠れてみていたという言い伝えがある、由緒ある木なのだ。そして、それは、「鉄道唱歌」の中にも歌われている。

「八幡宮の石段に
 たてる一木の大銀杏
 別当公暁の隠れしと
 歴史にあるはこの陰よ」

 子供たちが小さかった頃に、一度おもしろ半分に「鉄道唱歌」を教え込もうとして、自分も歌詞を覚えようとしたことがある。結局、全部は覚えられなかったが(子供たちはほとんど覚えたが)、はじめの方の大船から横須賀線に乗り換えて、行った先のあたりなので、ここの一節はまだ覚えていた。
 その大銀杏がひっくり返った、というのは残念至極である。またまた歴史の一ページが現物のない文字だけのものになってしまったなあ、という感慨を持ったのでした。

 それにしても、「鉄道唱歌」はすごい。なにしろ、歌に乗せて、歴史も地理も風物詩もみんな織り交ぜ、しかも美しい七五調の文句は日本語教育にもまたとない教材である。これだけでも昔の子供たちがいろいろな科目の勉強に将来的に興味を持つこと請け合いで、まさに明治時代の教育者の、教育に対する情熱や子供への慈愛を結晶化したような一品といえる。そして、こんな歌をのんびり覚えながら授業を進めていくことができれば、これこそ「ゆとり教育」そのものではないか。
 「ユトリ」は今や(特に2チャンネルあたりで)差別用語にすらなっている現状ではあるが、本物のゆとりは昔の学校教育にこそ存在した、という証明になっているのが「鉄道唱歌」といえるんじゃないの?
スポンサーサイト

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

FC2Ad