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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

不世出のテノール歌手:K

 Kの歌声は言葉の真の意味でまさに絶品、パヴァロッティやカレーラスと並び称してもいいんじゃないか、と言っては贔屓の引き倒しかもしれないが、そのくらいすごい声と表現力を持った歌い手なのは間違いない。彼に比べれは、たとえばNHKの「ニューイヤーオペラコンサート」あたりに出演している歌手達なんか、言っちゃ悪いがゴミみたいなものだ。何回か聞いたレオンカバルロの「道化師」のカニオ(親方役)なんか、本当に鬼気迫る演技で、今でもそのすばらしい歌声を思い出す。
 ただ、かなりエキセントリックな行動が彼の人生の足を引っ張ったのは確かであろう。オペラのゲネプロで本気を出さなくて相方の歌手に憎まれるなんて序の口、会費を滞納して二期会をクビになったり、人妻に手を出して相手の旦那から訴えられそうになって海外に逃亡しちゃったり(その時にはオーディションを受けまくってドイツのどこだかのオペラ劇場と専属契約をするところまでいったらしい)、事もあろうに自分の師匠の彼女に手を出して大騒ぎになったなんて話もまことしやかに伝えられている(最後のはフィクションかもしれないが)。
 Kはいわゆる「呼び屋さん」としてもなかなかの才能を発揮している。かつては自分の留学時代の師匠であるジュゼッペ・ディ・ステファーノ(もう爺ちゃんだったが)をしょっちゅう日本に呼んじゃあリサイタルをさせたり、その前座に自分の弟子を歌わせたり(もちろん自分も歌っちゃったり)、最近ではオペラ演奏グループを組織してオペラ公演を立ち上げたり、というようなコンサートを企画して、ある意味盛んに活動しているのである。
 うちの家内は、ちょうど俺と結婚したころに、ある運命の出会いによってKとお近づきになり、一時は非常にかわいがられ、彼の企画するコンサートに出演するようになり、そのうちに弟子にしてもらって、学生時代には思いも寄らない高度な技術と表現力を身につけさせてもらった。実際、Kは声楽教師としても実に優れた腕を持っており、弟子も皆正しい方向にまっすぐ育っていくのである。また、様々な発声法の歪みにより喉を壊したり限界を感じて悩んでいたりする歌手なんかを立ち直らせるのも、彼の得意とするところである。
 だが、それから数年後に娘を妊ったことで、家内はそっちの方の演奏活動はひとまず休止せざるを得なくなったのであった。

 一方、俺の方はといえば、家内からの又聞きで自分の授業技術を研究し始めた結果、かなりの成果を上げてきたと言える。ステファーノの直伝という呼吸法を自分の吹奏楽部に試したことで、どうしようもないボロバンドが西関東大会出場までに育っちゃったのは実に驚きであったし、歌唱指導にしても褒められることはあってもその反対はないというところまでになった。手前味噌ではあるが、少なくとも市内音楽会なんかでは他の音楽教師が俺の学校の演奏をわざわざ注目して聴いてくれているのだ(って、どうって言うほどのことでもないか…)。だが、全ては家内を通してKが教えてくれた内容の受け売りであり、俺の手柄なんてこれっぽっちもないのである。俺にとっても、まさにそっちに足を向けては寝られない大恩ある先生なのだ。

 さて、歳月を重ねること幾星霜、その当の娘(ばかりか長男も)が何と声楽家を志すと言い出した。そこで数年前、音大を志望するわが子供達を俺は迷わずKに弟子入りさせたのである。Kは俺(と家内)の期待に違わない優れたボイストレーナーとしての腕を発揮し、わが子達はすくすくと上達し始めたのだ…が…。

2ヶ月ほど前から、子供達が、Kの弟子をやめたい、といいだしたのだ。聞けば、なにやら以前と雰囲気が違ってしまっているらしい。そう言えば昨年の彼(とその奥さん:ソプラノ歌手)の門下生の発表会では、なんだかおかしな発声で歌うのが多いなー、と気にはなっていたのだが、まあこっちもその方面じゃ専門家じゃないし、そんなモンかな~ぐらいのつもりでいたのだ。しかし、今回いろいろな話を聞いていくうちに、以前と違ってなんだか急に先生がカネにうるさくなった、レッスンなんかしょっちゅういれたって無駄だといっていたのに三日にあけずレッスンに呼ばれるようになった、など、確かに以前ならありえないことばかりを先生が言うようになったのである。そしてトドメが今月に入ってからの門下生の発表会。
「な、なんじゃこりゃ!」
と驚くしかない変な発声。どいつもこいつも男も女も高い音域でひっくり返るあきれたテクニック。いったいなんなんだ、この集団のていたらくは!
 子供達に聞くと、なにやらKのかつての女房に似たタイプの弟子が入って周囲が浮き足立ったとか、Kの(現在の)奥さんがmixiにはまってなんだか人格が変になり、門下生の会の中でKをご本尊として自分が教祖様、という新興宗教状態に陥ってしまっているとか、もちろん声楽指導上のテクニック面においても、ロクな話がない。

 結局、俺はKから離れたい、という子供達の意志に同意して、一緒に彼の家にお詫びかたがた別れの挨拶をしにいく羽目になった。その時のイヤな雰囲気というかやりとりは置いとくとして、それにしても残念なのはKの変節である。一言で言って、Kは年を取ったのだろう。かつて絶品だった彼の歌唱は、最近ではその片鱗が強く残ってはいるものの、やはり痛々しいのだ。彼は、二言目には
「長く歌い続けられることこそが正しい発声なのだ」
と言っているのだが、やはり寄る年波には勝てない。ほれぼれとするような張りのあるハイトーンはやはり若さやパワーのなせる技だ。いずれは無理になる。その時にはもっと味のある芸の方に少しずつシフトしなければならない。それは年輪というか経験に裏打ちされたものであり、少しも恥ずかしいものでないばかりか、いっそう輝きを増すものであるはずだ。彼はそういう境地にたどり着きそびれたのかも知れない。(そういえば、パヴァロッティも晩年はマイクの前で歌うようになってしまっていたが、やっぱり無惨、という感じがしたものだった。)

翻って俺も、気がついてみればもう天命を知る年齢を超え、やっぱり肉体的な衰えを明確に感じるようになった。時間割変更なんかで午前中に4時間連続で合唱の授業があるときなど、身の危険を感じるほど体を酷使している、という自覚がある。いつまでも
「俺についてこい」
で指導するのは不可能である。なにしろ、
「こういう声を出してね」
と言いながら見本を示す、つまり「歌って聞かせる」という最も基本的な作業に、たまに不自由を感じることがあるのだ、喉が嗄れていて。定年まで今のスタイルで授業を続けるのは無理かもしれない。だが、そうなったときに、いったい俺はどうやって授業の水準を保つのか。もちろん、俺よりヘタレな教師がいっぱいいることも知ってるし、それでもいいじゃないか、という考え方もある。だが、管理職(になること)なんかクソ食らえ、生涯一教師として生徒と共にある、と思い定めた人間としては、そういうのはちょっと、ねぇ…。
どうすりゃいいのかな、一体、という思いがかなり強烈によぎった、今回の個人的事件であった。
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テーマ:合唱・声楽 - ジャンル:音楽