最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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親の心、教師知らず

 相変わらず事件が頻発するわが学年。きのうは、休み時間に数人の男子のじゃれ合いから一人の生徒の目にパンチが入ってしまい、緊急に病院へかつぎ込む事態に。それも他の教員が手一杯だったこともあって、校長先生御自らハンドルを握る、という慌ただしさだ。
 まあ、やった方としては、何もぶっ飛ばして怪我をさせよう、と思っていたわけではなく、あくまでもふざけ合っていただけだ、という認識らしいのだが、実際にはやられたヤツは弱っちい子で、つまり寄ってたかってからかわれていた挙げ句の結末、ということになる。

 当然だが、親は怒り心頭に発し、怒髪天をつく、という有様である。その中で父親が発した言葉、
「そんな凶暴なヤツを何で学校は野放しにしておくんだ!!!」
という言葉は様々な意味で考えさせられる。
1:たとえ凶暴なヤツでもいじめっ子でも、首に縄つけて隔離して置くわけにはいかない。学校は警察じゃないし、警察だってそんなことようやらんでしょ?
2:「野放しにする」という言葉をそのまま受け取れば、第一に責任を問われるのは手を出した生徒の親にあるはずなのに、この親の怒りはなぜ学校に向けられてしまうのか?
3:野放し、という表現はともかくとして、何もまるっきり放ったらかしにしてあったわけじゃない。この、手を出した生徒は割とそういう傾向があったらしくて、担任も注意を払い、しばしば注意もしていた、というのだが、さてそれ以外にどんなことができるというのか。学校にいる間は一瞬たりとも目を離さず監視していなければけなかったのか?
4:では、そういう生徒(やその周辺)に対する日々の指導はどうだったのか?ひょっとすればもっとうまくやれたのかも知れない、と思えば、その点についてはやっぱり悔いが残るところだ。
5:ただ、たまたまではあるが手を出した生徒は2学期に入ってから転入してきた生徒で、それなりの働きかけが功を奏するには時間が足りなかった、という憾みはある。(実際、転入生がクラスの中で自分の位置を確定させていく過程の中で暴行事件を起こすことは多い:今回は関係ないが。)

 なにしろ、(ウチの息子もいじめられる側の生徒だったこともあるから)やられた保護者の気持ちは痛いほどわかるのだ。同時に、学校の教師の立場というか、できることとできないことの限界も(この生徒の担任の動きも端で見ていて)見えすぎるほど見えている。教師と保護者の越すに越えられない溝というか壁みたいなものを、今回あらためて見てしまった…。
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テーマ:学校での出来事 - ジャンル:学校・教育

こんな時代に教育をやれ、と言うんですか…

 久々に直球ド真ん中の学校バッシングだ。

服装、態度で22人不合格=成績は圏内-神奈川県立高

10月28日17時9分配信 時事通信

 神奈川県教育委員会は28日、県立神田高校(平塚市)で2004、05、07年度に行われた入学試験で、内申書、学力試験、面接の総合的な成績順位は合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装、態度などが悪く入学後の生徒指導が困難と判断した受験者22人を、選考基準に従わず不合格にしていたと発表した。
 県教委は、受験者、保護者の希望があれば入学させることも検討する。
 記者会見で渕野辰雄校長は、「先生方の生徒指導の負担軽減とまじめな子をとっていきたいという思いだけだった。大変申し訳なく思っている」と陳謝した。


何でこれがニュースになるの?
何で記者会見なんかして謝罪するの?
何で「何が悪い!」と開き直らないの?
何で校長がクビになるの?処分を決めたヤツらって正真正銘のキチガイじゃないか?
馬鹿な俺にはま~~~~っっっったく理解できません。(というのはもちろんウソだけど。あえてこう言う。)
 朝日新聞の3面記事にもでっかく出ていたけど、こういう、極めて常識としか言いようのない、当たり前の営みを、こうやってたっぷりの悪意を込めて大きく扱うことが、将来どれほど重大な結果を招くことになるのか、わかっててやっているのだろうか?朝日新聞(に限らずマスコミ)はどうしてここまでして日本の教育を腐らせようと努力しているのか。朝日新聞なんかはオギとか言う「教育評論家」のコメントを載せていたが、その内容がまぁ噴飯ものだ。「公立校こそ受け皿に」だってさ。俺は知らなかったんだけど、
公立高校というのは、つまりゴミためだった、ということかいな。
 しかも神奈川県教委は不合格になった猿どもを改めて受け入れる、と言う。ホンット馬鹿じゃねぇの?こんな、入試みたいな肝心の時でさえもそれなりの形を作れないような、カスの中でもとびきりのカスなんか、受け入れたところで、どうせすぐやめなきゃいけなくなるに決まってるじゃないか。しかもこの高校は偏差値39の底辺校。ただでさえトンでもない地獄だというのに、そこに最初っから教育効果の望めない奴らを受け入れろ、と?かわいそうに…ただでさえ忙しい教師達にまたまた余計な手間がおっかぶさる、ということだ。

 そして、このような報道の結果はてきめんに中学校の生徒指導に悪影響を及ぼす。バカ奴らが増長し、真面目に努力しようとする生徒達がいよいよ迷惑を蒙り、馬鹿を見る。1980年代の朝日新聞がやった「いま学校で」に代表される学校バッシングが、どれだけひどい教育荒廃を招き、モンスターペアレントを勇気づけたか、そういう反省はないのかね!

ほんとに、お願いだから俺たちにちゃんとした教育をさせてくれよ!正しいものを正しい、という正常な論理に茶々を入れて揶揄するようなキャンペーンを張るの、やめてくれよ!オマエらの子供だって、最終的に迷惑を蒙る人の仲間に入っちゃうことになるんだぞ!!

テーマ:高校受験 - ジャンル:学校・教育

イエスマンの作り方

 家内は在宅でピアノを教えている。まわりからは片手間仕事ぐらいに思われることが多く(そういう教師が多いから偏見も多いのだ:実際、何年もピアノを習っている、というふれこみの生徒で合唱祭の伴奏なんかをやらせてみてもその音楽性やテクニックに絶望することがしばしばあって、いったい何を教えてるんだ、と慨嘆したくなることも多い)、PTAの役員決めの時なんかには何かと風あたりが強くて困っていたが、まともにやろうと思えば、これはまさに「職業」なのである。

さて、家内は
「S…幼稚園の子供はどうしようもない、新しく来た子で、ウチの子はS…幼稚園、と親が誇らしげに言うのを聞くとため息が出る。」
と常々ぼやいている。その幼稚園はウチの近隣じゃ名の知れた「名門」で、しっかりした教育理念のもとに子供たちをしつけていて、園児は「いい子」ばっかり、親たちの評判もよく、入園するのも競争率が高くてけっこう大変だ、ということなのだが?
「S…幼稚園の子供たちは、自分で何かを考えようとしない。いつでも大人の顔色を見ることばっかり上手。自由な発想で自分の思ったような音を探そうとか、歌ってみようとかはせず、とにかく教師がヨシと言うかダメと言うか、ということにしか頭がいってない。曲を弾き終わった後に私の顔をのぞき込むようにして評価を気にするの、やめて欲しい!!」
「中には、ボク上手?なんて聞く子までいる(そういうのはこんこんと説諭しちゃう)。」
「あなたはどうしたいの?とか聞くとどうしていいかわからなくなって思考が停止しちゃう。」
そんな、小さい子供に要求することじゃない、と思うか?とんでもない。正常な脳みそを持った子供なら当然誰でもやってることじゃないか。
どういうやり方をしているのかは知らないが、要するにその幼稚園では、先生が「やりましょう」と言ったこと以外は、すなわち「やってはいけないこと」として園児たちにすり込まれるのであろう。これは教育理念としてそういう子供を育てようとしているのかも知れないし、ただ単に技術的な問題として(つまり指導者が子供に日々どう当たるか)あらわれていることなのかも知れないが、結果は同じことである。

一方、これも家内の話だが、それまで自由闊達に、楽しげにピアノを弾いていた子が、(たいてい小学校の4~5年生のあたりで)ある日を境に急に退屈なピアノを弾き始める。そういう現象が起こったときに、生活の変化について質問すると、決まって「塾に行き始めました」という返事が返って来るという。それが何度も繰り返されたこともあって、今や家内は、ピアノの弟子から
「アタシいついつから塾に通うことになったの…」
という話を聞くと内心ため息をつきたくなるという。
塾に関しては、たとえば「(これはある私立校の先生:元やり手の塾講師からの又聞きだが)取りあえず偏差値を高めるために、答えを導き出す方法のみに特化して余計なことを省き、というかさせずに、能率一辺倒に進めていく」ような学習をすることによって、かえって「考える力」や「感じる心」を抑制する方向に進んじゃう、という現象が起こるのかも知れない。ま、憶測の域を出ないけどね。しかし、「塾に通う」というただそれだけのことが一人の人間の情操を奪う(というのはいいすぎかもしれないが、ある種の阻害をする、とはいえるかも)というのは空恐ろしいことだ。もちろん、全てがそうではない、とは思うが、少なくともウチの近辺ではそういう塾が多いのかも知れない。
今や子供の生活と塾とは切っても切り離せない関係にあるんだから、塾を選ぶというのも、周りの評判や進学実績だけを判断基準のすべてにはしない方がよさそうではある。(幼稚園もまた同様。)

そしてここからが肝心なところなのだが、俺自身の現在の行動パターンに、自分の幼児体験とか小学校時代、特に3~4年生ぐらいまでの経験なんかが色濃く反映されているんじゃないか、と思い当たる出来事がこれまで数多くあったように思う。それも「行動が抑制される」という方向に。ま、俺はニブい人間だから、けっこう後になって
「あのときああできなかったのは、いついつの誰それのあの一言のせいで…」
なんて思い悩んでいたりするわけだ。そんなウジウジしてる野郎なんてそうそういやしない、といわれればそうなのかも知れないが、もしそれがけっこう普遍的なパターンだったりすれば、あまりのんきな話ではなくなってしまうであろう。つまり、
「イエスマンはこうして生産されてゆく」ということかな。あまりにもいろいろな方面から、たくさんの「心理的抑制」が後天的にすり込まれていってしまっては、もはや「躾」というプラスの面を超越して、つまらない人間がいっぱいできてしまうんじゃないか、と思うと、なんだか暗澹たる気分になってしまうのだが?

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育

生徒を売る

 中学校や高校で、生徒が何かの問題で警察のご厄介になっちゃったりすることがある。外でやらかしたなら有無を言わさずしょっ引かれるからいいが、学校内で、たとえば先生をぶっ飛ばして怪我をさせた、とかしたときに警察が介入したりすると、
「学校は生徒を売るのか!」
みたいな言いがかりをつけてくる親とか周辺が未だにいるらしい。全くの時代錯誤と言うべきだな。学校が生徒を簡単に「売る」ようになっちまったのも、元はといえばそういう連中の仕業だというのに。

 だいたい、想像してもらいたいのだが、一口に生徒といってもガタイは俺たちなんかよりよほどでかくて体力だってあるのもいっぱいいる。そんなのがクラスに40人もいて、そいつらが一斉に何かしだしたときに、それを教師一人で止められるものなのかどうか。絶対に無理である。向こうがその気になって来られたら、相手が数人でもとても太刀打ちなんかできるものではない。うっかり「体を張って」なんてイキがったりすればただではすまないこともしょっちゅうであろう。それが取りあえず何事もなく授業ができているのも、実は生徒が教師に協力しているから、という見方もできる。協力する代わりに教師は生徒に「知識」を与え、互いに良好な人間関係が成立する、というわけだな。教師(学校)に対してこんちくしょうと思っている奴も、取りあえずまわりの真面目な奴らに遠慮しておとなしくしているわけだ。

 だが、そんな関係が崩れてしまったとき、学校は全くの無法地帯となってしまう。特に昨今は超個人主義の時代。自分が気に入らなければまわりなんか関係ない。昔と違って今のバカ連中は真面目な生徒の迷惑も顧みず、授業を妨害し、ものを破壊し、教師を挑発する。さらに「フツーの生徒」までが「キレる」という現象を起こしてのっぴきならない事件を起こしたりする。そしてもし、勢い余って制止に入った教師や周囲の生徒に怪我をさせたりすれば、現代では立件必至である。被害者が病院で治療しても、暴行による怪我ならば保険診療にはしてもらえないから、莫大な治療費の出所をめぐって揉めることになるからな。病院もそういう怪我はすぐに警察に通報してしまう。当然そのスジの調べが入るが、そこで問題の
「学校は生徒を売るのか」
という茶々が入る。本当にもう、あたりめぇじゃねぇか!黙っててくれよな!という話なのだが。
とにかく、以前にも書いたとおり、基本的に体罰のない世界で荒くれを律していくのに、言葉なんか屁の突っ張りにもならない。教師が毅然とした態度を取れないでグズグズしているうちにバカどもはどんどん学校をナメるようになっていき、いよいよ手のつけようがなくなる。そういうのが無法の限りを尽くし始めたとき、学校は学校としての機能を失ってしまう。しかも、そういうのの旗振り役になる生徒というのは、その保護者も大概はメチャメチャな奴らだ。こっちがいろいろ手を尽くそうとしても、生徒たちはその裏をかこうとするし、親どもは口先だけ申し訳なさそうな顔をして知らんぷりするか、逆ギレして
「お前ら(学校の教師)のやり方が悪いんだ!」
とか理不尽なイチャモンをつけて騒ぎ出す。
 そりゃ~こっちは全然悪くない、ということはたいていの場合ないのは確かだが、結局、手も足も出なくなった学校が「器物損壊」「威力業務妨害」「暴行障害」という名目で他の機関(たとえば警察)との連携をとらざるを得なくなる。ガキどもの「荒ぶる魂」を鎮める手段は、とにかくないんだから。それを「生徒を売った」といわれても、ねぇ。なんといっても、放っとけば授業が成り立たず、他の真面目な生徒たちが甚大な損害(といっても目に見えるものでないだけに厄介だ)を受けることになるしね。

 考えてみれば昔から「売った」と一言で言うけど、何も警察から学校に金が支払われるわけではない(当たり前か)。「悪魔に魂を売る」という感覚の言葉の使い方かな。言い換えれば「(その当該の)生徒を教育する使命を放棄する」ということなのであろう。だが、本当にそうであろうか。学校の教師ができることなんて限られている。劣悪な家庭環境の生徒がいたとしてもどうしてやることもできないし、親がどれほどエキセントリックでも相手は大人だからそれを矯正するなんてできるわけない。そんな中で成長してきた生徒たちの行動は度し難いし、彼らの心に踏み込んでいったって徒労に終わるのが関の山だ。
 名医の条件の一つは、患者の症状が自分で手に負えるか負えないかを的確に判断できることだ、ともいわれるが、それはどんな職業においても、もちろん教育現場であっても、当てはまるはずだ。全く手に負えない悪タレの教育をそれなりの機関にゆだねて何が悪いのか、考え直して欲しいものだな。

テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

不世出のテノール歌手:K

 Kの歌声は言葉の真の意味でまさに絶品、パヴァロッティやカレーラスと並び称してもいいんじゃないか、と言っては贔屓の引き倒しかもしれないが、そのくらいすごい声と表現力を持った歌い手なのは間違いない。彼に比べれは、たとえばNHKの「ニューイヤーオペラコンサート」あたりに出演している歌手達なんか、言っちゃ悪いがゴミみたいなものだ。何回か聞いたレオンカバルロの「道化師」のカニオ(親方役)なんか、本当に鬼気迫る演技で、今でもそのすばらしい歌声を思い出す。
 ただ、かなりエキセントリックな行動が彼の人生の足を引っ張ったのは確かであろう。オペラのゲネプロで本気を出さなくて相方の歌手に憎まれるなんて序の口、会費を滞納して二期会をクビになったり、人妻に手を出して相手の旦那から訴えられそうになって海外に逃亡しちゃったり(その時にはオーディションを受けまくってドイツのどこだかのオペラ劇場と専属契約をするところまでいったらしい)、事もあろうに自分の師匠の彼女に手を出して大騒ぎになったなんて話もまことしやかに伝えられている(最後のはフィクションかもしれないが)。
 Kはいわゆる「呼び屋さん」としてもなかなかの才能を発揮している。かつては自分の留学時代の師匠であるジュゼッペ・ディ・ステファーノ(もう爺ちゃんだったが)をしょっちゅう日本に呼んじゃあリサイタルをさせたり、その前座に自分の弟子を歌わせたり(もちろん自分も歌っちゃったり)、最近ではオペラ演奏グループを組織してオペラ公演を立ち上げたり、というようなコンサートを企画して、ある意味盛んに活動しているのである。
 うちの家内は、ちょうど俺と結婚したころに、ある運命の出会いによってKとお近づきになり、一時は非常にかわいがられ、彼の企画するコンサートに出演するようになり、そのうちに弟子にしてもらって、学生時代には思いも寄らない高度な技術と表現力を身につけさせてもらった。実際、Kは声楽教師としても実に優れた腕を持っており、弟子も皆正しい方向にまっすぐ育っていくのである。また、様々な発声法の歪みにより喉を壊したり限界を感じて悩んでいたりする歌手なんかを立ち直らせるのも、彼の得意とするところである。
 だが、それから数年後に娘を妊ったことで、家内はそっちの方の演奏活動はひとまず休止せざるを得なくなったのであった。

 一方、俺の方はといえば、家内からの又聞きで自分の授業技術を研究し始めた結果、かなりの成果を上げてきたと言える。ステファーノの直伝という呼吸法を自分の吹奏楽部に試したことで、どうしようもないボロバンドが西関東大会出場までに育っちゃったのは実に驚きであったし、歌唱指導にしても褒められることはあってもその反対はないというところまでになった。手前味噌ではあるが、少なくとも市内音楽会なんかでは他の音楽教師が俺の学校の演奏をわざわざ注目して聴いてくれているのだ(って、どうって言うほどのことでもないか…)。だが、全ては家内を通してKが教えてくれた内容の受け売りであり、俺の手柄なんてこれっぽっちもないのである。俺にとっても、まさにそっちに足を向けては寝られない大恩ある先生なのだ。

 さて、歳月を重ねること幾星霜、その当の娘(ばかりか長男も)が何と声楽家を志すと言い出した。そこで数年前、音大を志望するわが子供達を俺は迷わずKに弟子入りさせたのである。Kは俺(と家内)の期待に違わない優れたボイストレーナーとしての腕を発揮し、わが子達はすくすくと上達し始めたのだ…が…。

2ヶ月ほど前から、子供達が、Kの弟子をやめたい、といいだしたのだ。聞けば、なにやら以前と雰囲気が違ってしまっているらしい。そう言えば昨年の彼(とその奥さん:ソプラノ歌手)の門下生の発表会では、なんだかおかしな発声で歌うのが多いなー、と気にはなっていたのだが、まあこっちもその方面じゃ専門家じゃないし、そんなモンかな~ぐらいのつもりでいたのだ。しかし、今回いろいろな話を聞いていくうちに、以前と違ってなんだか急に先生がカネにうるさくなった、レッスンなんかしょっちゅういれたって無駄だといっていたのに三日にあけずレッスンに呼ばれるようになった、など、確かに以前ならありえないことばかりを先生が言うようになったのである。そしてトドメが今月に入ってからの門下生の発表会。
「な、なんじゃこりゃ!」
と驚くしかない変な発声。どいつもこいつも男も女も高い音域でひっくり返るあきれたテクニック。いったいなんなんだ、この集団のていたらくは!
 子供達に聞くと、なにやらKのかつての女房に似たタイプの弟子が入って周囲が浮き足立ったとか、Kの(現在の)奥さんがmixiにはまってなんだか人格が変になり、門下生の会の中でKをご本尊として自分が教祖様、という新興宗教状態に陥ってしまっているとか、もちろん声楽指導上のテクニック面においても、ロクな話がない。

 結局、俺はKから離れたい、という子供達の意志に同意して、一緒に彼の家にお詫びかたがた別れの挨拶をしにいく羽目になった。その時のイヤな雰囲気というかやりとりは置いとくとして、それにしても残念なのはKの変節である。一言で言って、Kは年を取ったのだろう。かつて絶品だった彼の歌唱は、最近ではその片鱗が強く残ってはいるものの、やはり痛々しいのだ。彼は、二言目には
「長く歌い続けられることこそが正しい発声なのだ」
と言っているのだが、やはり寄る年波には勝てない。ほれぼれとするような張りのあるハイトーンはやはり若さやパワーのなせる技だ。いずれは無理になる。その時にはもっと味のある芸の方に少しずつシフトしなければならない。それは年輪というか経験に裏打ちされたものであり、少しも恥ずかしいものでないばかりか、いっそう輝きを増すものであるはずだ。彼はそういう境地にたどり着きそびれたのかも知れない。(そういえば、パヴァロッティも晩年はマイクの前で歌うようになってしまっていたが、やっぱり無惨、という感じがしたものだった。)

翻って俺も、気がついてみればもう天命を知る年齢を超え、やっぱり肉体的な衰えを明確に感じるようになった。時間割変更なんかで午前中に4時間連続で合唱の授業があるときなど、身の危険を感じるほど体を酷使している、という自覚がある。いつまでも
「俺についてこい」
で指導するのは不可能である。なにしろ、
「こういう声を出してね」
と言いながら見本を示す、つまり「歌って聞かせる」という最も基本的な作業に、たまに不自由を感じることがあるのだ、喉が嗄れていて。定年まで今のスタイルで授業を続けるのは無理かもしれない。だが、そうなったときに、いったい俺はどうやって授業の水準を保つのか。もちろん、俺よりヘタレな教師がいっぱいいることも知ってるし、それでもいいじゃないか、という考え方もある。だが、管理職(になること)なんかクソ食らえ、生涯一教師として生徒と共にある、と思い定めた人間としては、そういうのはちょっと、ねぇ…。
どうすりゃいいのかな、一体、という思いがかなり強烈によぎった、今回の個人的事件であった。

テーマ:合唱・声楽 - ジャンル:音楽

合唱祭:各クラスの完成度

 もうすぐ合唱祭だ。本番は24日だから、もう2週間を切ってしまった。それなのに、以下の通り、こんなに各クラスでの進捗状況は大きなバラツキ。これをどうにかどこも伯仲してる、という状態にしなければならないのだが、さすがに今年はへこたれそうだ。でもがんばらねば。生徒だってがんばってる。その気持ちを形にしてやらなければならない。

1の1:OK。
女子の声がかなり浅かったが、けっこう深くなってきた。といっても他のクラスとはちょっと差があるかも。男の声もまとまってきたぞ。

1の2:OK。
女子の声がちょっと喉で押すので、押しつけがましい感じだ。男の声はもともとまとまっているので心配ない。自由曲の伴奏者は2学期に入ってから右手の小指を骨折し、どうなるかと思ったら、何と4本指で弾いているのだ。まさに神技。

1の3:OK。
このクラスの女子の発声は非常によろしい。学年主任も、「この学年の宝だ」といってくれているほどだ。男子は声変わりしてないヤツが半分以上で、とっちらかっているが、それでも以前に比べればなんとかなってきた。残りの半分が少し自覚を持って声をそろえようとしてきたみたいである。課題曲のピアニストがなんだかポケラ~ッとした子で、テンポがなんだかとりとめない感じになっちゃうのであるが…。

1の4:OK。
このクラスは授業がやりにくい。男の半分ぐらいがなんだか夜中に化けちゃったグレムリンみたいな連中ばっかりで全然落ち着かず、おしゃべりはもちろん、互いにつつき合ったりからかったりで、事が先に進まない。だが、曲の方はどうにかなるでしょ。女子の声量が少ないかもしれない。おとなしいのが多いのだ。

2の1:出たとこ勝負。
みんながちゃんとやればどうにかなるかもしれない、というところか。とにかく男に多動分子が多いクラスで、そいつらが全員テノールなのだ。授業は面倒なことこの上ないが、パート練習で手を入れている限りはそのテノールの面々も一応ちゃんとやっているからな。テノール連中のその日の気分次第、というところか。女子は平べったくて高音が厳しかったが少ーし改善された。

2の2:メチャやばい。
半数近い男がとっちらかっていて、演奏のための整列どころかそもそもまっすぐ立ち続けられない。遊ぶわ、しゃべるわ、喧嘩するわ、で収拾がつかない。そもそも授業が月曜日に組まれていて、2学期からの授業は半分以上潰れてしまったのだ。担任の女教師は
「ちゃんとやらない生徒は本番に出させないわ!」
と毅然とした態度で月初めから教室にキーボードを持ち込んで女子の音取りに手を入れ始め、その後やっとのことで混声三部合唱をでっち上げた。だが、バカ連中は一体どうなるのか。水曜日の体育館練習でも、「体育館はボール遊びをするところ」と強く強く思い定めている山猿が5匹も6匹もいて全く手に負えなかった。コイツらには体罰以外につける薬はないのだ、つまり現代の中学校では放っておくしか方法はない。

2の3:マジやばい。
こっちも授業が月曜日で、ほとんど手が入ってない。そもそも授業の中でパート練習に終始するうちに今になっちまった。それなのに、クラスのまとまりはゼロ。先週なんか、指揮をやる、といっていた男子が、半分ノリで言っていたことが発覚してクビにせざるをえなくなる、というとんでもない状況。常日頃日和見主義の担任もさすがにヤバイと思ったのか、何かと手を入れ始めたようだ。木曜日の音楽室練習では取りあえず並んで合唱を始めたが、とてもじゃないが形になってない!!アルトも男も一緒になっちゃうと音がとれないのだ。やっぱり日頃の態度がすべて現れるなぁ…。

2の4:本当にやばい。
ここは男子にアスペルガーが二人もいて、その子達がそれぞれに授業を妨害し、男子は崩壊状態。それでもなんとか音取りをしたのだが、合わせてみて仰天、やっぱりとっちらかって集中力ゼロ。どうにか静めて演奏させても演奏の体をなさない。ふざけて叫ぶヤツはいるし、まるで喧噪の中だ。おまけに、女子のパート分けを失敗し、ソプラノが声が出ない。というわけで木曜日に急遽パート分けのやり直しだ。担任も心配するがやむを得ない、このままやるよりはよかろう。金曜日の放課後練習では、こっちは見ていなかったのだが、なんだかそれなりに本人達が満足できる練習ができたらしくって、女子が喜んでいた。でも、実際のところはどうなのか。指揮者は全然自信のない男だし、ピアニストも本番に弱い、と評判の男子である。

2の5:やばい。
担任は学年の生徒指導担当、男子に散らかったヤツが数人いるのだが、どうにか押さえてきた。そいつらがちゃんとやれば形になるはずである。だが、まともな男連中は全然パワーがない。ヘタをすれば男声は聞こえなくなるであろう。女子の方は、吹奏楽部が多く、音取りはOK。

3の1:どうにか形に
課題曲はOK。自由曲はピアニストの男がワケわかってなくてメチャメチャに速かったりしてけっこう笑えるが笑ってる場合じゃない。音はまだあんまりとれてない。特にアルトが壊滅。女子の声は平べったくて感心しない。ソプラノは発声が悪くて課題曲の最高音が出せない。男子の声は柔らかい、といえば聞こえはいいが要するにパワー不足。3年男子はどこも似たようなものである。

3の2:やばい
授業が潰れたりが多かったのに、自由曲が難しい。音取りはほとんど自分たちで放課後とかにやらざるをえなかった。ピアニストの男はまだ弾けてない。というかパワーがない。テクニックはあるのだが、サボってばかりなのだ。その上、指揮者が、何でこいつが、というようなとろいヤツで、これではアインザッツもへったくれもない。担任に指揮者のすげ替えを強く申し入れたが、それができなければ演奏はほぼ不可能であろう。女子の声はぶっつぶれていて聴けたモンじゃなかったが、最近はどうにか響いてきた。

3の3:OK。
このクラスは担任の人柄を受けたのか陽気なのが多く、素直に練習をした結果、男子も女子も発声がかなり上達した。曲もあまり難易度が高くなかったこともあって、現時点では3年で唯一完成に近づいているクラスだ。

3の4:実にやばい。
自由曲のピアニストが夏休み前に2人候補者がいたのに、二人とももう片方がやるであろう、と思いこんでいて練習してなくて、しかもそれが事もあろうに10月になって発覚したのだ。けっこう厄介なピアノなのでもう無理だということで、急遽自由曲の差し替えをせねばならなくなった!こんな大事件、初めてである。で、大至急音取り中である。ピアノが間に合わないかもしれない(というよりハッキリ言って絶望的)が、生徒達が、アカペラじゃ絶対にやだ、と言うんだからどうしようもない。運を天に任せるしかない。女子の声は薄い。手を入れなければ話にならないのだが、それどころではなくなってしまった。可哀想なのは一緒に演奏に参加する特別支援学級の生徒である。かなり早くからコツコツと音取りに励んできたのに、急な曲目変更に彼は対応できるのか。担当教師も頭を抱えている。

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中学生と「合唱」との関係

 中学校の合唱祭(うちの学校では「校内音楽会」)で最近よく歌われる曲に「COSMOS」というのがある。歌詞は

夏の草原に 銀河は高く歌う
胸に手を当てて 風を感じる
君のぬくもりは 宇宙が燃えていた
遠い時代の名残 君は宇宙
百億年の歴史が 今も体に流れてる
光の声が 空高く聞こえる
君も星だよ みんなみんな

みたいな感じかな。これが今年のうちの学校の2年生の課題曲なのだ。

 さて、もうすぐ合唱祭だ。合唱祭に臨むに当たって、雰囲気を盛り上げてもらおう。まずはクラス合唱の曲をイメージしたポスターをクラスごとに描いてもらおうか。ということで、一週間ほど前に実行委員に委嘱したらけっこう完成して持ってきた。
 だが、2年生の「COSMOS」のポスターを見て俺は愕然とした。何と、5クラス中3クラスのポスターが、秋桜をデザインしたものだったのである。目の前が真っ暗になるって、軽くこんな感じかな。何でこの歌詞で秋桜?何でお花畑になっちゃうの???!
 だいたい、代々の2年とか3年が歌って、生徒が好きな歌だし、みんな知ってるだろう、と思って歌詞について何も確認していないこっちが悪かったのかも知れないが、それにしても何でこんなことになるのか…本当にトホホである。
 しかも、3年生の中には自分たちのクラスのポスターを描くに当たって、やはり「秋」のイメージを出すのに秋桜の絵を使いたかったのに、
「2年のバカが勘違いしたせいでこっちが秋桜のイメージを使えなくなった!」とか激怒してる奴はいるし。何なのこの学校?

それにしても中学生って…である。こんなにまで歌詞の意味を何も考えず、感じずに歌というものを歌えるものなのであろうか。それとも、歌の歌詞って、単なる記号なの?そもそも最近の歌は、歌詞の内容なんかどうでもいいのか?「ラップ」みたいな貧しい音楽(とはとても言えないもの)なんかもどんどん日本に入ってきているし。本当に、美輪明宏もいつか言ってた如く、この国の文化はウンコにまみれているのか?もしそうなら、そんな文化にどっぷり染まって成長する子供達は本当に惨めなものだ。歌は情操を育てる重要アイテムだ。もっと国民全体で「美しい」音楽を大事に出来ないものかね。

テーマ:中学校生活 - ジャンル:学校・教育

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