最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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小学生が転落死…にちなむ話

 残念なことである。どこかの小学校で、屋上の天窓を突き破って小学生が転落し、死亡した。最初の報道では、その児童が天窓に寄りかかっていただけだ、といっていたが、後から、どうもその天窓の上で飛び跳ねていたらしい、ということもわかってきた。相も変わらずマスコミというものは、学校を悪者に仕立て上げたいモーメントが本能的に働くようだな。

 それはともかく、実はこの俺もかつて生徒を転落死させそうになったことがある。
もうずいぶん前のことになるが、その頃入学したての1年生の担任であった俺は、ある学活の時間に「校内探検」というのをやっていた。とは言っても小さい校舎なので、そうそう回るところもなく、すぐ終わってしまうのだ。そこで、生徒にせがまれるまま、普段は鍵のかかっている屋上に出てみよう、ということになった。で、職員室から鍵を持ち出し、生徒と一緒に4階の踊り場からさらに屋上へ…。
 だが、実はこの屋上は、何かの保守点検で業者などが入る以外は人の立ち入りが禁止されていた。そして、立ち入り禁止が前提だから、というスゴイ理由で周囲には柵もない、という驚くべき屋上だったのだ。俺はそれを知っていたので、生徒には事前に、
「危険だから絶対に走るな。絶対に建物の縁の方には近寄るな」と指示を出しておいた。
だが!
とんでもない落とし穴があったのだ。その校舎は新しい部分が増築され、旧校舎との間を廊下でつないでいる部分があったのだ。俺は新校舎の方に興味があって、廊下部分の屋上を伝ってそっちの屋上に至っていたのだが、数人の女子生徒がつい、俺のいる方へ走ってきてしまったのだ。
「うわー!」という驚きの声が上がって振り返った俺は、まさに心臓が口から飛び出るかと思うほど仰天した。彼女たちは、まっすぐ俺のいる方角に向かって走ってきて、回廊部分ではない、旧校舎と新校舎の間にできた奈落の底のような部分の縁の、断崖絶壁の直前で棒立ちになっていた。あと一歩!という危ういところで、彼女たちは立ち止まり、4階建ての屋上から真っ逆さま、という運命を免れたのであった。
「うわー、すごい危なかったよ~!!」と無邪気に笑う生徒。凍りつく俺。


 後で、先頭を走ってきた女子(頭脳明晰明朗活発を絵に描いたような学級委員でその後ソフトボール部のキャプテンになった:もう30代であろうか)に聞いたら、なぜそこで立ち止まったのか、自分でもわからない、と言っていた。本当に危なかった。あれで一人でもあそこから落ちていたらいったいどういうことになったであろう、と思うと今でもまさに、背中の毛が逆立つような気がする。俺は、この一件についてはあまりにも恐ろしくて管理職はもちろん誰にも言うこともできず、今まで黙っていたのだが、とにかく、安全に関して決められていることはやっぱり墨守しなければならない、というのだけは肝に銘じた。もちろん、その後は生徒になんと言われようが屋上に出たり、そのほか危険なことは決してさせないように目を配っているつもりである。

 その後俺は倅どものからみでボーイスカウトのリーダーもやっていたりしたのだが、その時に繰り返し強調されていた言葉、
「安全はすべてに優先する」
というのはまさしく至言である。今回のような悲しむべき事件が起こるたびに、俺はこの言葉をかみしめるのだ。
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テーマ:学校での出来事 - ジャンル:学校・教育

管理職試験受験顛末記(古いけど)

 皆さん、想像してみてほしい。どんな問題が出ても答えはすべて同じ、という試験なんて、あるものだろうか。まるで禅問答か、哲学かそれとも宇宙の真理のことでも言っているのか?
 いや、違う。小中学校の管理職試験の論文こそが、そういう試験なのだ。

俺は10年近く前になるが、1度だけその「管理職試験」というものを受験した。その頃勤務していた学校は結構大きかったので、他にも2~3人以前から受け続けている人もいて、まあ一緒に勉強しましょう、みたいな感じになった。いざ受けるとなると、校長に呼ばれて、
「まあ、1年目は顔見世だね。2~3年でうまくアピールしていけばいずれは合格できるでしょう。でも、この頃はあまり合格者を出さないようになってしまっているんだよ。何しろ、一時合格者をたくさん出しちゃったせいで、名簿搭載者がたくさん余っちゃってね。(つまり資格ができているにもかかわらず)5年も6年も教頭や指導主事への昇進を待たせている状況なんだ。(ちなみにそれらの人の「残酷物語」についてそのうち紹介するのもいいかもしれない)そういうのがかわいそうだから、というので、この頃は合格者を絞っているというわけだ。ちなみにウチの市から去年は120何名受験して合格したのは9人。」なんて話をされた。俺はもうその時点でほぼやる気なし。でも言い出しちまった以上は降りるわけにもいくまい。
そうこうするうちに、なんだか「夜の勉強会」というものがあるらしい。力のある校長なんかは自分のところの受験者を呼んで勉強会を開催する。そういう恩恵にあずかれない連中が集まってやってるのかな?主催者が誰だかもよくわからない会だが、何しろ公民館の一室を借り切って、あっちこっちの指導主事だとか校長教頭がずらっと前に並び、大勢集まった受験者の論文の添削をするのである。部活も終わって生徒も帰した野郎どもが集まってきた夜7時、勉強会は開始された。取りあえずその日は最初なので、その場でお題を出してもらって論文を書き、その場で添削してもらうというわけだ。俺は周りの受験生よりもさっぱり筆が進まず、すでにコイツは終わってる、という扱いであった。結局ある指導主事が俺の論文を持ち帰り、添削したやつをあとで送ってくれるということになったのも照れくさいではないか。しかもその指導主事が、(偶然なのかどうか)俺の面倒見ている吹奏楽部の生徒の父親、というのものっぴきならないヤバさを感じる。

さて、その論文であるが…。何本か実際に論文を書き、何冊かの論文研究の本を見た結果、俺はすっかりバカバカしくなってしまった。とにかくどんな問題が出ても、答えは決まっているのだ。違う答えを書いてはだめだ。その答えとは
職員の研修を計画的に行って啓蒙を進め、
地域の協力を得て学校の特色を生かした活動をし、
保護者の理解と協力を得られるよう様々な方策をとり、

という3つのことを書き、最後に絶対忘れてはいけない一言、それを「校長先生のご指示のもとに」進めていく、というものである。どんな質問もこれでOK。こんな試験では受験生の間に差なんかできるわけないし、ということはコネ以外に合格する見込みなんかないではないか。

「コネばかりじゃありませんよ、何年か前に一人、何の某さんが全くの論文の成績だけで合格しました。」なんてまことしやかにいうお方もいらっしゃる。(ふざけんじゃね~よ!)
だが、その一方で、誰それ校長の娘と結婚、とか、誰それ校長の勤務してる学校に異動希望を出してついていく、なんていう露骨な奴がいるのも現実らしい。しかるに俺と来た日は、生まれつきお追従なんか馬鹿臭いと感じて白けちまうタチで、上役の太鼓持ちなんて全然柄じゃない。その上酒が弱く、宴会なんか大嫌いで座を取り持つなんて根っから苦手ときているのだ。なんだか勝ち目のない戦に首をつっこんだ、というのがわかってしまったぞ…と。

結局、俺はその後の勉強会にもほとんど参加せず、論文もその時書いたほかに1~2本書いたか書かないかで、教頭試験に臨むこととなった。夏休みのお盆明け。初日は論文であったが、なんだか体調が優れなかった。とんでもなかったのは二日目。朝起きた瞬間から激しい頭痛。うわ、これは…と思いながらも、何しろ会場の中学校へ出発だ。その学校は航空自衛隊の基地のそばなので校舎が全館冷房なのだが、それもなんだか体にツライ。面接の順番を待つ間に俺はうっかりうとうとしてしまい、面接室の廊下でスタンバイしなければならない時間帯に遅れてしまったのである。終わったね。しかも、一番苦手な、
「あなたはなぜ管理職試験に応募したのか」という質問に対する答えを混ぜ込んだ自己紹介一分間、という難関がある。だいたい俺が受験しようと思ったというのは…。その頃俺は、当時一緒に働いていた周囲の同僚職員があまりにもバカでウンザリしてしまっていた。頭は悪いし、怠け者だし、こんなんではおそらく一般企業とかでやっていける奴なんてありえないし!そして、なぜこの俺様がこんな奴らと一緒の給料に甘んじなければいけないのか、とマジメに憤慨していた。もともとデモシカだしね、別に「この難題山積の教育界にあって、このワタクシの理想は…」なんて大上段に振りかぶる気はさらさらないし。まあそれしか動機がないんだから困ったことである。ウソで塗り固めるしかないヤバさ満点の自己紹介を、こんな状況で冷静にやれるわけないじゃん?当然、さんざんな目にあった。もちろん一撃で不合格でした。

要するに、オマエは管理職なんかやるなよ、という天の配剤、と思うことにした。指折り数えてみれば、その年俺は42歳、合格する頃には46~7歳、実際に教頭になれるのは50過ぎ。そして1~2校経験してさらに校長試験に臨み、うまくいけば定年前の数年間、どこかの校長をさせてもらえるかも、という教員人生の残りの期間を思い描いてみて、(しかもそれはうまくいった場合だ、駄目だったらどうなる?)、家内とも相談した結果、たかがそれだけのことに血道を上げて部活もできずやりたいこともできずいいたいことも言えず、心にもない言動をとらされてストレスをためた上に周りの同僚からもうるさがられ煙たがられ、四六時中校長教頭の顔色を見つつご機嫌を伺い、合格するまではもちろん合格してからも実際に昇格するまで何年も何年も、人格をも犠牲にして我慢に我慢を重ねながら仕事をするなんてバカバカしすぎる、犠牲が大きすぎる、ということになった。

ま、そんなわけで、俺は管理職にはならずに今でもただの兵隊をやっているわけだ。


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