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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

ある「不親切」

 今朝は中間試験で部活の朝練習もないので、職員も多少早めに出勤し「登校指導」があった。朝の職集がある関係で、全員それぞれの校門に散る。といっても校門の数なんて知れているから、一カ所に職員が10人ぐらい並ぶ。PTAの挨拶運動も重なったので保護者も校門前に2~3人いる。校門の両サイドにズラッと並んで、まるで「生徒様のご登校をお出迎えする」といった風情だな。

 それで思い出したのが、娘が私立中受験をした時の、受験校の入り口前に並んだ「塾の先生」の人垣だ。場所によっては、生徒昇降口の前にまで陣取って、
「がんばれよ!」
「おはようっ!」
と口々に声をかける。あくまで家庭学習を貫き、塾の世話にはならなかったウチの娘なんかは、これら大勢の大人たちから露骨にシカトされて嫌な雰囲気ではあった。だが、塾と二人三脚でがんばってきた「普通の」子供たちにしてみれば心強い応援であったことだろう。

 さて、高校入試においても略同型の「塾の応援」が行われているようだ。昔は中学校の教員が手分けして受験校の校門まで出向いて直接自分の生徒の顔を見る、というようなことまでしていたらしいが、少なくとも俺が教員になった20年前にはすでに行われなくなっていた、と思う。そのココロは、
「自分でちゃんと行って、受験して、ちゃんと帰ってこい」
ということ?かな。どういうわけで教員を動かさなくなったのかはわからないが、とにかくその日に至るまでに保護者会なんかでも説明し、生徒には受験校への交通手段とかアクセスを調べさせ、自らの力でやれるように準備させ、万一の時の措置についてもしっかり確認し、バックアップ体制を整え、場合によっては個々に応じて保護者とさらに打ち合わせする。今風の言葉で言えば「生きる力」を育成しようってことになるのかな?
 だが、問題はそういう「教育活動」に対する子供や保護者の評価だ。受験が終わってからの報告なんかを聞いていると時々、
「高校へ行ってみたら校門のところに塾の先生がいてくれて、とてもうれしかった。」
という声がある。その言葉の裏に
「塾の先生は来てくれたのに、中学の先生は来てくれないのか?」
というニオイをどうしても感じてしまうのだが、あながち穿ちすぎた見方ではあるまい。そもそも現状の「受験指導」が不親切きわまりないのだから(それについてもそのうち書こう)、保護者が不満を抱えている場合は多い。生徒の家では
「中学の先生は情が通ってないよね」
なんて会話がなされているのではないだろうか、と思うと忸怩たるものがある。そんな話を聞けば、俺たちだって本当は応援:見送りに行ってやりたかった!と思ってるさ。(塾ばっかりポイント稼ぎしやがって、みたいなセコイ感情もあるし。)でも、教育に対する考え方だってその時々によって変遷がある。こっち(学校)が育てたいと思っている能力と、塾の考えには違いがあったって、当然であろう。その辺のところは親にも理解してほしいものなのだが、やっぱ手抜きとか不親切とかにしか見えねぇだろうな…。結局説明がヘタなんだよ、教員は。
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テーマ:高校受験 - ジャンル:学校・教育