最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

受験指導は不親切に決まってる

 高校入試に当たっての、中学校のアドバイスというか進路指導は、はっきり言って不親切きわまりない状態である。保護者からの不平不満は重々承知でやっているのだ。

 もとはといえば、平成4年、埼玉県教育委員会教育長の竹内という、ものの道理もわかってないジジイが「業者テストを学校から追放しろ!偏差値なんて進路指導に使うな!」とエキセントリックに叫んだことから始まった。前兆はあった。長年やってきた業者テストの運用のしかたやそれに伴う進学指導に問題があり、制度疲労としかいいようのない状態に陥るとともに「偏差値輪切り」という批判が強まってきていたし、また「カイワレ親子の偏差値何とか」みたいな本が世間の注目を集め、「偏差値ってナニ?いかがわしい感じじゃね?」という風潮が醸成されつつあったのも確かだ。その頃受験指導を行った若かりし(バカかりし?)俺なんかは文字通り「生徒の顔が数字に見え」てきて、そのあまりの人間蔑視の感覚にある日気づいて恐れおののいた、という得難い経験をした。

 当時の業者テストは、全県一律の問題を実施してその県ごとの公立高校入試に対応し、学校のような小さな母集団(せいぜい多くて400人、ヘタすると50人ぐらいのところも)では得られない貴重なデータを中学校の先生に提供していたのだ。そもそも「偏差値」というものも、会場テスト(かつて中学校で行っていた)の業者のHPを見ればわかるとおり、「悪のレッテル」というものでは決してない。実際、生徒の3年2学期の何回かの偏差値アベレージと、過去のデータと、進路指導担当者会議に持ち寄った進学希望状況なんかを照らし合わせれば、個々の生徒がどこの公立高校に合格できるか否か、なんてことは当時ほぼ正確に予想することが出来たが、それを個別面談かなんかの時に「お宅のお子さんは…」と告げたところで、それは単なる現実に過ぎないんだから、「ウチの子が悪くとられた」と、学校を恨む筋合いのものではないであろう。むしろ感謝してほしいぐらいだ。しかも、その際に「偏差値」という物差しが妙に注目されたので、たとえば政治家なんかが「そんなモン無くしちまえ!」という方向に叫んでみせれば知的レベルの低いヤツにはそりゃウケるであろうな。

 というわけで、時の文部大臣(鳩山だったはず)がそれにいっちょかみしたことで日本中が大騒ぎとなり、「業者テスト」と「偏差値」が中学校から追放された。中学校の職員室では「偏差値」という言葉に対して、まさしく「言葉狩り」が行われた。そして、高校受験に当たっての資料は、すべて中学校の先生が自前の方法で、自分たちの生徒をよく見て、いろいろな方向から収集し、蓄積したデータによって行うように、ということになった。それまでにも伝統的に業者テストのお世話になってなかった学校、なんてのもクローズアップされてもてはやされたりした。だが、とにかく「偏差値」を使うな、というんだから、これはまさしく噴飯物である。俺たち兵隊が不安を訴えても、管理職からは耳あたりのいいきれい事の文言(役人ってそういうのをひねりだすのだけはうまいよな)の洪水を浴びせかけられ、黙らせられた。しかも最後には、「出来ないはずはない」といわれるから。それって「出来ない奴は無能」ということだよね。それ以上は突っ込めない。
 しかし、これが後先を考えない愚かな行為であった、ということは結果が物語っている。(俺たちには最初から明白にわかっていたけど)とにかく、年を重ねるごとに公立中学校に甚大なダメージを与え続けることとなった。

 まず、「業者テスト」は「会場テスト」と名前を変えて生き残りを図った。その際に公立中はもはや相手に出来ないんだから、私立高校(会場を提供してもらう)や塾(受験生を集めてもらう)と結託を強めることとなった。そして、これまで中学校で行っていた時に問題になっていたテストの実施方法を見直すなどしたりして不公平感を無くしたうえ、「偏差値」という最強の武器を駆使してデータを集積するようになったが、そのデータは、すべて塾のものとなった。
公立中の方は、自校作成の「実力テスト」などで合否判定の基準となるデータを収集しようとしたが、何しろ母集団が小さいからデータが意味のあるものかどうか心許ない。隣の中学と一緒の問題を作ることも、あちこちの学校からいろいろデータを持ち寄って検討会をすることも、いきさつ上管理職としては禁止せざるを得ないから、全くの五里霧中である。しかも「偏差値」は使っちゃいけないんだからね。出てくるデータなんて、ほんとお笑いぐさ程度のものしかあるわけない。たとえば、学年全体で200人ぐらいの3年生がいる首都圏の普通の中学校で、公立高校一校あたりの第一希望の人数はせいぜい7~10人ぐらい、ほとんどが5人以下であろう。とてもじゃないが各高校ごとの、信頼できる基準を設定することなんか不可能だ。年を追うごとに乏しくなるデータ。刻々と変化する私立高校の学力水準。「絶対評価の導入」によって高校側からの信用も地に墜ちた調査書の数字。さらに、「行ける高校」から「行きたい高校」へ!という無責任なキャッチコピーに基づく、中学教員へのお上からの圧力。とてもじゃないが、三者面談なんかで保護者が納得できるような資料を用意するなんて、無理に決まっている。

 結局どうなったかといえば、「高校進学指導は塾でやってもらえ!」と言い放つ教員までが現れる事態となったのだ。ま、そこまでは口に出しては言わないまでも、今やほとんどの3年の担任は、自分の過去の経験だけを頼りに生徒や親と話をするしかなく、塾に行ってない変な(あるいは、はっきり言って貧乏な家の)生徒に対して自信を持って進学についてのアドバイスをすることは出来ない。しかも担任の「進学指導の経験」なんて想像以上に乏しいのだ。何しろ、自分の番がめぐってくるのが大概3年に1度なんだからな。3年前の古い印象だけが頼りだなんて、保護者にしてみれば考えたくもないわな。(塾の先生は毎年やってるでしょ?)
そして、三者面談で保護者が当然聞いてくる質問、
「ウチの子はどこの高校だったら学力的にふさわしいですか」という問いには答えることはもちろん出来ないし、上からの指導で、答えることを禁じられている。そして、
「学校見学や説明会などに出向いて、自分にふさわしい学校を自分で探し出してください。」
と答えるよう、強要されている。これは言ってる教員だって無責任きわまりない、と思っているし、親にしてみれば
「ウチの子の担任はこんな大事なことだというのに真面目にやってくれていない!」
あるいは
「中学校じゃ何も教えてくれない」
とハッキリと感じるであろう。さらに
「どこの高校ならウチの子が行けるんですか?!」
とさらに追及してくる保護者も毎年必ずいるのだが、それに対しても
「行ける高校ではなくて行きたい高校、ですっ。」
と答えるわけだ。状況がわかってない保護者にしてみれば、職務放棄か!と怒鳴りつけたいぐらいである。だいたい、(日頃保護者会なんかに出てこなくてあまり関心がない親なんか特に)自分の足で高校を探してこい、といきなり言われるわけだから、面食らう、というか突然背中に火を放たれた気になるではないか。だが、それが現実である。これで、頼みの綱は塾だ!と思わない人間がいたら、かなりの変わり者である。

 というわけで、この騒ぎは進路指導の意味というか、もっと言っちゃえば
公立中学校の存在価値そのものまでもが相対的に軽くなる、という重大な結末を招いたが、現場のそういう絶望的な皮膚感覚って、絶対にお偉方には伝わらないだろうな。(管理職試験も昨今はすごい高倍率なので、上ににらまれるようなことを言ったりやったりする奴は絶対合格しない、と一般的に思われてるから、管理職ねらってる教員はみんなイエスマンばっかりだ。)

今や、生徒がそれぞれ自分の進学先を決めるときには、「会場テスト」と「塾」の護送船団方式で盤石の仕切り、中学校の出る幕なんかない(はっきりとそうおっしゃる生徒・保護者もいらっしゃる)。もちろん、やりようによっては方策は他にもあるが、いずれにせよ流れに乗り損ねた親は子供に悲しい思いをさせることになる。塾は私立高校と提携し、独自の(低めの)合格基準をもらっているところまであるというが、(そして状況証拠は嫌と言うほど見せつけられているが)真偽のほどは中学校には伝わってこない。そんなチャンネルがないからな。何やってるかなんて、わかりゃしねぇさ。時たま、自分の子供が受験生になった教員が、その実態の一部を認識するのみだ。

 そして、もう十何年も前から中学校の進路指導の三者面談では、生徒が申し出てくる受験先を追認するだけである。雲の上の方ではそういうのは「行ける高校ではなく行きたい高校」というスローガンが達成されたことになるのだろうが、実際は「偏差値による合格可能性」に、生徒たちは以前よりズ~ッときつく雁字搦めに縛られているのさ。そして、そうじゃないヤツは、家庭もろともこの日本の社会での負け組が決定している落ちこぼればっかりだ。



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教育とは無駄をすることと見つけたり

 俺が教師になってすぐは驚きの連続であったが、「資材の無駄使い」というのもその中のひとつに数えられる。
 
 昨今の危機的な国家財政の中で、まさに道路以外の何もかもが縮小傾向にある。まあ、御政道向きの話は置いとくにしても、地方自治体もひたすら倹約倹約の大合唱で、学校はますます身動きが取れなくなってきた観がある。3~4クラス並行の中学校で、年間の備品購入費が全教科領域その他ぜ~んぶ合わせて130万です、なんて言われると、タメ息しか出ませんね。
 だが、考えてみると学校ってなんと多くの資材が無駄にされていることか。極端なところを言えば、荒れた学校なんかは、窓ガラスをはじめとして何でもかんでもぶち壊される。盗まれる。その修理代が学校を通り越して自治体の教育予算までをも圧迫する。そうでなくても、エネルギーの有り余っている中学生は行動も荒っぽく、10年もつはずの物が1年しか持たない、なんてのもよくある話だ。目に見えるものばかりでなく、特別教室に移動したあとの普通教室の電気なんかも付けっぱなし、どうかすれば水道の水も出しっぱなし。

 しかし…教材の消耗はもっとすごい。
 まず、はじめに勤務した学校では吹奏楽部の生徒が「譜面台がない、譜面台がない」としょっちゅう騒いでいるのに、準備室に譜面台がでかい段ボール箱いっぱいに入れてある。顧問によるとそれは壊れたので捨てる、というのだ。で俺がその箱をひっくり返して使える部品をかき集めて組んでみると20余本もの使える譜面台が誕生した。その他にも、メトロノームの残骸が山のようにある(こっちは修理費用より新品の方が圧倒的に安いので捨てるほかない)など、普通なら何十年でも使いそうなものが大量に壊れているのを見て、なんて勿体ない!!と呆れたものだった。そんなのが音楽に限らずそこここにある。
 そして何と言っても、紙!ざら紙から厚紙・ラシャ紙まで何でもかんでもクズにする。4~5クラス分百数十枚の教材を印刷した直後にミスを見つけてもう一回刷り直し、なんてのは日常茶飯事、お知らせだろうが課題だろうが、何でもかんでも印刷して生徒に渡し、生徒はそれを処理しきれなくなって机の中はゴチャゴチャにごった返す。教材として配る様々なプリントだって、昔と違って乱発してる感じだ。そうしないと授業が効率的に進まないからな。だがそれだって「予備」のつもりで数枚ずつ多めに刷るだけでもちょっとチリも積もればたちまち山となる。掲示物を作るときも、彼らはアッと思った瞬間には大きな模造紙に無造作にマジックで書き始めて失敗する。そして掲示物を作っても期間が過ぎればゴミとなるし、発表会が終わればゴミでしかないし、未完成のまま放置されるものだって少なくない。マジックも使い方が乱暴なのでペン先が簡単につぶれ、放置してすぐ乾いて使えなくなる。
 
 美術の作品も技術家庭の作品も、提出したものが採点されて戻ってくればそれはもうゴミ。余って使わなかった資材も新しいまま大量にゴミ。硬筆の練習も書き初めの練習も1時間授業やればゴミ箱はクズでいっぱい。余った半紙も放っておけば誰も使わなくて終了。チョークも黒板消しも清掃用具も、まるでうたかたの泡のように消えて無くなる。ビデオデッキもCDラジカセも普通何年ももつ物が半年か1年そこらで故障して果てる。

だが、これは当たり前と考えなければいけないのかもしれない。教育というのは「無駄をすること」そのものなのだ。(その最たるものがジェット旅客機の操縦であろうか。考え方によってはあのでかい図体を、客を乗せずに空へ浮かばせるなんて、想像を絶する無駄、とも言えるが、新人が練習しなくていいわけないし、まさか実際の営業運行の中で見習いに操縦させるわけにもいくまい。)肉食動物の子供がじゃれ合ってエネルギーを消費するのも、えさをとるための訓練というわけだ。

それほどまでに資源を無駄にすることに対して、俺たち教員はやっぱり鈍感になってはいけないなぁ、と思うことが最近多くなった。紙をゴシャゴシャとクズにするその瞬間に、ちらっとでも、パルプを採取するために切り倒される森や林があるということを忘れないでいたいものだ。

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君子じゃないヤツは危うきに近寄る

 全く、いろいろなことがあるもんだ。
昨日の日曜日、うちの学年(2年)のある男子が、コンビニで20代ぐらいの男に絡まれてボコボコにされちゃったらしい。何でも、そのコンビニで仲間と待ち合わせだか時間調整だかで立ち読みをしていたところ、うっかりその男の足を踏んだという。それで、その時は「すいません」ぐらいのことは言ったというのだが、まあ生意気な態度だったのかもしれない。そいつに店の外に連れ出され、物陰に引っ張られて殴られ、血まみれになって、一緒にいた友達とかお店の人に助けを求め、救急車を呼ぶ騒ぎになったということだった。結局、口の周辺とかを何針か縫うほどのケガだったらしいが、とにかく彼は今日は欠席した。
 なんてことだ、たかが中学生の非礼をとがめるのに、何もそんなになるまで殴らなくたっていいじゃねぇか、と憤慨しつつも、取りあえずそんなことがあった、と生徒に注意を促してみると、実は俺も土曜日に自転車に乗った若い男にイチャモンつけられて殴られた、なんて男子も新たに出てきて、なんだか周辺に「狂犬のようなヤツ」がいるのかも、という話になった。
 ところが、放課後になって一緒にいた友達にその時の状況を聞いてみると、なんと、彼は一発やられたときに反対に殴り返したらしい。第一、よくよく考えてみれば、普通「ちょっとこっちに来い」なんて言われたって、ノコノコついて行くなんて非常識だ。

 ちなみに、ケガをした男子は、日頃からだらしなさでは学年ナンバーワン、服装はシャツ出しノーネクタイ、時間にルーズで提出物も全然出さず授業態度も最悪、でも「不良未満」で、要するに「なめてるヤツ」なんだな。そんなだから、ヤバイ場面でもアンテナが働かず平気でアブナイお兄さんの誘いに乗ってしまう。結局、彼が難に遭っても、必然じゃないか、という見方にどうしてもなってしまう。やはり、「君子は危うきに近寄らず」なのだ。

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ある「不親切」

 今朝は中間試験で部活の朝練習もないので、職員も多少早めに出勤し「登校指導」があった。朝の職集がある関係で、全員それぞれの校門に散る。といっても校門の数なんて知れているから、一カ所に職員が10人ぐらい並ぶ。PTAの挨拶運動も重なったので保護者も校門前に2~3人いる。校門の両サイドにズラッと並んで、まるで「生徒様のご登校をお出迎えする」といった風情だな。

 それで思い出したのが、娘が私立中受験をした時の、受験校の入り口前に並んだ「塾の先生」の人垣だ。場所によっては、生徒昇降口の前にまで陣取って、
「がんばれよ!」
「おはようっ!」
と口々に声をかける。あくまで家庭学習を貫き、塾の世話にはならなかったウチの娘なんかは、これら大勢の大人たちから露骨にシカトされて嫌な雰囲気ではあった。だが、塾と二人三脚でがんばってきた「普通の」子供たちにしてみれば心強い応援であったことだろう。

 さて、高校入試においても略同型の「塾の応援」が行われているようだ。昔は中学校の教員が手分けして受験校の校門まで出向いて直接自分の生徒の顔を見る、というようなことまでしていたらしいが、少なくとも俺が教員になった20年前にはすでに行われなくなっていた、と思う。そのココロは、
「自分でちゃんと行って、受験して、ちゃんと帰ってこい」
ということ?かな。どういうわけで教員を動かさなくなったのかはわからないが、とにかくその日に至るまでに保護者会なんかでも説明し、生徒には受験校への交通手段とかアクセスを調べさせ、自らの力でやれるように準備させ、万一の時の措置についてもしっかり確認し、バックアップ体制を整え、場合によっては個々に応じて保護者とさらに打ち合わせする。今風の言葉で言えば「生きる力」を育成しようってことになるのかな?
 だが、問題はそういう「教育活動」に対する子供や保護者の評価だ。受験が終わってからの報告なんかを聞いていると時々、
「高校へ行ってみたら校門のところに塾の先生がいてくれて、とてもうれしかった。」
という声がある。その言葉の裏に
「塾の先生は来てくれたのに、中学の先生は来てくれないのか?」
というニオイをどうしても感じてしまうのだが、あながち穿ちすぎた見方ではあるまい。そもそも現状の「受験指導」が不親切きわまりないのだから(それについてもそのうち書こう)、保護者が不満を抱えている場合は多い。生徒の家では
「中学の先生は情が通ってないよね」
なんて会話がなされているのではないだろうか、と思うと忸怩たるものがある。そんな話を聞けば、俺たちだって本当は応援:見送りに行ってやりたかった!と思ってるさ。(塾ばっかりポイント稼ぎしやがって、みたいなセコイ感情もあるし。)でも、教育に対する考え方だってその時々によって変遷がある。こっち(学校)が育てたいと思っている能力と、塾の考えには違いがあったって、当然であろう。その辺のところは親にも理解してほしいものなのだが、やっぱ手抜きとか不親切とかにしか見えねぇだろうな…。結局説明がヘタなんだよ、教員は。

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ここまで来たか、欠格管理職

 この週末は、なんの大会だか、とにかく野球部の試合が組まれていたのだ。地区を勝ち上がってきて、県に進む最後のトーナメントで、ベスト4の中学校が集まることになっていたそうな。うちの中学の野球部もその一角に加わっていた。
 ところが先週金曜日、野球部の顧問が管理職となにやら深刻に話し込んでいる。それは、その4校の中に、インフルエンザで学校閉鎖になっているところがあるのだが、大会はどうなるのであろうか、ということであった。新聞(ネット)によると、その学校では全校生徒の4分の1くらいの生徒が「インフルエンザのような症状(病名不明)」で欠席し、市内の小児科もごった返している、なんてことが載っているのだ。ウチの校長が先方に連絡しても不在だったりして話が出来ず、いろいろやっているうちに、結局午後になって教頭同士で話が出来たらしいのだが、
「そんなの(試合)やるに決まってるでしょ!だいたい新聞なんかに書くほど大げさなことじゃないんだから」というようなけんもほろろの対応で、こっちの教頭もちょっとカチンと来た、なんて言っている。もっともその試合も、雨で延期になっていたので、上位大会の日程の問題もあり、うっかり中止になんかできない、というのも確かなのだが。しかし、素朴な疑問なのだが、インフルエンザで学校閉鎖になっている学校の部活が、大会に参加してもいいものなのだろうか。そういう場合には法的にはどうなっているのであろう。「ふざけるな!」と頭から湯気を出して怒鳴って中止にさせたであろうことが容易に想像がつく、昔仕えた校長の顔なんかも脳裏をよぎる。

 とにかく、やるらしい。教頭なんかは
「向こうが参加できないっつって不戦勝になればいいんだけどね」なんて言っているが、野球部の顧問はそれどころではない様子。
「平気なら平気で、向こうから言ってくるのが筋じゃねぇか」
「インフルエンザがこっちに飛び火したらどうしてくれるんだ」
「あ~やりたくねぇ。テンション下がったぜ」
まぁ、当たり前だよな。なんなんだろうその学校?!ということで、次の日の試合を迎えることになったのだが…。


さて、週があけて今日、試合の結果を聞くと、まあ要するにその中学校に負けちゃったらしいのだが、
「俺はもう眠れなかった!」と顧問がその日をふりかえって言うには…
 まず、4校の中では一番遅れてきた。だいたいそうやって他の学校に心配かけていて、残りの2校の先生方なんかは「来ないんじゃないですか」といってたぐらいだった。9時からのプレイボールに、8時過ぎに悠々と登場(そういうのが常識的なのかどうかまでは俺にはわからんが)。さらに、彼が、相手の校長に
「昨日はすいませんでしたね。」
といったのに対して
「ん。」
ちょっとびっくりして、
「電話しちゃってご迷惑をかけちゃいました」
といっても、
「ん。」
だが、いったいご迷惑をかけているのはどっちなのか。
「ご心配かけて」の一言もないってどういうこと?
そしてトドメは、試合開始の時のあいさつでホームベース前に整列する例のセレモニーの時に、なんとその学校のバッテリーは参加せずにブルペンでずっと練習をしていた、というのだ。しかも、それを指示していたのがその学校の校長だったというのだから、開いた口がふさがらない。彼は「こんなになめられてるとは!」と猛烈に敵愾心を燃やし、「ここで負けたのでは、一生懸命やってきた生徒たちのためにもならないし、相手の選手のためにもならない」と必勝を期して試合に臨んだのであった。

 ところが、肝心のチームは彼の思い通りにならない。以前にも俺に「コイツらサインを覚えられない…」なんて愚痴っていたのだが、それが出ちゃったらしいのだ。そして、「相手のピッチャーは制球が定まらないんだから初球は振るなって、あれだけ言ってるのに振っちまうんだよなぁ!アイツも、コイツも…」そして心配されたサインの読み違え。トドメは2点リードで迎えた4回の守備で2アウト2・3塁、3人目のバッターを追い込んだところで2年生の2塁手が平凡なフライを落としてしまい同点、そのあとは試合にならなくなってしまった、というのだから、彼としても口惜しくて眠れなくなるのも肯ける。(もっとも、俺にしてみれば、そんなおんぼろチームを率いて地区ベスト4にまであがっていくのだから、たいしたモンなのだが)
 だいたい、こういうときにこういうミスをするヤツって、日頃の生活に問題のある場合が多い。実は以前にもこのブログに書いた問題の男の子だ、というのも因縁を感じる。しかも「あの野郎ケロッとしてやがる」のもまたはらわたが煮えくりかえる。というわけで、彼は今日は半日、落ち込んでいたのだった。

 それにしてもあきれるのは、相手校の校長である。どういう教員人生送ってくればこういう管理職ができあがるんだろうか。「人」として体をなしてないじゃないか。端で聞いてても腹が立って仕方がない。全く、金曜日の時点で「こんなのありなんですかね」とマスコミにでもリークしてやればよかったぜ。その時ちょっとそんな気分にもなったのだが、失敗したな!

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アブナイ予算

どうなってるんでしょうねぇ。数日前のニュースによると、文科省の教材費として地方に交付している「特定財源」をほとんどの道府県が他のことに流用しちゃっているんだそうだ。
 道路特定財源とかについても、それがないと行政サービスがちゃんとできなくなる、なんてどっかの県知事が公言したりしていて、何ふざけてんだ、とか思っていたのだが、こんな身近な話だったとはねぇ。
 教育は「百年の計」と言われているんだから、ここでケチるのはよしてほしいもんだ、と思うのは俺だけではあるまい。現実問題、教育費に金をかけているのは「親」に他ならないが、その重荷をもうちょっと政府の方でも肩代わりしてほしいもんだ、と三児の父として切に思うニュースであった。
(あっ、でも公務員の人件費に充てるほかありません、なんて話であるとすれば何も言えないにはちがいないのだが…)

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痛ましい事故

 おととい、俺の勤務する学校に隣接する学区の小学4年生女子が交通事故で死んだ。たまたま今日は市教研の総会で、市内の幼小中のほぼ全部の先生が市民会館で一堂に会したのだが、その最初は1分間の黙祷、というやるせない場面で始まった。
 その子はどうやら自転車で交通標識を無視して飛び出し、軽自動車にはねられたらしい。運転していた64歳の主婦が逮捕されたが、そのおばさんにしても、まことに降ってわいた災難というべきであろう。自動車を運転する人間には、避けて通れない宿命であるとさえいえるが、事故は得する奴が誰もいない、本当にイヤなものである。昨日も職員室でその話題になったが、「明日は我が身」という思いには身震いさせられる、というのが結論であった。

 それにしても、自転車は「車両」のうち、道路交通法は守らなければならない。20年くらい前のことだが、家内が小学2年生だか3年生だかの男の子の自転車と接触事故を起こしたことがあった。その子はなんと前を見ずにうつむいて路面を見ながら猛烈なスピードで突進してきて、家内の前を走っていた乗用車が急ブレーキをかけてなんとか避け、後続していた家内も停止したのに、その停止した自動車に衝突したのである。幸い自転車の一部がちょっと曲がっただけですんだが、誰がどう考えても悪いのは子供の方だ。実際あとでよくよく聞いてみると、近所でも札付きの乱暴運転をすることで有名な子供だったらしく、当時家内のところにピアノを習いに来ていた子供たちにも知られていたほどの人物であった。だが、自動車の方は、「運転していた」というだけで責任は問われるのはやむを得ないところではあろう。
 さて、その子供の親父はけっこう厄介な人物で(要するに金がほしかったようで)、保険屋さんも事後処理にはけっこう手間取ってしまったらしいのだが、彼は俺にこんなことを言っていた。
「子供なんだから仕方がないだろう!」

 ほうほう、子供だから飛び出すのは当然だ、周りが気をつけてそいつとぶつからないようにするのが当然だ、と、そうおっしゃるわけですね。じゃあお聞きしますけど、何才からが「子供」じゃないんですかね。ちなみにうちの子は3歳の時にもすでに「飛び出し」なんかしなかったですけど?それで、人間っていうものは、アンタのおっしゃる「子供」と「大人」の境目で、スッパリと「飛び出し」なんかしなくなるものだ、というわけですかね。
 それに、そんな「仕方のない子供」に自転車を買い与えるのはどういうワケなんですかね。アンタの子供が自動車にぶつかって、運転手の責任を追及するのはかまいませんけど、死んだり身体障害者になったりしたら、取り返しのつかない思いをするのは誰なんですかね。
 な~んてことを、その時には立場が弱くて言えなかったが、未だに悔しく思い出す。
 交通ルールはどんなに頑是無い子供であっても極めて早い時期にたたき込まなければならない躾の一つである。不幸なことが起きないためにも!これは親の責任である。

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ある生徒指導と親

 4月になって転校してきた2年生の女子で、ちょっと変わった名字の生徒がいた。あるお調子者の同級生男子が、その子の名字が面白くて、というよりもっと悪い意味でのいたずら心に動かされて、その女子の名前を何度も呼んでいた。彼女はすっかり気分を害し、というよりはっきり言ってショックで早退してしまったのだ。そして、(体調不良という連絡があって)次の日も欠席した。
 その場面を養護教諭が見ていて、要するに「これは放っておけない」と感じて、本人に注意するとともに、学年の生徒指導担当に報告した。彼は放課後呼ばれて指導を受け、そのような事実があったことは次の日の朝の職集で報告された。当事者にとってはゆゆしき問題ではあるが、ま、日常茶飯事の事件の一つであろう。
 ところが、数日後、この男子生徒の母親から猛烈な抗議の電話が、養護教諭宛にかかってきた。曰く、
「ウチの子はショックを受けている。あとで、その女の子に謝ったら、全然気にしてないよ、ということをいっていた。つまりたいしたことでもないのに、生徒指導の先生に叱られ、担任の先生にも叱られ、さらには教頭先生にまで言われて、何でそんなに大げさに拡がって、文句を言われなければいけないのか。ウチの子のしたことと言えば、単にその女子の名前を呼んだだけだ、と本人は言っている。その場で注意して終わりにすればすむことだったじゃないか。」
養護教諭はその剣幕に押されてしどろもどろになり、要するに電話口ではあるが平謝りになってしまったのであった。大失敗である

 この母親には肝心なところがわかっていない(というか、目をつぶっているというか)。つまり、現象としては「女の子の名前を何度も呼んだ」ということには違いないのだが、そこのところの状況を鵜呑みにせずに追求しなければならない。単に名前を呼ぶだけでも、たとえば
「crabfaceさん」
「なんですか」
「いや、別に。…(間)…crabfaceさん」
「なんですか」
「いや別に。…(間)…crabface さん」
「なんですか」
「いや、ベ~ツ~にぃ…」
…………
な~んてやりとりを10回も繰り返せば、どんなにニブい奴でも名前を呼んでくる相手に何らかの悪意があることはわかるであろう。そういうのを端で見ていてそのままスルーしちゃう教員がいるとしたら、これはかなり危険な職務怠慢であると言える。(何しろ、イジメに発展する可能性を秘めている事案だからな)
 教員がなんでもないのに注意をするはずはない、どうってことないのに問題を大きくしちゃうはずはない、という観点に立脚して、親としては我が子から話を聞き直さなければならない。完全に納得できないまでも、子供の行動についてのある種の異常性は感じ取れるはずだ。日頃からそういうことを追及しない甘い親だから、子供も平気でこういう事件を母親に報告することが出来るし、その際に自分にとって都合の悪い部分を省略してもどうとも思わなくなってしまう。実際、何もなければ相手の女子がショックを受けて帰っちゃうはずもないし、やった生徒の方だって指導を受けたその時には、自分に非があることを認めているのである。この母親は抗議の電話の中でも「自分は我が子の言うことを信じているから!」と何度か叫んだそうだが、信じるなら信じるだけの裏をとって欲しいものである。盲目的に信じれば裏切られるに決まっているのに。その上、「その女の子は別に気にしていなかった」と、状況を矮小化しているのだ。これは意図的である可能性も高い。つまり学校の教師から一本とってやろう、という…。子供に甘く(いい顔がしたいからな)権威には楯突きたい、困った人物なのかもしれない。そして、そんなバカに育てられる子供も災難と言うべきだ。

 さらに困ったことに、この電話の奥にはその生徒が親と一緒にいる可能性が高い。つまり、養護教諭が平謝りになっちゃったことで、彼は自分のやったことの「正当化」に成功してしまったのである。せっかく、何人もの先生が彼の「意地の悪さ」に注目していろいろと手間をかけて指導したことがすべて無駄になってしまったのである(というよりもっと状況は悪化したといえよう)。

 あとでその電話の話を聞いて、主として指導に当たった学年の生徒指導担当が
「せっかく、俺がやったことがすべて無駄になっちまった」と激しく嘆いていたのを、バカ母親は知らないままに終わるのであろう。

 それにしても、実際どういう指導をして、その結果がどうなる、ということは全く予想できない。いつも思うのだが、クレームをよこす親は教員には想像できない意外な方向から攻めてくるので、本当に手を焼かされる。何が起こってもうまく対応できるように、日頃から自分の発言がどういう観点に立脚しているのかを常に再確認しておかなければいけない、ということなのであろうが、このクソ忙しい状況では他に気をとられることも多すぎて、結局不意打ちを食らって撃破されちゃうことがしょっちゅう起こってしまうのである。

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