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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

学力と学問

 数日前、家内と二人でドライブをしていたときのこと、ある学習塾だか教材屋だかの看板が目を引いた。曰く、
「すべての子供に学力を!」

 学力?すべての子供に?なぜ?

 本当に必要とされているものは何だろう。「学力」じゃなくて「学問」じゃないのか?「学力」は学問のための手段に過ぎないじゃないか。それなのに「学力を身につける」ことが目的になってしまっている、ということに疑問を持ってみると?
 突き詰めて考えれば、人間に必要なのは「生きる力」でしかない。「生きる力」といっても文科省が最近言ってるへんてこな定義の言葉じゃなく、「生活を切り盛りし、自分で稼ぎ、家庭を作って子をもうけて育て、社会を構成する一員としてマナーもわきまえ、税金も払い、責任を持って暮らしていける力」、とでもいおうか。そのために「学力」は絶対に必要なものなのか。必要ならば、どこまで高度な「学力」が必要なのか。昔の小説や立志伝にしばしば登場する台詞、「百姓に学問はいらねぇ!」なんて類の言葉が脳裏をよぎる。
 じゃ、「学問」って何なんだよ、と問われれば俺もそこまでは考えてはいないが、少なくとも「手段」が「目的」になってしまったのでは、正しい方向へは物事が進まないだろう。さらに言えば、本来「手段」のはずのものを「目的」と勘違いして(あるいは大人から示してもらえないままで)身につけさせられる子供こそいい面の皮、カワイソウといってもいいであろう。そんなことをやらされていれば当然、「理科の実験なんて時間の無駄だから実際に授業でやる必要はない、結果だけ一言で教えてもらえればそれで受験勉強には事足りる」、なんて発想が生まれるに決まっている。

 まあよくはわからないがともかく、すべての子供に「学力」を身につけさせることは必ずしも必要ではないんじゃないか?と、ふと思っただけだ。
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テーマ:勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術