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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

新しい指導要領ってどうよ?

新しい指導要領の骨子がボチボチあがってきた。「生きる力」がどうとか、なんてまだ言ってるが、とにかく改善(といっても元に戻ったわけでもないが)の方向に向かいつつあるのかもしれない。しかし、なんといっても俺たち教員の関心事は「教科ごとの授業時数」であろう。何しろ、組み合わせ方によってはそれぞれの学校の教科ごとの教員定数にも関わってくるから、大変だ。いってみれば最重要事項でもある。
 で、その辺を見てみる。おお、「総合的学習の時間」が減っているではないか。よしよし。っと…なに??!「選択教科」が全廃されている??ずいぶん思い切ったな~~!いや、待てよ、ありゃ、音楽・美術は前回減らしたそのまんまじゃん!これってどういうこと?

 お教えしよう。音楽と美術の、実質的な授業時数が「激減する」ということである。今や音楽・美術は2、3年生で週に1回。1年生は年間のどこかの学期だけ週に2時間で、あとは週1時間だけ。もはや風前の灯火なのである。それをどうにか「中学校のレベルの芸術(情操)教育」の形にしてきたのは、「選択教科」の効用があったからに他ならない。すなわち、選択で音楽を取った生徒をコアにして、通常の授業のレベルを引き上げるとか、まあ、様々な取り組みを俺たちは現場で行ってきたのだ。だが、「選択」が全廃ということになると、これは相当教育内容がやせ細らざるを得ないであろう。これからの国民の情操教育はどうなるのか。

 実は、「選択教科(技能教科で開設あれることが多い)」はかなりの中学校で頭痛の種である。何しろクラスを解体してそれぞれの教室に移動しちゃうわけだから、せっかく知恵を絞ってクラス編成をした意味がなくなり、馬鹿どうし愚図どうしが示し合わせて同じ教科を選択し、そこでくっついて騒々しくおしゃべりをしまくったり、イヤ~~な雰囲気を醸し出す、なんてのは序の口。今や授業エスケープの温床なんだよ。何しろ、特別教室で行われる授業が多いから、一人一人がどこへ行ってしまったかなんて、こっちのサイドではけっこう掌握しにくい。授業の先生からは「○○が来てません!」という内線電話が職員室にしょっちゅうかかり、その度に空き時間の教師が校舎内を探し回ることになる。
選択教科の講座の数はクラスの数より5割増ぐらいに開設されているから、いきおい空き時間の教師は人数も手薄であり、あっちへ行ったりこっちへ走ったり、とんでもなく振り回されることになる。「空き時間」といったって教員はヒマなワケじゃない。内心(コンチクショ~~!)と呻りながらの出動だ。おまけに個々の生徒の事情を知らない他学年の先生の場合が多いのでトラブると大きくなりやすいから、揚げ足取りが大好きでキレやすいコイツらの指導には細心の注意が必要だ。
そして、そういう教員の事情を見透かしたガキどもは、そこここでタバコを吸ったり、施錠してある部屋に入ろうとしてドアや窓をたたき壊したり、保健室や相談室に入り浸ったりと、「非体罰地帯」の中学校ではいかんともしがたい難問を次々に突きつけてくるのである。それが今様の「選択教科」だ!!(と言い切ってもよかったかな?)
そんなわけだから、かなりの中学校・教員にとって、「選択教科」の廃止は朗報であるには違いない。

 だが、現実にはどうなんだろうか。10年ぐらい前までは、授業担当時数の調整のために他教科を教えるなんてこともよくあったのだが(そういう俺:音楽教師も国語や社会を教えてた)今ではそれは絶えてないことだ。つまり、それでなくともダブつき気味と取り沙汰される俺たち技能教科の教員はさらに余ってしまうことになる。それに落ち着いてる学校にしてみれば、折角の情操教育の時間を削られてしまい、これはおそらく
「中学校という場(フィールド)」の砂漠化を招くのではないか。「学校は楽しい場所」というお題目もますます怪しくなるねぇ。

 ま、文科省のリーフレットには、「総合的な学習の時間を選択教科とシェアできるようにするかどうか検討中(俺が読み解いた大意)」とあったので、もしそうなれば、いよいよ「総合的な学習の時間」の息の根を止めることも不可能ではなくなるわけだし(文科省も本心ではそうしたいのであろうが)、今後の推移を見守りたいものである。
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テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育