最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

中学1年生の言語感覚

 国語で調べ学習をしたらしく、故事成語についての個人レポートが廊下に掲示されていた。そこで、それぞれの「故事成語」について、最初に(もともと)自分で思っていた意味を書く欄があり、それがけっこうケッサクだったので書き写してきた。

 背水の陣    … ・当たってくだけろ
             ・背後から不意をつかれること
 切磋琢磨    … ・石を切って磨くこと
             ・完全なものに近づけていくこと
          (ライバルと真剣に競い合うなんてこと、ないのね。)
 刎頸の交わり … ・仲の悪い人たちがけんかしていること
          (意味逆じゃん!)
 三顧の礼    … ・3回もお礼にいったこと
 逆鱗に触れる … ・先生にひどくしかられる
             ・とんでもないことを起こすこと
          (家では真剣に怒ってくれる大人がいないのかな?)
 助長      … ・よけいな手助けはいらない、ということ
 竜頭蛇尾   … ・頭が大きくて尾が小さいこと
 君子は豹変す … ・謝るのが速い
          (これはかなり笑えた)
 五里霧中   … ・霧で自分の姿を隠す
          (先がどうなるかわからない、なんて体験、やらせてもらえないのね)
 蛇足      … ・恐ろしいほど動きが速いこと
          (そんな蛇がいたんじゃ恐怖だ)
 杞憂      … ・とても優秀な人のこと
 他山の石   … ・山から見て、他の山にある石
            ・他の山の石を自分の山にもらう
          (人のすることなんてカンケーないもんね)
 漁夫の利   … ・漁の夫人から利益を得る
          (何でここで女の人が出てくるんだ?)
 蛍雪の功   … ・蛍が雪の上にとまっていて、蛍が光をもっているときに
             キレイな光を見ると成功する。
          (このコ、占いに凝っているのか?)
 大器晩成   … ・大きい器が晩に成長する、みたいな…
          (なんだか怪談じみてる)

 まあ、今時の中1だからね。こんなもんでしょう。それに、正鵠を射ているものだってこの他に結構多く掲示されていたから、そんなに悲観することもない。そういう俺だって、「出藍の誉」なんて「シュツアイのヨ?」とか大学になってもいってたりしたのだから人のことは笑えない。
 問題は、この積み残しをいつ何時フォローするのか、ということだ。このところ「ヘキサゴン」とかいうクイズ番組でおバカをあざ笑うようなのがあるけど、積み残したまんま大人になってしまっては惨めだもんね。
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新しい指導要領ってどうよ?

新しい指導要領の骨子がボチボチあがってきた。「生きる力」がどうとか、なんてまだ言ってるが、とにかく改善(といっても元に戻ったわけでもないが)の方向に向かいつつあるのかもしれない。しかし、なんといっても俺たち教員の関心事は「教科ごとの授業時数」であろう。何しろ、組み合わせ方によってはそれぞれの学校の教科ごとの教員定数にも関わってくるから、大変だ。いってみれば最重要事項でもある。
 で、その辺を見てみる。おお、「総合的学習の時間」が減っているではないか。よしよし。っと…なに??!「選択教科」が全廃されている??ずいぶん思い切ったな~~!いや、待てよ、ありゃ、音楽・美術は前回減らしたそのまんまじゃん!これってどういうこと?

 お教えしよう。音楽と美術の、実質的な授業時数が「激減する」ということである。今や音楽・美術は2、3年生で週に1回。1年生は年間のどこかの学期だけ週に2時間で、あとは週1時間だけ。もはや風前の灯火なのである。それをどうにか「中学校のレベルの芸術(情操)教育」の形にしてきたのは、「選択教科」の効用があったからに他ならない。すなわち、選択で音楽を取った生徒をコアにして、通常の授業のレベルを引き上げるとか、まあ、様々な取り組みを俺たちは現場で行ってきたのだ。だが、「選択」が全廃ということになると、これは相当教育内容がやせ細らざるを得ないであろう。これからの国民の情操教育はどうなるのか。

 実は、「選択教科(技能教科で開設あれることが多い)」はかなりの中学校で頭痛の種である。何しろクラスを解体してそれぞれの教室に移動しちゃうわけだから、せっかく知恵を絞ってクラス編成をした意味がなくなり、馬鹿どうし愚図どうしが示し合わせて同じ教科を選択し、そこでくっついて騒々しくおしゃべりをしまくったり、イヤ~~な雰囲気を醸し出す、なんてのは序の口。今や授業エスケープの温床なんだよ。何しろ、特別教室で行われる授業が多いから、一人一人がどこへ行ってしまったかなんて、こっちのサイドではけっこう掌握しにくい。授業の先生からは「○○が来てません!」という内線電話が職員室にしょっちゅうかかり、その度に空き時間の教師が校舎内を探し回ることになる。
選択教科の講座の数はクラスの数より5割増ぐらいに開設されているから、いきおい空き時間の教師は人数も手薄であり、あっちへ行ったりこっちへ走ったり、とんでもなく振り回されることになる。「空き時間」といったって教員はヒマなワケじゃない。内心(コンチクショ~~!)と呻りながらの出動だ。おまけに個々の生徒の事情を知らない他学年の先生の場合が多いのでトラブると大きくなりやすいから、揚げ足取りが大好きでキレやすいコイツらの指導には細心の注意が必要だ。
そして、そういう教員の事情を見透かしたガキどもは、そこここでタバコを吸ったり、施錠してある部屋に入ろうとしてドアや窓をたたき壊したり、保健室や相談室に入り浸ったりと、「非体罰地帯」の中学校ではいかんともしがたい難問を次々に突きつけてくるのである。それが今様の「選択教科」だ!!(と言い切ってもよかったかな?)
そんなわけだから、かなりの中学校・教員にとって、「選択教科」の廃止は朗報であるには違いない。

 だが、現実にはどうなんだろうか。10年ぐらい前までは、授業担当時数の調整のために他教科を教えるなんてこともよくあったのだが(そういう俺:音楽教師も国語や社会を教えてた)今ではそれは絶えてないことだ。つまり、それでなくともダブつき気味と取り沙汰される俺たち技能教科の教員はさらに余ってしまうことになる。それに落ち着いてる学校にしてみれば、折角の情操教育の時間を削られてしまい、これはおそらく
「中学校という場(フィールド)」の砂漠化を招くのではないか。「学校は楽しい場所」というお題目もますます怪しくなるねぇ。

 ま、文科省のリーフレットには、「総合的な学習の時間を選択教科とシェアできるようにするかどうか検討中(俺が読み解いた大意)」とあったので、もしそうなれば、いよいよ「総合的な学習の時間」の息の根を止めることも不可能ではなくなるわけだし(文科省も本心ではそうしたいのであろうが)、今後の推移を見守りたいものである。

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小学校のダルい研究授業

 今日は午後から小学校の授業を見た。算数の授業研究会をするから、中学の教師も見に来い、ということで、たまたまヒマな俺、校長、英語の先生、と3人で行って見た。6年生で最近のトレンドの「習熟度別」でクラス分けをする方式で、分数同士の割り算のやり方を教える、という授業である。
まずは、前回の授業の復習で、「3/4デシリットルのペンキで2/5㎡を塗ることができました。1デシリットルでは何㎡塗れますか」という問題で、式が2/5÷3/4である、というところまでがわかった、というところまでを確認し、授業がスタート。ところが、その進め方がひどい、というかワケがわからない。各自でこの計算のやり方を何通りか考えろ、というのだ。合間合間には教師がヒントを出したり、下位のクラスではヒントのプリントを渡して説明したりしているのだが、こりゃヌルいわ。授業者が平気で「わかりましたか」なんて聞いてやがるのにもあきれ果てたが、「わかった(理解できた)人は手を挙げて」なんて言って子供たちに手を挙げさせたりしているときた日には…。馬鹿じゃねぇのコイツら!
んで結局、グループごとに意見をまとめて発表し、結論を出すことになった。しかし上位クラスは「分数÷分数の計算は、割る数の分母と分子をひっくり返す(ママ)」という驚愕の結論を授業終了5分前に教師が板書し、その後練習問題にかかったのだが、下位のクラスの方はなんと授業終了時刻になっても結論が出ず、終了3分後に若い(といっても30代)教師が「分数で割る計算の仕方は、割り算の決まりを使って、割る数を整数にすれば計算できる(ママ)」というワケのわからない文言を板書しただけでその授業は終了してしまった。なんだ、この授業???!この子供たちは将来どうなっちゃうんだ!
そのあとの研究協議は幸か不幸かうちの校長が(大量にシゴトを抱えてるはずの)俺らに気を利かせて?「帰りますので…」と言ってくれたので、参加せずに(つまり俺が悪口雑言を振りまいて憎まれたりせずにすんで)帰ってきてしまった。

中学校の法則「研究授業の指導案を事前にみんなで検討すればするほど、その授業はくだらなくなる」

だいたい、割り算同士の計算なんて、「つべこべ言わずに後ろの分数の上下をひっくり返して掛け合わせろ」の一言ではなぜだめなのか。そうすれば時間が山ほど余るから定着のための練習問題をたくさんさせられるぞ。俺たちの小学の頃はそうだったし、それでなんの不都合もなかったぞ。それに「世の中は理屈だけじゃ渡れねぇんだ!」という「生きる力」を身につけさせることができるじゃないか!そういう議論を「乱暴」と言うか?「時代錯誤」と言うか?
今日あらためて実感してきたことだが、俺は
今のやり方の方が絶対にまちがっていると思う。子供たちが理解しないものは本当にだめなのか?
まず、どんな教え方をしようが、理解できないものは理解できないという人間は必ず集団の中に含まれている。やり方を考えろと指示したって、怠けて何も考えずにいる奴はいるし、頭が悪くて文字通り考えることさえもできない奴だってかなりいる。そして結局理解できないで終わる。そいつらが理解するまで待っていることによって、授業は先に進まず、貴重な時間が膨大に無駄にされる。
そうやって、現行の指導要領ではどれほどの内容が削減されたのか。3桁同士のかけ算割り算がなしになって、円周率が3.14と教えられなくなり、やむを得ず使うときにも電卓で計算させる。台形の面積の公式をカットする、中学校から不等式が消え、根の公式さえも消えそうになる。すべて「ゆとりの中で生きる力を!」、「すべての生徒に100点を取らせる」というスローガンのもと行われてきた施策である。ありがたくて涙が出るではないか。
 そして、その指導要領の方針の下、今も毎日毎日このようなナンセンスな授業が(日本全国でもかなりの割合を占めているはずの)くだらない教師たちの手で行われているのだ。こんなんで日本の将来はどうなるのか。
そんなことより、理解しようがしまいが、やり方はこうだ!と言ってやった方がずっと被害が少ないじゃないか。ずっと親切じゃないか。わからない奴にだって、できるチャンスが生まれるんだから。そういう誰の目にも単純明快にして効率的な理屈が「人間的」というお題目の下で排斥されてきたのは悲しむべきことである、というか、なぜ異常だと感じないのか。
せっかく文科省が「これまでの<ゆとり教育>は間違いだった」と言ってくれてるんだから、俺たち教員もさっさと昔の技術を思い出し、実際に確実に学力が身につけられる授業に衣替えをしていく時期だと思うのだが…??

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生徒指導上の問題

 そろそろ異動希望の意向を聞かれる季節だ。俺はきっぱりと「他の学校に異動したいです!!」と校長に言明した。なんとなれば、、、、

 つい最近の給食の時間のこと、担任外の人たちでいつものように小会議室で昼食をとっていたときの会話。
校長:「今度の校長会の生徒指導の会議で、うちの学校が事例の発表をしなきゃいけないらしいんだけど、何かないですかねぇ。」
ほかの教員:「…。(思いつかん…)」
教頭:「私なんかがうちの学校の話をすると、他所の教頭が露骨に、おまえは黙ってろ、って顔をするからねぇ(笑)。」
校長:「うちの学校では何ヶ月かに一回、上履きのかかとをはきつぶして生徒指導主任に取り上げられる奴がいます、ってのはどう?」
一同:「わははは。」
校長:「あとさ、うちの学校では登校時間の5分前に校門に入る決まりになっているんだけど、必ず何人かギリギリで門を入るやつがいます、ってのは?(つまり、遅刻する奴がいないんということ)」
一同:「(力なく)わははは…」
俺:「困りましたね。(マジ生徒指導上の問題なんて思いつかない…)」
校長:「そんなの発表したら怒られちゃうよね。(怒られる、じゃなくて「恨まれる」だろ?)」
教頭:「この間もどこそこの何々教頭が、俺の学校と変わってくれよ、ってしみじみ言ってましたから。(ちょっとうれしそう)」
俺:「この際、うちの学校の「積極的生徒指導」について、というテーマでやるしかないんじゃないですか?有志合唱団を結成して校内を歌声あふれる環境にして生徒たちの心の安定を図ってますとか?」
校長:「(あっさりスルーし)本当に、どうすべえ…(マジ困り顔)」

ちなみに、「消極的生徒指導」とは、生徒が何か問題を起こしたときの対応のことを指し、「積極的生徒指導」とは生徒の様々な質そのものを高めて問題行動を起こさせないようにすることを言う(と俺は理解している)。

 本当に申し分けなさすぎる。今時そんな平和な中学校がこの日本にあってもいいものだろうか。ついこの間の「小中音楽会」でも、複数の中学校の抗争がこじれて下手をすると警察を呼ばなけりゃいけないかも、とか、学級の人数が30人なのにみんな(悪連中)どこかに出歩いて学校に来ないものだから実際に舞台に上がったのは24人だけ、なんて騒ぎを見聞きしてきたばかりだ。
 俺はまだ50歳、あと2校は勤務しなければならないだろう。それなのに、こんな呑気な学校で、しかも音楽教員の巨大お荷物にして音楽の資質をとぎすます重要な場であるところの「吹奏楽部」もないような生ぬるい状態でいつまでもいたら、呆けて使い物にならなくなってしまうではないか。これでは大変である。第一、この学校にきてからというもの、俺はもう5㎏近く体重が増えてしまっているのだ。このままじゃメタボまっしぐら、命さえも危なくなる。

 やはり、ヒラの教員は最前線で困った生徒の困ったトラブルの渦中に常に身を置き、一緒に怒り、走り回り、一緒に悲しんだりする激しい勤務をしなければ本当ではない(ような気がする。実際にはそんなのまっぴらなんだけどね、逃げられない運命であるならば1年でも若くて元気なうちにそういう現場に戻るべきじゃないだろうか)。

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がんばれ不良ども

 この間、「市内小中学校音楽会」があった。中学校の部はどこも、激戦の「校内合唱祭」を勝ち抜いた学級(主として3年生)がプライド満点で参加する晴れがましい舞台である。
 だが、どこの学校にも「困ったちゃん」がいてそういう行事でも何かとその動向が注目される。その「音楽会」にも、そういう生徒が混じった学校がいくつかあった。

 その中の一つの学校(俺の勤務校じゃない)では、まさに困った不良の吹きだまりのような有様。ワイシャツの第2ボタンを外しているのは序の口。髪の毛は色とりどりに染め、ワイシャツの裾は出しっぱなしに長袴の裾のように引きずる腰パン状態、女子なら膝上20㎝の超ミニスカート、という輩が何人もいるドヨ~ンとした雰囲気、しかも女子がみんな制服のベスト姿でいる中、何人かの女子がセーターを着たままで、「きのうセーターで出ていいって言ったじゃん!」「そんなこと言った覚えない!」と、指揮をする音楽の先生とバトルをしている。誘導係の役員としてそばについている俺にしても、何とかしてくれよコイツら、と叫び出したくなるようなクラスだ。こんな連中を何とかまとめてここまで持ってきた先生の苦労は想像を絶するものがある。

 それでも何とか順番が来て、そのクラスの演奏(合唱)が始まった。無事に演目が進み、そろそろ終わるかな、と思われる頃、突然、舞台の上で「ガタン!」という音がした。「ん?」と俺がそちらの方を向きかけたとき、さらに一回「ガタ~ン!」というときならぬ物音が!
 何事!と思って舞台の袖に行ってみると、誰かが舞台の上で倒れたらしい。体調不良の生徒がいたのだろうか。ちょうど合唱のパートが終わって、後奏のピアノが流れる中、指揮をしていた先生がその生徒の方へ駆け寄っていくところであった。
 伴奏をする生徒の弾くピアノが、いかにも「どうすればいいの?!」という不安げな音を立てたのには感心してしまったが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。俺もステージ係としてすっ飛んでいって見ると、もう周りはそのクラスの生徒で黒山の人だかり、信じられない混乱ぶりである。
 結局、何人かの男子がその生徒を抱えて舞台袖へ担ぎ込んでいったが、その彼は貧血で倒れたらしい。まさに顔面蒼白で、床の上に降ろされてもそのまま横たわっている。その姿をよくよく見てみると、茶髪・腰パン(派手なベルト付き)・シャツ出しの困ったちゃんルックである。ハ~こういうヤツが倒れるとは…ねぇ。ビックリしたなあ。

 後で聞いてみると、何しろあの格好なもんだから、かなりの先生が「彼はふざけているんじゃないか?」と最初思ったらしい。だがその時、当人は必死で立ち続けようとしていたのだ。最初の「ガタン」で倒れかけたのだが、それをどうにか体勢を立て直そうとして、その時隣で歌っていたヤツも気がついて支えようとしたのだが、たまらずに倒れてしまったのが2度目の「ガタ~ン!」だったのだ。
 まあ、普段いい加減なことをしているから、こういう緊張に耐えられなかったのか、とも思えるが、やはり中学生、日頃目立ちたくてウロウロしていても、いざ大勢の衆人環視の中ではそうそうふざけられはしないようで、そんなことよりもとにかく、クラスのみんなが一生懸命歌っているときに、その雰囲気を壊したくない、と考えたのはよくわかる。また、その時横で支えて演奏が終わるや否やそいつを抱えて袖へ運んできたヤツは、そのクラス最悪の、というより近隣の中学校にも名前が知られている問題児だというのだから、微笑ましい。やっぱりいざというときの本性が顔をのぞかせるときには人間、根っから悪いヤツはいない、というのがよくわかる。
 それにしても(やっぱり…)という思いはあるものの、俺が知る限り(その学校の先生が知る限りにおいても)、こういう音楽会では前代未聞のハプニングではあった。

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教科書会社の底の浅さ

 俺が思うに、教科書会社が教科書を編集する際の方針って間違ってる。文科省検定済みの教科書って数年ごとに全く新しいものに置き換わるので、俺が知ってるだけでこれまでに6回変わった。結論としてわかったことを発表しよう。まったく、何でこうなるんだ、と本当に情けないのだが、

中学校の法則その2:教科書は新しくなるたびにダメになっていく。

 皆さん、お子さんがいるなら学校の教科書、見せてもらってご覧なさい?あれを見て不安にならない人は、はっきり言って子孫が「負け組身分」に堕ちていく人です。
 まず、今の教科書はどれもこれも全ページ色刷りである。とっても色とりどりで、図版も多く様々な事柄が視覚的にわかるようになっている。上質な紙が使ってあって美しい発色である。
 と、ここまで読んだだけでも、賢明な方ならいかに教科書が堕落しているかわかると思う。

 つまり、今の教科書は「よごせない」のだ。我々古い世代は、赤鉛筆(古いか)なんかで傍線を引いたり書き込みをしたりして、教科書をよごし放題によごしたものである。そこから、教科書には個人個人の思い入れや思い出、覚えなければならない事柄や学習の道程・やり方などが浮き出てくるものであり、一人一人にとって大切な「一品」に育っていくものであった。
(若い人たちのために注釈をすると、昔は教科書に書き込みをしたり、傍線を引いたりして勉強したものだった。何しろみんな金がないから参考書なんてそうそう買わなかったし、塾に通う人もごく少数だったから、教科書だけが頼みの綱だったからね。従って、勉強すればするほど教科書には色とりどりの書き込みや傍線が増えてくるし、1ぺー1ページが手あかで実際に汚れてくるし折れ目も増えてくる。それは「勉強した」ということの証になったし、そういう書き込みが多い教科書を持つことに皆プライドを持っていた。つまり、教科書を「汚す」というのは一種のステイタスでもあったのだ。)

 だが、今の教科書はダメだ。まず、最初っから「色とりどりである」ということから、例えば赤鉛筆やラインマーカーの書き込みが、全然目立たない!!次に、「上質な紙」であることから、鉛筆などの書き込みが、紙の上に思ったように乗らない!さらに、音楽の教科書なんか特に顕著なのだが、「総天然色」の美しい写真や図版は、生徒の「脳みそを使って奮い起こすはずの想像力」を「事前に用意」してしまう!もっといえば、イメージが「固定されてしまって」ふくらますことができない!!
 要するに、使い物にならない、ということである。

 「教科書が使い物にならない」というのは、現行の指導要領になってからけっこう言われていて、その話題の方向としては「内容が貧弱」という部分に集中していたように思う。例えば中学の歴史の教科書なんかも、図版ばっかりで本文がどこにあるかもわからない代物ばかり。かろうじて教科書の体裁を保っているのは「作る会」ともう一社ぐらいのものである(それはそれで、いったいそれだけの豊富な内容を教えるだけの時間なんかあるわけないのでは?と危惧される状況だが)。
 旧課程の教科書がオークションで出回っている、というのも当然のこととして納得できる。

 教科書会社は、何とかシェアを伸ばしたい、という欲求の前に、カラフルに、キレイに、「子供にウケる教科書」を作ってきたようだ。だが、学問に王道なし、の格言にある如く、楽をしていたのでは学力は身に付かない。それは子どもに与える教科書や資料集の体裁にしても同じである。物わかりのいい人のフリをするのではなく、一見取っつきにくそうに見えてもちゃんとつきあえばどんどん面白味がわき上がってくる、というような本を、本当は生徒も必要としているのではないだろうか。

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総合的な学習の時間

 まことに慶賀すべきことに、今度改訂される学習指導要領では「総合的な学習の時間(以下総合)」が減らされるらしい。俺としては全廃になるのを期待したのだが、あれだけ鳴り物入りで始めちゃったものをそう簡単には引っ込められないのであろう。困ったものだ。
 だいたいからして、この「総合」というヤツは始まる前から壮大な時間の無駄遣いとなることが誰(まともな中学の教師)の目にもはっきりと見えている企画であった。なにしろ、金がない、場所がない、道具がない、人がいない、ノウハウがないと、どちらを向いてもないない尽くし。文科省としてみれば、「教員の創意工夫で」カリキュラムを作ってほしかったようだが、誰もどうしていいのかわからなかったことから渋々「国際」「福祉」「環境」「情報」といったものを例示したせいでそれが金科玉条となり、生徒をして「またカンキョーかよ…」とため息をつかせる始末となった。

 一番困ったのは、やはり「人」である。だいたい日本全国津々浦々の教師の中に、週2~3時間もの総合的横断的な学習のカリキュラムを考え出せる、文部官僚並みに頭のいい人間がそうそう多くいるはずがない。たとえいたとしても、教科指導だ生徒指導だ、やれ部活だ研修会だ、と駆け回っている合間の片手間でやれる仕事ではない。よしんばできたとしても、それを元に学校全体を動かしちゃっていいものなのかどうか自信もない。さらに管理職が「あれやっちゃダメ、これやるにはこうしなきゃ」とハードルを置きつつ横槍を入れる。教師のアイディアは施設設備や時間や金の制約でつぶされ、生徒のアイディアは「それは総合じゃなくて社会でしょ理科でしょ」とくさされてつぶされる。誰もどうしていいかわからないから、他人が何をやっても間違いに見えてくるのだ。いかに管理職が教師を信頼せず、教師が生徒を信頼してないか、が図らずも如実にわかっちゃったな。

 そして、現実の「総合」の時間はどうかといえば、まずまともに取り組んでいる生徒は少数派。ほとんどの生徒は、
①こんな時間は無駄だ、と見限って塾の宿題を黙々とやる。
②コンピュータ室でネットにつなぎ、株式会社の研究と称してバーチャル株取引に興じる(ウチの倅がやらかした)。
③活動場所が教室や図書室などに分散しているのをいいことに校舎の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてよからぬこと(喫煙など)をくり返す。
④保健室や相談室にしけ込んで担当の教師の手を焼かす。
⑤何をしていいかわからずに暗い顔をしてじっと何もせずにいつまでもいつまでも座っている(これは一番危惧された事態だが、低学力の生徒の場合が多く、最もどうすることもできない連中だ)。
 そして、まともに取り組んでいる生徒といっても、現実には「これが中学生のやること?」と目を疑うような情けない内容のものばかりなのだ。しかもそれを指導する教師の側もどこまでやれば満足、という基準がないから評価のしようもない。A先生に「すばらしい」と言われたりB先生に「なんだこりゃ、ダメ!」と言われたりで生徒は混乱し、さらにやる気のない生徒を生み出す。

 こんな状態を学校は座視して見過ごすのか、と大方はいいたくなるだろうがとんでもない。教師は席の温まるヒマも気の休まるヒマもないですっ飛んで歩っている。だいたい、「総合」は個人の活動だから、普通に考えれば40人40通りの面倒を見なければならない。一クラス50分で一人にかけられる時間は物理的に考えても1分ちょっと。コマネズミのようにいろいろやったところで、子ども達はほとんどほったらかしになる構造なのは考えればすぐわかるであろう。まあ、現実にはグループでの活動がほとんどになってきたし、副担任も総出で指導に当たっているから、これほどのことは最近は少ないであろうが。(でも、そのおかげで、総合の時間には職員室は空っぽ。何かコトがあったときにはいつだって対応は後手後手になるんだよ。)

 というわけで、たいていの中学校では「総合」は目の敵だ。だから今ではかなりの学校で、例えば「基礎力養成」という題目にして数学や英語の授業をやっていたり、体験教室みたいな行事にしてまとめ取りしちゃったり、修学旅行などの事前学習にしちゃったり、など、様々な知恵を絞ってこれを形骸化するように努力している。最終目標としては、総合の時間を「部活代替」にしちゃうことだな。

 ところが、小学校では事情が違うようだ。なんだか、総合的学習の評判がいいのである。それも「子ども達の目が輝いた」などと、ワケのわからないことを言って自己満足の世界に浸っているようなのだ。どうも小学校の先生の考えていることは浮世離れしている。(悪いけど、小中連携の仕事関係でも我が息子娘の通った学校関係でも、これまでに関わった小学校教師で信頼に値する先生は10人に一人もいなかった、と断言できるが、その話は別の機会に書こう)
 そりゃ子どもなんだから、面白いこと・興味のあることを提示すれば乗ってくるよ。そしてそれなりの活動もして、立派にキミの思うとおりに動いてくれるかも知れない。だけど、それでお前らの子ども達の学力はどうなったんだよ!と言いたいのさ、こっちは。
 そんな立派な学びを積んできたはずの肝心の生徒たちは、分数の割り算どころか九九も怪しいヤツもいて、漢字は書けずものも知らず中学校に上がってくる。もちろん保護者はとっくの昔に小学校の授業なんか見限って、頼みの綱は塾だと思っているのに、学力が保持できているのは自分の力だなんて勘違いしているのだ。ちょっと、これからは小学校の先生の意識をなんとかしなきゃいけないな。

 それとマスコミ!
 あれだけ導入時には批判的で、学力が下がったといっちゃあ授業の時間が足りないだの総合の時間が無駄だのって騒いでたのに、いざ減らすとなったら「これまでの積み重ねはどうなる」とか「詰め込みや偏差値輪切りに逆戻り」とか何とか、ま~た文句言ってやがる。
 いったいどーして欲しいんだよ、お前ら。文句のための文句はやめてくれよ。普通の人が混乱するばかりじゃないか。

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