最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

不登校は病気じゃない!

 残念ながら、俺は「不登校は病気じゃない!」という一部(というか大方)の主張に賛成できかねる。俺は何人もの「不登校」の生徒や保護者と関わり合った結果としてそう考えるに至った。もちろん、立場上そんなことを口に出して言えばとんでもないことになるのは目に見えているので、表向きは「不登校は病気じゃない!」という立場に立って行動してはいるが。
 「不登校は病気じゃない!」とは不登校の児童生徒を持つ母親が、時として涙ながらに叫ぶ言葉ではあるが、担任しているほとんどの教師が、「不登校は病気だ」と内心思っていることを俺は信じて疑わない。なぜかって、異常なんだよ、本っ当に!

だいたいからして、不登校の家庭には「共通の特徴」がある。それも、気持ちが悪いほど「共通」なのだ。

1.不登校の生徒がいる家庭は、ほとんどと言っていいくらい父親の影が薄い。家庭訪問しても母親と面談しても、父親の存在を感じることがない。これらの家庭の父親は、まず間違いなくお子チャマである。子どもの教育に対して、最後まで責任を取ろうという意志または気力がない。直接会って話をしても、大変物わかりがよく、ニコニコしながらうなずいているか、評論家のように、他人事のように、我が子のことを語る。そうでないにしても母親(つまり奥さん)の言うことがそのまま父親の意見なのだ。または「意見」を持っていない。

2.不登校の生徒の母親は、ありとあらゆることを「自分で」しゃべってしまう。教師に伝わってくる「子どもがどう考えているか」という内容は、ほとんど母親が頭の中で捏造、といって悪ければ想像した物語である。また、本人と面接しても、その場に母親がいればもうおしまい、すべて(言葉の真の意味において「すべて」)の会話は本人が首を縦に振るか横に振るかだけで事が済んでしまうように、母親がコーディネートしてしまう。そして、猛烈に干渉しているように見えて、実は猛烈に子どものいいなり、召使いというか奴隷であって(それ系のサークルでそう教わってくるらしい?)、明らかに親としての機能は果たされていない。

3.不登校の家庭は、本人にとって、とても居心地のよい場所である。まずかなりの割合で家には本人の立派な個室があり、しかも内側から鍵がかけられるようになっている。また、パソコンやゲームなどの楽しいアイテムがそろっていて、食事にも困らず、夫婦共稼ぎなどで、日中好き勝手なことをしていても誰からも文句を言われずに楽しめる環境が整っている。場合によっては、「ばあちゃん」という財布が近場にくっついていることもある。

ね?
父ちゃんと母ちゃんが文句言わなくて、食うのに困らない居心地のいい空間があれば、そこから出て行こうなんて誰も思わないでしょ。

 辻創という人が書いた「父親主義」という本の中では、「不登校」は先進国、特に日本だけに見られる特異な現象、とある。そして、不登校が成立する要件として、「家にこもって何もしないでいても、命の危険にさらされない」というのがあるそうだ。実際、発展途上国など貧しい地域では何もしないでいれば、そのまま餓死する運命が待っているという。
 思うんだけど、不登校児の家が火災にあって両親が亡くなった、なんてことになった場合、彼(彼女)は不登校~引きこもりを続けるのだろうか。不謹慎ではあるが興味あるシチュエーションである。
(つづく)
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学校は楽しいところ?

 現代の日本では、誰もが
「すべての生徒にとって学校は楽しい場所」
「楽しかるべき学校で…」
などと語られるのを聞いている。入学式なんかの校長訓話しかり、文部科学省とか教育審議会やらのお偉いさんしかり、何か事件が起こったときのマスコミや、「教育学者」や「教育評論家」と称する爺さんたちのコメントしかりである。こんなセリフが全くの間違いだ、という当然の事実に、誰も疑いをもったり、声を上げたりしないってのは、いったいどういうことなんだろうか。

 はっきり言わせていただきます!
学校は生徒にとって楽しいところではありません。また、楽しいところであってはいけません。当たり前でしょ、そんなこと。学校ってなにするところですか。ガキが社会へ出て行くためのイニシエーションの場でしょ?楽しいイニシエーションなんて聞いたことないよ。(例えばバンジージャンプなんてのも、もともとはどこかの部族のイニシエーションで、失敗すれば関節がはずれて大変なことになったという決死の行だったわけだし。)
 だいたい、赤ん坊の時からオオカミが育てればオオカミになるという「アマラとカマラ」のエピソードでも明らかなように、人間の子どもなんて、放っておけば死んじまうかケダモノになる。それをまがりなりにも「人間」にするには、相当の努力が必要なのだ。それが近世以降では保護者だけじゃ手に負えないから学校みたいなものが発生したんじゃないのか。その中で「社会的な動物」であるところの人間になるために、その動物に無理矢理躾を教え、一個人じゃ網羅しきれなくなった知識を系統的にたたき込み、人類の文化を伝承しようとしているのが学校でしょ?動物に近い子どもにとって、もともと苦痛でこそあれ、楽しいはずなんてないじゃありませんか。
 そういう構造上の問題に目を背け、戦後の平和ボケというか、モノの満ち足りたぬるい社会環境の結果として、ちょっとぐらいイジメが横行したり不登校が増えたりしたからって、「学校は楽しいところだよ~~」なんて猫なで声で呼びかけるなんて間違っているじゃありませんか。

 それにしても、「学校が楽しいところ」だなんて、いったいどこのバカが言い出したんだ?俺がガキの頃にはそんなの聞いたことなかったというのは絶対に保証できる。本当にコチトラとんでもない迷惑だ。生徒が勘違いして、学校を楽しい(はずの)ところだ、と思ってしまったり、期待してしまうではないか。

 まあ、百歩譲って、「学校は楽しいところ」という文言が成立するとすれば、それは、教師の「努力目標」としてである。大量かつ多彩な内容のカリキュラムのすべてを「面白おかしく」教えるなんてできっこないが、それでも子どもが興味を持って取り組めるように工夫し、できたぜ!という「成就感」を感じさせるのは大事なことだ。それに、行事みたいな非日常空間を作り上げて仲間との関わりなどから「充実感」や「達成感」などを感じさせるのも大事なことだろう。(日々、俺たちが努力しているところだ。)
 そういうのを総称して「楽しい」と言えば言えないこともないが、反面、「努力」「勤勉」「鍛錬」みたいな、怠け者やダメッコちゃんにとってキツイ部分や、「失敗」「仲違い」「挫折」「敗北」などのいやな部分も圧倒的に大量にあって、しかもそれは学校の中では絶対に避けては通れないところである。そこのところをちゃんとわかっている人間だったら、「学校は楽しいところ」だなんて、子ども達に向けて簡単に発言できるわけなんてないんだけどなぁ。つまりこんなの大人向けの言葉でしかあり得ないのだ。

 やっぱり、俺たちが小学校に上がった頃に親や爺さん婆さんから言い含められた言葉、「学校へ上ったらちゃんとするんだからね」「先生の言うことはちゃんとききなさい!」「通信簿がよくなるようにしろ」「宿題やりなさい」「先生に怒られたら恐いからね!」というのはよい躾だった、ということが今になってよくわかる。学校に行ったらいいことばかりじゃないけど、自分のため、世のため人のためには絶対に行かなければならない場所なんだ!と子供心にも構えて毎日登校したからね。最初から「楽しくないところ」って思っていれば、行って期待を裏切られるなんてこともないわけだし。
 まあ、現代にそんなのが通用するとは思わないが、「楽しくなければ学校に行きたくない」なんて平気で口に出せる世の中って、オカシイとは思いませんか?

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社会体験事業

 「中学生社会体験事業」というのがある。3日の間地元の企業とか商店とか、つまり職場に中学生をあずけちゃって、「仕事の厳しさを実体験してこい!」という企画だな。もとはといえば、中学生がどうしようもなくだらしなくなってきたみたいだから社会の荒波にもなれてきちんとした人間になってこい!という「生徒指導」の立場での行事だったのが、最近は「キャリア教育」の一環、という見直しがなされて文部科学省も鉦太鼓で騒いで、3日だったものを一週間に延ばそう、という音頭を取り(ふざけるな!)、それがそろそろ本格化してきた地域もあるようだ。

 とにかく毎年、担当学年にあたった中学校教師の頭を悩ませている、お上から押しつけられた行事である。そりゃそうでしょ。かつてのように中学生が中学生なりに、精神的にも大人になっていれば、そういうことをやったって特に問題は起きないだろう。よい子はもとより、不良だってそれなりに大人とのつきあい方ぐらいわかっていた。
 だが、現実の彼らの頭の中身はまるっきりのお子チャマである。平気で遅刻する、欠席する、早退する、言うこと聞かない、叱ればふてくされる、あいさつはできない、という有様ではコイツらの面倒を見てやろう、と思う大人なんて中学の教師ぐらいしかいるわけない、というのも自明の理というものだ。
 いろいろな職場でも、トラブル続出である。

・何をさせていいかわからないので、生徒がずっと遊んでいる。(一番よくあるパターン)
・お店で店番をさせていたら、「この店では中学生をバイトに使っているのか」と客にクレームをつけられた。
・工事現場に連れて行ったら何かの都合で帰りが遅くなって、親も教師も大騒ぎになった。
・「中学生を無償でこき使うのか!」と保護者(特に父親が多い)にイチャモンつけられた。確かに、働き手を2~3人、3日間タダで雇えると考えれば、うまく使える事業主にとってはおいしい話には違いない。

なんていうのはどこの中学でも聞く話であろう。この他にも、

・何を言っても無言で、その場から動こうとしない生徒がいて、扱いに困った。
・地元のコンビニで、中学生の万引きがあまりにも多いものだから、体験の引き受けを断られた。
・ガソリンスタンドで体験中の生徒がガソリンをかぶってしまう事故があって事業主が震え上がり、次の年から断られた。
・仲間同士でケンカして、担当者が知らない間に家に帰ってしまったヤツがいて、次の年から断られた。
・中学生があまりにも体力を抑制しないので、幼稚園が内心断りたいと思っている。
・個人情報保護の観点から、旅行代理店など、断らざるを得ない業種も増えつつある。
・雪印とか不二家とかいろいろあって食品製造関係は神経をとがらせているのか、断られる傾向がある。

 などは、俺が身近に聞いたり実際に体験した話である。というわけで、社会体験を引き受けてくれるところは減りつつある、というのが俺の実感である。おそらくどこでもそうだと思うが、当然のことながら、担当の学年の教師は引受先の事業所を探すのに毎年四苦八苦である。もちろん、中には「歓迎!」というところも少なからずありますよ。しかし現実は、この上期間を一週間に延ばせなんて「バカ言ってんじゃないよ」という世界なのである。最近は図書館みたいな公的機関(頼みの綱)まで、なんだかんだうるさいことをいって事実上断ってくるところまである。
 とにかく、文部科学省をはじめ、お上は「口は出します、金はありません、人は増やしません」というのばっかり。言うだけなら誰でもできるぜ!

 だが、それでもやらないよりはやったほうがいい、と考えるべきなのかな。まあなるべく多くの企業とかに引き受けてもらうのがいいでしょう。そして、「中学生はここまでなってる!」ということを世の中にわかってもらう必要がある。みなさん!一度でいいからこのかわいそうな子ども達の面倒を、3日間見てやってくだせぇ!

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新たな身分制度:日本は職業世襲制の時代に逆戻り

 福田総理のお父さんはかつての総理大臣。親子で総理大臣というのは初めてだそうだが、今の日本を象徴している。親子で同じ職業、というのはかなりあちらこちらで見られるようになった。アニマル浜口とその娘。横綱若乃花の一族。最近話題の亀田一家。この日本の社会の流れの中では当然の帰結なのだが、今や日本の職業は世襲制が、より強く強く進行しつつあるのだ(と思う)。

 その大きな起動力となっているのが、平成になってから取り入れられた「新しい学力観」である。これは、(俺の認識によると)知識の量そのものを競うよりも、知識を得ようとする意欲や、応用のための発想力や表現力のようなものを重視したものである。もちろん、こんな考え方で教育を行ったらどうなるか、ちょっと想像力を働かせればわかりそうなものだ。従来教えられていた「知識の量」を増やすのは個人の「意欲」にまかせようっていうんだからね。放っとけばバカが大量生産されるなんて当たり前じゃないか。

 ま、俺たち中学校の教員にしてみれば、そんなの火を見るよりもよく見える。毎日毎日「意欲」のない大量の生徒に手を焼いてるんだから、すぐわかるさ。
 俺は、現行の指導要領が発表された時点で、「これからの何十年かのうちに、日本には新しい身分制度が発生する」と(家内に)予言したのを覚えている。その身分制度とは、ずばり、「インテリ(一部:貴族:高収入)とバカ(大多数:下賎の民:低所得)の二つの階級」であり、もはやこれは固定化せざるを得ないであろう。しかも、「小泉弱い者イジメ政権」の追い風もあって、「何十年」といわず、かなり早い時点でこの傾向がはっきりしてきたのには俺もちょっと驚いている。全く何でこんな学習指導要領を作ったのか。これってもしかすると日本の歴史に残る転換点となるかもしれない。

 机の上で夢を見ている「高級な頭脳の持ち主」文部官僚とちがい、通常ないしそれより上位レベルの親は自分の子どもの「意欲」をそう簡単に信用するほど甘くはないが、ヤバイ!と思う人間は二つの方向に進むと思う。一つは、私立中高から一流大学に進ませよう、という他力本願金満型。もう一つは、子どもの将来に必要な「手に職」をつけてやるには親が一肌脱ぐしかない、という自給自足型だ。後者の典型が前述の親子でスポーツ選手たちであろうが、こんな現象は実はかなりあちらこちらで進行している。
 俺が知ってる世界だけでも、例えば学校の教員の世界では親が教師だったヤツがけっこう多いし、音楽大学なんかの学生も今や2世が幅を利かせているということだ。

 つまり、子どもの受ける教育が、かつて一律だったものが、いつの間にか、親の考えにより個々に偏向するようになってきたんだな(それ自体は悪いことではないとは思う)。さらにそれを補強する要因として、教師・学校に対する不信感がここ20~30年で強くなってきた。作られた不信感、という気がしないでもないが、学校の先生の言うことに重きを置かれない、となれば親の言うことの影響力や責任が重くなるのは当たり前だ。学校不信をあおったヤツはそこまで見通していたのだろうか。そして、親の世界観によって片寄った教育を受けてくれば子どもは親の職業を受け継ぐしかなくなってくる。それを「個性化が進んだ」と手放しで喜んでいいものかどうかまでは俺レベルではわからんが、かつてのような「末は博士か大臣か」という夢のある時代が終わったのは確かのようだ。

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事故って誰の責任?

 エスカレーターにはさまれて重体となった小学3年生がでた。痛ましいことだ。無事であってほしい。一夜明けてのニュース番組では、エスカレーターの構造がどうだとか、そのスーパーの対応がどうだとか、いろいろ特集でやってたのを見たが、マスコミで常に、絶対に語られないことは(そりゃ当然、という認識ぐらいは俺だってもちろん持っているが)そのケガをした本人と保護者の責任である。
 今朝職場でもちょっと話題になって、「お店もいい迷惑だよな。」「親が店にわびを入れるべきだろ。」ということで意見の一致を見たが、ある人が「ウチじゃ年寄りを中心に、子どもが気の毒だ、お店の責任だ、で譲らなかったよ…」と、トホホ顔で言っていた。かわいそうに(その人の子どもが)。

 そもそも、エスカレーターが危ないものだ、なんて誰でも想像できるはずなのに、その子の保護者は彼に教えなかったのだろうか。体を乗り出してエスカレーターに乗るなんて、自殺行為に等しいじゃないか。俺は、両親からもじいちゃんばあちゃんからも、「エスカレーター」という物体に遭遇するたんびに「ちゃんと乗らないと危ない。」「骨なんか簡単に折れちゃうぞ。」「手なんか挟まったらすぐにもぎ取られちゃうんだからな!」と脅されてきたから、どこの家でもそうやってきたのかと思ってたんだが、現代はちがうんだな。

 文明の利器というものは何であれ便利さの反面、危険や弊害が伴うってことを昔の人は本能的に知っていたのだろう。新しいモノに出会うたびにそういう危険とか、裏に隠れているものを無意識に探っていたに違いない。だから子どもにもそういう躾をした。それなのに俺たちはそういう大切な警戒心を「古くさい」とあざ笑いながら目を背ける努力をしてきてしまった。
 だが、たとえマスコミが騒いでくれようと、お店が何らかの賠償をしてくれようと、ようするに(百歩譲って)責任が自分になかったからといったって、ケガして痛いのは本人である。体に障害を負って一生不便な思いをするのは本人である。そんな目に遭わないように厳重に注意し、躾けるのが保護者としては何よりも先決の義務のはずなのに、それをやっておかないというのは、つまり我が子の「運の良さ」にすべてを賭けちゃってるってことかな。俺にはできなかったね、そんな冒険。

 もう一つ、問題なのは学校の対応である。たとえばこの事故の場合、この子が通っている小学校の校長先生は、子ども達に何と訓示するのであろうか。
「○○君は、エスカレーターから身を乗り出す、という危険なことをしていたのだから自業自得です。皆さんはそんなことをしてはいけません。」
と言えるだろうか。緊急保護者会かなんかで、
「○○君の事故に鑑み、エスカレーターから身を乗り出すような無謀なことをしないようにご家庭でも十分に躾をしてください。」
と言えるであろうか。言えるわけがない。本人や家族の心情を無視して云々、などと騒がれたらどうしよう、とかって二の足を踏んでしまうからね。つまり、学校は現代においても最も影響力の強い「教育機関」であるにもかかわらず、マスコミと同様、この「当たり前のこと」がきちんと言えなくなってしまっている、というこの事態は、日本を蝕んでしまっている病理なんだ、と国民が気づいてもらいたい。オマエ以外の誰も、お前の子どもを守ってくれない、教え導いてくれないってことなんだぞ!

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55年体制の残骸教師

 去年だったか定年退職した社会の教師。たった1年とはいえ、これより最悪の男が俺の同僚だったことはない。今やごく少数派になってしまった日教組が学校を牛耳っていた時代、何でもかんでも管理職にたてついて二言目には「それは生徒のためにならない」などと大義名分をかざしながらも、場合によってはとんでもない偏向教育を施していたこともあった(らしい。俺はその時代を知らない)。
 この男、その頃の輝かしき思い出の日々を忘れ去ることができずに、ただひたすら管理職にたてつくためにたてついているだけでトシを食ってしまった、というのがありありとわかる大馬鹿者である。どうして、何らかの処分の対象にならなかったのか、理解に苦しむ。こんな教師がいたんだぁ!とみんな驚いてくれ!

その1:年度当初の職員会議にて
 前年度までの行状によって、もはやこの男を学年に配当するわけにはいかなかったらしく、「教務付き」ということになったが、彼はそれに激しく反発した。会議でのやりとりは覚えていないが、その後の職員室の配置換えの時に、彼の机を教務の位置(すなわち教頭の隣)に職員みんなで移動させようとしたら、「何をしている!こんな不当なことが許せるか!私の机にさわるな!!」と他の職員を乱暴に押しのけつつ大声で叫ぶのであった。(それだけでもうビックリ!こんなの見るの初めてだぜ!)校長が「かまわないから移動させてください。」と職員を促し、どうにかその場は所定の位置に移したのだが、何と彼は数分後に野球部の生徒を何人か連れて戻り、自分の机を日頃使ってない相談室に運ばせてしまったのだ。そして彼は1年間職員室に机を持たずに過ごした、というのは誰に話しても信じてもらえないほど驚愕の事態なのだ。

その2:教科指導について
 暗記なんてする必要がない、というのがこの教師の持論であった。彼の中間・期末テストでは教科書・資料集・地図帳その他何でも持ち込み自由である。校長が、「暗記をさせなければ、例えば高校入試で「熊本県は九州と四国のどちらにあるか」なんていう、要するに覚えていて当たり前の問題が出た場合に本校の生徒だけが極端に不利になる。こんなテストは認められない!定期テストでの教科書持ち込みは禁止だ!これは職務命令です!(「職務命令」なんて言葉は現場では通常使わない。言われたことはつまり職務命令だからな。管理職がわざわざこんな言い方をするのはよっぽどのことなのだ)」と職員会議で明言したのだが、彼は「へへへ。持ち込みはさせます。へっへへ。今までやってきましたから。へへへ。」と薄気味悪く笑いながら言った。(この笑い声は今でも俺の耳にありありと残っている。)
 さて、テスト当日。生徒は担任から持ち込み厳禁を言い渡されていたのだが、「社会の先生がいいって言ってるじゃん、今までもOKだったのに」という生徒もかなり多くて不穏な情勢である。当然だ。大多数の生徒は楽できるほうがいいんだからね。いざテストが始まってみると、さあ大変。教頭(けっこう血の気の多いヒト)が回って「しまえ!」と言ってるそばから彼が追いかけて「出せ」と言う始末で、生徒は教科書だの何だのを出したり引っ込めたり。信じられないような混乱ぶりだ。そしてトドメに、教頭が「こんなテストは認められない!!」と自ら答案用紙を回収してしまったのだが(それだけでもあり得ない!)、なんと彼はそれを横から奪い取ってダッシュで逃走してしまい、それを追う教頭と廊下で追いかけっこを演じる有様となったのだ、生徒の目の前で。俺が知っているのはそこまでで、結末がどうなったのかは、残念ながらわからない。くわしく聞いとけばよかったぜ。

その3:生徒指導?において
 これはちょっと許せない事態だった。
 実は、クスリで捕まって、少年院送りになっていた3年女子がいたのだ。通常そういう場合、そういう生徒は一時遠くの親戚に預けられた、とか、おばあちゃんの家に行っている、とかなんとか言って、普通の生徒には説明するというか、苦しい言い訳をするものなのだが、事もあろうにそれを生徒にバラしたのである。しかもどうやって知ったのか、居場所を突き止め、仲のいい生徒に文通までさせていた。
 その上、この女子生徒についての話をきっかけに、「この中学の先生は嘘をついている。みんな嘘つきだ。この中学校で本当のことを言っている教師は私だけだ。」と、生徒に吹き込んでいた。(そりゃ確かにその通りだ。)ネンショー送りになるような生徒の友達なんてロクでもないのばっかり、というのは容易に想像できると思うが、彼はそういう連中を、自分の机を置いた例の相談室に何人もシケ込ませて手なずけていた。
 こんな形で土台から教師不信・大人不信をあおられたのでは学校はたまったものではない。その後の筆舌に尽くしがたい困難な状況はここではおいとくが、何年も後に行われた意識調査で、この中学校の生徒は、「大人不信」の生徒の割合が、全国平均にくらべて「異常に」高いという結果が出ていた。場所柄にもよるだろうけど、全く関係ないと言い切れないように俺には思えるのだ。

まとめ
 この他にも、もう一人の社会科教師との打合せを無視して全然別のカリキュラムで授業を進めちゃって、ある学年の定期テストの範囲が作れなくなったとか、あるとき校長が授業を見に来たら「出て行け!」とわめいて廊下で激しい口論となり、1年の女子がそれを見ていて恐怖のあまり泣いちゃったとか、成績交換の日程を守ってくれなくて学期末に通信簿の成績を危うくつけ損ねそうになったりとか、いろいろあり過ぎた。
 そうして1年後に転任していくまで、陰になり日向になりさんざん俺たちの足を引っ張ってくださったこの教師は、それにもかかわらず、生徒からの人気が高いのである(つまり、保護者からの信頼もそれなりにある、ということでもある)。口が上手で、生徒を丸め込むのがうまいんだな。そこのところだけは誰もが見習ったほうがいいかもしれない。でも見方を変えれば、まるっきり詐欺師そのものである。

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ダメ親の見分け方

おもに就学前~小学校低学年の子どもの親をウォッチングしてわかるダメ親・クソ親の見分け方。最近よく見かける。中には親ばかりか爺さん婆さんまでこういう行動を取ることがある。コイツら、子どもが可愛くないのかね。

1.道を歩いているときに、子どもの手をつながず、親が先に歩き、子どもが後からついてくる。
(子どもは何だかんだと話をしたい。ペチャペチャワケのわからんことをしゃべくるというかさえずっているが、それを聞いてやるチャンスを投げ捨て、子供に背を向けているわけだ。子どもは寂しいだろうなぁ。しまいには子どももそういうものだ、と納得し、情操も語彙力も思考能力も乏しい人間が育っていくのに気付けっての!)

2.道を歩いているときに、子どもの手をつないでいるが、親が道路の端、子どもが車道側を歩いている。
(子どもを犠牲にして自分は交通戦争に生き残ろうという鬼畜人間。人間としての資格さえ問われる。)

3.親子それぞれに自転車で走っているときに、親が前を走り、子どもが後ろを走る。
(子どもの安全なんかどうだっていい。子どもが生きるか死ぬかは神の手にゆだねちゃってるわけね)

4.回転寿司のボックス席で、寿司の列に近い側に子どもを座らせる。
(汚ねえなあ!お前の子どもを可愛いと思ってるのはお前だけだ!子どもにやりたいようにさせとくのは愛情とはいわないんだけど?)

5.4~5歳にもなる子どもをベビーカーに乗せている。
(身障者か、と思って気を使っちゃうじゃねえか。すくすく育ってる子どもをいつまでも甘ったれさせといて、自分は慈愛に満ちた親だ、なんて自己満足に浸ってるんじゃねえだろうな。似たようなのに、デカイ子どもをいつまでも抱きかかえている親ってのもある。足腰の弱い子ども、根性のない子ども、体力のない子供はこうして作られる。)

6.スーパーやドラッグストアなどで、子どもをおっぱなしにして、騒がせ、走り回らせておく。
(ガラス製品の棚なんかのそばで騒いでたりするとこっちの方がビクビクしちまうわ!躾のできてない人間の子どもなんて野生の猿と一緒だ。ドーブツなんかを公共の場所に連れてくるな!恥を知れ!)

7.公園のベンチなんかで、まとわりつく我が子の顔にタバコの煙をプーッ。
(マジで殺意がわきます。なんでお前みたいなヤツが子どもを産むの?世の中には子どもがほしくても授からない人がたくさんいるのに!)

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叱れない教師

 最近、部活動の大会で、中学生のマナーが悪い、とよく話題になるようになった。行儀がいいはずの吹奏楽部でも、演奏を鑑賞している最中に私語をする大たわけ者がかなり増えている。
 だいぶ前の、吹奏楽部の「研究発表会」での出来事である。会場はけっこう有名な音楽ホール。たくさんの中学校の吹奏楽部が集まり、互いに演奏をして鑑賞しあう、という会である。俺が裏方でいろいろやっていると、ウチの中学校の生徒(会場係)が駆けつけてきて、
「先生、会場内で私語をしてウルサイ人がいるんです。○○2中の人なんですけど。」と言う。大会実行委員長のA先生が、
「なんだそりゃ!○○2中!□□先生のところか、何やってるんだ□□さんは!!」と滅法なお怒りである。俺も、まあ、生徒同士で注意するのも荷が重かろ、と思って、その場所(客席の入り口ドアの近く)へ行ってみると、会場係のS先生(一応顔見知り)がいて、困り顔で
「私語をやめない生徒がいるんですよ…」なんて暢気なことを言っている。それで、俺がわざとやや大きな声で、「誰ですか?○○2中って聞いたんだけど、どこにいますか?」
生徒「(困り顔で)なんかいなくなっちゃったみたい」
俺「どこに行ったんだよ。何色の制服だった?喋ってるの誰も文句言わないわけ?!」
とか騒いで周辺の注目を集めてみたのだが、そのあとのS先生の小声での一言に俺は一瞬絶句した。
「まわりに聞こえますよ…?」
キレましたね。あきれた不甲斐なさに思わず叫んでしまった。
「聞こえるように言ってるんですよ!!」

ところがその瞬間、A先生が突入してきたのだ。(まさしく「突入」としかいいようのない登場の仕方!)そして大声で、
「おい!○○2中のヤツどこにいる?!喋ってたっていうじゃねえか、そんなのつまみ出せ!退場だ。○○2中!!どこだ、どいつだ!!!」
そしてその後の行動にはさすがの俺も度肝をぬかれた。何と、そのあたりにいる生徒一人一人に胸ぐらを掴まんばかりに接近し(本当に胸ぐらを掴んでいたかも知れない)、
「おまえか!?」「ちっ、ちがいます!」「おまえか!?」「えっ!」
というのをやり始めたのだ。7~8人聞いたところで○○2中の別の生徒に行き当たった。
「お前か、喋ってたのは」
「ぼっ、ボクじゃありませんっ!」
「どこに行った!」
「トイレに…だと思います…」
「おぅ!そいつらに言っとけよ!演奏中にしゃべったら退場だってな!何年生だそいつら?2年?とにかく□□先生にもよく言っとくからな!次しゃべったら退場させるからな!帰ってもらうからな!わかったかっ!ちゃんと言っとけよ!!!」
「ハイ…」

というのを演奏団体の交代時間のわずか3分ほどの間にやっちゃったわけだ。もちろん、あたりは水を打ったような静けさ、異様な緊張感が支配する。

 ま、「研究発表会」といっても演奏会だからね。ある意味上品というか、お行儀のよい、よそ行きの空間なわけです。いろいろな中学の生徒が集まっていて、引率顧問もいて、校長もいて、もちろん保護者も多数来場している。そういうところで、こうやってマナー違反をとっちめるのはどうか、という意見もあるであろう。
 だが、演奏会である以前に教育の場であることの意味は大きい(と思う)。教育の場である以上、まずいことはまずい、ダメなことはダメ!というのをリアルタイムで教えるほど大切なことはない。人の目なんか気にしている場合じゃない。「いけないことをしたら嫌な思いをさせられる」ってのが基本じゃないのか!?放っとけば、たとえばクラシックの演奏会場で平気でしゃべったりするクズ人間が世間に野放しになってしまうではないか!そんなことを教師たる者が許しておいていいのか?
 その時はA先生の小気味よい指導に心の中で喝采したものだったが、それにしても情けないのはS先生である。「聞こえますよ」とは何事?結局、自分では指導できないモンだから、生徒を使って俺なんかを引っぱり出しやがって、お前会場係だろ?生徒を静かにさせるのが役目とちゃうんかい!
しかも実行委員長のA先生はそんなのいちいち関わってる場合じゃないのに!

 だが、吹奏楽の顧問の中にももっとどうしょうもないのがいる。この「研究発表会」は自分の出番が終わってしまうと後はやることがなくて、役付じゃない顧問は1日ヒマっていえばヒマなのだ。それをいいことに、子ども達が行儀悪をしているのを放ったらかして、客席で居眠りを決め込んでいるヤツもいるのだ。そういう顧問の部活は演奏も下手で聴くに堪えない。マナーも音楽も身に付かない部活なんて、何のためにやってるんだって感じだよね。本当にもう、何とかしてほしいよ。やめちまえっての!もっと優秀な若いのが正採用にもならないでうごめいているんだよ!

 というわけで、今や俺は吹奏楽の演奏会場の中では一番手に負えないウルサ親父になったのだ。皆の者、刮目せよ!

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マジしょうがねえ躾

 この間の土曜日は体育祭。まあ、普通は次の月曜が代休になるのだが、いろんな都合でたまたま代休が一週間先延ばしになっている。ところが、いたんですよ、勘違いして週明けに休んじゃった生徒が。しかもウチの学年に。
 朝、担任が「S(男子)がまだ学校に来てない」と職員室に戻ってきて、S君の家に連絡を入れてみたら、おばあちゃんが出て、「え?今日は運動会の代休じゃないんですか。まだ寝てますよ。」
んで、すぐに登校させてください、ということになった。
 ところが暫しあって、S君の母親から(おそらく職場から)連絡が入り、「本人が、遅れていくのがいやだって言うんですよね…だから、今日は学校お休みさせてください」だってさ。それで、彼はいとも簡単に休んでしまったわけです。普通こういうのを「ズル休み」って言うんだよね?!そうだよね?!

 どうなってるんでしょうね。現代ではいいんですかね、これで。私が中学生の時にそんなことを言いだそうものなら、おそらく母親から何発も頭をどつかれて無理矢理家を追い出され、学校の先生からもこっぴどく叱られるという姿が容易に想像できるのだが。おまけに、S君は次の日学校に来たときも、朝の健康観察で「風邪気味です…」なんてモゴモゴ言っていた。情けない。
 確かにこんな状況で学校行くなんて顔から火が出るほど恥ずかしい。級友からはからかわれるし、先生にも笑われる。おかしな時間に中学生が学校の支度をして道を歩いていれば街の人の目も気になる。しかし、いやなことを幾つも我慢し、乗り越えてこそ人としての大事な胆力が備わるんじゃないかなぁ。そういう絶好の機会をむざむざ無駄にしているとしか思えません。何でこの親は、大事な息子をいやなことに立ち向かわせないんだろう?

 S君は口先だけで全然実行力の伴わない生徒。やることをやらなかったときにも、教師の前から隠れるようにし、問いつめても言い訳にもならない言い訳ばかりという、一言で言って根性なしです。まあ、今回のような時に自分のワガママが通ってしまうような家庭環境にいれば、そりゃそうなるわな。マジしょうがねえ躾だ。(コイツ、今はその兆候はないけど「不登校」の最前線にいるんじゃないかな。なんかあればソッコー来られなくなるっていう…)

 ついでに言っとくけど、こんな時、昔だったら担任の先生が家まで迎えに来たものだけど、今はそういうことはしませんよ。選択だの総合だの、ワケのわからない授業が増えて空き時間が極端に少なくなっちゃってるし、書類書いたり野暮仕事いっぱいで、そうそう手が空かない。おまけに今は「家にまで教師が来る」ことに拒否反応を示す家も多いからね。何でプライベートにまで学校が口出すんだ、ってね。こっちも、どうせ文句言われるんだから…と、面倒なことから切り捨てちゃうわけだ。そしてクズなガキがこうやってひょろひょろと育っていきます。
 いやな世の中ですよね。

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卒業生の訪れ

 今年の3月に卒業した女子生徒が、職員室に訪ねてきた。
 中学生の時はやる気全然なし。勉強ダメ、スポーツダメのグズグズちゃんで、もう一人の家庭崩壊・生活破綻の女の子と二人で、用もないのに職員室に入り浸り、若い講師や事務員をからかっては時間つぶしをして、教師みんなからうるさがられていたものである。そして、「高校へは行きたくない、勉強なんてまっぴら」という確固たる?意志によって3学期には猛然とリクルート活動の末、中卒で就職したのだった。
 ところが、今回は「仕事が休みになったので、これから伺う」という電話による事前の連絡の後に、何と菓子折を手みやげに持って現れたので、職員一同ブッたまげてしまった。礼儀知らずの見本みたいなヤツだったのに…!!
 聞くところによると、試雇期間がやっと終わって、ついに正社員になった、という。「じゃ、正社員になって最初の給料で手土産を買ったのかい?」
 「うん、まあね。手ぶらじゃあれかと思って。」と話すこの子は、薄化粧こそしているものの、髪の色を薄くするような浮ついたところもなく、落ち着いた雰囲気。また「あたしって滑舌が悪いじゃない、だから…」など言いつつも卒業前よりは実にはっきりと言葉が聞き取れるのだ。こんな風に成長した教え子を見ると、何とも言えないうれしさといとおしさがある。

 ずいぶん前に、薬で捕まって教護院を出入りして「コイツさえいなけりゃいいのに」と俺をして本気で思わせたほど大荒れの女子生徒がいたが、それが卒業して3年後に、言われなければ誰だかわからないほど落ち着いた様子で現れ、「あたし今度結婚して子ども産むんだよ」とのたまったときにも人生観が変わるほどビックリしたものだが(その子はさらに、中学生当時の自分自身のグレ方やなんかについて、家庭環境なんかも含めて冷静な分析をして聞かせてくれた)それをも彷彿とさせるような「卒業生の訪れ」であった。

 以前にこのブログで「卒業生なんかジャマ」と書いたが、こういうのだったらたまには歓迎かな。

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