最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

体罰とモラルハザード(その4)イジメの対処

 イジメへの対策には全国どこの学校でも教師が苦慮している。当たり前だ。イジメに対する決定的な対処法がないからね。

 でも、昔はあったんだよ。まさに特効薬的な効き目の方法が。

やり方は簡単。
帰りの会とか、そういうできるだけクラスメートのいる場所で、いじめたヤツを呼んでみんなの前でなじり、
ぶっ飛ばす。(女の場合はビンタぐらいに留めるほうがいいかも。)
そしてそれなりの時間、大声で怒鳴って叱りとばす。できれば隣のクラスの生徒なんかがビックリして様子を見に来るぐらい激しい方が効果がある。思いっきり屈辱感を感じるように持っていくのがよいのだ。

 これでイジメはぴたっと治まります。
昭和の終わり頃までは最も一般的なイジメのやめさせ方でした。
このやり方のよい点は、単にイジメをなくさせるだけでなく、予防にも効果があったということです。実際、私が2度目に受け持った1年生(大河内君自殺事件の前年)では大きな事件はなかったが、後で聞いたら、「先生が4月の最初に、「イジメをする奴がいたら絶対ただじゃおかないし、多分自分でもわからなくなって(まだキレるという言葉がなかった)そいつをぶん殴るかもよ。」と言ったことでみんなすごく安心したんだよ」という話を複数の生徒や保護者がしてくれた事でも証明できます。

 まあ、今やったら大変だろうな。人権問題に発展しちまうだろう。それとも、クビ覚悟で体を張って大手術をしますか?やめなって。バカだと思われるだけだよ。
 それに、ネットのイジメとか、いろいろで状況が違うんだから、今の時代じゃイジメっていうのは簡単に手をつけられるようなものじゃない。
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本能が衰えた教師たち

あるネット上のコミュニティ(中学校教師限定)で、こんな投げかけがあった。

試験前の授業で「社会的ニュースになっていることについての意見を聞く問題を出すからね」と予告し、テーマについての解説をしました。 つまり、こんな問題を出すよと教えてしまったわけです。するとそれに対して、塾で模範解答が作成されたようです。 (試験監督中に教室の棚の上に置かれているのを見つけました) いろいろな意見を集めるという点では、塾の先生に意見を聞くのは構わないと思っています。 しかし対策プリントそっくりそのままの解答が複数ありました。授業では、「必ず自分の考えを自分の言葉で書くように」と言っていたので、塾で与えられた答えをそっくりそのまま書いた生徒の分は減点(部分点を与える)にしたいと思っています。みなさんだったら、どう対応されますか?

 さて、どうしましょうね。俺はこれを見てすぐに「こんなの減点に決まってる」と思った。
ところがなんと、そこにすでに書き込まれていた8人の「先生方」の答えのすべてが、「減点はできない」というものであった。その理由というのが、
1:『自分でしっかり考えたものだけど、たまたま塾の模範解答と同じになっただけ』と言われると何も言えなさそう
2:たまたま塾のプリントを見つけただけ
3:そのようにしてテスト対策を生徒がしてきたわけで、まったく勉強してこなかったよりはマシ
4:他の全ての子についても自分の言葉かどうかをチェックしないとダメで、それは不可能かと。
5:子どもが模範解答丸写しなのは寂しいが、テストというモノにおいてはソレはソレでしょうがない
6:これが、塾ではなく母親とか父親だったらどうなのか?子どもに とって保護者の考えの影響も十分あるようだし、保護者の方も我が子に良い点を取ってもらいたくて、良い模範解答を教えるのではないか。 同じ様な解答は点数をあげないとする気持ちは分かるが、その線引きが難しい。塾で教わることも保護者から教わることも確かに自分の考えではないのかも知れないが、そこまで一生懸命に勉強しよう(点数をとろう)としている姿勢は大切だ 等々

というのだ。どういう教師が集まったコミュなんだ?!!全く吹けばとぶような意見ばかりじゃないか!?コイツらの脳みそはどうなっているのか。だから「デモシカじゃない」教師はダメだというのだ。
 そもそも「必ず自分の考えを自分の言葉で書くように」という指示を出していたのだから、全く同じ文言の答案が複数出てきた時点でNGに決まっているではないか。テニオハまで全く同じ文章を別々の人格が作文するなんて、あるわけ無いだろ?たまたま塾の対策プリントとやらが出てきたからいいようなものの、場合によっては「不正行為」を疑うべきでしょう!!それなのに、コイツら何を寝惚けたことを言っているのか。事態の認識が甘すぎるんだな。半端な秀才お坊ちゃんお嬢ちゃんの集合体ということだ。

 今学校で大事なのは、「何が是で何が非か」をきちんと生徒に示してやることだ。こうではいけない、と思ったら、断固それを貫けばいいではないか。生徒や親が言ってくる文句なんて、まあ、上に挙げた回答の中に出てきてはいる。そんなの木っ端みじんに粉砕するだけの理論武装と実行力が無ければダメだ。
(たとえば、「先生、他にも塾で教えてもらったヤツ、いますよ」と抗議されたら、「それは誰ですか、名前を教えなさい」といってやれば相手はほぼ黙るであろう。名前をあげられたらそいつも減点すればいい。)
 別に塾で教えてもらうのが悪いとはいわない、親に教えてもらう場合だってあるし、一人一人に別の答案を用意する塾もあるかも知れない。だが、同じ文章を別々のヤツが書くのはダメだ!!という、いってみれば表現力に関わる譲れない部分を譲らない、という姿勢を教師が見せなくて誰が見せるのか。「アイツはああだから」でもけっこう、警戒されなくなっては教師としての価値も半減である。

 願わくば、最初に質問をアップした教師が、こういうモノの本質を見る目が曇ってしまっている「本能の衰退した」教師たちの意見に耳を貸すことがないよう祈るばかりだ。

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教育委員会のあきれた体質

 毎年、今の時期になると県教育委員会では「県公立高校入試要項説明会」というのを開催し、全県のすべての中学校の生徒指導主任を集めて公立高校入試の説明をする。今年は、その説明会の中で聞き捨てならない部分があった(らしい)。

 例年、県立高校の入試では「合格したら必ず入学する」というのが約束であり、それは「進路保護者会」を初めとして様々な機会に口を酸っぱくして生徒や保護者に伝えられる。万一県立高校に合格して、入学を辞退し、例えば私立高校へ進学しようとする中学3年生なんかが出現したら、それこそ大変!その生徒の中学校には県教委から直々に強烈な指導が入り、つまり「私立高校入学をやめさせろ!」という圧力がかかるのだ。
 一見、理不尽に感じる人もいるであろう。「そんなの、個人の自由じゃん」という声が聞こえる。い・い・で・す・か、自由じゃないんです!!県公立高校の場合は定員割れは困る。なぜなら、基本的に税金で運営しているからね。生徒40人なら40人分の予算が組んであるのだから、39人でスタート、ということになれば、それは「税金の無駄遣い」ということになる。百歩譲ってそれは許せるとしても、辞退したそやつのせいで不合格になった生徒はどうなるのか。実際に人一人の人生を大きく変えてしまっているのだ!それだけでも許せないのに、しかもそういう想像力もなしに大人になってもらっちゃ困るでしょ?

 だが、このごろは毎年そういう不届き者が出ているのは確かで、上記の説明会でも、「絶対にそんな生徒を出すな、万一公立をやめて私立に鞍替えしたいという生徒がいたら合格発表前に志願を取り消させろ!」と俺たちは例年強く強く申し渡され続けてきた。

ところが!


 今年は、進路保護者会の資料などにそういう文言を印刷してくれるな、というお達しである。どういうこと?
 つまり、昨年もそういう馬鹿野郎がいたのだが、事もあろうにその親が、「そういう指導は違法じゃないか!」とねじ込んだという事件があったらしい。だからどうなんだ!とこっちは叫びたくもなるのだが、県の教育委員会ともあろう組織は、そんなことは「あってはならないこと」らしい。「もしそういう親が裁判を起こしたりすれば、こっちの指導には明確な法律上の規定がないから負けるに決まっている、そんな資料を証拠物件としてあげられれば困る」ということであろう、というのがウチの校長の観測である。情けない…

 それなら、今後はそういう指導はしないほうがいいのか?その方針をやめてしまっては県公立高校の入試制度そのものが大きく崩れてしまうではないのか?
 「そのとおり、だから今まで通りの指導は続けてほしい」、と県教委はおっしゃるのだ。ただし、「口頭で」だとよ。そんなの無理!相手はズルを承知で掟破りを仕掛けてくるのだ。今どきのモンスターペアレントをナメている。こっちだって、言った言わないの水掛け論を避けるために、再三お便りや資料で活字にして喧伝し、挙げ句の果てには「(県立に)合格したら必ず入学させます:保護者捺印」という念書まで取って事に臨んできたのだ。それをやっちゃいけないの?何が悪いの??!!やらなかったらどういう事になると思ってんの?!悪いのは誰なの?なぜ、県教委はそういう馬鹿連中からの予想される圧力に対抗する措置を考えようとしないのか?!教育委員会がそんな体質だからいつもいつもやった者勝ちの論理の前に手も足も出ないんじゃないか。議会に条例案の提出とか、なんかわからんが、もっと断固たる姿勢を示してほしいものだ。

 この「入試要項説明会」(かなり紛糾したらしいが)には、実際には俺は参加しなかったが、この会議の瞬間にまたしても「学校の権威」が一つ音を立てて崩れていくことになったのは間違いあるまい。

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マッドマシーンと「いい子」

 どんな親でも、我が子が生まれてくるときには「いい子が生まれてほしい」と思っている。いい子とは、「五体満足で元気に生まれてくる」というだけではダメで、「顔立ちがよく」「スタイルもよく」「頭がよくて勉強ができ」「運動神経がよく」「思ったことをはきはきと言えて」「リーダーシップがあり」「望めるならば、ある方面に特別な才能があり」「他の子から一歩抜きん出ることができ」るような子どもであろうか。しかし現実はなかなかそうも行かない。親が思うよりも「顔立ちがカワイソウで」「おつむが弱く」…という場合もはっきり言って多いのではないか。だが、もし我が子が学校に上がり、周囲のお友達の中にそういう「誰もが望むいい子」がいたらどうなるか。その子は実はかわいそうな目に遭うことになるのだ。

 例えば、まず「いい子」は頭がいいので幼稚園に入るとすぐに字を覚える。いちいち教えもしないのに下駄箱に書いてあるお友達の名前を見てたちまち覚え、自分でも書くようになる。そうすると、子どもだからおもしろがって書き散らす。それが、まだ字を覚えていない子どもの母親たちの目にとまるとどうなるか。
 答えはとても簡単、その子はよそのお母さんたちから憎まれるのである。しかもお面がよい、とくればこれはもうトドメと言っていい。自分の子よりも資質・能力が高い子どもとは、つまり「存在してほしくない子ども」に他ならない。
 また、「ほら、ナントカちゃんはもうひらがなが書けるじゃないの、アンタ何してるのよ!」と「普通の」子どもはその「いい子」のせいで尻をたたかれることになって、そこでもある種の感情のゆがみが生じ、将来の「いい子」の運命に影を落とすことになる。

 小学校では「いい子」は声も大きくやることも面白く、まずは人気者になる。だが、そこに「普通」のライバルが現れると、彼(彼女)はたちまちイジメの対象となる。「普通のリーダー」は面白いことをしてみんなをリードする能力はなく、陰湿な手段を使わなければ「いい子」に対抗できないからである。そして、たいていの場合、「普通」の子ども達は陰湿な行為がとても好きである。
 さらに、小学校のクズ教師の事なかれ主義が追い打ちをかける。これらの教師(特にババアが多い)にしてみれば、自分の子どもにさえできなかった諸々のことを「いい子」がやってのけるのを見ているのが、もともと不快なのだ。しかも「いい子」とはいえ子どもであるから、100%いいことばかりでなく、時にはやんちゃもするし、発言力も大きいから学級王国の中でも目立つ。「いい子」がクソ教師(特にババア)に「厄介者」として認識され、その認識が固定されるまでに大して時間はかからない。子ども同士のイジメもこれらのクソ教師によって徹底して黙殺されるし、イジメる側の母親も前々から潜在する憎しみによって、子ども達のイジメ行為を追認し擁護し、「普通の」子ども達はむしろ励まされる。
 遅くとも小学校2年生の頃から、「いい子」にとって学校とは「地獄」と同義の場所となるのだ。

 中学校に入る頃には「いい子」はすっかり処世術を身に付ける。それは、極力他人と違うことをしないこと、目立たないこと、先生に目をつけられないようにすること。または、なかには品性下劣なお友達の影のリーダーになり、悪事を積み重ねさせる、という場合もある。(その最たる見本たりえるのがホリエモンであろうか。東大に行くぐらいだから、親にとっては彼がいい子であることには間違いない。もっとも、彼はルックスはそれほどでもないが。)
 女子の場合はさらに悲惨だ。二言目には「何よ、ちょっとぐらいかわいいからって!」と言われ続けるため、かなり性格面でのダメージを負う、つまりブスになり、何もやりたがらない腰の重~いグズ女ができあがる可能性が高い。そうではないにしても、異常に引っ込み思案な消極的人格になるのはよく見受けられる。
 しかも、「いい子」は5~6年生から中学校にかけて、一部の大人(ちょっとまともな男の担任教師など)から再認識されるが故に、場合によっては学級委員にかつぎ出されたり、音楽会のピアノ伴奏をやったりして、その能力の片鱗をうっかりさらけ出すこともあり、それゆえにまたもや嫉妬による様々な不利益を被るが、そういうことがお人好しの教師なんかに見えてくる由もない。
 まさに、「いい子」は「いい子」に生まれついたが故に不幸な人生を送り続けねばならないのだ。とにかく「ルックス」がいい子どもの場合は「頭がいい」のはダメ。「スポーツ万能」もダメ。まして「大きな声でハキハキ」「強い発言力」「リーダーシップがある」なんてとんでもない!他に抜きん出るなんてもってのほかだ。

 教訓 (特に若い夫婦への忠告)。
 子どもを産むときには「いい子」を望んではならない。万一「いい子」が生まれてしまった場合は、日本の学校に入れるのはやめろ。今の日本の学校はとりわけ強い子よい子を粉砕し、一律のノッペラボウを大量生産するための「マッドマシーン」なのだ。

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体罰とモラルハザード(その3)

 そういうわけで、今や中学校から「体罰」は消えた。
 にもかかわらず、「体罰事故」がしょっちゅう新聞TV等で報告されるのはどういうわけか、ということであるが、これは簡単な話だ。つまり、教師がキレるのである。キレて生徒に暴力をふるったということだ。同情の余地もない。つまり刑法に定められるところの「暴行」事件にほかならないし、怪我をすれば「傷害」事件ということだ。報道で「体罰」という言葉を使用すること自体が間違いなのだ。そろそろマスコミもそういう扱い方をするようになってもいいのではないか。

 さて、かつて体罰が黙認されていた時代にも、教師が腹立ち紛れに生徒に暴行を加え、それを「体罰」と称していた事例もたくさんあるだろうが、今やそのような言い逃れは通用しない。なぜなら、現代の子ども達は通常学校で体罰を受けることがないから、たとえ正当な理由があっても万一先生にぶたれたりすれば、それは非常に強く心に残る。あまりにも強く心に残るので、「なぜ」自分がぶたれたか、自分にどんな非があったか、なんてすっかり忘れてしまう。「ぶたれた」「殴られた」「(けられた)」という狭い事象のみが「事実」となってしまい、彼らの口を通して伝わっていく。(そして教師は裁かれ、生徒・保護者は溜飲を下げ、モラル崩壊に拍車がかかる。)ましてや、キレてぶったりけったりすれば、必要以上の衝撃を相手に与えてしまうのは当たり前であり、どんな結果が待っているかは言うまでもない。

 もう一つ、現代の学校において体罰(教師による暴行)が生徒に与える影響で、無視できないものがある。それは「防衛本能」、自分を守ろうとする行動である。
 つまり、そういう教師の行為が「自分に対する攻撃」と受け取られ、生徒が無意識に反撃してしまうのだ。そこまでに至らなくとも、生徒が中途半端に回避行動を取ったがために思わぬ場所に打撃を喰らって怪我をすることもある。教師にしてみればそんなはずじゃないのに、子どもが鼻だの口だのから血をタラ~ッと流すことになるから、魂消るであろう。(俺が小学生の時は中学生の兄貴のいる友達から「中学校じゃ、先生にビンタをされるときにはよけちゃいけないんだってよ」などと、体罰を受けるときの心得をよく聞かされたものであるが、そういう「技術」も今では絶えてしまっただろうからな。)
 もちろん「反撃行動」の場合はちょっと大変なことになる。これは、まぁ、言ってみれば生徒が「逆ギレ」するということなのだが、要するに、「ぶたれたらぶちかえす」ということだ。つまりケンカになってしまうのだ。ここでの生徒の論理においては「自分は全く教師と同格」であり、そこにいささかの疑いも持っていない。年配の人には想像もできないだろうが、後で当事者の生徒に聞いてみても、まさしくそれが現実なのだ。したがって、生徒に体罰を与えるというのは自分の身に危険が及ぶ、という覚悟をしなければならないということになる。これは俺自身もけっこう実感している。なにしろ、生徒が反撃しよう、という場面は何も体罰(暴行)に対するものとは限らない。なぜなら、学校とは「未熟人間であるところの」子どものナマの感情と、その成長を促す役目の大人(教師)の論理とがもろにぶつかる現場であるからである。体と体がぶつかりあう場面が現出することは、実際には珍しくないのだ。
 俺自身の体験からいえば、つかみ合いをしている生徒同士(しかも女同士!というのも中にはあって、その時が一番恐かったが)の間に割って入ったり、消火器をイタズラしようとして(つまりそこら中にぶちまけようとして)持ち去ろうとするのを奪い返そうとするなどは、実際に身の危険を感じつつやった。また、あるとき暴れん坊の生徒に20発ほど蹴りを入れられて一週間休んだこともあるが、その時もエプロンをつけずに給食室に入ろうとしたそいつを押し戻したことがきっかけだった。

 というわけで、体罰(抑制された暴力行為)を学校から放逐したことで暴力行動がかえってエスカレートしやすくなった、歯止めが利かなくなった、と言うこともできないわけではないのである。実際、「校内暴力」が大いに問題になってきた時期と体罰抑止圧力が高まった時期とが一致しないわけでもないんじゃないかい?

 そして、くり返しになるが、俺は今や絶対に生徒に手をあげる、などということはしない。それが「妻や子どもを養い、市民としての当たり前の生活を守る一家の大黒柱」としての正しい仕事のしかたであるからだ。

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体罰とモラルハザード(その2)

 そういうわけで、体罰禁止が極めて声高に叫ばれていた時期(俺の実感では平成5~9年頃)には、教員は「けっ、勝手にしやがれ」という言葉をあちらこちらでつぶやいていたはずだ。そして、多くの教員は、「生徒をぶたずにその場を何とかする」ことを学んだ(というかなんというか)。そして今(平成19年)、俺の実感では、どこかで体罰事故が報道されたり報告されたりするたびに「今どき生徒をぶつ教員がいるんだ…!」と驚きを禁じ得ないのである。
 前回のラストで、「どうせ言ったって聞きゃしねぇんだから」というところに注目してほしい、と書いたが、これにはそれほど説明を必要としないであろう。体罰は危険な劇薬ではあるが、よく効く薬には違いない。しかし、それに取って代わるべき「言葉」は実に効き目があるかどうかもわからない上に、処方するのにやたらに時間と手間がかかる。一発バコッとぶん殴り、それから「お前、なんなんだ…」と始まるときと、最初から「ちょっとこっちに来い…」「なんだぁコラ、また説教かよ!」といって始まる時じゃ、第一、相手の集中力が違うな。こっちに向かってくる真剣度が全然違う。その時点で、教員は(あっ、こりゃダメだ)(無駄かも)という印象を抱いてしまう。生徒だって教員がどうやって自分を諭すつもりなのか、真剣に導いてくれようとしているのか、多少の期待を持って窺っているのだ。(コイツ甘い)と思われれば教員の話なんか耳に入れもしない。
「言ったって聞きゃしない」というのはまともに聞かせようとする意欲が萎えている状態だ。教員の指導が後退する第一歩だ。
 それでも俺たちは気力を振り絞り、一発で、つまり一瞬で済むところを何分も、下手をすれば何時間もかけて大量のむなしい「言葉」を処方する。だが聞いてくれればまだいいほう、逃げちまったって連れ戻す方法がないんだよ、わかる?
 おまけに、「ゆとり」だの「選択」だのって言いながら教員をどんどん忙しくしてしまった結果、今ではそんなことをやってるヒマもなくなってしまった。どうなるんだ?

 簡単なこと。今や学校には教師と生徒の甘~~い馴れ合い状態が恒常化してしまっている。お互い嫌な思いをするのはいやだからね。どこら辺まで許すか、許されるかの境界線も曖昧。というか生徒のやりたい放題。親がたまに学校に来ると生徒たちを見て言うよ。「先生、注意しないんですか?あんなことやってますよ?こんなことやってますよ?」注意なんかしねぇよ!生徒とケンカしなきゃならないじゃねぇか!

 というわけで、体罰の撲滅(俺の周辺ではもう聞かなくなって久しい)は、教員のモラルハザードによって達成されたのでした!

次は「体罰事故」と「ケンカ」の関係について書こうかね。

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ホグワーツ魔法魔術学校

 ハリーポッターっていう子ども向けのファンタジーのがあって、いつの間にかそれが世界的な話題を提供するようになってしまったが、そういう俺も実は結構ファンだったりする(映画はクズ)。

 このの何がいいかって、やはりホグワーツ魔法魔術学校という「学校」の描写がすばらしい。俺は感動して、かつて中学時代に読んだ「自由と規律」(池田潔著:岩波新書)をものの見事に思い出し、買い直して読み直したぐらいだ。このホグワーツには、日本の「教育関係者」が選りにも選って捨て去ってきた一番大事なエッセンスがたくさん残されている。
①誰もが半ばノイローゼになるほど猛烈に勉強させられる学年末等の様々な試験、
②血眼になって図書館に行かないと仕上がらない大量の宿題、
③絶対に守らなければならない厳格な規律、
④「この人に逆らうわけにはいかない」と主人公に言わしめる恐い先生(マクゴナガル教授)やあり得ない意地悪をしてくる先生(スネイプ教授)や異常につまらない授業をする先生(ビンズ教授)、
⑤規則を破れば(特に教師に逆らえば)必ず待っているツライ懲罰、
⑥寮対抗で競わせる得点争い、
⑦信じられない悪条件でも超スパルタで鍛えるスポーツクラブ、
今の日本の中学校でこんなことをやれば間違いなく、
「そんな…子どもがカ・ワ・イ・ソ・ウ!(一番あり得そう)」
「何で教師がこんなに権力を握ってるんだ」
「生徒の自主性を尊重しろ」
「イジメの温床」
「子どもにストレスがたまる」
「人間性を喪失させる」
などと、あらゆる方面の(エセ)教育評論家や(大甘)保護者から非難囂々になってしまうであろう。それにもかかわらずホグワーツって
⑧校長や学校理事には苦情が殺到するような場合でも、学校は校長の意のまま運営され続ける、よね。校長が教員を全面的に信頼しているからだ。(それでもフィルチさんの話から、体罰はかつてほど行われなくなったことがわかるが)
 ちょっと真面目に考えてみなよ。もし現実にこんな学校があったとしたら、そして条件さえ整えば、ここに自分の子どもを預けてもいい、と思う?

 今では誰にでも知られるようになったことだけど、ホグワーツ校のモデルはちゃんとある。イギリスに古くからあり、多くの指導者や偉大な人物を輩出してきたパブリックスクールという全寮制の学校だ。つまり「一般的に」実在している学校だ。日本で言えば中高一貫校に近いが、(俺の認識では)歴史と伝統と教育方針が違う超一流校ばっかりのようだ。イギリスのジェントルマンというかエリートはここから世に出るのだ。「自由と規律」によれば、寒い冬の朝に目を覚ましてみると自分の寝ている毛布の上に雪が積もっていたこともある、なんて言っているが、厳しさも一流のようである。(でもお金持ち専用学校のような気がしないでもないけどね)

 しかし、かつての日本は上の①~⑦に挙げたことなんてすべてやっていたんだけどね。今じゃほとんど縮小したか、やめてしまった。だって苦情ばっかりなんだもの。だけど、厳しく指導せず、「生徒の自主性」とか「子どもが自ら育とうとする力」みたいな、頭の悪いバカな親には耳あたりのいいやり方に依存すればどうなるかなんて、ちょっとまともな教師だったら誰だってわかってたさ。一番バカにみんなが合わせるようになるのだ。人間なんて弱いんだからね。決まってるじゃん、そんなの。
 そして厳しさは消え、大甘のガキが育ち、大甘のガキが大人になって親になり、もっと大甘のガキを育てて、見事に学校をグチャグチャにしてしまった。今の教育をダメにしたのは他でもない、総理大臣からニート・ヒッキーまで、(俺も含めた)日本人全員だ。

 ハリーポッターシリーズが人気があるのも、みんながホグワーツに「本来の学校の姿」を見て、それを潜在的に「いい」と思っているからなんじゃないかな。

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