最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

特別支援教育の現実(その2)

(その1から続く)
 前回の内容について少し説明すると、1年生の頃に俺が歌唱指導の中で姿勢のことについて、腹を引っ込めろとか何とか言っていたのが、Eの頭の中では「へそを出せ」に変質してしまったものらしい。しかし確かなことはわからない。彼は1年生の3学期頃から3年のクラス替えまで、Mに対してこの「へそを出せ」をしつこく言い続けた。Mの父親が聞いたら何と言うだろうか。

 さて、このやりとり(読み直してみたら、ずいぶん控えめな描写であることに気がついたが)は当然まだまだ続くのだが、例えばこれをTVドラマ仕立てにして頭の中で組み立ててほしい。何分かかりますか?そしてその間、音楽の授業は何もやっていない、って状況はわかるよね。アスペルガーの子どもはとにかく自分を主張するということで、この生徒も声が異常に大きい、というか喉が丈夫。完全無視で進めるのは全く不可能である。特に、例にあげたやりとりの最後の方のように、パニックになってしまうと、とにかく息を吸っている瞬間以外は際限なくわめき続ける。音楽の授業なんて、どこをどうひっくり返しても絶対に進められなくなる。1年生の時の状況は思い出したくもない。毎時間毎時間がパニック状態の彼との戦い。他の生徒は全く放ったらかし。50分のうちまともに授業ができるのは文字通り5~10分である。隣のクラスとは絶望的な差ができてしまう。とにかく、こんな形で音楽の授業を完膚無きまでに叩きつぶしてくれた生徒は(俺にとっては)空前絶後であった。しかし何しろ悪気がないんだからね。どうしようもない。彼は音楽の授業が大好きなのだ。

 他の教師もほとほと困り果てていた。特にヤバかったのはもちろん理科と技術と体育である。とにかく興味のあるものにはたちまち寄って行ってしまい、手を出してしまうのだ。これらの教科では下手をすれば大事故につながる可能性があり、危険この上ない。絶対に目を離すことができない。一人の教科担当の教師では手に負えるものでは全くない。

 途中から「支援員」という肩書きの人が配置されたのだが、これがまた非力な女性で、すばやく動き回る彼をおさえる力はなく、どちらかというと我が儘を言う相手が増えた、ぐらいの認識をされてしまったのではないだろうか。周辺の生徒達からも「あのおばさん、何のためにいるのよ」と不満が噴出する始末。級友にしてもさすがに落ち着いて授業を受けられない状況への憤懣を誰かにぶつけたいのだ。当然、E自身も何かというと級友から撲たれたり突き飛ばされたりシカトされたり、とチクチクいじめられていた。それもまた哀れである。
 地域の親から3年間、文句が出なかったのはまさに奇跡だ。田舎だからだろうな。街中の学校だったらたちまち「ウチの子の勉強ができないじゃないか!」と校長室にも教育委員会にも抗議が殺到したはずだ。

 これでまともに「学校教育」をやれと言うのか。言わせてもらいます。絶対に無理です。だいたい世間の人は二言目には「お前ら教育のプロなんだろ」とおっしゃるが(もちろんその言葉には応えられるようにしよう、と真面目に思ってやっているが)、しかしいくら何でもここまで異常に手のかかる生徒を受け入れつつ通常の授業をやるなんて絶対に無理。「10tトラックに50t積んでいけ」と大型免許を持ってない運転手に要求するようなものだ。俺たちは精神科医じゃない。全くの門外漢だ。(俺はただの音楽教師だ。)養護学校を経験した教員だってすこぶる少数派だ。それぞれに傾向も違う、しかも様々な度合いの障害を持つ生徒にピタリと当てはまる指導を行うには、俺たちはあまりにも無力すぎる。つまりこの手の情緒障害の生徒を一律に受け入れるようにしてしまった現在のシステムは、最初っから完全に破綻している。

 しかも現校長によれば(その前の校長は何ら有効な手を打つことができなかったが、この校長は、「何かあったらかまわないから必ず外にほっぽり出せ、落ち着いてできる、となってから戻せ」など明確な指示を出してくれて、それだけでもこっちは大助かりだった)、Eはまだましな方だという。Eの場合は暴力をふるわない、二次障害が出ていないからまだやりやすいじゃないか、とおっしゃるのだ。そしてこれからもこのような生徒は増えてくるであろう、という。

 しかし、ブログの題名の通り、「不謹慎」を承知で言わせてもらおう。
いったい、他の大多数の生徒の学習権はどうなるんだ!!
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特別支援教育の現実(その1)

 残念ながら特殊教育と特別支援教育の違いというか、何がどう変化して情緒障害を持った生徒が普通学級で学習することになったのか、そのへんの流れなどあまりよく承知していないのに、こんなテーマを書くのはどうかと思うが、まあ、忘れないうちに書いておこう。

 この間卒業した、ADHDとアスペルガーを併せ持っていた生徒である。見た目も行動も手塚治虫の「三つ目がとおる」の主人公、写楽保介をそのままイメージするとわかりやすい。まずはある2年生の時の授業中(音楽)の一こまを再現してみようか。この時点ではかなり改善が見られた状態である。何日分かの記憶を一つにまとめているかも知れないが、万一このクラスの生徒だった人が読めば「まさにこの通り!」といってくれる自信はある。
   T:教師(俺)
   E:件の生徒
   M:Eが好意を寄せている女子生徒
   O:その他の生徒多数

T「ハイ、起立。発声練習です。しっかり息を吸ってください。」
E「M!へそだせ!」
O「ワハハハ…」
T「姿勢をよくして」
E[M!へそ出して歌え!(叫び声)」
O「ハハハ…」
T「E、黙ってろ」
E「ハイ。」
T「じゃあやるよ、息を吸って…」
E「M!へそ出せ!へそ!(さっきより大きな声で)」
M「うるさいなぁ、もう」
T「オイ、いい加減にしろよ!」
 と、ピアノから離れ、Eの方へ近づく。両手でEの両肩をつかみ、
T「そういうことを言うんじゃない。今度言ったら教室から追い出すぞ。」
E「(真面目な顔で)わかりました。」
T「(ピアノの前に戻り)はい、はじめま~す!注目~!」
 と、ざわざわしている生徒の集中力をこちらに向ける努力を一頻り。
T「じゃあやるよ、姿勢よくして~!」
E「M!へそ出して歌え!へそ!(ほとんど絶叫)」
O「ワハハハッ」
T「ちょっとこっちに来い!」
 とEの手をつかみ、準備室に連れて行く。この間、他の生徒はもちろん放ったらかし。
T「いいか、そういうことを言うと、」
E「(Tを見ながら)セクハラ?」
T「そう、セクハラ。Mちゃんに嫌われるでしょ。」
E「セクハラ?」
 と、このへんで視線をそらす、というより集中力を話し手に向け続けることができないので、何と言おうと話し手に視線を戻すことは決してない。知らない人だったら(ちゃんとこっちを向いて聞け!)と怒鳴るはず。
T「セクハラは大変なことになるぞ。へそを出せ、なんてもう絶対に言うな。」
E「セクハラ?」
T「そう」
E「セクハラ?Mに嫌われるの?」
T「そう。言うなよ。今度言ったらお母さんに言うからな」
E「はい」
 で、教室に戻る。他の生徒は全く音楽の授業、という意識を持ってない様子で三々五々集まり、お話の真っ最中。それを再びかき集め、
T「はい、じゃあやるよ」
E「M、へそ出せ!」
T「E!黙れ!」
E「(顔を真っ赤にして目に涙をため)M~~~!!!へそ出せ!へそ~!(力一杯の絶叫)」
 くり返しになりますが、誇張はありません。ありのままです。
(つづく!!)

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キレる先生

 いろいろオシゴトをしているうちには、「強く」指導しなければならないときがあるはずだ。そういうときにたいてい
「先生がキレた」
「先生にキレられた」
とほざくガキがいるが、この言葉を絶対に放っといてはいけない。必ず、こう言いましょう。
「先生はキレません。先生は生徒のよくないところを見つけて文句をいうことで給料をもらっているのです。君らにこうやって言うのもオシゴトです。先生がキレる、なんて失礼なことを言って人をバカにしないでください。」

もちろん、強く指導するときも「冷静」でなければいけません。マインドコントロールができるように日頃から心がける必要はありますが…。先生と生徒は立場が違うんですから、その辺のとこ、明確にしておかなければなりませんね。

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超イイ子の生活

 今どき全校登校日?…
だが、まだ夏休みに全校登校日のある古色蒼然な学校、それが我が中学校だ。そして、今日の登校日、意外な事実が判明した。

 先週の土曜日は合唱コンクール。私は11日から連日の猛暑の中、練習を敢行したのであった。そして、お盆の最中にもかかわらず合唱団はかなり高い出席率であった。

 さて、その中の2年生の女子、Y。この子は母親と喧嘩して、家をオン出ておばあちゃんの家に転がり込んでいたのである(という話は学期末に聞いていた)が、なんと!13日から17日まで、そのおばあちゃんの家にも帰っていなかった、というのである。そして、夜は他中の不良生徒とツルんで盛り場を徘徊し、小学校の時の友達を頼って泊まり歩いていたというのだ。

 そもそも我が中学校は陸の孤島、最寄り駅まで自転車で30分はかかる。そして、友達の家は駅から電車で15分というのもあったらしい。
 合唱団の練習は朝7時半開始だ。彼女は家出生活をひた隠しにしつつ、いったいどうやって合唱に通ってたのであろう。だいたい、女の子が家出して夜徘徊しながら、ろくなことをしていたとは思えない。飲酒喫煙クスリ、カツアゲ万引きオヤジ狩り、はては援交まで、どこまで手を染めているのか、など心配は尽きないのだが、それは敢えてオ・イ・ト・イ・テ。(というか、顔色を見る限りあんまり悪いことはしてないね)

 それでも朝7時半からの合唱団の練習に通ってくるその健気さには心を打たれる。そんなに合唱なんかが好きなのか、それともこの俺様への個人的好意?
 そうではない。彼女は誰にも可愛がってもらえないのだ。学校にしか居場所がないのだ。かまってもらいたいのだ。だから、学校の中でも重要な「居場所」の一つであるところの合唱団には歯を食いしばって早起きして出てきていたのであろう。
 それなのに俺は、Yに、何日か前から「マニュキアを落としてこい」と文句を言い続け、コンクールの当日に「先生、落としてきたよ、えらいでしょ?」と声をかけてきたときにも「そんなの当たり前だろ」と冷たく言い放ってしまった。やっぱり「そうか、えらいね」といった方がよかったかなぁ…

 そして、困り顔の担任からこんな話を聞いても、コイツは絶対悪い子じゃない、イイ子だ!と思ってしまう俺って、やっぱりジジイになって甘くなってしまっているだろうか。

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「みんな」の範囲

 今年の甲子園で、「学ランは戦時中を思わせる」とか何とか言うキチガイの発言を真に受けて、応援団が学ランを着るのをやめた、というあきれた学校があったらしい(野球よく知らん)。
 なんで、一人か二人の、それも大抵がエキセントリックな少数意見が、大方の静かな常識人間の上を飛び越して「上」を動かしてしまうのか。その瞬間に「教育」は後退していくのに!!!

 そういえばここで「中学生の法則」をまた一つ思い出した。

~~中学生の法則その5~~
・生徒が「みんな」と言うときの「みんな」とはせいぜい2~3人。

 俺はこれでずいぶん長いこと騙されてた。たいていは女子なのだが、
「先生!○○が××ってどういうことなんですか。絶対変だってみんな言ってますよ!??」というような抗議をしてくる場合がある。こっちは普通に「みんな」がそう思っているのか、これはヤバイ!…と思ってそれまでの方針を変えちゃったりするのだが、そういうわけで実はそれが大間違いだったりするわけである。
 しかし、数人の女子がまなじりを決してそう突っ込んでくれば、そういうものか、と思って、というより信じて疑わない状態に追い込まれてしまうのですよ。そして、性懲りもなく痛い目に遭うわけであります。
 今?今は大丈夫だよ。「みんなって、誰?」と聞き返す心の余裕もできたし、実際そう聞き返すとたいていは黙ってしまうのだ。要するに、自分(達)のワガママな要求を通すための常套句だったんだな。

 で、最初の話に戻ると、県にしても市町村にしても教育委員会の職員って、もともと教師としての経験が豊富な人ばかりのはずなのに、その辺のカラクリはわからないのだろうか?当人達に聞けば、「そういうお考えをお持ちの方もいらっしゃるわけですから」とか何とかおっしゃるのだろうが、ち・が・う・だ・ろ?
じゃあ、「そういう考えをお持ちでない大多数の方々のお気持ち」はどうなるのか。そっちの方が常識的なんじゃないの?くり返しになるけど。
 結局、教育委員会だってやってることは学校現場と一緒の現象がでてくるわけなんだから、一緒の論理で動いてほしいんだよね。一部のバカの言うことなんかはもっとサイレントマジョリティーの代弁者として「骨太の理論武装」で叩きつぶしてもらいたいよ。現場が混乱するばかりだ。

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クーラーがない時の言葉

 こう暑い日が続くと、決まって生徒が口にする言葉がある。「先生、クーラーないの?」「先生。クーラーつけてよ!」うるさいっ!あるかないかなんて、見ての通りだっ!

 数年前に、このところの地球温暖化を受けて、「公立小中学校にもクーラーを設置しよう」という話が、文科省でも話題になるようになってきた。だが、このご時世にそんな予算どこにあるのか?真面目に取り組んでも全部の公立校に設置するのに10年かかるというし、そんなの待ってるうちにこっちは定年だわ

 で、最初の生徒の言葉には、俺はいつもこう答える。
「それは、親に言ってくれ。親から教育委員会に言ってくれ。」
教育委員会だったら、親のクレームには弱いんだからクーラー入れてくれるかも知れないよ、とまでは言わんが、まあ大抵はそれで引っ込んでくれる。
 親だって、どうでもいいような上げ足取りで委員会に文句ばっかり言ってるんだったら、こういうことで行政に圧力をかけてほしいものだ。少しは世の中変わるんじゃないの?

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体罰とモラルハザード

 いろいろ議論は尽きないところであるが、結局、世の中に「体罰」が必要であるのは間違いない。時期を選び適切な方法で施される体罰の他に効果的な教育方法はない、という場面が厳然と存在するのは誰がなんといっても疑いようのない事実、というか現実である。

 俺自身、「ここはぶつしかないでしょ」という場面に何度も出っくわしてきたにもかかわらず、ここ10年以上、俺は生徒には絶対に手をあげないできた。

なぜか。

 答えは簡単。「法律で禁止されているから」である。
そして、学校をとりまく環境が激変し、もはや保護者が片目をつぶってくれるという期待はできなくなったからである。
 保護者が片目をつぶってくれなければどうなるか。そこには「体罰」という教育行為は存在せず、あるのは「暴行」という刑事事件のみである。つまり、最悪の場合、「体罰」を行った教師は司法機関からは「容疑者」として逮捕起訴、そこまで行かないにしても、行政機関からは「公務員として信用失墜行為を行った」として懲戒処分が待っている。
 懲戒処分は、例えば「減給10分の1、一ヶ月」なんて形で出るが、給料50万だったとして5万円か、まあそんなもんかな、しようもない…で終わると思ったら大間違い。その後少なくとも1年間の期末勤勉手当(ボーナス)は「勤勉」率が不良であったということになり、ほぼ査定はゼロ、さらに定期昇給などの時期や回数に影響するという。つまり生涯賃金で考えるとあっさり数百万~一千万円単位の損失になるというのだ、校内研修での話によると。
これは痛すぎる!
 ではどうするか。

 ここで、「教員のモラルハザード」が始まるのだ。まず、眼前の生徒に対して行わなければならない教育行為を躊躇する、という現象が発生する。そしてそのためには自分自身に対する理由付けが必要だ。

 こっちとしては、良かれ悪しかれその場その場で最良と思った方法を駆使して生徒にあたっている。だが、その中の一部の行為を「やっちゃダメ」ということになれば、それはとりもなおさず「あきらめる」ということに他ならない。その瞬間、デモシカに限らずかなりの教師は思う、
「いいよこんな奴、どんな大人になったって知ったこっちゃない。うっかりくだらないことになれば、こっちの生活がヤバくなる。ローンだってあるし、第一自分の子どもの教育はどうなる?そっちの方が大事大事。こんなクソガキのために俺の倅がやりたいこともできないようになるんじゃ本末転倒だ。コイツの将来?そんなの俺に責任なんてねぇよ。コイツやコイツの親がナントカすればいいんじゃねぇの?こんな風に育っちゃった奴なんてどうせ親だってヘタレなんだから、ぶったところで委員会だ何だって騒ぎになるに決まってるし言ったって聞きゃしないんだから。やめやめ。ハイ、帰っていいよ、これから気をつけなよね。」
 のセリフの線を引いたところに注目してくれ。どう思うね?
(つづく!)

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ナントカ太鼓って、いったい何者?

 ついこの間、N県のあるリゾート地へ行って一泊のんびりしてきた。ところがそこの宿で夕食時に、地元の小学生から高校生の女子のグループによる和太鼓の演奏がある、という。あまりいい予感はしなかったのだが…

 さて、夕食時。宿泊客が食事をしている広間に、なんか全国的なコンクールに優勝した、というその女の子達がりりしく現れ、演奏が始まった。想像通り、耳ではなく腹、というか体全体に響く暴力的な大音量の太鼓の音と、それに負けじと呼び交わす女の子達の掛け声というか要するに絶叫が響き渡り、広間は阿鼻叫喚とも言いたくなるような場と化した。その演奏が終わるまでの15分間というもの、よそったばかりのご飯や汁に手もつけられず、冷めるにまかせるしかないのも悲しくなる。自然に体中に汗が噴き出る。とても食事どころではない。

 だいたい俺は和楽器が好きになれない。公立学校の音楽の教師が今どきそんなことでどうする、という思いもあるのだが、どうにもダメだ。文科省は、最近なんだか日本の伝統音楽とかに強い思い入れがあるようだが、そもそも普通の音楽の教師はそういう教育は受けてない。というより音楽を構成している思想そのものが全然相容れないものなのである。そして俺たちときたら、生まれてきたときから聴いているのは西洋音楽。(生徒達はもっと西洋音楽だ。)しかたなく泥縄で勉強はしているよ、もちろん。しかし…
 
 特に最近雨後の竹の子のように現れたあのナントカ陣屋太鼓とか、ナントカ太鼓連とかいう「和太鼓」のアンサンブルっていうの?あのいかがわしい代物はいったい何モノなのか??!
 いかにもご当地の伝統芸能のようなフリをしてデカイ顔をしているが、もとはといえば和太鼓なんて、村のお寺に1台とか、そんな感じでしか存在していなかったはず。2~30年前にはなかったはずだ。それが最近の和楽器ブームで(火付け役は文科省?鬼太鼓座?)いつの間にやらあっちにもこっちにもナントカ太鼓のオンパレードになってしまった。

 そしてその演奏?の粗野なこと。太鼓の前で音色とは関係のない変な振りを付けて踊りまくり、叩くというより力任せにぶっ叩きまくり、マッチをするみたいに斜めからこすり降ろす。(楽器がカワイソウ!)俺には「下品」としか形容できないものだ。というより、江戸・明治時代の人間が見たらやはりあきれて開いた口がふさがらないのではないのか。日本古来の文化ってもっと穏やかで奥ゆかしいものだったんじゃないの?
 しかも、男がやるならまだしも、今回のように女の子ということになると「お転婆」という見方を通り越して、本当に悲しくなる。俺が古代のジェンダーに凝り固まっているといわれれば反論もできないが、女はやはり美しい所作を忘れ、踏み外してしまっては、もはや女ではない。西洋のハープが女性に似合うがごとく、もともと野太い和太鼓はやはり粗野な男のモノだ。

 一生懸命やっている子達をくさすつもりもないし、訓練を積み重ねてそれなりの実績を上げているのは良いことだ、と素直に思いはするのだが(結局、子どもが好きだからね)、だからこそ余計に、やっぱりこんな風潮は間違っているとしか思えないのだ。

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