最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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教育課程研修会

 毎年7月の末になると教員の気分を悩ます「教育課程研修会」。これは年に1度、我々のやっていることと「学習指導要領」がいかに関係が深いか、ということを思い出させてくれる大事な機会だ。
 と思っている真摯な奴はどうやらあんまり多数派ではないらしい、というのが昨日のそれでわかってしまった。「面倒くせぇ、面倒くせぇ」と口先ではみんな言ってるけどさ、もうちょっとちゃんと考えてやってるかと思ったよ。
 毎回持参・提出させられるレポートがあるのだが、どいつもこいつも(とまでは言わんが)、一目で「去年の奴を日付だけ直してきたでしょ」と言いたくなるようなのばっかり。
 確かに、それでも済むような御題を毎回提示してくる主催者側も悪いのかも知れんが、今回のテーマはちょっと毛色が違ったんだぞ。俺はちゃんと何ヶ月も悩んでたんだ!
 さすがの指導助言者も「レポートを書くときは、課題に正対してください!」なんて言ってたもんな。あきれたぜ。
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テーマ:夏休み - ジャンル:学校・教育

「生きる力」はどこへ行った?

 おととい・昨日と、1年生を連れて林間学校に行ってきた。以前の勤務校で行ったきり、おそらく7年ぶりだ。

 まずは飯ごう炊さんの凄まじさにビックリ。野郎どもは火をおこせない。何とか熾してやると、今度はうちわで扇ぎ続けてボウボウ燃やしまくる。火加減なんか関係なし。一方女子は、ジャガイモ一つむけないんだぜ。皮むき器があるのだがその歯が裏返っているのに気付かず,ジャガイモの表面をこすり続ける寒々しい光景が…。一人の女子に「こうするんだよ」と皮むき器をひったくり、ジャガイモを手に取ってみれば、オイ泥が付いたまんまじゃねぇかよ!

 バスで移動すれば、すぐ必要な荷物とキャンプ場まで使わない荷物を、あれだけきちんと分けておけ、と言ったのに、止まって何かするたんびに、やれ財布がありませんの、水筒入れちゃいましたのと、いちいち観光バスの腹を開けさせて引っかき回す奴が出て、そのたびに予定が3分5分とずれていく。それが行きも帰りもですよ!もちろん本人達には罪悪感はないし、失敗した、という意識もないのではないか。

 集会とか点呼とかも、けっこう練習したにもかかわらず、浮かれ気分で遅々として進まない。「公の時間」とかなんとか難しいことを言う前に、とにかくしつけがグチャグチャで、こっちが何を求めているのかを想像することもないのであろう。こりゃ来年の修学旅行が思いやられる。

 それにしても、文部科学省ってなんなの?
「個性の伸長」と言い出せば生徒はどんどん没個性になる上に互いに出る杭を打ちまくるようになる。
「ゆとりの時間」と言い出せば教育現場から手品のようにゆとりが消え失せる。
そして、「生きる力」と言えば、すぐさまこの有様である。7年前にはこんなバカはいなかったぞ。どうしてくれるんだ?

 本当に、誰か責任とってください!

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怪しい評価

 今週末は終業式。今や日本中の学校の職員室で、通信簿を書くための苦悶のうめきが満ちあふれていることであろう。根っから計画性のない俺も、ついに今日すべての関係生徒の成績をつけ終わって、担任の持つ通知票補助簿に書き写したのであった。

 さて、これを見ている教師の方(もしいれば)成績、どうやってつけてます?いまや、到達度を示したシラバスにもとづいての絶対評価というのが一般的になっているのではないだろうか。

 それはともかく、「この生徒は気に入らないから4だけど2にしちまえ」みたいなキチガイ教師(俺の息子がその手合いのために実際ひどい目にあった)はかなり減っているのではないか、と推量するが、子どもの顔を思い浮かべて、多少の手心を加える、というのは誰でも多かれ少なかれやっているような気がする。

 今日俺は実際それをやった。4人も。その生徒達は真っ当に評価すれば1になってしまうのであるが、観点の一つを書き写すときに指が滑って書き間違え、2になってしまったのだ。意図的に。…なにしろ音楽だからなぁ。表面上、普通に授業を受けている生徒に1をつけるわけにはいかんでしょ。授業を妨害してるわけでもないし、忘れ物もしないし、エスケープして空き時間の教師に迷惑をかけるわけでもない。
 しかし、そうやって恣意的に成績をいじっちゃうのって、どうなんだろうね。文部科学省の見解によれば、「通信簿」は公文書ではないということだし、それであるならば単なる家庭への「通信」のために作成するわけでもなく、場合によっては本人を励ますために数字を細工することもありなのかも知れない。実際、以前俺が担任していた女生徒の父親(高校の教師)が成績にクレームをつけてきたときに、「生徒がやる気をなくしちゃうような数字をつけるなんてひどいでしょう!」とか言って怒ってたしなぁ。
 だから今回俺がやったようなことなんかも、通常は俺(とかそういう教師)の心の中だけに留めてみんないじっているのかも知れない。

 それにしても、世の中には本当に自己表現が苦手な人間がいる。その子達は音楽の授業にただいるだけ。一体何が楽しくて俺の授業を50分間も黙って立ったり座ったりしてやり過ごせるのだろうとも思えるのだが、まるで表情がない。楽しんでいる様子もなければ、いやそうにしているわけでもない。お調子者の俺としては、幾つになってもそういう不思議な人種を理解することができないのだ。未熟だのう。

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学校は何のためにあるのか

 「プロ教師の会」というのがあって、もとはといえば「埼玉教育塾」という教師の勉強会だったのが、出版社が世の中のウケを狙って改名させたらしい。一時マスコミでも取り上げられ、賛否両論の騒ぎを巻き起こしたこともある。俺は結構このグループの本読んだし、少なくともかなりの教師にとって、現代の教育現場を生き抜くための行動指針というか理論武装の背景になっているのではないだろうか。(俺だけか?)

 その主張の中で、一番大事なところは「学校は何のためにあるのか」
 彼らはいう。
「学校(特に公立学校)は国・為政者のためにある!」

 実に明快である。「学校は生徒のためにある」「学校は楽しいところでなければならない」というねじれた考えが無批判で蔓延しているこの社会に波紋を拡げるのは当たり前だな。
 しかし、考えてみりゃ、こっちの方が正論なのだ。何しろ義務教育で(建前は)無償。その費用は税金から出ている。本来親が勝手にやればいいはずの我が子の教育をわざわざ税金でやっている以上、学校では「国に有為な人材」を育ててもらわなければやってる意味がない。そうでなくても、この世の中が行儀の悪いバカや善悪の判断もつかない犯罪者であふれてしまっては、社会が成り立たないではないか。(実際に日本はかなりそういう状態になりつつあるが)

 そういうわけだから、子ども達が学校に行くことによってある種の枠をはめられ、面白くない目に遭わされるのは当然である。人間関係でストレスをため、日々悩むことになるのは当たり前である。やりたくもない無味乾燥な勉強を押しつけられて、日々苦しむのも当たり前である。学校がすべての生徒にとって「楽しいはず」の場所であってはいけない。何しろ「人間社会」の論理を、ほっとけばケダモノになるしかない「子ども」に無理矢理たたき込むわけだからね。
 適度なストレスを与えなければ人間は成長しない。親だって、そういう覚悟を固めて子どもを学校に出さなければいけない。それなのにいちいちどうでもいいことで目くじらを立てるクソ親のなんと多いことか。(俺の学校では、野球部の顧問が大声で指導していただけで「うちの息子はそういう指導には耐えられないのです」と、ありえないことを言ってきた親がいた。大声で指導しない野球部ってどういうの?)

 結局教師はここ2~30年の間、そういう親や社会の圧力に抵抗できず、満足な指導もしないようになってきた。それを怠慢と言っていいのか、それともサービス精神の向上といえばいいのか。
 なにしろ精神的に大人になれない「でかい子ども」が増えていくのは当たり前であろう。そして、今ではそういう子ども頭のガキが親になっている時代なのである。そういう恐るべき事態を、みんなわかっているのかね。

 というわけで、「学校は生徒のためにある」「学校は楽しいところでなければならない」「一人一人の生徒の幸福・自己実現」なんていうスローガンは、あくまでもいやがる子ども達に対峙する教師の側の努力目標にすぎないのであって、生徒や親が要求すべきことでは全くない。そういうことをみんながわかってなければ、こっちだって安心して生徒にストレスを与えることができないではないか。

 とにかく学校は国のため、社会のためにあるのだ。もともと個人のためにあるものではない。

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男女交際

 先日、市内の中学校で教育研究会の研修会があった。その帰りに、この中学校の近所にお住まいになっているある先生が、「さっき来るとき、この学校の生徒のカップルがそこの角で抱き合ってたんだけど、この学校の先生に言ったほうがいいかなあ」とかおっしゃっている。言えばいいじゃん、何でためらうの?と思うんだが、なんだかこのごろの先生ってプロ根性ないよね。

 それにしても、「そこの角」だったらまだいいよ。俺が初めて臨時採用の講師となって赴任した中学校じゃ、校内の階段の踊り場で辺り憚らず抱き合ってキスしてる男女がいた。教室を移動する生徒達が傍らを通り過ぎていくのに、関係ないんだもんね。
 さすがに唖然として、でもすぐに(そういえば俺は教師になったんだ、何か言わなきゃ。注意しなきゃ。)と思い直し、勇をふるって、「何やってんの」と声をかけたのだが、男がうっそりと顔を上げ、「アンタ、だれ?」
…たったの一言で撃沈されてしまいました。

 本当に、一般人じゃ、怖い中学生に声をかけるなんて、おっかなくてできないね。だけど、男女交際は、放っておくとどこまでも進んじゃう。猿と一緒です。ケダモノです。何も考えないで欲望のまま。性行為と妊娠出産は一本の線でつながっている!と、もっと子どもに教育しなければいけない。少子化は困るし、赤ちゃんが生まれるのはめでたいことなんだけど、こういう低脳な手合いがバカの再生産をくり返すというのはもっと困ったことだ。その上、生まれても親によって悲惨な殺され方をされる子だって今どきは結構いるわけだし(赤ちゃんだって浮かばれない!)もう放っておけるような状況じゃないと思うぞ。

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