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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

ジェンダー教育

 前回、性差別に関わる微妙なことについて書いた。誤解のないように言っておくが、私は常に女性を尊敬していて、次に生まれ変わるなら絶対女だ、などと願ってさえいる者である。未だに女性を蔑視する感覚が洗濯しても落ちない布きれのように染みついている一部の馬鹿と一緒にしてほしくない、という程度には思っている。(そういう馬鹿とは、時として「嫁の分際で」のような暴言を何の心理的抵抗もなくさらりと言ってのけたりする人種だ。)

 さて、最近は廃れてしまったが、「ジェンダーフリー」というキチガイの戯言が公的機関までをも蝕んでいる時期があった。一時など、ある低脳な校長が音楽主任であるところの私にむかって、「ウチの学校の校歌は「師を兄として」という文言があるが、これはジェンダーフリーの観点から見て望ましくない、なんとかできんかね」などと言ってきたりした。(もちろん断った。当たり前だ。第一、著作権法に抵触するじゃないか。)
 そして、「男女混合名簿」とか、誰彼かまわず「さん付け」で呼ぶとか、理系大学に進む学生に女子の割合が少ないのはジェンダー教育のせいだとか、単に現場を混乱させるだけのくだらない雑音や実践が教育現場に入り込んで、文化を破壊しようとした。そんなにジェンダーがキライなら、男子トイレと女子トイレの区別があるのもおかしいよね。修学旅行の部屋割りも入浴も男女混合にしたらどうだろう、俺が生徒だったら喜んじゃうけどね。
「ジェンダーフリー」という言葉はさすがに大方もオカシイと気がついたようで、何年か前に政府でも「公にはその言葉は使わない」と発表したので、私も胸をなで下ろしました。

 ま、それはともかくつい最近、「殺人が悪いことだとはわかっているけど、この女は殺すしかないと思いました」と言って自分の妻を殺害した男がいて、話題になった。その女は、すごい押しかけ女房ぶりを発揮して、見初めた男をかなり無理矢理旦那にしてはヤキモチを焼いて、信じられないような暴力をふるっていたらしい。二度目の夫(殺害したのは3度目の夫だってさ)の提供した写真ではメチャメチャに叩き壊された家具や電化製品が写っていて驚いたものだが、鉄アレイで人を殴ったりするらしい。信じられない自分勝手ぶりだ。
 だが、冷静に考えてみると、この女こそ男女同権時代の教育の被害者とは言えないだろうか。男と女は同じではあり得ない。絶対に別のものとして考えなければいけないのに、結局、間違った男女平等教育が、結果的に女性をちやほやするという現象とばかりなってはいなかったのか。そして、何か、越えてはいけない垣根を知らないうちに踏みにじって越えてしまう女性が相次いで出現する…

 この殺された女を彷彿とさせる女子生徒が、まあ現在のところは珍しいとはいえ、中学校でも散見されないわけじゃないので、事件の背後にあるこの人達の育った環境や教育には関心を持たざるを得ないですな。
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テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育