最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

服装の乱れは心の乱れ?

「服装の乱れは心の乱れ」
 これは、生徒指導の場面でしばしば使われる言葉です。そして、悪い子ちゃんたちからも、「一律に見やがって」「マンネリ」、親からも「見てくれで人が判断できるのか」などと、評判の悪い言葉です。そして、一様にその根底にあるココロは「そんなはずあるか」です。私も、教師になる前は石頭教師の戯言ぐらいに思っていたのですが…
 結論として、この言葉は「まさしく真実そのもの」でした。
中に入って初めて知る真実ですね。服装をどこか崩す生徒は何かしら変化のあった生徒です。理屈じゃありません。現実がそうなんだから。文句を言うなって感じです。
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卒業式は無形文化財

学校というところは、なんだかメッチャ古いものが後生大事に取ってあることがある。(たとえば新任の学校では昭和35年購入のアルトホルンやトロンボーンがあって、それを吹奏楽部の新人教育に使用していたが、もはや楽器博物館にでも収蔵できそうな代物)
 しかしそれは物体に限らない。たとえば「掃除のしかた」なんかそうだな。今どきほうきとちりとりで自分の家を掃除する家なんて、あるか? これはもはや伝統芸能だ。

 中でも「無形文化財」とさえ言えるほどの状態になっているのは卒業式であろう。中学校では最重要の行事と位置づけ、どこの公立中学校も頑固に形を守ることを貫いてきた(多分)。そして、今でも、司会の教師が「生徒、起立」といえば間髪を入れずに全員がバッと立つ。卒業証書授与の時の歩き方、お辞儀のしかた、証書のもらい方、式歌「仰げばとうとし」斉唱、セレモニーの進行のしかたなど、(多少の変遷はあるものの)ほとんどどこの学校に行っても大同小異で、すでに還暦・古希なんて人が今出席してもほとんど違和感を感じないのではないか。
 私も、教師に成り立ての時には、何となく堅苦しくて、何もこんなに形にこだわらなくたっていいじゃん、ぐらいに思っていたが、毎年これを経験しているうちに、考えが変わってきた。とにかく、義務教育最後の日。これでみんなお仕着せの学校に通うのは終わりで、後は自分の行きたいところに進む。その記念すべき日に、「コイツら(卒業生)は社会に出ても十分通用するよ」というのを見せるためのセレモニーなんだな。
 だから形を整える事そのものが目的でさえあるのかも知れない。だからこそ「儀式」なんですな。これは中学校最後のカリキュラムの一つなのでしょう。

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ふざけた制服

 いよいよ中学校の卒業が近づき、4月からのことを考え始める時期が来た。中には、「制服の採寸が今日でなきゃダメだ」などとほざいて中学校を欠席する不届き者までいる(高校が不届き?)。

 それで思い出したこと。

 私の娘は公立高校の1年生。まあ偏差値的には中の上かな。
 去年の今頃、指定の業者(地方デパート)に制服を注文しに行った。そうしたら、スクールセーターというものが必要らしい。で、サイズを測って、Sを持ってきた。まあピッタリですね。じゃ、それで終わりか、と基本的に服屋が退屈な私はホッとした。
 ところが、である。そこの店員が、奇妙な行動をした。一回り大きなサイズのセーターを持ってきて試着させたのである。(?)と思ってみていると、店員は、こちらにしましょうか、などと娘に聞いている。だって、制服の上着の裾からはみ出すような丈で、手首だって、まるっきり指しか見えてないようなヤツなのになぜ?
 いや理由ははっきりしている。
 つまり、この店員は、今どきはやっている、だぶだぶセーターをコーディネートしたのである。あの、だらしなく袖口のほつれたセーターをはみ出させているみっともないやつですよ。
私は「だってこれ、大きすぎるじゃん。なんでこんな大きいの…」と文句を言った。本人も(親がウルサイのわかってるし)そういうだらしないセーターが自分の美感にも合わなかったようでSの方を選んだのであった。
 うちの娘、安く見られちゃったね。しばらくの間すこぶる不愉快でした。「ウチの娘、お安く見ないでくれよ!」と言いそびれたことが、思い出すといまだにイライラする。
 それにしても、制服をだらしなく着崩すのって、こうやって発生してるんだな、と実態をかいま見て頭にきました。結局、大人がガキのワガママの片棒担いでいるんじゃないか。
 そういうのってどうにかならんのかね!!!

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教える内容

 私の弟は、私のような寄り道をしなかったので私より数年早く教師になりました。定時制高校の国語担当です。その弟が家に帰るなり日々つぶやき、あるいは大声で放言していた決まり文句のお言葉。

「あーぁ、ちくしょう、あした何教えようかな」

それに対して母が「何教えるか決まってないのかい」とつっこみを入れるのですが、それにはいつも「……」。

 しかし、この「……(ムッツリ)」の意味は、最初に講師になって赴任した学校ですぐ体感できました。
 とにかくぶっつぶれてとっ散らかった教室では何を教えようと関係ないのです。どうせ生徒は聞いてないし。しかし(俺たち真面目な)先生はどうにかして生徒に授業を聞いてもらいたい。生徒が興味を持てる題材をツカミにして少しでもカリキュラムをこなしたい。でもそのカリキュラムさえ遅れに遅れ、積み残しはボロボロあり、生徒の身になんかもちろんついてない。そんな中でいったい俺たちの「明日はどっちだぁぁぁ」と叫びたくなる、でも投げ出すわけに行かない、という気持ちが結晶したのが上述のつぶやきだったわけです。その証拠に、程なく私も毎日同じセリフをつぶやくようになってしまったのでした。
 いや~、すごい新米時代だったぜ。

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デモシカはこんなにもしょうもない

私が教師になって最初に心がけたこと。

1:なるべく生徒に「ありがとう」をいうこと。
(ま、それはいいとして)

2:上履きのカカトを履きつぶさないこと!

*注
 上履きのカカトを履きつぶす生徒が増えることと学校の荒れは相関している、といわれています。ベテランの生徒指導の先生は、生徒用の下駄箱に並んだ上履きのカカトにたいへん神経をとがらせています。
 それなのに、ねぇ…

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まじめに技

 中学校の音楽の教師として、ある日突然教壇に出現した私は「誰、このオッサン」というガキどもの揶揄の声を背に腹に受けつつ苦闘の日々を開始したのです。
 さてその中で、ある日突然恐るべき「中学生の法則」を発見してしまいました。それは…

 教師になり立て、スキルゼロ、イメージゼロ、の私にとって、可愛げゼロの中学生どもの相手は並大抵の苦労ではありませんでした。「ちくしょう、なんだこんな奴ら、けっ」と内心軽蔑しながら、人類最高の宝ともいえる「音楽」を教えていたのだから今思えば実に不遜です。
 ジャリどもは相変わらずそっぽを向いて話をしています。
教科書や笛なんか持ってきません。
後ろの方ではウロウロ出歩いて級友をからかっています。
ぞうきんを丸めてホウキをバット代わりに野球をしています。
よくてもむっつり押し黙って座ってるだけです。
 ああそれなのに、それなのに、です。合唱祭が終わったあと、歌のテストをやったところ、なんと!どいつもこいつも、私の範唱(教師が模範的に歌って見せること)のとおりに歌うのです。いいじゃないですかぁ?トンデモナイ!!私の悪い癖がそのまんま。
変なところでブレス。
無理矢理の発声法。
汚い鼻濁音。
必然性のないフレージング。
不自然なアクセント。
私は鏡で自分のホクロか鼻の穴を丹念に覗かれたような気がして、すっかり滅入ってしまいました。

中学生の法則:その3
「中学生は音楽の教師が範唱したとおりに歌う」

そうです。彼らは自分の五感に触れるものが体験のすべてなのです。まともなヤツも不真面目なヤツも、話を聞いてないヤツも授業に参加してないヤツもすべからく、当人がどう思っているかすら関係なく、良くも悪くも教師だけを頼っているのです。私は初めて「反省」しました。(すでに教壇に立って2年近くたっていました)そして、「俺はトンデモナイ仕事に手を染めてしまった、精進しなけりゃまずい。ちゃんとスキルを身に付けなきゃまずい。」と悟ったのです。

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教師の技

 今回は役にもたたない自慢話です。

 小中学生の時、先生が列ごとに生徒にプリントを配る姿を何となく見ていました。縦に6人とか7人とか、人数に合わせてプリントの枚数を数えて、最前列の生徒に渡す。ただそれだけのことが、実際やって見るとけっこう時間と手間がかかることがわかりました。
 20年前、ひょんなことから突如として(言葉の本当の意味において、「ある日突然」)中学校の教師になってしまった私としては、生徒にシロート教師だと思われてはまずい!という一念で、この作業を素早くできるように訓練を重ねたのです。素早く、かつスマートに最前列の子にプリントを渡すことができれば、きっと教師として尊敬されるに違いない…と。本当バカですね。
 若い頃新聞配達のバイトをやっていて、折り込みチラシを新聞にはさむのを嫌というほどやらされた経験がここで生きました。そして、程なく私は、早足で教室を横切りながらすべての最前列の生徒に、その列の人数分のプリントを正確に渡しきる、という空前絶後の技を会得したのです。
 きのうも、期末テストの問題を配っている最中にチャイムが鳴り始めて、残りのプリントをその技によってあっという間に配り終わってみせると、「はえぇ…!」(訳:速い)という感嘆の声が生徒から上がりました。
 そういう何気ないところにも教師の「技」が光っているんですねぇ。チャンチャン。

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