最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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中学生の法則

私の講師時代からの経験による「中学生の法則」

その1:中学生は、壊れかけているものは壊す。
その2:中学生は、壊れやすいものは壊す。

あと以前にいくつか思いついたんだけど、それは思い出したときに書きますね。それと、新しく思いついたら追加しよう。
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出でよ、うるさいオヤジ!

 きのうの放課後、といっても最終下校から45分も過ぎて外はほとんど暗くなった頃、中学校に怒りのこもった苦情の電話が!
曰く、「無人精米所付近に1年生の女子が数人いて、自転車が邪魔なので至急どかせろ!(きょうの日報より)」
仲がいいのかトラブってるのか、下校時間をはるかに過ぎても道草を食っておしゃべりをしているとは、よくあることとはいえ困ったものです。早速そこへ数人の男性教員がすっ飛んでいって、確認したが、その時にはもう人影は無し。周囲で犬の散歩をしている人などにも聞いてみたけれど、結局わかりませんでした。

 それにしても変だと思いません?その電話。怒りを向ける矛先を間違ってますよね。
自分で言えばいいじゃん。子育ては家庭・学校・そして地域で、なんてお題目だけは声高に叫ばれる割には、いつだって肝腎の当事者が目の前の狼藉から逃げていってしまう!そして学校に尻を持ち込んでくる。確かに道草食って道路に広がって通行の邪魔をする様な行儀の悪さは、学校に責任がないとは言いませんよ。でも学校ができることなんて限界があります。家に帰り着くまでは監督下、という建前はあるにしても、生徒が学校から出てからは、はっきり言って教師の目を届かせるのは不可能です。それを補完してくれないことには子育て(教育)なんてできないじゃないですか。しかも、自分の住む町の子供でしょ?アンタにも責任あるんだよ!

言ってくれよ!
目の前にいるヤツが!
実際迷惑している本人が!
お前が言えよ!

と、声を高くして言いたいです。
私?私は言ってますよ。スーパーでもファミレスでも。私は文句を言う、いやなうるさいオヤジです。まかせてください。人に嫌われるぐらい屁でもありません。でも、もっと同志が増えてほしい。

出でよ、うるさいオヤジ!

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

デモシカ教師で悪いか?(その1)

 かつて、デモシカ教師とは他にやれることがなくてやむを得ず教師をやる羽目に陥ったダメな奴らのことを言っていた(と思う)。それというのも、私の親によれば、高度経済成長時代には、民間の方がずーっと給料もよく、希望に満ちあふれていて、それに比べて教師(に限らず公務員)は安月給でショボい仕事。本当に、どこにも行き場のないという人しか教師なんかしなかったという時代があったらしい。その後、「教師を育てなければ国がダメになる」と教員の給与の改善に時の総理、田中角栄が取り組んだ結果、今の教師の待遇があるらしい。
 今では想像もできませんね。なにしろ、教育への煮えたぎるような熱く若い思いを胸に、あるいはツテを頼りコネを頼み、採用試験に何度もチャレンジし、やっとの思いでなるのが、今どきの教師でしょうから。私は「デモシカ」ですよ、なんてちょっと言い出せないような雰囲気が漂っているのが今の職員室です。かつて、あるメーリングリストで私はうっかりその手の発言をしてしまい、袋叩きにあったこともあります。でも、「デモシカ」イコールダメ教員という構図はそもそも存在するのでしょうかね。

 「否」と、この際はっきり申し上げましょう。
 第一、教師は全国津々浦々に何万人いるのか。おそらく一つや二つの市ができてしまうほど膨大な数になると思います。それがすべて教師になりたい、と脇目もふらずに切磋琢磨し、他の世界も知らず、ろくな遊びもできず、子供はかくあるべし、教師はかくあるべし、教育はかくあるべし、との思いに凝り固まって日々精進する…そんな「教師は聖職」な世界が果たして本当に望むべき学校教育の姿を作り上げられるものなのだろうか?またそんなことが実現する可能性があるのだろうか。(つづく)

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進路と親の真実

まあ、結構前のことになるけど、
私が担任していた、真面目で品行方正な女の子がいた。
卓球が強く、県のベスト16まで進出。勉強もそこそこできた。
進路決定の時期になり、おきまりの三者面談がやってきた。
ところが、意外なことになった。我々が事前に見積もった
ランクの高校より2ランクぐらい低い公立高校を申し出て
きたのである。推薦で入れるなら、それでいいから、
というのだ。私は首をひねりながら、本当にそこでいいの?
と親にも本人にも何度も念を押した。君の実力だったら
S…高校も可能性高いよ? 
いいえ、K…高に推薦でお願いします。
もちろん、余裕の成績で、K…高校に推薦で合格。
めでたしめでたし。

ところが彼女が卒業して数ヶ月後、意外なところから
意外な話が入ってきた。
なんと、家内のお友達が、勤め先で彼女の母親と
同僚だったのだ。そして、その母親がこんなことを
言っているというのである。
「いえね、ウチの子ももうちょっといい学校に入れるかと
思ったのに、担任の先生に下げさせられたのよ。」

ハア??……下げさせられたのよ?

下げさせられた??!

させられた????


あり得ませんって!!!
自分で言ったんじゃないか!
恐ろしいことです。
そうやって自分の子供の臆病風を学校の教師のせいにして
周りに吹聴する。
確かに、無茶な高望みに対してやめろ、というのはあるが、
確実性が低くなるであろう、その反対というのは
我々は(塾と違って)基本的にやらないからね。
その、公立中学校教師の性質を逆手に取った言い訳、
というわけだ。
それにしても、良心的にやっている教師に対する
悪質なデマとも言うべきこんな仕打ちを、
我々は知らないところで受けているわけですよ。
「母親なんてそんなモンよ」と家内は言うが、
とにかくそういった、現実には教師の耳にも入ってこない
流言飛語には、手も足も出せない悲しさを感じたことでした。

仰げばとうとし

 悲しいことに、学校の音楽の時間に昔から歌い継がれてきた素晴らしい歌が次々に教えられなくなっている。時間がない、文語体の歌詞の意味が生徒に理解できない、歌われている風物そのものが消えてなくなった…など、様々な理由があり、やむを得ないところもなきにしもあらず、であろうか。
 「仰げばとうとし」もその一つである。この歌には特に教師の間で反感が強い。
曰く。「仰げばとうとし、我が師の恩」だなんて、恩着せがましい。そんなのを強制して歌わせるなんておこがましい。聞いていて照れくさい。恩義に感じてもらえるほど生徒に何かをしてやれたわけじゃない、本来こんな歌にして表現するもんじゃない…

バカ言ってんじゃねえ!!!てめえら、それでも教育者か??

と、まずは意見を表明しておこうか。これまでも職員会議でそういうガキっぽい意見(というより感情論)を何回か粉砕してやったさ。

 とは言え、そういう私も、かつて新任の中学校で、ずっと卒業式に歌われていた「仰げばとうとし」を、しかも職員会議での反対を押し切って歌わないことにしてしまった。代わりに「大地讃頌」を取り入れた。今にして思えば、痛恨の若気の至りである。
実は、今の教師連中がバカだから(という言い方が乱暴なら、本質を見抜く目を養うことをしなくなった、とでも言い換えるか?)教えることができないというだけであって、「仰げばとうとし」の精神は、そんなちっぽけなことではないのだ、と、今にして思う。だって、明治時代の人が「自分たちに恩を着せる」歌を作ると思いますか? 岩波でも講談社でも、「日本唱歌集」をちょっとひもとけば、明治の先人の、子ども達への慈愛に満ちた歌がきら星のように並んでいますよ。その精神のどこから恩着せがましさが出てくるのか。

 そもそも、「仰げばとうとし、我が師の恩」を、単純に「学校の先生に対する感謝」と置き換えること自体とんでもない思い上がった間違いなのだ。
 「師」とは誰をさしているのか。それを歌う人は誰なのか。聞くのは誰なのか。卒業式の場面を思い浮かべてほしい。この歌が学校現場から急速に消えていった時期に、特に年配の人を中心に卒業式でこの歌が聴けなくなったことを惜しむ声が多く聞かれた。歌を聴いているのは学校の教師だけではないのだ。地域の人。保護者。つまり多くの「大人」である。その「大人」たちにだって「先生」がいるのだ。その先生とは小中学校・高校時代の教師、大学の指導教官、部活の先輩、就職して仕事の手ほどきをしてくれた人、会社の上司、趣味の先達、私淑している偉大な人、人生の先輩としての父母・祖父母、等々々…ありとあらゆる自分に関わってくれた人が「師」ではないのか。その心にしまっている大切な大切な先生方を、滅多にない「卒業式への参列」という機会にふと思い出す。それがこの歌の偉大なところなのだ。ありとあらゆる人にとって「我が師」が存在しないということは絶対にないはずだ。つまりその場にいる誰もが心の中で一緒に歌える歌。こんな優れた過去の遺産(しかも音に出せば生き返る)がそうそうその辺に転がっているものですか? だから、少なくとも学校からこの歌を放逐してはいけなかったのだ。だって、卒業式ぐらいしか歌う機会がないんだから。

 私の勤務校では卒業式で「仰げばとうとし」を歌います。私は生徒たちに言います。「僕も本当は照れくさいよ。だけど、君たちにとっての先生って、中学の教師だけじゃないでしょ?塾の先生やピアノの先生、小学や幼稚園の時の先生。サッカーのコーチ、家庭教師、その中には本当に尊敬できる先生が一人ぐらいはいるでしょ?この歌を歌うときはその人に向かって歌ってくれよ。」

 そういう、最も大切にしなければならないはずの「心」を忘れた証明として「仰げばとうとし」はこの日本から消えつつある。でも、俺はもうやめるつもりはないよ。この歌を聴いて、ま~だ気恥ずかしさを感じる先生方は、生徒がアンタのために歌ってくれるのを我慢してちゃんと聴きやがれ!そして力一杯その気恥ずかしさを噛みしめてもらいたいね。で、「ああ、コイツらに俺はなんにもしてやれなかった…」と臍をかんで、悔し涙を流してくれたまえ。(もしかしたらこの歌はそのためにあるのかもね。)

適格性を欠く校長とは!

 私の勤務校と同じ市内の中学校の教師(42・妻子あり)が「駅で女性のスカート内を盗撮」して逮捕され、懲戒免職になった。同僚にもその教師を知る人が多く、理解できない、何であの人が…と、みんな相当ショックの様子である。私にも理解できない。なんたって、これで人生終わりですから。
 懲戒免職になれば、その後の食い扶持はもちろん退職金ゼロ、共済ローン一括返還、妻子に愛想を尽かされ、もちろん妻子ともども住む場所もなくなり一家離散……わたしだったら首を吊るしかなくなるであろう、このようなことがなぜ繰り返し発生するのだろうか?だって、気が狂ってるとしか思えないではないか。

 もちろん今回も世間の風は「だから教師ってヤツは云々…」である。

 しかし今回に関しては言わしてもらうけど、校長の責任がもっと声高に語られても言い。実はこの教師の勤務校の校長は、昨年度まで私の勤務校の校長であり、2年間その下で仕えてきた。(仕えてきた、という言い方もすさまじい、公務員は「全体の奉仕者」であって特定の個人の奉仕者じゃないんだが、わかっていてあえて使っている)

 さて、この校長である。中小企業のやり手社長といったムードを持つ、精力的な人物である。毎朝7時30分には間違いなく出勤し、仕事はてきぱきと速く、完ぺきに整理して格納されている自分で用意した様々な膨大な資料をいつでも自在に取り出して利用でき、夜も8時をまわってほとんどすべての職員が退勤してもまだ一人で仕事をしている。「学校経営」には並々ならぬ意欲を持ち、自分の思ったようにならないのは許せないので、始終職員(教頭が最も被害者)を呼び出して小言を言っている。
 そして、それにもかかわらず、彼の「学校経営」にはビジョンが見えないのである。それは彼の口癖に如実に表れている。曰く、「そんなことやってたら、言われちゃうよ!」
誰にだよ!だからなんなんだよ!言われるかどうかより、一体アンタは何したいの?!!
 つまり、兵隊・下士官としては極めて有能であるのはわかるんだが(かつてヒラだった頃はスーパーマンとも呼ばれていたらしい)、校長・トップとしての資質には全く欠ける人物なのである。彼のもとでは真面目に仕事をしよう、という気持ちが死んでいく。やってもやっても否定される。他の教員と敵対関係のような状態になって職員室のムードが沈滞する。一人一人の教員がそれぞれ孤立感を強めて追いつめられていく。

 この校長の下にいた2年間は人生の中でも思い出したくない期間である。努力が認められない不毛な職場、無為に流れていく不毛な時間。事なかれ主義。事大主義。何をやるにも形が整ってなければ不可。「やってましたよ」という証拠を残すためだけに行う無駄な指導。大甘の消極的生徒指導。そして私はといえば生徒と相対してもそれが仕事の意欲に結びつかない、という初めての驚くべき精神状態。精神疾患で退職寸前まで追いつめられた同僚もいた。定年まで何年か残して退職しちゃった事務職員もいた。その校長の腰巾着にいじめられて私自身、鬱になった。(コイツはこの学校だからなんとか校長が勤まるんだ、よそへ行ったらただじゃ済まない)とずっと思っていました。そして案の定、今年彼の転勤した中学校は荒れました。もともと荒れ気味とは聞いていましたが、暴行だかなんだか忘れたけど、今年度に入ってからの事件で新聞にも出たしね。

 そして今回の「盗撮」事件だ。たった一年で2度目の新聞沙汰。本当に本人だけに責めを負わすべきなんですかね。ま、もともとの性癖というものも関係するだろうが、それを言っては誰の心の奥底がどうなってるなんて、神ならで誰にもわかりようがない。要は外に出すか、出さないか。聞くところによると、「非常に真面目な人」「職場では孤立気味」「部活指導なんかもとても熱心」「生徒から信頼されている」ということらしい。くわばらくわばら、去年までの俺じゃねえか!(後ろ二つはともかく)
 しかも、その一件のことで生徒にアンケートを取ったところ、「裏切られた!」という生徒達の思いが想像以上に激しく噴出したそうである。そりゃそうだよな、とも思うが、一歩引いて考えると釈然としない。この学校では生徒に信頼されている先生って一人しかいなかったのか?面で支えなきゃいけないものを点で支えていたのでは…と私は直感した。それは正しい職員集団だったのか。職員間の雰囲気が、漏れ聞こえてくるだけでも昨年度のウチの職員室に似ている、というのは誰かさんのせいとしか思えない。そして、そんな中で、かの学校では弱い人から馬脚を現して脱落していくデスマッチが展開されているのであろう。

DQNな生徒と親

DQN(とかいう情けない言葉を自分が使用するとは思わなんだが)な生徒と親はたくさんいます。最近の話を一つ。

 今日、県立高校の前期試験でした。昨日の放課後、受検する生徒を集めて校長の激励の言葉と最終確認諸注意のための会を持ちましたが、その中で…
 ある女子生徒が一心不乱にメモ帳に落書きをしている。校長が話をしている最中も一心不乱に落書きをしている。周りが注意をしても完全無視。校長がたまりかねてその生徒の名前を呼んだが、完全無視。校長、その生徒の名前を呼ぶ。2度。3度。完全無視。それは異様といってもいい光景であった。校長、ついに、「おまえのためだけに話をするためにみんなを集めたんじゃない。出て行け!」と、まあ怒鳴ったんだな。当然だ。
 その生徒は、立ち上がり、教室から出て行ってしまった。「失礼しました」と一言残して。担任が追いかけたが、完全無視。

 さてその後、彼女が聞いていない細かい注意のこともあったので、担任が家庭に連絡し、ことの顛末その他を説明した。
そして今日。担任が心配して彼女の様子を聞こうと、前期試験にみんなが出かけた頃を見計らって、母親に連絡すると、なんと、母親はご立腹であらせられる。曰く、「校長先生が出て行け、と言ったということは、学校の方針として、うちの子に出て行ってもらいたいということだったんですよね。」「娘は学校に行きたくないと申しております。」…
 その後校長が親と電話で話をしていたが、結局ちゃんと納得はしなかったということだ。

 この母親はなんなんだろうか。バカ?不平家?ガキ?自己中? 生徒指導の領域と校長が立場で話す言葉を区別することもできないとは?まともな人間とは思えない。
 つまり今どきの言葉でいうところのDQNか。躾ができてない自分の娘を恥ずかしく思うとか、その場の雰囲気を壊した娘に変わって申し訳なく思うとか、娘を叱ってくれたことに対して感謝するとか、ないのかね。
 まあそこまでは期待できないとしても、せめて、娘の言うことを鵜呑みにして一緒の立場でご立腹なさるのはよしてもらいたいものだ。そういう親だから子供もそうなった、というのだけは明確にわかったけどね。
 それにしても困ったものだ。この生徒は奇矯な行動が目立ち、ある意味情緒障害なのではないか、と思わせられることすらあるのだが、それをこの母親は把握しているのだろうか。そしてこの生徒が今日受検する高校は県下有数の難関女子校なのだ、という事実を思うと、暗澹たる気分になってくる。

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