最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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PTAは任意加入!任意加入なんだよ!


 一時話題になっていた「PTAは任意加入」という事実が、またちょっとどこかで取り上げられていた。PTAが強制加入だとすると憲法21条に抵触しちゃうらしく、これについての裁判も起こされているようだ。

 ところで、わが長男が中学生だった時(15年位前)、俺は長男の進学した中学校(公立)に勤務していた。つまり学区に住んでいた。まあそれが原因の一つとなってわが子たちが深刻ないじめ被害に遭ったため、せっかく買ったマイホームをたった5年で売っ払って引っ越し、子供たちも転校を余儀なくされたのだが、それは別の話。
 そのころのことを冷静に思い出してみると、俺はほかの生徒の親と同様に、Parent-Teacher Associationの「P」としてPTAの会費を払っていた。しかし、つらつら考えるに、職員室でも会費の集金があったので、「T」としても会費を払っていたはずなのだ。これって、二重取りじゃないのか。教師と保護者が同一人物であった場合、会員は一人なんだから、どっちかは払う必要ないよね。もう時効だろうが、返してもらいたいもんだ、はした金だけど。
 さらに言えば、2年目には「P」の立場での役員を押し付けられた。これも、やる必要なんかないはずだよね、なにしろ、同一人物であるところの「T」である自分は自動的に役員なんだから。過去に戻って文句言いたいところだが、その当時はそういう仕組みにも無関心だったし、そんな理屈は思いもよらなかった。何より「学区の教師」として、世間体をめっちゃ気にしてたし。まあ、ムカつく地域に居を構えた身の不運としか思わなかったけど、PTAが任意加入とか、もっと早くに知っておきたかったよ!

 ところで、保護者の任意加入はわかったが、教師はどうなんだろうか。年度当初の職員会議でも、校務分掌の一つとしてPTAの各種委員会の担当を教師全員に割り振るのが普通であろう。4~5月のPTA総会で転入職員の紹介もあるが、それは「職員はすべて会員である」という前提に立っているようだが、それでいいんだろうか。けっこう余計な仕事のように思えて(本当に余計なこともある)、しかも思ったより面倒くさくて舌打ちしたくなる時も多いのだが。
 まあ、こっちのサイドから文句を言うわけにもいかないだろうから、こういう時に貧乏くじなのはいつだって教師のほう、という気がするな。
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カリキュラムの未履修問題が中学校で!


 何日か前、通勤中になんとなくラジオニュースを聞いていたら、都内のどこだかの中学校で、ここ何年も「保健」の授業が行われてなかったという話が出てきた。そんなのがニュースになる時代かいな、とも思うし、困った中学校だ、とも思う。しかし、もともとの教科の名前そのものが、小学校では「体育」だが、中学校では「保健体育」である。(小学校では「図画工作」が中学校では「美術」というのもある。)保健の授業の内容は、薬物乱用や喫煙の健康被害、救命救急や応急手当、性教育などそれなりに重要なものではあるが、けっこう多くの学校で「集中講義」みたいな形で実施している場合もあるんじゃないだろうか。
 問題になった学校でも、かつて生徒が荒れていた時代に実施できなくなってそのまんま何チャラみたいなことを言い訳していたようだが、さもありなん。自分が中学生の時にも、そもそも「体育」が座学になるなんて、全く納得できない事態であった。体育の時間であるにもかかわらず教室で座って黒板に座っている状況そのものに「憎しみ」すら覚えていたな。荒れてる学校じゃそんなことしようもんなら生徒が全員どこかに逃げ出しちゃうだろうし。
 で、教育委員会から中学校への指導として、在籍中の生徒には卒業までに履修させること、というのはわかるが、卒業しちゃった生徒には、希望すればその内容の授業を行う、みたいなことを言っていた。マジ噴飯ものである。そんなの希望してくる人なんているのかいな。

あぁ、でも日本人って意外に真面目だからそういうのありかもしれないね。

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新たな不平等~放っとかれる不良たち

 この間、部活を指導しているところへ不良女子二人が現れて、なんだか俺に用事があったようなのだが、そんな用事に心当たりはなかったし、全員を集めて指示を出している場面だったので、
「5分ぐらい待ってて。」
と言ったところ、
「チッ」
だと。
そして、さらにこっちがいろいろ話をしているすぐそばで二人して無遠慮にでかい声でギャハギャハ笑いながら、なんだか話をしてやがってうるさかったから、そのミーティングが終わったところで
「空気読め」
とかなんとか文句を言ったのだが、なんだか不発に終わってしまった。(しかもそれがきっかけで後で大トラブルになった。)

 それにしても俺は、以前だったら(と言ってもその「以前」っていつ頃だったのか)、「チッ」の時点でほとんど反射的にそいつらをどやしつけたはずなのに、なぜそれをやらなかったのか。絶好の機会なんてものは早々はないはずなのに…と考えてしまった。そして、そういうやつらとのトラブルを避けている、逃げている自分がいる、と感じているのだ。
 その大きな要因の一つが、
「こいつに言っても無駄だから」
という判断だ。以前はそんな思いはなかった。なぜならば、みんな平等だから。悪いことをしたら平等に叱る。ダメなもはダメ。当たり前だよね。しかし今は違う。そういう意味では生徒は平等じゃない。そこに新たに現れたキーワードは「発達障害」だ。 
昨今では、例えば年度当初とか夏休みの事例研修とかで、そういう生徒を一人ひとりピックアップして、
「こういう生徒ですので、こういう指導をしてはいけません。」
とかなんとか、いろいろな注意が担任とかから示されて、「共通理解」を図るわけである。で、前述の女子生徒はそういう事例に引っかかってる連中だったわけなのだ。
 つまり無力感。「発達障害」という免罪符を与えられた、要するに不良はやりたい放題。親も、ちゃんとそこのところはわきまえて、わが子がみんなに迷惑をかけている、という状況は上手にそっちの方へ置いて、しっかりと学校にイチャモンをつけてくる。一番に言ってくることは、
「お前(教師)の指導の仕方が悪い。」
である。しかし、目まぐるしく速く動く(つまり複数のことが同時進行で、あっという間に進んでいってしまう)学校の時間の中で、その時々に、それぞれの個別の生徒に、もっとも的確に対応するのはもともと不可能であろう。第一でかい学校では(良くも悪くも)かなり有名な生徒であっても、そうそうは顔と名前さえ一致しないことも多い。ましてや性格もそうだし、俺とそいつとの個人的なかかわりにしても、担任が日ごろどういう指導をしているのか、とか、親とどういう話になっているのか、とか、そんなことをいちいち考えてそれぞれの生徒に最適な指導方法を選んで対応しろと。それがプロだ、と。

ホント、いい加減にしてください。それは「ないものねだり」です。親もバカだよね~。子供と同じ目線で子供と同じに憤る。そこに大人の判断、一段上からの判断が存在しない。一段上の判断って何かって?それはわが子の「将来」だよ。中学の教師をサンドバッグにして言いたい放題に言い負かし留飲を下げるのはできる。先生に
「申し訳ございません」
といってもらっていい気持になるのもできる。だが、それが通用するのはいつまでだ?高校じゃあまり無理をすれば「進路変更」を勧められるだろうし、バイト先だったら
「明日から来なくていいよ。」
で即終了だろう。ましてや就職は?結局、、何をやったところで立場は安泰な場所として、親子して中学校の先生に甘ったれているという、ただそれだけのことだ。はたから見てみっともない、と思われているの、わかってるのかね。「中学校卒業」までが猶予期間で、それまでに人としてそれなりの品格を身に着けるべきだし、その訓練の場として学校があるのに、時間を無駄にしちゃっていいんだろうか。

「人材の不良債権」の作り方

埼玉新聞の記事「高校中退者 無職19% 増える『消極的進学』(4月7日)」について、思うこと。

 わが県の高校中退者が、昨年度一年間で1842人、大きめの高校が1.5校分、まるごと消えてしまう人数だ。何のために税金を使って高校の定員を用意してるんだか…と言いたくなる惨状だが、まあ仕方がない。なにしろ、子供たちに夢がない。夢を語る大人がいない。

 俺の小学校の時の親友で、
「俺は大人になったら八百屋になるんだ!」
と目を輝かせてしょっちゅう言ってるヤツがいたが、そういうヴィジョンを持てる環境そのものがないから、中学1年になっても2年になっても自分のことが分かっていない。例えば運動能力や体格など自分のことを顧みずに
「プロスポーツ選手(野球、サッカーなど)になりたい」
なんて絶望的なことを言ってるオコチャマが実際たくさんいるのだ。子供がそう言ってるのに、その夢を壊すなんてかわいそうでできない、と考える周囲の大人、特に親が問題を先送りしているのだろう。じいちゃんばあちゃんもこの頃は近くにいないし、大甘だし。(女子の方がパティシエ、とか美容師、看護師など、言ってることに現実味がある。)

 そして、夢破れた、あるいはもともと夢なんか持ってない生徒たちは次のステップに進めない。現実的な夢の描き方を知らないのである。だから、退学した生徒の高校進学理由も、「みんなが行くから」「家族や先生に勧められたから」というのが大半を占めている。他力本願なんだよね。自分でなんとかしていく、という一番大事な心が育ってない。
 さらに「高校生活を振り返り、高校にどんなことを望むか」の質問に対し、
「先生がもっと生徒のことを理解してほしい。」
とか
「もっと先生に相談に乗ってほしい。」
というのが以前より増えているという。だいたいからして、こういう生徒たちが実際に先生に自分を理解されるようにアクションを起こしたり、相談を持ちかけたりしたのかどうか、というところが大いに疑問なのであるが、それを置いといても、どこまで甘ったれれば気が済むのか。自分の経験を言えば、悪さをした3年生を呼んで説教していた時に、
「先生は俺の気持ちなんかわからないだろうが!」
と面と向かって言われたことがあるが、その時俺が
「お前の気持ちを理解する必要なんかあるのかよ!」
と返したら、相手の目が宙を泳いだことがあった。まさかそんな風に担任から言われるなんて思ってもみなかったのだろう。だが、そいつがどんな気持ちを持っていようが、やっちゃいけないことはやっちゃいけないだろが。さらに言えば、時間がたてば年齢が進んで自動的に中学は卒業する。仕事がなければ生活はできない。みたいな、オマエが何考えていようと、動かせないものは動かせない、という冷酷な現実が存在する、という当たり前の事実に思いが至らない、あるいは見ようとしない、あるいは見せないように大人が仕向けている、というこの状況は何とも嘆かわしい。うっかり見せれば「子供の心を傷つけた」というクレームが入ることさえあるが、現実を知らなければ地に足の着いた夢を描くことなんかできないのに。

 お前の気持ちなんかカンケーないんだよ!という世界が一歩一歩近づいている。それを大人たるもの、子供に見せつけなければならない。中学校でも少しずつ生徒に示しているはずなのだが、高校はさらにそれを一歩進めた形で示すはずだ。それが高校ってところじゃないのかなぁ。と俺は思う。
 だから、高校の先生が生徒のことを理解しなかったからって、それがどうしたんだよ。と俺なんか思っちゃうね。

 しかし、こういう新聞記事が誘導する世論は、
「高校ってのは冷たいところだ。高校の先生を再教育しろ。」
とか
「子供たちのことをもっと理解しなけりゃいかん。そのための環境を整えろ。人員を配置しろ。予算を出せ。法整備をしろ。」
ということになる。そして、こういう大甘の意見に支えられて、自立できない若者がぬくぬくと生き続け、またどこか世の中の一角が崩れ落ちる。こんなの絶対間違ってるだろうに、そういう日本に誰がしたんだ?

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仕事をさぼる二宮尊徳

 テレビのニュースで見たのだが、最近の二宮金次郎像は様変わりしてるらしい。
 何しろ、小学校の校庭でおなじみの従来のものは本を読みながら薪を担いで歩いている。こういうことをしては危険だろう。こんな像を小学校に置いておくとは良くないことだ。改善せねばならない。で、完成した新しい二宮金次郎の像というのは、荷物の薪を下ろし、腰を下ろして本を読んでいる姿である。
ninomiyason.jpg
本当に、この国の大人は子供をスポイルするのが上手だのう!こういう像を考え出す輩に言いたい。
余計なことすんな!
こんなクソな像、置いとくだけで恥さらしだ。もし、従来の像の通りに子供がまねして、道路を本を読みながら歩いたりしたら交通事故とかで危ない、っちゅうんだろ?バカバカしい。今どきの子供がそんなことするかいな。ながら勉強はいけないちゅうんだろ?今どきの日本にそんなシチュエーションの子がいるかい。ちょっと考えればすぐわかる。

 こういう「像」というのは、現実のものではなく、何かを象徴するものなんじゃないのか。二宮金次郎の像が教えていることは、「勤勉」。「夢の実現」。将来のために、寸暇を惜しんで、なおかつ与えられたお仕事をおろそかにすることなく、粘り強く、勉強を続けることが大切だ、というその考え方である。薪を担いで歩く道々(まあ、車もない安全な時代だったからというのもあるが)、毎日同じ景色を見てるのも時間の無駄だから歩きながらでも本ぐらい読めるだろ、という「発想」が大事だ、というのであって、わが身を危険にさらせ、といってるわけではないのは、誰が考えたってわかる。俺らが子供の時(半世紀前)でさえ、こんなのその通りにやったら大人に叱り飛ばされたはずだ。実際、そういうことを説明して、眼前の生徒に
「わかりませ~ん」
って言われてみ?
「お前、バカだろ!」
って言いたくなるから。あるいは(もしかして、こいつ本当のバカ??)と思いたくなる。しかも、わからない子供にはわかるように教えるのも教育だ。手間を惜しんじゃいけませんぜ。
 勉強もする、だが仕事もおろそかにしない、という「勤勉」なところが大事なのに、この像はつまり、仕事を
さぼって
なんか関係ないことしてる図ということになっちゃうんだけど、それには気づかないのかな、この像の責任者は?

 何かを変えよう、というときに、物事の本質を忘れてしまうようじゃ、浅はかな人といわれても文句を言うわけにもいきますまい。

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学校にエアコンは必要か~「必須アイテム」だろが!


 30年前、俺は埼玉県上尾に住んでいて、熊谷の職場に通っていた。(その時は教師じゃなかったが。)真夏の熊谷は昔から日本有数の暑い土地である。今ではそれを逆手に取った町興し、「あついぞ熊谷」なんてのをやってるぐらいだ。連日の猛暑の中、高崎線で上尾に帰ってきて、ホームに降りると、
「は~涼しい…。」
と思ったものだった。上尾の方が1~2℃は低かったであろう。俺の記憶が正しければ、その当時の真夏の気温は32~33℃。そもそも30℃越えと言ったら「うだるような暑さ」という修飾語とセットで語られていたものである。だが、記録を確認したわけではないが、当時の熊谷でさえも34℃という報道があった記憶はない。さて今はどうであろうか。

 先日、埼玉県所沢市で、市立小中学校のエアコン設置の是非を争う住民投票が行われた。報道された結果では、賛成5万なにがし、反対3万なにがし。そして、投票率は32パーセント。学校へのエアコン設置に賛成が反対を上回ったけど投票率があまりにも低すぎるので…、ということである。

なんだかね~。ひとことで言って愛情を感じないんだよね。

自分としての感想を言えば、まず投票率が低いことについて、やっぱりね~という感じである。要するに、子供が学校に通ってない人にとっては興味のないことなんだな。俺自身、高校生ぐらいから中学の教員になるまでの間は、小中学校なんかに何の興味もなかったし、中学生を街で見かけても野獣にしか見えなかった。そんな奴らの棲家にクーラーがついてようがなかろうが、どうでもいいジャンそんなこと、という気持ちは正直よくわかる。ましてや投票なんて面倒くさいし、ホントどうでもいいよね。
そしてもう一つ、反対した人が3万人もいたってこと。もともと、教育現場にエアコンを入れることには根強い反対がある。つまり、
「子供のうちにエアコン漬けの環境にいれば体温調節の力?が衰える。」etc.
暑さ寒さに我慢できるってことも含めて、力強さ、たくましさってものを「人として」若いうちに身につけてほしいってことだな。その意見には基本的には賛成である。今の若者は甘やかされすぎだろ!多少苦労させてでも将来のために子供を鍛えてやろう、という考えは大事だ。
だが、それも程度の問題だろが!10年ぐらい前から真夏の最高気温は上昇を続けているのだ。今じゃ朝の天気予報で「最高気温32℃」といったら冗談じゃなく
「今日は涼しいね」
というレベルである。30年前とは違うんだよ!現代の日本において冷房の効かない鉄筋コンクリートの建物は人間の生活する場所ではない。嘘だと思うなら学校に来て一日授業参観でもして見てごらん。現場で授業をしていても、そもそも授業中の集中力がまったく望めないなんて当たり前。それどころか、まずは健康上の心配をしなければならない。昔の小学生だったら、「日射病」でしゃがみこんだりすれば、体力のないだらしない奴、としてまわりの友達からあとあとまで冷笑されたものだったが、現代の「熱中症」は笑い事では済まされない。教育の話題でしょっちゅう出てくる
「俺らが若いころは」
というセリフは老人特有のノスタルジーの域を超えて、もはや『危険思想』である。

しかし結局、一般の意識はそんなものなのであろう。ゆで蛸になるかと思うほどの教室の暑さだって卒業したら忘れちゃうし、自分自身の子供とか孫とかが学校に行っていない限り、関係ないから興味がない。よしんば興味があったところで、自分の世界(体験・時代)での価値観でしか判断しない。だから、たかが学校に冷房を入れるかどうか、なんて取るに足らないことを真面目に考えてる奴なんか(小中学生の親を除いて)世の中にほとんどいない、ということだ。さみしいね。

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不良と歯並び

 この間、大韓航空の副社長であるところの社長一族のお嬢様が、乗務員にご無体なことをおっしゃったあげく飛行機を引き返させた、なんていう馬鹿馬鹿しい事件があり、騒ぎになっている。そのお嬢様の記者会見?の模様がテレビでも放送されていて、何となく見ていたのだが、気になったのは、彼女の歯並びである。要するに一言で言ってひどいんだけど、お金持ちのお嬢様だというのにどういうことなんでしょうね。

 何年か前の卒業生で、「市内最悪」と折り紙付きの不良がいたのだが、その指導に最前面に出て積極的にかかわったそのときの教頭が
「Sはなんでああなのかなぁ。だってあいつ、歯並びいいぜ。凄くいいんだぜ。ちゃんと愛情をかけられて育ってるはずなんだよ。どこでどう間違ったんだろう??」
としきりに首をかしげていたのである。まあ人それぞれで一概には言えないだろうが、歯並びの善し悪しは確かに偶然でそうなると決まったものでもない。乳歯が入れ替わる時期に、母親が気にかけて手入れをしなければいけないポイントでもあるのだ。そういう俺も子供の時、母親がときどき何かのきっかけで俺(俺たち兄弟)の口の中に気づいちゃあ癇癪を起こし、
「今すぐ歯医者に行ってこい!!」
とどつかれたものである。

 家内も一緒にテレビを見ていて、
「よっぽど甘やかされて育ったんだね。」
と言っていた。歯が痛くても、歯医者に行くのがイヤで意地を張ったあげくそのまま通っちゃったのかな。
 何事も小さい子供の頃の育ち方が、後々になって跳ね返ってくるということなのであろう。

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