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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

売り物に手を出すな

なんと、ウチの県教育委員会の出版物、「県教委だより」に、こんな大笑いの文章が載っていたので、そのまま転載しちゃうわ。

■教職員の皆さんへ
 教育長緊急メッセージ
教育長緊急メッセージでは、児童生徒が被害者となるわいせつ行為や盗撮等が相次ぎ、県民の信頼を失い続けている状況を非常事態と受け止め、子供たちを励まし、成長を支えていくべき教職員の皆さんが留意しなければならないことを3点、呼び掛けています。
○自制心を大事にする。
○児童生徒から慕われたとしても、教師の側からは恋愛の対象として見てはいけない。また、児童生徒を性の対象として見ているのであれば、その方には教師という職を辞してもらいたい。
○不祥事根絶を自分自身の課題として考える。 

 これはいったいなんのことであろうか。ここまでばかばかしくも当り前の文章が、こういうところに掲載されるということには全く呆れてしまう。と、最初は思った。
 今まで俺は、教師と生徒間のこういう系のトラブルは、極めて特異な例外か、あるいはどんな集団にも常に一定に存在する不純物が紛れ込んだものであって、そのことによって例えば、教職員のモラルが低下しているみたいな論説とは全く関係ない、と思っていた。
 しかし、それは間違いだったのか、それとも本当に教師の質が低下したのか。それとももともと教師のモラルなんてロクなもんじゃなくて、世間が許さなくなったということか。県教育長がこんなメッセージを現実に文字にしてしまい、世間にさらしてしまうなんて、あまりにも嘆かわしすぎる。メッセージの中に「児童生徒を性の対象として見ているのであれば、その方には教師という職を辞してもらいたい」なんてあるけど、そんなの当たり前だろが。だいたい、もしそんな奴がいるんなら最初から教師なんかやるんじゃねえよ!
 そういう俺はどうかというと、まあ具体的なことは省略するが、けっこう若かったある時「女子生徒というものが俺にとって性的な対象とは全くなりえない」ということに何かの偶然に気づいた。中学生の女子ともなれば、番茶も出花でみんな魅力的だ。かわいい子もいるし、性格の良さが外観に現れている子もいるし、絵にかいたような美人もいるし、明らかに色気を発散している子もいるにはいる。こいつ、もしかして俺に惚れてるんじゃないか?と鈍い俺にさえ思わせるような行動をとる女子も、いたような気がする。であるにもかかわらず、なぜか、全然興味を感じないんだよな、そっち系の意味では。でも、それが当り前じゃないのか?なんでそんな間違いにのめりこんでいく教師が後を絶たないのか、俺には不思議で仕方がない。
 おっと、そういえば教師という職業がブラック(実際勤務時間長いし残業代は出ないし)なのが知れ渡って、採用試験の倍率が下がっているというから、ひょっとするとそういう変態が紛れ込む可能性が高くなっているってことかな?もしそうであるなら、こんな悲惨な状況に対してお怒りを感じてらっしゃる人は、まず自分が先生になってそういう変態の侵入する余地をなくしてくれればいいんじゃないか?
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教科書展示会で道徳の本を見る

 期末テスト期間ということで部活動は一休み。今日は「教科書展示会」に行った(行かされた)。何やら道徳の教科書についてちゃんと意見を言わなければいけないみたいなので、いつもよりもちゃんと見ました。つまり、あまり気にしていなかったのだけど、今度『道徳」が『教科』になるにあたって、今まで「副読本」の扱いだった道徳の本が「教科書」に昇格するということか。10~20分ぐらいで適当に帰っちゃおう、と思ってたんだけど、気がついたら1時間半もたっていた。結構まじめですね、私。
 で、色々見た挙句、正直言ってどれもほとんど同じじゃないか。色とりどりの洒落たイラストや写真がついて、立派な装丁。でらっくすなことであります。俺の嫌いなヤツだ。
 まあ、俺の結論としては、版型の大きい奴は避けるべし。ということで。どれでも同じなら小さい本のほうが資源の節約になるし、多少でも重量が少なくなるし収納もしやすいわけだから、何より教室内での取り回しに便利であろう。その程度でいいんじゃないの?

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ここにきて初めての体験(大したことじゃないけど)

 なんと、今年入学してきた生徒の中に、「漢字が読めない」という学習障害を持った子がいるというのだ。ほ~そういう人もいるのか、まあいるんだろうな。かなり前に、「二酸化炭素という漢字が読めなければ理科はできないでしょ」みたいなことをこのブログに書いたことを思い出した。あまり関係ないけど。
 で、その対応なんだけど、ルビ付きの教材をその子たち(2人もいるのだ)のために用意しろ、と?板書もできればルビを振れと。極め付きは、中間テスト・期末テストも、その子たちのためにルビ付きの問題を用意しろと。保護者もそういう対応を望んでいるという。こりゃ~びっくりだわ~~。
 しかし教頭先生が言うには、このようなことはもはや全国的に普通のことであって(つまりこのブログを訪れる人も先刻承知ってこと?)、我がS玉県は遅れているんだそうな。テスト問題のルビ対策も、そういう印刷物をPDFファイルに読み込んでどうにかすれば一発でルビをつけてくれるソフトがあって、それは文部科学省が無償で配布しているんだそうな。そうか、俺たちは遅れていたのか~、と妙に納得して、でも実際にはプリントアウトした普通の問題に手書きでルビを追加して、今回は間に合わせた。

 でも、それほどやったのに、肝心の答案はほとんど正解が書かれていなかった。何のためにこんなに手間かけたんだ?

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英検を全員に受けさせる?

我が住居のある自治体の市議会だよりより。

「市内の全中学生に英検を受験させ、その受験料を市で全額負担するということだが、民間の検定試験である英検を受験させる目的は?」

「英検は、民間の検定試験ではあるが、文部科学省の後援を受けている。また、国の第2期教育振興基本計画中の成果目標にも英検の結果が用いられていることや、2020年度からの大学入試改革でも英検等の民間の検定試験を活用するとされていることなどから、英検の受験機会を設けることはグローバル社会に生きる生徒の生きる力をはぐくむ一助となると認識している。」

 実は、今年度に入ってから、教頭が
「なんか、市内の中3全員に英検受けさせることになったんだってよ~。どうやってやるんだろう。受験料も全部市で持つんだって。」
なんて言い出して、ウチの市の教育委員会のお茶目がまたしても出たのか!ぐらいに思っていたのだが、これって世の中で割とトレンドになっている?まあ、俺の娘は私立中学だったので、英検全員受験で、3級とかもらってたけど、まさか公立中学校でそういうことになるとはびっくりである。
 しかし、実際上はどうなるか。中3ということになると、そもそもすでに受験して3級持ってる生徒は準2級を受けるんでしょ。ウチの中学でも帰国子女ですでに準1級を持っている生徒もいる。生徒にも話は伝わっていて、
「アタシは4級を受けるわ~」
なんて言っている奴がいる。
「オマエ、中3のくせに4級受けるのかよ!」
と、思わず突っ込んじゃったが、4級だって怪しい中3はたくさんいるであろう。さらに、4級は受ければ終わりだが、3級は1次と2次があるよね~。その上、受験する級によって教室を変えるとして、人数配分とか結構面倒な手間がかかるであろうし、3級なら2次に進む生徒も多いだろうから(確か口頭試問だったような)それはそれで手間かかりそうですよね。

で、職員室での結論は、
「国語もろくにできないのに英語どころじゃねぇだろが!」
でした。
 

PTAは任意加入!任意加入なんだよ!


 一時話題になっていた「PTAは任意加入」という事実が、またちょっとどこかで取り上げられていた。PTAが強制加入だとすると憲法21条に抵触しちゃうらしく、これについての裁判も起こされているようだ。

 ところで、わが長男が中学生だった時(15年位前)、俺は長男の進学した中学校(公立)に勤務していた。つまり学区に住んでいた。まあそれが原因の一つとなってわが子たちが深刻ないじめ被害に遭ったため、せっかく買ったマイホームをたった5年で売っ払って引っ越し、子供たちも転校を余儀なくされたのだが、それは別の話。
 そのころのことを冷静に思い出してみると、俺はほかの生徒の親と同様に、Parent-Teacher Associationの「P」としてPTAの会費を払っていた。しかし、つらつら考えるに、職員室でも会費の集金があったので、「T」としても会費を払っていたはずなのだ。これって、二重取りじゃないのか。教師と保護者が同一人物であった場合、会員は一人なんだから、どっちかは払う必要ないよね。もう時効だろうが、返してもらいたいもんだ、はした金だけど。
 さらに言えば、2年目には「P」の立場での役員を押し付けられた。これも、やる必要なんかないはずだよね、なにしろ、同一人物であるところの「T」である自分は自動的に役員なんだから。過去に戻って文句言いたいところだが、その当時はそういう仕組みにも無関心だったし、そんな理屈は思いもよらなかった。何より「学区の教師」として、世間体をめっちゃ気にしてたし。まあ、ムカつく地域に居を構えた身の不運としか思わなかったけど、PTAが任意加入とか、もっと早くに知っておきたかったよ!

 ところで、保護者の任意加入はわかったが、教師はどうなんだろうか。年度当初の職員会議でも、校務分掌の一つとしてPTAの各種委員会の担当を教師全員に割り振るのが普通であろう。4~5月のPTA総会で転入職員の紹介もあるが、それは「職員はすべて会員である」という前提に立っているようだが、それでいいんだろうか。けっこう余計な仕事のように思えて(本当に余計なこともある)、しかも思ったより面倒くさくて舌打ちしたくなる時も多いのだが。
 まあ、こっちのサイドから文句を言うわけにもいかないだろうから、こういう時に貧乏くじなのはいつだって教師のほう、という気がするな。

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カリキュラムの未履修問題が中学校で!


 何日か前、通勤中になんとなくラジオニュースを聞いていたら、都内のどこだかの中学校で、ここ何年も「保健」の授業が行われてなかったという話が出てきた。そんなのがニュースになる時代かいな、とも思うし、困った中学校だ、とも思う。しかし、もともとの教科の名前そのものが、小学校では「体育」だが、中学校では「保健体育」である。(小学校では「図画工作」が中学校では「美術」というのもある。)保健の授業の内容は、薬物乱用や喫煙の健康被害、救命救急や応急手当、性教育などそれなりに重要なものではあるが、けっこう多くの学校で「集中講義」みたいな形で実施している場合もあるんじゃないだろうか。
 問題になった学校でも、かつて生徒が荒れていた時代に実施できなくなってそのまんま何チャラみたいなことを言い訳していたようだが、さもありなん。自分が中学生の時にも、そもそも「体育」が座学になるなんて、全く納得できない事態であった。体育の時間であるにもかかわらず教室で座って黒板に座っている状況そのものに「憎しみ」すら覚えていたな。荒れてる学校じゃそんなことしようもんなら生徒が全員どこかに逃げ出しちゃうだろうし。
 で、教育委員会から中学校への指導として、在籍中の生徒には卒業までに履修させること、というのはわかるが、卒業しちゃった生徒には、希望すればその内容の授業を行う、みたいなことを言っていた。マジ噴飯ものである。そんなの希望してくる人なんているのかいな。

あぁ、でも日本人って意外に真面目だからそういうのありかもしれないね。

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新たな不平等~放っとかれる不良たち

 この間、部活を指導しているところへ不良女子二人が現れて、なんだか俺に用事があったようなのだが、そんな用事に心当たりはなかったし、全員を集めて指示を出している場面だったので、
「5分ぐらい待ってて。」
と言ったところ、
「チッ」
だと。
そして、さらにこっちがいろいろ話をしているすぐそばで二人して無遠慮にでかい声でギャハギャハ笑いながら、なんだか話をしてやがってうるさかったから、そのミーティングが終わったところで
「空気読め」
とかなんとか文句を言ったのだが、なんだか不発に終わってしまった。(しかもそれがきっかけで後で大トラブルになった。)

 それにしても俺は、以前だったら(と言ってもその「以前」っていつ頃だったのか)、「チッ」の時点でほとんど反射的にそいつらをどやしつけたはずなのに、なぜそれをやらなかったのか。絶好の機会なんてものは早々はないはずなのに…と考えてしまった。そして、そういうやつらとのトラブルを避けている、逃げている自分がいる、と感じているのだ。
 その大きな要因の一つが、
「こいつに言っても無駄だから」
という判断だ。以前はそんな思いはなかった。なぜならば、みんな平等だから。悪いことをしたら平等に叱る。ダメなもはダメ。当たり前だよね。しかし今は違う。そういう意味では生徒は平等じゃない。そこに新たに現れたキーワードは「発達障害」だ。 
昨今では、例えば年度当初とか夏休みの事例研修とかで、そういう生徒を一人ひとりピックアップして、
「こういう生徒ですので、こういう指導をしてはいけません。」
とかなんとか、いろいろな注意が担任とかから示されて、「共通理解」を図るわけである。で、前述の女子生徒はそういう事例に引っかかってる連中だったわけなのだ。
 つまり無力感。「発達障害」という免罪符を与えられた、要するに不良はやりたい放題。親も、ちゃんとそこのところはわきまえて、わが子がみんなに迷惑をかけている、という状況は上手にそっちの方へ置いて、しっかりと学校にイチャモンをつけてくる。一番に言ってくることは、
「お前(教師)の指導の仕方が悪い。」
である。しかし、目まぐるしく速く動く(つまり複数のことが同時進行で、あっという間に進んでいってしまう)学校の時間の中で、その時々に、それぞれの個別の生徒に、もっとも的確に対応するのはもともと不可能であろう。第一でかい学校では(良くも悪くも)かなり有名な生徒であっても、そうそうは顔と名前さえ一致しないことも多い。ましてや性格もそうだし、俺とそいつとの個人的なかかわりにしても、担任が日ごろどういう指導をしているのか、とか、親とどういう話になっているのか、とか、そんなことをいちいち考えてそれぞれの生徒に最適な指導方法を選んで対応しろと。それがプロだ、と。

ホント、いい加減にしてください。それは「ないものねだり」です。親もバカだよね~。子供と同じ目線で子供と同じに憤る。そこに大人の判断、一段上からの判断が存在しない。一段上の判断って何かって?それはわが子の「将来」だよ。中学の教師をサンドバッグにして言いたい放題に言い負かし留飲を下げるのはできる。先生に
「申し訳ございません」
といってもらっていい気持になるのもできる。だが、それが通用するのはいつまでだ?高校じゃあまり無理をすれば「進路変更」を勧められるだろうし、バイト先だったら
「明日から来なくていいよ。」
で即終了だろう。ましてや就職は?結局、、何をやったところで立場は安泰な場所として、親子して中学校の先生に甘ったれているという、ただそれだけのことだ。はたから見てみっともない、と思われているの、わかってるのかね。「中学校卒業」までが猶予期間で、それまでに人としてそれなりの品格を身に着けるべきだし、その訓練の場として学校があるのに、時間を無駄にしちゃっていいんだろうか。