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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

少しの余裕

 毎朝決まって遅刻ギリギリ、または、30秒~1分遅刻してくる奴がいる。毎朝昇降口で見ているこっちとしても、(まったく…)という思いで見ているわけだ。一緒に昇降口に立っている3年の主任が、
「もうちょっと余裕を持って出てこいよ!いつも言ってるじゃないか…。」
生徒は黙って、ちょっと照れるような笑いを浮かべて通過していく。主任と職員室に引き上げつつ、俺、
「本当になんてことない、<ちょっとの余裕>っていっても、それを持つことができないのが人間なのかもしれませんねぇ。人間って弱い動物ですね。」
と、つい言った。そういう俺も、今朝くたびれて起きられなくて、朝練に最初から顔を出せなかったのだ。

教師の居心地がよい授業

と、思いっきり高飛車(タカビーとかいう崩れた日本語を使うのも、この際ねぇ…)に出てみた。
そもそも、先生様が授業をなさるのに、生徒たるもの、一切邪魔をしてはならない。忘れ物は言うに及ばず、私語なんてもってのほか、机が曲がって並んでいるのもけしからん。居眠りもイカンぞ。常に姿勢は正しくまっすぐ前をむき、手悪さはせず、鉛筆を正しく持ってノートにメモをとる。先生様が質問をなさったときにはまっすぐに手をあげて、自分が指されたならば大きく「ハイ」と返事をして起立し、はきはきと大きな声で答える。音楽の授業では丹田に力をこめて大きな美しい声で歌い、美術や書道では、友達を冷やかしたり筆を振り回して迷惑をかけたりせずに一心不乱に作品の制作に向かう。もちろん宿題をはじめ、求められた課題は期日を待たずに全員提出が完了する。茶髪や腰パンなど、服装の乱れも、そういうヤツがいるだけで目障りで先生様が意識を乱されるからやってはならない。時間をよく守り、遅刻だとか下校時間後もダラダラ校舎の中でくっちゃべったりとかせず、清掃や係活動はサボらず粛々と丁寧に進める。先生様は、とにかく余計なことに気をとられることもなく、授業に専念なさればいいのである。
こういう学校こそが、理想であって、生徒の諸君は学校をそういう状態にするために一意専心することが求められているのだぞよ。わかっておるかね、アーン?

なんてことを今の世に求めたらどうなっちゃうのか。まず、生徒にそんなことは望んでも不可能であろう、何しろ耐性がないからね。小学校の1年生問題とか、中1ショックとか、言われるようになって久しいが、授業の1時間の間、机に座っているというたったそれだけのことが「座力」なんていうバカバカしい言葉で真面目に言い表されるようになった、というのも、俺たちがガキの頃には想像もつかなかった時代の変化といえるであろう。しかも、「自ら進んで」という言葉は今の子供たちの辞書にはない。そんな連中にはまず持って無理な相談である。
次に、親たちが黙ってないね。子供の躾もろくすっぽやってないのも棚に上げて、
「それは先生の授業がつまらないからそうなるんでしょう!」
などとねじれた屁理屈を振りかざして文句を言ってくるであろうな。

ところが、「先生様の居心地をよくして差し上げる」というか、ようするに授業において先生がやりやすいように規律を正して行儀をよくするのは、学校においては極めて重要な要素である。心ある教師は4月当初の授業でそこらへんのところにかなりのエネルギーを割いて生徒に要求し、生徒が自分の思ったように動くまで粘る。もちろん、形の上では上述のような封建的なものではなく、時代に即応して多少変化はしているが、それぞれの先生(の好み)によって授業のスタイルに「ここんところはこう」というパターンがあるのであり、ほとんどの教師はそれは生徒に「墨守」させねばならない、と思っている。これは(特に中学校みたいにとうの立った子供が相手では)生徒との力比べ・根比べてあり、うっかりすれば「権力闘争」の様相を帯びてくる場合もある。そして、(俺みたいに)早めに負けて手を引いちゃう(手を抜いちゃう)のがダメ教師なのであって、そいつの授業から学年や学校が崩壊してくるし、最後まで大勢の生徒と渡り合って自分のスタイルを貫き通せる教師こそが「よい先生」なのである。(もちろん生徒にとっては怖い先生であり、場合によってはクソ親からの攻撃に晒される最前線の教師でもある。)

でも、そんなの当たり前だよね。だって、規律が確立していない授業で、生徒は席を移動して私語のし放題、プリントは即座に紙飛行機に化けて飛んだりゴミになる、なんていう空間で、一体教師はどんなことを生徒に言って、どうやってその言葉を生徒の心にまで届かせるというのか。
例えば、授業の最初にはたいていその日の授業のねらいや留意点を教師が説明するが、もしその時に私語を交わしている生徒がいれば、教師はその生徒に注意をしなければならず、当然その間授業は中断する。そして、教師はあらためて中断した話を途中から、あるいは最初から始めなければならない。俺なんかは老人ボケはいっているから
「どこまで話をしたっけ」
なんて、間抜けなことを生徒に聞いたりしなければならないのだが、たったそれだけのことでも思った以上に授業者の意識が乱れてしまうものだ、ということはわかってもらいたいものだ。
「これで30秒無駄にしたじゃないか」
なんて、生徒に文句の追い打ちをかけたりしてね。話をしてる最中に仲間を突っついているのもダメ。気が散る。
ようするに何がいいたいかっていうと、授業規律が確立、つまり
先生がいい気持ちで授業ができなければ、授業のクォリティが低下する、ってことである。まずは教師が面白い授業をしろ、という要求も、生徒のそれなりの態度があっての話だ。だから、皆の衆。授業の時には行儀よくしてろ!

戦う教師

 この頃、成功者になるには口癖を利用するのがいい、みたいな文庫本を拾い読みして、俺もそうするか、と考えた結果が「戦う教師」
センス無いのう。まあ、あんまり口に出していってるワケじゃないから、ちびまる子ちゃんの「友蔵心の俳句」とさして変わりはないかな。
だが現場の状況はそんなこといっていられない。ヘタすれば生徒が勝手に何でもやらかして、どうなっちゃうのか常に予断を許さないのが、今の受け持ち学年だ。

 そしてきょうは、ついにというか久々にというか、生徒と怒鳴り合って挙げ句の果てに胸ぐらを掴まれる、という事態が勃発した。発端は、清掃が終わって帰りの会を始めようとする矢先の時間、4組の教室に3組のヤツらが2人侵入していて、出るように指示してもいうことを聞かず、「帰りの会」が始められない、と女性の担任が困って俺に言ってきたのだ。(その時俺はちょうど教室前の廊下をパトロール中。そんなことをしなけりゃならないというのも、そもそも困ったことである。)
 で、さっそく教室に入って、その3組のヤツらを引っ張り出そうとしたら、さらにその奥に1組のSがいやがる。アチャ~、こいつは学年の中でも一二を争う面倒なヤツだ。だが、とにかく4組の学活を始めさせなければ、と思って
「こりゃ、他所のクラスに入り込むでない!」
と迫った。3組の二人(小物)がSの威光を頼んでグズグズしてるのもわかるから、勢いSに迫らざるをえないな。ところが、Sは
「なんだてめぇは。何もわからないくせに口出しするな。クソ教師。死ね。」などと暴言を吐きまくる。そんな手に乗るか。
「いいから出ろ。他所のクラスにはいるな。そういう時間じゃない!」
の一点張りで押す。Sが切れてきた。3組の連中はいつの間にか消えている。まずいじゃないか。と思うまもなく、暴言を吐きまくりつつ、その辺を蹴っ飛ばし、蹴散らして4組から出ていく。内心「シメシメ」とも思うが、いろいろそこら辺中のドアや壁や机を蹴っ飛ばして
ドカ~ン!!
バ~~~ン!
ガタ~~ン!!!

と猛烈な勢いである。こりゃ止めねばならぬ、と追いかけて、
「何やってるんだ、やめろ!」
「うっせえこの野郎てめぇ何もわかりもしねえくせに口出ししやがって、てめぇのせいだろこのバカ、死ね!消えちまえ!この学校から消えろ!」
もはやとどまるところを知らない。もちろんそこら中のドアを蹴りまくりながらだ。みんなびっくりだよね。
「ふざけるな」
と腕を取ると、
「なんだこの野郎!さわんじゃねぇ!」
と胸ぐらをつかんできやがった。その顔を見ると、まさに顔面蒼白。こりゃやばいかも、だが、引いちまってはせっかくの機会がもったいない、とさらに
「時間は時間だろうが!」
などと不退転の決意で対抗する。<戦う教師>だからね。もちろん、腕組みをして、手は出してないよ、というのをさりげなく周囲にアピール。
向こうも、胸ぐらはつかんだものの、その先には進まない。おさえているのだ。ひょっとしてやられるかも、という気もしたが、その一瞬に(あ、こりゃ大丈夫だわ)と判断する。で、向こうもらちがあかない、と見て取って手を離し、さらにそこら中に当たり散らしながら、自分の教室に突入し、その瞬間に一番後ろの机を蹴り倒す。
「痛てっ!!」
と男子生徒が叫ぶ。Sの担任が何とか落ち着かせよう、と介入する。俺も追いかける…。
と、さらにこんな騒ぎが5分ぐらいも続いたかな。

 それにしても、キレる生徒、というのも困ったものだ。しかもSの場合は、だいたいこういうことをされればキレる、だから俺にかまうな、みたいな、キレてもいい場面、というか、キレるための免罪符というか、そういうものを備えたつもりになっている、という意味でも厄介だ。
だが、彼もいずれは卒業だ。いつまでもだだっ子みたいに、何でも許される世界にとどまっているわけにはいかない。こっちもそういうメッセージを出し続けなければいけない。そのために給料もらってるんだからな!!

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どうしようもなく何でもないこと

 その日、ある中学2年生の男子が下校途中、公園のベンチに座っていた。友達も2人ほど一緒である。いつもならそんな道草はせずサッサと家に帰っちゃうのだが、たまたまその日はいつも一緒に帰る友達が生徒会の役員選挙に立候補し、立合演説会のリハーサルがあるのでそれが終わるのを待っていたのだ。学校にいると
「とっくに下校時間だぞ!」なんて、先生にドヤされるからね。
で、仲間と何気ない会話を交わしながらふと見ると足下に木片が落ちている。彼は何の気なしに持っていた十徳ナイフをカバンから取り出し、その木片を当てもなく削ったり切り刻んだりし始めた。すると、その作業が面白かったのか、数人の小学1年生の男の子が集まってきて、彼の手元をじっと見つめているのであった。そこで、珍しがるチビどもに十徳ナイフの機能を見せびらかしたりして感心させたりしてるうちに、待っていた仲間も合流し、帰宅の途についた。彼の何でもない1日はこうして何でもなく終わった。さて…。


 俺がいつものように部活の朝練に参加しよう、と出勤してみると、朝も7時30分というのに生徒指導担当の先生が血相を変えている。教頭先生をはじめ居合わせた屈強な先生を数人連れてすっ飛んで出て行ってしまった。何でも話によると、ウチの中2の生徒が近所の小学校の1年生に刃物を突きつけて、「死ぬか?」と脅したという。しかも同じ児童が以前にもやられていて、その生徒から顔を覚えられているかもしれない、ということで保護者も浮き足だっている、と。こりゃ警察も関係するかもしれない大事件だ!
 生徒指導用の写真を当該の児童に見せたところ、数人いたといううちの一人が特定されさっそく呼び出して事情聴取、と相成った。
 これが先週の出来事だ。

 それにしても、かわいそうな子供達である。いったい何の因果でこんな、俺たちがガキの頃なら話のネタのうちにも全然入らないようなどうでもいいことが、バカみたいな大騒ぎになってしまうのか。ま、大人にも言い分はあるな。
1:刃物を持ち歩くなんてトンでもない。ぜったい御法度だ。俺たちなんかは肥後守だとかボンナイフだとか、持っているのが当たり前だったが、そんなのは、今は昔の物語。これまで、少年による刃物の事件がどれだけあったのか。黒磯の中学校では女教師が刺し殺され、埼玉県でも福岡県でも生徒同士の刃傷沙汰で子供が死んだ。今じゃ学校にナイフを持ってくるのはほとんど禁止であろう。校長によってはハサミさえも厳禁している学校もある。(俺はその学校に勤務していて、それはそれは不便だったものだ。)それなのに、何でこの生徒は十徳ナイフなんか持ち歩いていたのか。
2:「死ぬか?」というセリフはどんな雰囲気で、どんな場面で発せられた言葉なのか。それを聞いた小学生はどう受け取ったのか。恐怖を感じたのか?それとも終始和やかなムードだったのか?そもそも「死ネ!」という、俺たちがガキの頃なら、うっかり発すれば大人からの拳骨が飛んできそうなセリフも、今じゃごく当たり前の、挨拶のように使われている。嘆かわしいのは確かだが、子供達のこの乱れた言語環境をどうにかできる力は、大人にはないのが現状だ。であるにもかかわらず、やっぱり言われてしまう、「彼はなぜ、死ね、と言ったのか」

…というわけで、こんな「フツーの感覚」を持つ人間にとって「どうしようもなく何でもないこと」が、本人にも信じられないような影響を周囲に与え、何が何だかわからないうちに殺気だった先生(たち)に取り囲まれ詰問され、彼らは「大人不信」をつのらせていく。救いようのない子供受難の時代じゃないか。

まあそれが現代だ、と言えばそれまでなんだけどね。

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子供に言葉をしゃべらせろ:その2

 以前に書いた、「子供に言葉をしゃべらせろ」というのが、いつの間にか別のサイトで紹介されていた。俺ごときの勝手気ままな放言みたいなものをこんな形で取り上げてくれるなんて面映ゆくもあるが、そこにいろんなコメントがついていたのも結構笑えるものであった。しかし、後でよくよく考えてみると笑ってばかりもいられないものもあるな~~、というのがあったので紹介しようか。


・生徒に正しい日本語を使わせたいのなら、先生が手本にならないとね。
「やるの?」「どこの?」なんていってるから子供がそれで通じるんだって思っちゃうんですよ

・先生も丁寧な言葉を使うべきですよ。
「おい」とか「おまえ」とか名前を呼び捨てする
教育者というより、敬語を使われて当然というおごりが背景にあるように思います。


「敬語を使われて当然というおごり」だって?プッ。結局、教師という「機能」について何もわかってないのが如実にわかる。この場合は「使わせて当然という使命感」っていうべきなんだよ。
 本当はこんなの「揚げ足取り」の一言で片付ける程度の取るに足らないもののはずなのだが、困ったことに昨今の「自我の肥大した大衆」の間ではそれなりの説得力を発揮する言説となってしまっているように思うのだ。確かに、ちゃんとした言葉遣いを指導するはずの先生が「てめえこのヤロー」では一見カッコがつかないようにみえる

 だが、違うのだ。先生が生徒に対してぞんざいな口をきいたからといって、なぜ子供がそれに右へ倣えをしなきゃいけないんだ? 子供は大人とは同じじゃない。立場が違う。分をわきまえなければいけない。先生がぞんざいでも生徒は敬語。そういう風に教え込めばいいだけの話。それで何が悪いのか俺ごときのバカな脳みそでは全く理解できない。「分をわきまえる」というのは学校卒業した後もずーっと続くよ。俺の職業遍歴(乏しいけど)の中でも立場の上下、年の長幼、身分の上下、序列その他でちゃんとぞんざいと丁寧が使い分けられてたよ。どこのTVドラマを見てもどの小説を読んでも映画を見ても、目上はぞんざい、目下は丁寧。あなたのご家庭では違うんですか?それで、学校だけは生徒と同等の丁寧語を教師は使え、と?は~~いいんですか、そんな教育しちゃって。というか、そういう要求ってどんな意味があるの?教師って、社会に出る前の子供が親以外に遭遇するほぼ唯一の種類の「大人」なんだけどね。

 それともう一つ、小学校と中学校の違いもある。中学校は(これは俺自身もおぼろげに感じるだけだが)伝統的に社会との接点の役割を担っていたのではないか。小学校では正しく美しい形を身につける。しかし卒業後直ちに就職に結びつく可能性もある中学校では、そこに「清濁併せのむ」という要素を加えていくのではなかろうか。小学上がりがビックリしちゃう、教師のぞんざいな言葉遣いもその機能の一環だったんでは?ま、想像に過ぎないけどね。

 もちろん、言語環境を整えよう、とまじめに取り組もうと思えばこっち(教師)の言葉遣いだって自然に改善されてくるよ。「ダメじゃねーか!」が「困るじゃありませんか。」ぐらいの変化は発生している。(生徒指導の威力にどんな影響を与えるか、は別問題。)下手をすれば「慇懃無礼」なんじゃないのこれ?と思うぐらい丁寧に話すこともあるよ、生徒は感じないけどね。
 でも俺が幼少の頃の記憶では、近所のおじさんやおじいちゃん(知らない人は特に)は、別に大店や名家のお坊ちゃんでもないただの洟垂れ小僧であるところの俺なんかに向かってでさえも必ず、「坊ちゃんは・・」とか「・・なさる」なんていう言葉遣いで話しかけていたし、そういうのは江戸時代からの日本の伝統だったらしい。今みたいにTVなんかから汚い情報が子供の耳に入ってこなかったわけだし、大人社会全体が子供の言語環境に細心の注意を払っていたんだね。そういう社会を再び作りましょう、と言われれば俺だって全面的に協力するよ。たぶん日本中のどの教師だってそのくらいのことはできるであろうし、するであろう。



なお、この項では一部の、「ある種の悪意」を持った教師の発言は想定しておらず、あくまでも、普通の教師と普通の生徒が普通に生活している場面を前提にしています。(何をもって「普通」とするのか、なんて揚げ足をとられても困るけどね)

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子供に言葉をしゃべらせろ

 日本中の中学校で、毎日フツーに繰り返されている場面を一つ紹介しよう。

 何かの当番の生徒が、職員室に入ってくる。そして、担当の教師のそばに来て叫ぶ。「センセエ~、カギ!!」「はいよ」先生は鍵を渡し、生徒は職員室を出て行く。

 絶対許せないでしょ??俺は許せないんだよ!何、センセエ~、カギって?俺は極力突っ込むことにしている。
まず、多少憮然とした色を混ぜた冷静な声で、「先生は鍵ではありません。」
生徒(少しあわてた声で)「先生、鍵ください。」
さらに憮然とした声で「え?やるの?」
生徒(やや冷静さを取り戻し)「鍵を貸してください」
そこでさらに突っ込んで「どこの?」「放送室の!」
(本当はここでさらに「放送室の鍵です、でしょ」といじめてもいいのだが、まあその辺は状況に応じるとして、)一応少し機嫌を取り戻した様子を声に混ぜて「じゃ、はじめから言って。」
「先生、(~~~で使うので、)放送室の鍵を貸してください!」

これを書いてて、俺って我ながらなんて嫌な奴だろう、と思った。少なくとも生徒の目にはそう映るだろうな。文字にするとホント、ヤな感じだ。そして、実際には「センセエ~、カギ!!」で渡しちゃうことも少なくはないのだ。だが、やっぱり立場上こういうのを許しちゃダメでしょう。嫌われようが何しようが、関係ないです。というか、カッコイイ言い方をすれば「こういう何気ない場面にも生徒を教育するチャンスが転がっている」ということだ。しかも、放っておけば学校そのものの言語環境だって次第に悪くなっていってしまうのだ。

負けるな、俺!生徒に嫌がられることを恐れるな!生徒が日本語をちゃんと話せるようにしてあげようじゃありませんか。

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「茶髪」って迷惑なんだよ!

なんか、どこだかでまた、茶髪の生徒の髪を黒く染めちゃった、といって問題になっていた。人権救済がどうだか、って親も騒いでいるようだな。くだらない奴らだ。
よく、
「茶髪が何で悪いんですか。誰にも迷惑かけていないじゃないですか。」
というようなことを言う低脳なのが親にも生徒にもいる。そういう奴らは、表面的・即物的にしか物事を考えられない、薄~い精神の持ち主ばっかだ。まず何もわかってないな。
茶髪がいかに中学校に迷惑をかけているか。
以前にも書いたが、「服装の乱れは心の乱れ」という事実を認識できない教師はまずいないはずである。段階的にいえば(多少の前後はあるが)、上履きのかかとを踏みつぶし、制服を着崩し、大きすぎるセーターを制服の裾からはみ出させ、眉毛を細く整え、禁止されているカーディガンにいつの間にか着替え、変な香水を使い、バレないように少しずつ髪の毛の色を変えて教師の出方を窺う。そして俺たちがふと気づいてみると立派な不良の一丁上がりである。
 こういう子供たちはまず間違いなく家庭に問題がある。父母の仲が悪く夫婦生活崩壊→家庭崩壊、というのが一番よくあるパターンだが、そのほかにもちょっとした生活環境の変化で「心が乱れ」てしまった生徒の中から、服装を乱し始めていく者が輩出する。第一、家庭が崩壊すると、洗濯が行き届かなくなって不潔な雰囲気を醸し出し始めることさえあるのだ。これは本人には責任がないのだから可哀想ではある。だが、そこから開き直った「服装の乱れ」も始まる。

「茶髪」はそういった服装が乱れてゆく経過のうちの単なる一つである。つまり、これだけで終わるわけではない。この先さらに様々に乱れてゆく。また、心が乱れた者が乱すのは服装だけではない。行動もだ。だらしない態度。ぞんざいな言葉遣い。学習意欲の喪失。時間や行動規律を守ろうとする規範意識の喪失。そして無断遅刻・無断早退・喫煙・授業エスケープ・ケータイを持ち込んで使い放題、などの問題行動。
 さらに困ったことに、家庭に居場所のない(学校に来ないと昼飯も食えない場合も多い)彼ら(彼女ら)は、ほぼ絶対に休まず学校に登校して迷惑を振りまくだけでは飽きたらず、仲間を求め、まわりの連中を巻き込もうとする。そして、やはり生活環境に多少の問題を抱えながらも何とかけなげにがんばってきた一部の「普通の」生徒が、そいつらの「フォースの暗黒面」に染まっていくのだ。それが増殖するのに手をこまねいて見ていればどうなるか。簡単なこと。「荒れた中学校」のできあがりである。(もちろん、様々な環境の違いで適当なところでとどまる場合も多いが。)

 そんな大げさな…と笑うか?
俺たち教師の中にもたくさんいたよ。そういう危険信号を「受容的」にとらえてあげて、「教育相談的立場」で「生徒のいうことにじっと耳を傾けて」あげて、「人間的」に対応していったバカが(一部の教員からは金八教師なんて揶揄されてたこともあったな)。その結果、上述のような有様となって日本中でいったい中学校が何校、泣きを見たと思っているのか。数え切れないんじゃないのか?しかも、荒れ始めると速いよ~~~!半月もあれば手の施しようがなくなる。坂道を転がるように授業は崩壊し、施設設備は破壊される。そして、その結果泣きを見るのは誰だ??
真っ当な生徒だよ!!
コイツらの学習権が甚大な被害を被るのだ。

 なお、ただ単に洒落っ気で髪の毛をいじる、何も困ったところのない女の子、なんてのもいるにはいる。だが、これも困る。上述のような現象が現れやすくなる触媒の役目を果たしてしまうからだ。

たかが「茶髪」がいかに学校に迷惑をかけることになるのか、これでわかったかね?だから、教師は警戒している。ちょっとしたシグナルにも神経をとがらせている(シグナルが読み取れなかったのか、とあとになっていわれるのも癪だし)。そして些細なことにも文句を言う。場合によっては、半強制的に黒く染め直すことだってするさ。俺自身も何人かやったよ。髪の毛の色をいじるな、と言いながら教師自らが「染め直す」という形でいじっている、という矛盾にさいなまされながらね。
 そういう嫌な思いをしながらキミタチの大事な大事な子供たちが通っている学校の学習環境を日夜守っているというのに、人権侵害もないもんだ。そんな文句を言う前に迷惑かけたことを謝れよ!!と言いたいね。

(生徒の「人権」についてもそのうち気が向いたら書こう)

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