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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

全日本吹奏楽コンクールが中止!

「当然のこと」として予測していたとはいえ、現実に直面してみるとけっこうショックである。吹奏楽コンクールの全日本大会が中止となった。8月アタマに行われる地区大会もほぼ絶望的だ。
 誰が悪いというわけでもない、といういい方はよくない。ズバリ中国政府が悪いのである。「武漢ウィルスは研究施設から漏れ出した生物兵器」という噂は嘘なんだろうけど、実際のところあいつら武漢ウィルスを国威発揚のための「兵器」としてフル活用してるじゃん。
 ま、それは置いといて。
 部活動(吹奏楽に限らず)が感染拡大の温床となる場面をこれまでにも何度も、実際に見聞きしてきた。インフルエンザが流行している時期に市民会館大ホールとか、でかい体育館のような場所で、あちこちの団体が集まって行われる行事で一気に広がる、なんてことは結構聞く話だし、俺の指導してる部活で経験した中でも、本番直前に別室で練習していた打楽器パート全員がマイコプラズマ肺炎に罹患して出席停止になってしまい(ほかのパートは全員無事)、急遽卒業生に入ってもらって演奏を乗り切った、なんてことも結構前の話だが実際にあった。運動部の大会も次々中止となる中で、吹奏楽部だけが贅沢言うわけにもいかないし、第一、そこからクラスター発生なんてことになれば、それこそとんでもないことになるであろう。最後の大会がふいになってしまって3年生がかわいそう、という声も、それこそそこら中から聞こえてくるが、今何が最優先なのかを考えれば、大会をやることそれ自体が、生徒の不利益になり、生徒がかわいそうなんだ、と思わなければいけない。普通の状況じゃないんだから、別の価値観で物事を考えなければならないんだよね。そういうことさ。
 もちろん頭ではわかっていても、気持ちの方はそうはいかない。これから部活、就中吹奏楽部の活動がどうなるのか、全然読めなくて不安ではあるが、やれることをやるしかないじゃん。まずは6月に入ってからの活動再開、とりわけ仮入部なんかに向けて、消毒用アルコール・次亜塩素酸水・噴霧スプレーとかの準備に手を付けなければね。
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テーマ:部活 - ジャンル:学校・教育

部活動は全くやってません。どうにもならん。

武漢肺炎の影響は長引くばかり。例年6月に行われる、支部吹奏楽研究発表会は中止になりました。まあ、状況からいって当たり前の判断ですね。2月の末からすでに一月半というもの全く練習していません。ほかの部活もそうですが、「雲散霧消」というイメージがまさにぴったり。職員室でも時々
「・・・大会が中止になった…」
みたいな話題が運動部の顧問の先生から出てくるが、こっちの「夏のコンクール」はどうなるんだろう。5月7日に予定通り学校が再開されるとして(それだってあまり明るい見通しではない)そこから練習するにしても、新入部員の面倒を見ながら曲を完成させるなんて、ほとんど無理(完成度を度外視すれば無理じゃない)。そもそも部活がないから演奏曲も決まってないし。今は黙って待つしかない。
 で、その辺のところをググってみたら、
「コンクールがないなら、部活に行く理由がない。」
「何のために部活をやっているかわからない。」

という中高生の意見が飛び交っている傾向というか、状況があるようだ。悲しいことである。こいつらの顧問の先生は日頃ちゃんと指導してるのか? そんなこと言わせるなんて。

 ちなみに我が部活では、コンクールは「目標」ではあるが「目的」ではない、と常々生徒に話してきた。コンクールに出る以上、「目標」はもちろん金賞、県大会、支部大会…である。しかし、コンクールの演奏は、音楽ではない。集団演技である。どれだけ縦線をそろえるか、どれだけ音程を正確に出すか、どれだけハーモニーをきれいに響かせられるか。もっと言うならどれだけ指揮者に「服従」できるか。それだけを徹底的に生徒に要求する。俺はそれを悪いことだとは全く思わない。なぜなら、そうやって身に着けることができる技術は、「演奏」に必要な能力となって、本来の吹奏楽の目的であるところの「音楽の演奏」に生かすことができるからだ。その演奏は、例えば「敬老会」とか、「地区の・・・祭のお呼ばれ」で発揮される。お客さんは「どっちがうまいか固唾をのんで見つめているライバル」ではなく、純粋に私たちの演奏を楽しんでくださる方々である。そういうお客様に向けて、感謝を込めてご披露させていただき、喜んでいただき、その生の反応というかお客様との心の通い合いを実感する。吹奏楽部の演奏の「目的」はこれじゃないんですか?そして、その「目的」をさらにより良い形で達成するための手段として、コンクールというツールを使って個々の技術力を高め、集団としてのポテンシャルを高める。だからコンクールの演奏が、練習が間に合わなくて結果的に無機質なものになったとしても、まあいいのさ。
 もちろん部員にとってはなかなかそういう顧問の思いというか考え方を、自分のものにできるとは思えないが、感情で納得できなくても、理屈でそういうもんなんだ、と教えていくことってすっごく大事なんじゃないだろうか。音楽ってのはもっともっと自由で豊かなものなんだぞ。

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ケガ人発生!何もかもがうまくいかない日

 今日は、我が吹奏楽部は敬老会にお呼ばれしての演奏会である。ゲンをかついで二階の掃除なんかしてみるが、朝から何だかうまくいく気がしない。
「そういうことを思っていると失敗するわよ」
との妻の言葉に励まされて、しかし、台風も接近中だし、雨降りそうで心配なので、当初の予定ではバイクで行くつもりだったのを変更して、自動車で出発だ。学校から現地までは生徒と一緒に路線バスで行くとしよう。
 職場に到着すると、もうかなりの生徒が職員玄関の前で待っている。彼女らとともに校舎に入り、まずはいつも通りの出席確認・清掃・腹筋・呼吸法・合唱、と進行する。
10:30 練習(最終調整)終了、楽器を車に積み込む準備をする。ここまでは平和でした。
10:40 積み込み開始。ここで最初のトラブル発生。なんと、敬老会が差し向けてくれた楽器運搬用のワゴン車が、驚くべき小ささの普通のワンボックスではないか!事前打ち合わせでハイエース級ってお願いしたのに!さらに、なんだか打楽器の荷造りがはかどらないので4Fの音楽室から自動車の待つ昇降口まで下りていくのが遅くなり、もうその時点ですでに時間が押し始めている。焦って積み込み状況をチェックするとなんと、大きくてかさばる打楽器を差し置いて、小さな管楽器がすでにワンボックスの床一杯に積み込まれているではないか。とっさに
「なんだこれは!全部降ろせ!」
と叫んでしまうが、悪夢を見ているようだ。当然作業は始めからやり直しであるが、この時点ですでに先発隊は出発してしまっていて、人員も手薄。つまり、さらに時間が押していく。まさに悪夢。そして、こんな小さい車ではとても運びきれないと思ったので今朝乗ってきた自動車を昇降口に回し(バイクじゃなくて自動車で来てよかったぜ)、孫用のチャイルドシートを外していると、
「ガッシャ~~ン!!!」
とシンバルを落っことす嫌な音が響き渡る。(そしてここからが本当の悪夢の始まりだった。)
 間抜け野郎が!!と心の中で毒づきながら作業を進めていると、いきなり生徒が、
「先生!」
とただならぬ雰囲気で呼びかけてくるので、あ、こりゃなんかあったな、と。
 車を回って行ってみると、2年のホルンの子が倒れている。シンバルを足の上に落としてけがをしたのだ。親指の付け根から盛んに出血しているようで、靴下が見る見るうちに赤く染まっていく。パニックになって泣いている生徒に、
「落ち着いて。落ち着いて。心配するな。大丈夫だから。」
と話しかけるも、靴下を脱がしてみると、傷口から血がポタポタ垂れて止まらない。そのうち副顧問の先生が来てくれて保健室をあけてくれて、その子を運び込むが、保護者に連絡がつかない。なんか、別のお祭りの役員で出てしまっているとのこと。しかし、楽器積み込みの方も難航していて放っておくわけにもいかないし、先発隊の到着を受けて、先方の役員さんからも
「まだ到着しませんか」
という催促の電話がかかってくる。悪夢だ。
 後ろ髪をひかれつつ自動車を出発させ、会場に到着し、先発隊と楽器の降ろしや仕分けをして、なんやかんやで20分遅れで後発隊が到着するが、もうその時点で楽器を準備しなければならない時間だが、生徒たちは腹ペコである。で、10分で無理やりお弁当を口の中に詰め込ませ、演奏の準備をさせるが、なんだかのんびりしてるんだよな。しかも、演奏会場に行ってみると、会場は満員のお年寄りがお待ちだが、舞台袖にあたる控室ではいまだに打楽器の組み立てが終わっていないという、あきれた状況。ほかの管楽器の連中もボーっと突っ立っている。(これ、悪夢といわずしてなんていうの?)こいつら、なんなんだ。もはや不気味ささえ感じてしまう。だがすでに本番開始時間はとっくに過ぎていて、どうにかしないと大変だ。ほとんど怒鳴り声でそこらじゅうを飛び回って指示を出し、やっと気の利いたやつが動き始めるが、結局、この人たち、これまでやったことのないことに対して、完成形のイメージがなく、どうしようというアイディアもなく、ただただ棒立ち。こんな馬鹿な奴らに付き合いきれるか!てな感じであるが、実際段取りについてちゃんとイメージして生徒に周知させておくのはこっちの仕事。ある意味この人たちに罪はない。前年度の部活顧問は何の躾もしてくれてなくて、集団としての統制とかシステムとかそもそもの行動原理とかについて全く教育されていないのだ。楽器を吹くだけの、ただのお人形?こんなの吹奏楽部じゃない!まさに烏合の衆を前にして、こっちはもう泣きそうだ。
 おまけに、
「会そのもののケツが決まっているから、これこれの時間までに演奏を終わらせろ」
という主催者からの要望があったにもかかわらず、すでにそこまであと15分しかない。30分の予定でステージを用意してきたというのに。悪夢だ。
 その後、15分延長OKというカンペが回ってきたりしながら這う這うの体でステージを終わらせ、楽器を片付けて積み込むと、今度はスムーズに積み込みが進んで、予定通り帰ってきた。
 けがをした生徒も、病院に行って、骨に異状なく、傷も浅くて縫うほどでなく、よかったと言えばよかったけど、全然よくないわ!

 今日の演奏は、ホルンは主力の2年生が欠けてヘナチョコな音しか出ないし、時間なくてチューニングもできず音あってないし、フルートはピッチ狂ったまんま最後まで偉そうに吹き切っちゃうし、マーチのテンポはこれ以上はないというほどダッサイし、本当に、これほどひどい演奏は新任のころ(平成初期)以来かもしれない。そんな中でも、お年寄りの皆さんは喜んでくれたし、先日引退した3年生も来てくれていて最後の打楽器の撤収とか手伝ってくれたし。本当に多くの人に支えられてやっとのことで続けているんだよ、この活動。それなのに何やってんだ、と思うともうほんとにやってられないっての。

 本日の演奏曲
  ①ワシントンポスト
  ②パプリカ
  ③ルパン三世(ロックバージョン)
  ④ムーンライトセレナーデ
  ⑤中村八大ヒット曲メドレー
  (⑥アンコール「アメリカ野砲隊」は時間の都合で中止、というか、それを口実にスタミナ切れでボロボロの演奏になるのがバレないですんだので、助かった)

今年の吹奏楽コンクール顛末

 今日は吹奏楽コンクールの地区大会。台風が通過したので、よりによってというかとびっきりの暑さ予報(37℃)だ。
 それでも朝、
8:00前には勤務校に到着、いつも通りの時間(8:30)に生徒は集合し、いつも通りに掃除、腹筋、呼吸法、合唱。そして音出しをして合奏開始が
9:20。いつもの通りピッチが合わなくてチューニングが難航し、結局ろくな練習もできずに時間切れで
10:30移動準備開始。まずは一番厄介なチャイムとマリンバを2階の音楽室から1階に降ろさせて現地待ち受け部隊とトラック積み込み部隊に分かれて作業開始だ。
11:20、やっとのことで積み込み部隊も全員出発させ、自分も出発する。
12:20、会場(所沢市民文化センター)に到着。とにかく暑いというのに、指揮者たるものドレスシャツに蝶ネクタイで黒の式服に身を包む。気温35度の屋外に出て、思わず
「すこ~しも暑くないわ!」
などと、アナと雪の女王の替え歌なんかを口ずさむ。その我がいでたちを1年生どもに笑われたり、楽器置き場の荷物の置き方にいちゃもんをつけたりなど、なんやかんや例年通りの手順を経て、
14:45演奏開始。今年の曲は「虹色の未来へ」という課題曲と自由曲「歌劇トゥーランドットより」。まあ、ウチのレベルで言えば渾身の力をもってすれば、いや、それでもどうにもならない難曲である(なんでそんなの選んだんだよ…)。案の定、思ったよりもパワーを出し切れない演奏で、指揮をしながら「はああああああ……」みたいなムードだ。終わった後も客席にお辞儀しながらテンションだだ下がりで、もう帰っちゃいたい気分だが、直後に写真撮影があって、しかめっ面もしてはいられない。応援に来た保護者もいっぱいいるから、必死で笑顔を作ってその場をどうにか乗り切り、そのあとは楽屋にシケ込んでモニターでほかの学校の演奏を聴きながらもっとテンションが下がる。
コンクールなんか滅びちまえばいいのに。
 ともかく生徒の手前、最後までへこたれているわけにもいかないから、楽屋から重い腰を上げ、客席へ行って我が戦友でもあるところの生徒たちと合流する。そして、ついに結果発表。演奏順に次々に賞が発表され、金賞受賞団体が妙に多い。上位大会進出が4団体だけのはずなのになんでこんなに?これではうちはほぼ最下位だわ、やれやれと思っているうちにウチの番になり、部長が舞台の中央に進み出る。そして、運営委員の爺さんが、「ホニャララ市立ホニャララ中学校、
ゴールド、金賞!」と、読み上げて賞状を手渡す。
我が戦友たちが悲鳴のような喜びの声を上げる(キャーッ!そして直後にみんな泣く)。いや~~ひっさしぶりに聞いたぜ、「ゴールド金賞」。他ならぬウチの団体が受賞するとなると、何という素敵な響きの言葉であろうか。これだから、
コンクールって素敵じゃないか。結局上位大会には進出できなかったが(いわゆるダメ金)去年が銅賞だったからね、部員たちもみな笑顔でハッピーな気分になり、幸せいっぱいで帰ってきて、トラックから楽器を下ろして片づけて、解散したのは
20:00であった。なにはともあれ、めでたしめでたし。

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指揮者のテクニック5か条

 合唱祭の指揮者の指導…これはなかなか頭の痛い問題である。何しろ、日頃からそういうことなんかやったことのない連中ばっかりなんだから、放っておけば当然見様見真似のでたらめばかり。参考にできるのは先輩の姿だけだから、先輩が変なことやればそれはそのまんま「伝統」になる。一応1年生のころから食い入るように先輩の姿を見ているし、一応ビデオもとっているし。そこに持ってきて音楽担当のほうは、全然思ったようにいかないクラス合唱のハーモニーだのキッタナイ声だの全然弾けるようにならないピアニストだののメンテナンスや実行委員会の切り盛りなんかで手一杯、指揮者に割く時間なんて1分もない。さらに、クラスで指揮者をやる生徒というのも多種多様で、まさに指揮者にふさわしいリーダーシップも音楽的素養も豊かに持っている奴なんて滅多におらず、目立ちたがり屋、調査書目当て、音楽の成績目当て、伴奏ピアニストと仲良しだから、声が小さくて戦力にならない(変声期前、というのもある)、指揮者賞を狙っている山師、イジメの一環として押し付けられる、他に希望者がいないのでという正義感だけで、等々はっきり言ってろくなもんじゃないことがほとんどである。まず、合唱団(クラス)が整列した前に立って、俺のほうを見て、
「…どうやって始めるの?」
その前に、
「…4拍子ってどうやって振るの?」
そして実際始めて見ると、合唱の指揮どころか、音楽に合わせて手を振ることすらできない、という輩までいる始末。仕方なく担任が手を出したり、周りの生徒がいろいろ考えてフリをつけたりし始めてしまったら、今度はその努力に水を差しかねないから、本来はやらなきゃいけないはずの音楽科が余計に口を出しにくくなる。さらに困ったことに、肝心の音楽の先生(例えば俺とか)が指揮者の指導について、その技術を持ち合わせない、なんて(;´д`)トホホな場合すらあるのではないか。

 仕方がないので、指揮者が決まった時点で当人たちに以下のような資料を渡している。見てあきれる人もいるであろうが、つまり俺の勤務校の校内音楽祭本番を見ていて俺自身がイライラするところを書き連ねたということ、要するにこういうことばかりやっている、ということである。


指揮者のテクニック5か条

1 腰から下を動かさない。
 ・やってる本人は夢中になってやった気になるが、見ている方は落ち着かない。

2 ひじを出さない
 ・拍点があいまいになり、見にくい(歌いにくい)指揮になる。
 ・リズムに合わせてひじを動かすのは絶対にやめよう。わきを締める!

3 図形は胸と顔の前で描く
 ・腹の前では下すぎて、歌っているほうの目線を下に落とさせてしまうし、自分の目線も下がる。
 ・特定の拍(4拍子の3拍目など)だけ別のところに行ってしまうと、戻るのに時間がかかり、動きが不安定になる。

4 右手がリズム、左手が表情
 ・指示を出す相手には正対しよう。ピアニストには左手でリズムを、というのでは相手を軽んじていることになる。

5 息を吸うのを誘う
 ・みんながどこで息を吸うのかわからないような、あいまいな指揮をしてはいけない。
 ・曲の中のどこで息を吸うのか、ちゃんとわかっていて、伴奏者とも息を合わせておこう。

◎ 責任がある、ということを自覚しよう!
◎クラスの雰囲気を作るのは自分だ。
◎クラスの曲のことを誰よりもよく勉強し、理解しているのは自分だ。
◎音楽を作り合唱のレベルを高めるのは自分だ。
◎聴いていただく人たちに向かって、クラスを代表してお辞儀をするのは自分だ。
 ・よいステージマナー(服装、姿勢、動作など、ステージに上がる前から「演奏」は始まっている)が、よい演奏を作る。

歴史ある吹奏楽部にて

ここ何日か、音楽準備室の整理にハマってしまった。何しろとんでもなく汚いし乱雑だし腹は立つし手間はかかるがなんだか面白いのである。
とにかく古~い吹奏楽部なので、古~い楽譜が大量に放置されている。しかも小さな引き出しがいっぱいあってそれにアルファベットのシールが貼ってあり、題名の頭文字がそれに従って分類され、片付けてあるのだが、まずはそこがしっくりこない。例えば、「B」の引き出しから「バラの謝肉祭」が出てくるのって、どうなのよ。妙な違和感がある。「D」の棚から「大地讃頌」が出てくるのはまあ普通だけど、「大草原の歌」が出てくるのはなんだかおかしい。さらに、「小鳥売りセレクション」が「D」の引き出しから出てくる理由は、封筒に「Der Vogelhändler」という題名が書いてあったからでしょう。アルファベットなんかもはや意味をなしてない。
その上、半分、いや3分の2以上は原譜ではなく、コピーの楽譜である。それも古くなって、貼り付けたセロテープが茶色に変色していたり、封筒を補強したクラフトテープのノリが劣化して触っただけでパラっと取れちゃったり、演奏に実際使用して書き込みだらけのやつをそのままコピーしてあったり、シミだらけ、しわくちゃだらけ。おまけに欠損のパーツもけっこうあって使い物にならず、ただのゴミでしかないものばかり。触っただけで顔が痒くなりそうで、少なくとも手は痒くなる。手書きの楽譜というのも多い。かつてコピー機なんかなかった時代にはよく楽譜を手書きしたものだが、これらは、書いた本人しかわからないか、書いた本人がそばに居合わせるかしないとわけがわからない場合も多い。ともかく何のためにこんなのを後生大事に保存しているのか、意味がわからん。まあ、気にしないで目をつぶって今まで放ったらかしてきたのでしょう。「バラの謝肉祭」や「吹奏楽のための民話」なんか、そういう状態のがなんセットもでてくる、つまり引き出しにしまいこんだらそれが最後で、あとの人は新たに譜面を用意するというわけだ。ミュージックエイトの「君の瞳に恋してる」なんか、原譜が2セット出てきたからね。引き出しに楽譜をしまい込むというのは、保存方法としてはどうしようもなく非効率的じゃないか。

で、この際引き出しを全部ひっくり返して、不要なものは一切捨てよう、と決意した。一世を風靡したであろう、しかし今や誰も題名を聞いたことのないようなポップスの楽譜とか、持っててもしょうがないし、必要なら改めてどこかで探してくればよろし。それに、わざわざそんなことしなくても、今は演奏するための楽譜なんて実に豊富に世の中に出回っている。コピーの楽譜なんかも、著作権法上問題あるし、汚いばっかりだ。昔のコピー機の調子の悪いのに当たったやつなんかは、かすれてたり黒ずんでたり、裏写りしてたり別の紙に転写されていたり。

ところが、面白いこともあるんですよ。中には原譜もたしかにいっぱいあって、しかも古~いやつが出てきたりする。「りんごの谷」とか「イシターの凱旋」とかね。まだアルファベットの「D」までしかやってないけれど、結構面白い楽譜がいっぱい出てきた。この先どんなお宝が眠っているのか、興味はつきない。

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不快な音楽会~音楽教師の孤独その2


今回はまるっきりの愚痴ですから。

今年度のわが勤務校の合唱祭。最後に職員アンケート(自由記述)のまとめをさせられて、無事終了となったのだが、今回、この仕事は不愉快極まりないものであった。
 まず、こういう記述があった。
来年度以降、もっと合唱の声の大きさ、響き、ハーモニーも高めていかないといけない、と強く感じた。練習方法も含めて。
なに、これ。俺の指導がそんなに下手だと。生徒の声は小さく、響きがなく、音程がめちゃめちゃだからハーモニー感もないと。そういうことですね。そして、来年度以降は音楽の教師なんか相手にしないで自分たち他教科の教員ががっちり指導に介入していこうと。そういうこと?
これほど失礼千万なことを、音楽の教師が読むことがわかっていて書いてくるとは、すごい人間性の持ち主だ。校内音楽会の後で金賞クラスが参加した「市内小中音楽会」の時には校長が
「うちの学校の合唱は水準が高いねえ!」
と顔中笑いにして言ってたんだけどね。これ書いた人は何がご不満なんだろうか、聞いてみたいものだが、残念ながら無記名でやがんの。

~略~担任の合唱指導の力量の違いや、曲数がこなせないとか、~略~
担任の合唱指導の力量」だとよ!笑わせてくれる。いつ誰がそんなの要求したんだ?お前らにそんなもの最初から、一つも期待したことなんかない。新任以来何十年も!思い上がるのもいい加減にしろ!と言ってやりたいよ。 あわせて、
私が若いころは合唱指導をどうしたらよいかわからず、先輩の先生のやり方を盗んでまねたりしていました。若い先生たちにサンプルとなるような、学級での担任の合唱指導を、ある年齢以上の教員は、していかなくてはいけないなあ、と思いました。
な~んてのもあった。今までこういう思い上がった先生がクラス合唱に手を出して、変にいじり回しこねくり回し、せっかくの指導を台無しにしてくれたことはあるけど、役に立ったことなんか記憶にない。もちろん、音取り用のCDをクラス人数分製作して夏休み前に配るなど、有効な側面支援をしてくださる担任の先生もいらっしゃって、そういうのは感謝なのだが、割り箸を奥歯に咥えて声出すみたいな、わけのわからない民間療法を生徒に押し付けるとか、女子のせっかくの頭声的発声を地声に戻してホールでの響きをかき消しちゃったりとか、迷惑なことしか記憶にない。大体、そういう担任のクラスであればあるほど、そもそも女子の声が聞こえなくなる。なんでなんだろうね~。だいたい、こういう指導にしゃしゃり出てくる先生は、昔(学生時代)合唱部だった、とかそういうことで妙に自信があったりするんだけど、神話時代の音楽指導(腹を膨らませて息吸え、とか)にどっぷり浸ってて、現代の科学的(になりつつある)な教科指導を知らない場合が多い。第一、音楽専科と違うことを教えたら、自分の立場が危うくなることぐらいわからないのか。

もっとも、市町村によっても違うかもしれない。これまで(といってももう10年近く前になるが)勤務していた市ではそういうことはなかった。
「まったく生徒に任せたまんまで合唱練習が進んでいく。楽させてもらった。」
「今年の放課後練習は怒鳴らないでやろう、と決心していたが、本当に一度も怒鳴らないで終わってしまった。」
という感謝の言葉をいただいたことは多々あるし、プロ教師の会の河上亮一氏も
「女子の細いきれいな声は音楽の先生に任せるしかない。」
みたいなことを何かに書いていたのも読んだことがある。若いペーペーだった時期から、音楽のことは音楽の先生に任せるべし!という風潮のなかで、俺は仕事をしてきた(させられてきた)。だからいろいろな工夫を考えたし、卒業式なんかの指導では(今日はどうやって…???)と何日も前から頭を悩まし、緊張して取り組んできた。そして、それが当たり前だと思っていた。変な民間療法の指導をする人も俺が取り組んでいる合唱祭に影響を与えるほどの人数というか勢力はなかったし。
ところが、現任校の市にきてから風向きが変わったんだよな~。どういういきさつでこうなったのか、よほど指導力のない音楽教師ばかりがのうのうとのさばっていたのか?(そうと確信するに足る様々な状況証拠を俺は把握しているが。)しかも、それまで勤務していた市に比べて合唱祭のグレードはまるっきり低いのに。偉そうに何言ってるんだっつうの。
いずれにせよ、こんなふうに音楽教師がないがしろにされたのでは何をかいわんや。ただただ怒りに震えるばかりである。一時、
「合唱祭は大声コンテストではない」
というスローガンが出回ったこともあったが、俺みたいな頑迷なジジイが消えていくに従い、合唱祭は大声コンテストに戻っていくのであろう。歴史は繰り返す。だが、知ったこっちゃない!勝手に怒鳴り合いやってろっつーの!

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