最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

前次大戦の対戦相手?

 今、冬休み。学区の小学校の吹奏楽クラブを教えに来てくれ、という要請を受けて、部員を連れてその小学校へ行ってきた。パート練習とかを見ながら何となく学級の掲示物を見ていたら、6年生のある教室で、大東亜戦争の頃の生活についてなどについての、児童制作の掲示物があったのだが、その中に、
「日本は中国、韓国、アメリカなど、いろいろな国と戦いました。」
という記述があった。はて?大東亜戦争で韓国と戦ったとは何のこと?この当時は朝鮮半島の住民は日本人として、兵士も大日本帝国陸海軍として、中国や米英を相手に戦っていたはずなのだが?
たくさんある掲示物の中の一つだけにさりげなく(しかし堂々と)そう書いてあったのだが、こういう重大な間違いを見逃すというのは困ったことだ。小さくちょこっと書いてあることでも、意外に後々まで印象に残ってしまう児童もいるかもしれないではないか。昨今、歴史認識とかなんとかかまびすしく言われるが、事実として間違っていることを放っておくのだけは絶対にまずいであろう。もし、気づかないというのであれば、やはり教師の資質が低下しているという話になってしまうではないか。
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公的施設の私物化

 どうも、(中学校の)実技教科の先生方って、俺も含めてだが自分の教科の準備室を「自分の城」と勘違いしてしまう傾向があるみたいなんだな。職員室の小さなロッカーだけしかモノの置き場がない「主要5教科」の先生方に比べて、圧倒的にでかい(といっても普通教室の半分だが)スペースが管理下にあるわけだから、いきおい自分で用意した教材とか過年度の資料とか私物とか私物とか私物とかの物置となってしまう傾向があるのは否めない。俺が知ってるだけでも、新任以来のあらゆる資料をため込んで応接セットを持ち込んで日夜くつろいでいる体育の先生(定年しちゃったが)とか、異動の時の引っ越しに野球部の生徒を総動員してトラック2杯分もの私物を運び出した技術の先生とか、けっこう強者がいた。俺にしても、異動となると、ステーションワゴンで3回は引っ越し先との往復を余儀なくされる。(とはいえ定年が迫ってきたこの頃は異動するたびにいろんなものを置き去りにしたり整理して、かなり断捨離が進行してきたけどね。)
 ま、俺も含めて、そういうのがみっともない、という意識は多かれ少なかれ感じている人が多いみたいなので、たとえば家庭科の先生であれば、
「部活のレクで、お料理大会をやりたいんですけど?」
といえば、
「ちゃんと使った後をキレイにしてくれるんであれば、いいわよ!」
と、調理室の仕様を快諾してくれるし、俺にしたって、学年集会で音楽室を使わせてくれ、というような要求は断らないのが常である。というか、当たり前じゃん!

 だから、これから紹介する出来事には、ちょっとグッときちゃったのよ。

 今年の我が中学校は、全館冷房の工事を行うということで、夏休み中の校舎内立ち入りが全面的に禁止(生徒はもちろん教員も、言葉の真の意味で全面禁止:どうしても、という場合は現場監督の許可と同行が必要!)となってしまった。そうなるとストレートに死活問題なのが、吹奏楽部である。いったいどこで練習すればいいのか、楽器はどこに保管すればいいのか。今年の大会は8月6日、いったいどうなっちゃうのか、まさに大問題だ。とにかく最後の大会を控えた3年生を心穏やかに練習させねばならない。
 ということで、うちの管理職がいろいろ交渉して、隣接する小学校の音楽室を貸してもらうことになり、何回かの折衝の中で、音楽室とその隣の部屋(冷房あり)と体育館は自由に使ってもよい、ということになったので、やれやれ、と胸をなで下ろしていたわけですよ。
 ところが!夏休み開始直前になって、先方の小学校の音楽主任(女性)から、
「ご相談したいことが!」
というので、何かな~と思ったら、なんと、音楽室にあるものを一切その場から動かさないで練習してもらいたい、というのである。で、その現場を見てこっちは愕然とした。なんと、音楽室いっぱいに、20台以上の立奏用木琴や鉄琴やヴィブラフォンやグロッケンやマリンバが並び、8台のシンセサイザー(キーボード)がアンプとの面倒な配線とともに並べ置かれ、さらに整然と並べられた30脚以上の椅子に何十本もの譜面台!音楽室の床がこれらのものでほとんど埋め尽くされているのだから恐れ入る。そして、それを夏休み中動かさずそのままで30人からの部員が活動せよ、と?まさに信じられない要求である。中に入るな、と言っているのと同然だ。

 でもよく考えてみたら、理不尽じゃないか?管理職どうしの話し合いで「ご自由にお使いください」ということになったのに、実際には自由に使えないなんてことが許されるのか?立場を変えて考えれば、そういう話が上から降ってきたならば、俺だったら他人に備品をいじられるのはイヤでもあるから夏休みが始まる前に一切合切、楽器でも何でもどこかに片付けて、音楽室はきれいさっぱり更地にして
「申し訳ないけどグランドピアノだけはどけられませんでしたが。」
と冗談交じりの挨拶をして先方(この場合はつまり俺)に明け渡す。それが礼儀ってモンじゃないのか?というより、やっぱりこれは「公的施設の私物化」ではないだろうか。どういう人なんだ、この教員は?性格おかしくないかい?と思って、部員にリサーチしてみると、やっぱりなんやかんやとウルサイ人らしい。しかも本人の話を元に確認してみると、かつては中学校で5年以上も吹奏楽部の顧問をしていたこともあって、吹奏楽部というものがどういう事情を抱えているかもわかっているはずなのに、平気でそういうことを言ってくるってところが信じられない!まずまず面倒くさいこった。

 だが、ともかく音楽室での練習は事実上不可能である。やむを得ず、やはり使ってもよい、と管理職からいわれた体育館を使うことにして、音楽室は放っておこう、と生徒とも相談し、夏休みに入ってからの練習は体育館で行うことにした。だがご存じの通り今年は、夏休みに入ってからは情け容赦のない猛暑日が続き、体育館はまさにサウナ風呂のような有様である。これでは練習どころか生徒の健康の方が心配である。熱中症の恐怖で背筋が凍るような、なんて笑い事にもならない。

 というわけで、夏休み2週目には問題の音楽室は楽器配置の写メを取りまくり、メモを取りまくって、楽器をみんな隣の部屋に片付けてしまった。文句を言われたら言い返してやる!
「どけた楽器を元に戻す義務はないぞ!」
と、ね。(もちろん誠意をもって元通りにさせていただきます。なんやかんや言っても、使わせていただいているわけですから。)

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こういうの許しといていいんでしょうか!

 きのう、「吹奏楽研究発表会」というのがあった。地区の小中高校大学が集まって、お互いに演奏を聴き合い、研修し合おう、という会である。まあこの時期だから、夏のコンクールに向けて調整のための舞台でもあるし、行動手順の確認、部活運営上の問題点の洗い出しなど、かなり大切な一日とも言えるのだ。一方、別の方角から攻める団体もある。超少人数の高校(7~8人)とか、超大人数で技術力にも余裕のある学校なんかは、あえてコンクールで演奏する曲をやらずに別の曲でパフォーマンスを加えた演奏をしたり、ある意味お祭り的な要素を披露してみたりすることもある。まあ、それぞれの考え方だから別にどうこう言うことではない。
 一校あたりの演奏の制限時間は8分、入れ替わりに要する時間が3分、つまり11分刻みですべてが進行するスケジュールである。すべてを時間通りに進行させるために、顧問としては曲目の選定から始まって部員一同の統率のとれた行動を訓練し、当日ともなれば、ステージ係や誘導係、会場係などの役員(すべて当日出場するメンバーが交代で行う)が細心の注意をはらいつつ役目を果たさねばならない。一日中、スリル満点の時間の連続である。

 さて、それなのに、だ。

その持ち時間を大幅にオーバーして演奏した中学校があったのだ。コンクール参加曲(7分)をしっかりやった後、さらにプログラムに載っていないテキーラ(4分)をサプライズで演奏しちゃって、ノリノリで会場の手拍子を誘うなどしたらしい。つまり、前述の二つの要素を一つのステージで同時にやってしまったのだ。それでも8分で終わるならいいのだが、この場合は明らかにわかっていて、あえて制限時間をオーバーしたということになる。1秒でもオーバーすれば失格になるコンクールと違うからね。
 つまり、これは重大なルール違反である。みんなステージには長くいたいのを我慢しているのだ。大編成の部に出る団体なら、ここで課題曲と自由曲を12分間フルに演奏したい。いつも出来ない大曲をやってみたい、あれとこれを同時にやりたい、と様々な思惑を持っている顧問だって生徒だって多い。そこを我慢して8分に切り詰めているのだ。
 役員だって、プログラムに書いてある曲が終わって拍手が起きれば、会場係は出入り扉を開けちゃうし、ステージ係はイスと譜面台を並べ直しに舞台に駆け込もうとする。客席だって、拍手と同時に演奏準備や時間による役員の交代で多くの生徒が入れ替わるので大わらわとなる。それなのにコイツら、その客席がいったん落ち着くまで待ってから、2曲目を始めたのである。つまり1曲目と2曲目の間に2分ぐらいは開いたことになる。俺が担当していた「誘導係」の生徒も客席から出てこられなくなって、すでに受付で集合を完了している団体を待たせる事態となった。とんでもない混乱になったのだ。

 この学校は、外部指導者が長年に渡り指導に当たっていて、(俺は嫌いだが)極めてレベルの高いバンドを築き上げてきている。それで、俺たちのありがたい演奏を特別に聴かせてやるからよ~く拝聴しろ、と言わんばかりの今回の行動になったものだろう。だいたいお互いに鑑賞し合う会のはずなのに、コイツら(生徒)トイレとかホワイエとかで遊んでばかりいたし。
 つまり、外部指導者が暴走しているのかな?それとも生徒がやりたいと言ってるのを顧問が止めることができないのかな?いずれにしてもこの学校の吹奏楽部は狂った方向に走っているのは確かである。外部指導者が指導して結果を残し始めると、保護者も熱くなり、学校の顧問が手を出せなくなる傾向があるようだ。そして、生徒も高慢ちきになるし、指導が入りにくくなる。そういう学校運営上のお荷物になっちゃった部活を(吹奏楽部に限らず)いくつか見たことがある。そういえばきのうも、外部指導者が指揮をする学校の生徒は演奏鑑賞中に私語をするなど、けっこう行儀の悪いのが多かった、という報告もある。

 こういう場合は、校長が強権発動してぶった切るとか、何らかの大手術をしなければならないのだが、そんな度胸のある管理職も、多くはいない。俺も数年前に「吹奏楽部の正常化」を管理職から要請されて、その吹奏楽部のガンであったところの「親の会」の解散を強行しようとしたところ、校長が腰砕けになって待ったをかけてきた、という件があった。なにしろ、手を抜きたい無能な顧問と、日和見主義の校長の合作である。困ったものだ。

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指導できない教師

 市内小中音楽会であった。午前中は中学校の部、午後は小学校の部で4年生が参加することになっている。午前中はウチの学校も参加して演奏して、さて、午後。
 最初の学校の演奏が始まった瞬間、すごい違和感を覚える。よく見ると、というか聴くと、要するにホールの中が普通にざわついているのだ。何じゃこの鑑賞態度は!さすが中学生(午前中)は立派じゃのう、それに引き替え小学生と来た日は…とあきれて、さらによく見ると、特定の学校だけがやかましくおしゃべりなのだ。そして、その他の学校の児童はけっこう静かに聞いている、というか「真剣に」と言ってもいい学校さえあるのに!
 一応役員として会場のドア係を仰せつかっている行きがかり上やむなく、演奏の合間にすぐそばにいたその学校の先生(男)に
「すいません、この学校だけ私語が目立つのですが…よろしくお願いします」
と、やんわり申し上げる。だが彼は特に動かない。おや~??
で、次の演奏の合間に見ていると、子供たちの方へいってなにやら言おうとするのだが、奴ら、人の話なんか聞いてないじゃないか!何という押し出しの弱さ。こりゃダメだ、と乱入して、
「お~い君たち!周りをよく見てごらん!演奏中におしゃべりしてるの君たちの学校だけだよ!!」
と、あたりに聞こえる声で言うと、皆さんポカ~ンとしてこっちを見ている。で、ようやく(ここは少し静かにしなければいけない場所なのかもしれない)と子供たちなりに悟ったらしく、次の演奏からはやや静かになった。
 だが、それにしてもあきれるのはこの小学校の教師達である。その後も、(ありがちだが)子供たちが覚えのある演奏とか、知ってる曲の演奏になると、どうしてもおしゃべりがわき起こってしまうのだが、それに対して、脇で鑑賞している複数の教師が全く何事もなかったかのように、身動きもせずに、一心不乱に、舞台を注視しているのだ、まるで傍らに児童がいないかのごとくに!(「傍若無児」という四文字熟語を突然思いついてしまった:アホだな、俺)
 だいたい、自分のところの子供が行儀が悪ければ何とかしよう、と思うのが先生じゃないのか?そいつらの方を振り向いて指一本たてて口に当てるとか、恐い顔をするなりすれば、少しは抑止力にもなるはずなのに、何もしないってどうなのよ?
しかも、多分その中に管理職だってまざっているだろうに、こういうことがまかり通っちゃうわけ?

 おまけに言えば、俺がわざわざよその学校の子供を注意してやったのに、そこの教師から俺に対してお礼の一つもないのだ。普通なら、
「お手数おかけして申し訳ありません」
とか、
「ありがとうございます。」
だろ?俺なら言うよ、言わずにはいられないから。そんな当たり前のことが教師からして出来ないんだから、ガキもこのザマなんだな、とは納得できた。別にお礼を言ってほしくてやってるワケじゃないが、こんな礼儀知らずどものために何かしてやったか、と思うとムカっ腹が立つわな!

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若い奴をあきれさせる

 倅がついに大学を出て、最近臨時採用の口を見つけ、算数の学力向上を目的にTTのT2を主に担当する、という仕事を小学校で始めたのだ。ところが、そこで目にした先生方の危なっかしさにけっこうびっくりしていて、ウチに帰ってはなんだかんだと愚痴っている。
 その中でも、算数の授業の中で、基本的なミスが多くて困ったわ~なんてことがしょっちゅうあるらしい。

① T1「33は素数ですね。」
  児童(暫しあって)
    「ザワザワザワ」
  T2(急いでT1に忍び寄り、ひそひそ声で)
    「センセー、違いますよ!!33は素数じゃありません!」

② T1「最大公約数が1になる二つの数をあげてみましょう。
     たとえば「4と10」の組み合わせなんかそうですよね。」
  T2(慌てて)
    「センセー、違いますヨ~!!(殿、ご乱心召さるな)」
  T1「あれ?」

 なんてやりとりを実際に連日やってるというのだが、なんだかおとぼけだのう。児童の学力よりも先に教員の学力のチェックが必要だってか?たまたまその学校だけの話だと思いたいぞ!

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伝統、もとい「悪しき習慣」との格闘

 先日卒業式があり、3年生が巣立っていった。今年この学校に異動してきた俺は、ついにこの3年生達としっくりいかないまま(というより反目したまま?)、1年間の音楽の授業を終えざるを得なかった。
 さて、卒業に当たって、お世話になった先生に感謝のメッセージを送りましょう、という企画があって、何人かの生徒が俺宛にもメッセージを書いてくれたのだが、その中に、
「先生のせいで音楽が嫌いになりました。」
「この学校の伝統をぶっ壊されたみたいな気がしました。」
「もっと生徒の気持ちになって考え直した方がいいですよ。」
「P~先生(前任者)の時の方がずっとよかった。」
みたいな「お便り」が複数あった。言ってくれるじゃねぇか。「感謝の」とわざわざ断っているのにこんなことを平気で書いてくる失礼な感覚(しかも無記名)、これは現代のガキどもの困ったところかもしれないが、まあ書く必要のない場面で積極的かつ確信犯的に書いてきた、というところはなかな興味深いことである。何しろ、俺がこんなことを言われたのは何十年も前の新任の時以来だからな。それに、確かに俺は「面白い(interestingじゃなくてfunnyという意味:今時の生徒はそういうのじゃないと食いついてこないのよ)授業」というのは苦手だし。

 そもそも、この中学校は地域でも有名な(それも悪い意味で)「合唱の盛んな」中学校なのである。なにしろ、朝の学活は合唱。生徒集会も合唱。道徳の時間も合唱。学活も合唱。掃除の時間にはみ出しても合唱。放課後も下校時刻過ぎまで合唱。その一方で、服装に代表される校則はとっても「自由」。合唱さえやってれば何やったって自由なのよ、というムード満点の学校だったらしい。一度なんか、卒業式を3年生が途中から乗っ取っちゃってほとんど合唱祭のような有様になって30分以上も延々とやらかし、来賓がトイレに行けなくて往生し、居合わせた県議があとで県教委に文句を言って騒ぎになったこともあったという(本当の話)。過年度の合唱祭の反省なんかを見ても、保護者から
「歌がうまくっても舞台マナーは最低」
なんてアンケートに書かれていたようだし。俺も10年ぐらい前に勤務していた学校にたまたま招待状が来たので見に行ったことがあるのだが、まあ、やってる本人達は、(自分たちは上手だ)と思いこんでいるのはよくわかるんだけど、実際そう大してうまくはないな、という印象だった。つまり一言で言ってマスターベーション。それなのに教員の方も、生徒のこういう自堕落で勝手な動きを「自主性に富んだ活動」と読み違えをして、積極的に支援していたというのだから病膏肓である。この学校に勤務していた教員の中には、ここの合唱祭の独特のやり方や雰囲気を異動先の学校に移植しようとして大顰蹙を買っている人も多いという。

 結局のところ、俺のせいでコイツらが「音楽(の授業)が嫌い」になるのは、実は当然なのだ。何しろ、こんな現実はブッ潰してやる!俺はヒールに徹するぜ、という覚悟をかためつつ授業を始めたからな。それに「音楽」というものに対する考え方が根本的に違うんだよ、前任者と。

 前任者のP~先生は、実は我が県の教育課程とかそういう関係の出版物の執筆とか研究活動とかいろいろしていて、県の中学校音楽教育では名の知れたヒトである。今年度指導主事として委員会にご栄転なさったので、俺がその後釜に据えられたのだ。まあ、授業の仕方も能率的かつ上手で生徒の興味を引きつけて放さないんだろうな~、みたいに思っていた。実際ずいぶん生徒から好かれていたみたいだし。
ところが、現実は違ったのよ。第一、P~はそれまで使っていた音楽室の派手な掲示物とか意味のわからない飾り付けとか廃棄すべき大量の備品とかをそっくりそのままにして異動して行きやがった。失礼千万である。俺の4月はまたしても音楽室の後片付けから始まったのだ。

そして、いったい彼は音楽を何だと思っていたのか。

 まず、合唱の授業をしていると生徒からこんな要求が頻発する。
「センセー、ホニャララ(曲の名前)が歌いたい!」
そのホニャララという曲(複数ある)は、合唱の発声にあんまりよい影響を与えないことから、俺が自分のカリキュラムから注意深く外してきたものばかりなのだ。なんだかセンスないな~。そして
「いや、その曲は…」
と言えば生徒は当然
「毎年この歌を歌うのは伝統なのに、なんでですか?!」
と聞いてくる。となるとどうしても選曲した前任者の感覚を否定することにつながってしまう。前任者を否定するのは生徒から嫌われる一番簡単かつ効果的な方法だ。さらに、ある意味よく訓練されていることで一見上手そうに見えるこの人たちの合唱は、当然のことながらよく聴くと技術的に極めて問題が多い。言葉の下手な俺はついそれを表に出してしまうので、よけいに嫌われちゃうのだ。困ったのう。

 次に多く聞かれた言葉。これが実は最も問題だ。
「P~先生の授業はとにかく楽しかった。
音楽はまず楽しくなければいけないでしょ。
 以前にも書いた通り、学校というところは必ず楽しくなければいけないのか?俺は真っ向から反対である。知識が満たされる快感、技術が高まる充実感こそを「楽しさ」と規定すべきであり、つまり数学や英語が楽しいと感じるのと同じ意味で、音楽だって楽しくなければならない。「まず楽しくなければ」なんてのは極めて低レベルな発想じゃないか。P~はそんなことをいつも生徒に言っていたのか?そんなんだったら、お笑い芸人のバカ番組でも見てた方がよっぽどいいだろ。それに、そんな考えが嵩じれば生徒にとって好きな曲ばっかりがカリキュラムの中にあふれかえる事態になっちゃうし、もっと嵩じれば、「自分が楽しいと思うことだけしかやらないでよい」というユトリな方向に音楽室の枠を超えて生徒は突っ走ってしまい、正常な教育活動だってやりにくくなるんじゃないのか。(実際学校がそうなっていたんだろ:ウチの校長~けっこう切れ者~も「この学校の悪いところはすべて音楽から発しています」と常々つぶやいている。)そういうレベルの低い思想から発している、しかも音楽的にセンスのない授業を自分のキャラクターと話術でうまくごまかして生徒を丸め込む力量は俺にはないが、それに慣らされた生徒だっていい面の皮ではないのか。

さらにトドメの一撃、
「先生は何で褒めないんですか?P~先生はいつも褒めてくれました。私たちは褒められることで伸びるんですよ!」
指導することで上達する。それは褒める対象にはなるし、そういうのはいつだって褒めているつもりだが、うまくもないものを褒めるのは苦手である。俺が指導したことを聞きもしないで勝手なことばかりやって
「褒めてください」
と言われたって、味噌汁で顔洗って出直してくれば、ぐらいのことしか言ってやれないんだよな~。残念でした。
 第一、人様に「褒めてくれ」と強要するなんて、何という行儀の悪さ。どういう教育を受けてくればこうなるのか、親の顔が見たいわ!…いや、教師の顔か。何をやっても褒めてもらえるんじゃ、子供なんてどんどん堕落するわな。

結局、P~先生の(過去4年間で)したことと言えば、それまでの勝手気ままな「悪しき習慣」を「伝統」の名の下にそこそこに形を壊さずに守ってやって、生徒との間に波風を立てないようにしていただけではないか。何というくだらない野郎だ。

 というわけで、俺はこの1年間、労多くしてなかなか効果の上がらない教育活動をえっちらおっちら続けてきて、挙げ句の果てに
「先生のせいで音楽が嫌いになりました。」
とさげすまれるに至ったのだ。もう放っといてくれ!

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道徳の授業、どう乗り切ってるんだ、この人たち?

 10年ぐらい前の話だったか、ある先生(男:俺と同年代)が飲み会の時に酔って話していたことである。
いつものように担任していたある年の3月のこと。卒業式も終わって彼は3年生を卒業させ、自分の教室の後片付けをしていたのだった。様々なゴミとか掲示物の残骸とか生徒の忘れ物(というか意図的に置いていっちゃったもの)とかをかき集めて教室を掃除する。ちょっと寂しいけど新しい年への期待も感じられる作業である。
 ところがその時、前のロッカーの奥に、何やら気になるものが見つかったのだ。紙にくるまれたそれはなんと、梱包を解かれてないまんまの道徳の副読本(生徒の人数分)だったのである!つまり、4月に配布するはずのいわゆる「道徳の教科書」をクラスの生徒に渡さないまま1年たってしまい、そのまま彼らは卒業してしまった、ということなのだ。まさに前代未聞!彼はあまりの恥ずかしさに、他の教師に見つからないように、その梱包を解かないままの道徳の本の束をそっと家に持って帰り、ゴミの日に出したところ、何とそれは「回収できない」という紙が貼られたままゴミ置き場に残されてしまった、という。やむを得ず、彼は再びそれを家に持って帰り、梱包を解いて、毎回のゴミの日に数冊ずつ普通ゴミに混ぜ、何週間かかけてやっとの思いで処分した、と言っていた。
 そんなあきれた話、初めて聞いたぜ。 特にその話を聞いたときには、それまで新任でいた学校(文部省の指定研修とかで学校をあげて道徳の授業に取り組んでた)なんかでメチャメチャ道徳にはこだわって、というかこだわらされて暮らしていたもんだから、周りの先生なんかが大笑いする中、あきれ果てて聞いていたのを思い出す。彼はいったいどうやって1年間道徳の授業をやり過ごしたのだろうか、実は未だにどうしてもわからないところである。それに、うるさいことを言えば、道徳の本は厳密には「教科書」ではなく、あくまでも「副読本」である。つまり無償ではなく、学年集金の中から生徒(の家)が払っていることを考えれば、これはけっこうヤバい話でもある。

 これはまさに信じられない話だったのではあるが、その後もっと信じられないものを俺は目撃したのだ。件の話を聞いた1~2年後の4月のこと、俺は異動でいなくなったある先生(女)が昨年度使っていた教室をチェックしていたところ、見てしまったのである。梱包のままの道徳の本を。

 以上、誇張無しの実話である。それにしても、いったいこいつらどうやって道徳の授業やってたんだろう。自作資料とか、そういうのだけで1年間やれるものなのだろうか。俺には絶対無理なのだが?本当に謎が深まるばかりだ。

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