最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

離任式という茶番劇

 よその都道府県は知らないが、我が県の学校現場には「離任式」という大馬鹿なくだらない行事がある。
 「離任式」とは、4月の後半から5月の前半にかけて一度前任校に集まり、そこで全校生徒の前でお話をしたり、花束贈呈などのセレモニーをするものらしい。建前上は「事務引き継ぎ」という名目で、ちゃんと出張命令が出て旅費も支給されるという正式なものなのだが、人によってはこの行事を非常に楽しみにしていて、中には全校生徒の前で話をしながら感無量となって涙ぐむ教師までいる。

 しかし私はこの白々しい行事が大っ嫌い。自分の異動の時にはどうやってサボるか、その方法というか言い訳ばかり考えている。初めて「離任式」に参加させられたときは身分が講師だったし、余計な出張なんかトンデモナイ!という零細企業に勤めていた頃の体験も生々しかったから、本当に、「この無意味な行事は何なんだ??」という気持ちでいっぱいであった。第一こんなことやってるヒマに、今勤めているところの目の前にいる生徒の方がずっと気に掛かるし、もう自分と関係ない奴らのことを考えている余裕はない。しかも1/3は卒業と同時に入れ替わっていて、縁もゆかりもない人たち。何か話をしろ、と言われたっていうことなんか何もない。こっちは「シゴト」で異動したんだし、君たちだって新しい環境でやっていくより他ないだろ?後ろ向いてるヒマなんてあるのかよ?百歩譲って、卒業式の前後とか、せめて年度内に行われるんだったら、まだ話もわかる。

 それなのに、こんな無駄な時間のために授業までつぶしてやるなんて不合理きわまりない、と、ある時年度末の「学校評価」に書いたら、会議の進行役が「なんだこりゃ」という一言でスルーしようとしたもんね。で、(あんまりやらないことなんだが)「これは俺が書いたんだけど!」と言って(白状して)趣旨説明をしたら、「ま、世の中にはいろんな考えの人がいるから。」と言われて、やっぱりスルーされてしまった。

 とにかく、最初の時の激しい違和感は未だに自分の中では生々しく残っていて、前任校の離任式は仮病を使ってサボりました。おそらく、次回もそうなるのではないでしょうか。定年退職後の離任式には絶対に出席する気はありません。「キライだから。行きたくないから」と、理由もはっきりと言うつもり。
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卒業式は無形文化財

学校というところは、なんだかメッチャ古いものが後生大事に取ってあることがある。(たとえば新任の学校では昭和35年購入のアルトホルンやトロンボーンがあって、それを吹奏楽部の新人教育に使用していたが、もはや楽器博物館にでも収蔵できそうな代物)
 しかしそれは物体に限らない。たとえば「掃除のしかた」なんかそうだな。今どきほうきとちりとりで自分の家を掃除する家なんて、あるか? これはもはや伝統芸能だ。

 中でも「無形文化財」とさえ言えるほどの状態になっているのは卒業式であろう。中学校では最重要の行事と位置づけ、どこの公立中学校も頑固に形を守ることを貫いてきた(多分)。そして、今でも、司会の教師が「生徒、起立」といえば間髪を入れずに全員がバッと立つ。卒業証書授与の時の歩き方、お辞儀のしかた、証書のもらい方、式歌「仰げばとうとし」斉唱、セレモニーの進行のしかたなど、(多少の変遷はあるものの)ほとんどどこの学校に行っても大同小異で、すでに還暦・古希なんて人が今出席してもほとんど違和感を感じないのではないか。
 私も、教師に成り立ての時には、何となく堅苦しくて、何もこんなに形にこだわらなくたっていいじゃん、ぐらいに思っていたが、毎年これを経験しているうちに、考えが変わってきた。とにかく、義務教育最後の日。これでみんなお仕着せの学校に通うのは終わりで、後は自分の行きたいところに進む。その記念すべき日に、「コイツら(卒業生)は社会に出ても十分通用するよ」というのを見せるためのセレモニーなんだな。
 だから形を整える事そのものが目的でさえあるのかも知れない。だからこそ「儀式」なんですな。これは中学校最後のカリキュラムの一つなのでしょう。

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