最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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新学期開始の不安

 今年の夏休みも、よくもまあこれほど、というくらい中学生がかかわった事件や事故が日本中の話題をさらっていた、というか、マスコミをにぎわせていた。特に、埼玉県東松山市の少年殺害事件に関しては、やはり距離的にも近いし、
「逮捕された中学生というのはいったいどこの中学校の生徒か?」
というようなある意味下世話な詮索が職員室でもあったのだが、(知り合いの先生にかかわりある人もいるかもしれないわけだからね)まあ、対岸の火事的なムードがないわけでもなかった。

 さて、いろいろな話を見聞きしてやっぱり、中学2年生の担任としては9月1日というのは楽天的に迎えられるものではない。生徒が最も変化するのは”中2の夏休み”というのは定説であって、事実上本当のことでもあり、俺なんかでさえも夏休み明け初日というのはちょっと特別な思いをもって教室に向かうわけである。

 ところが、そういう俺の思いなんてものは杞憂というか取り越し苦労というか。わがクラスの面々は元気に明るくそれぞれに真っ黒に日焼けして、あるいは一回り大きくなって、再び教室に集っていた。

思わず笑ってしまった。うれしくて。
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若いヤツにわからせるとは…


先日の学校朝会で、校長先生が話の中でマザーテレサの有名な言葉(といっても俺は知らなかったのだが)を紹介していた。曰く、

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


何人かの職員も、俺と同じく初めて聞いた人もいたようで、
「なるほどね~」
「さすが、マザーテレサの言葉は説得力あるね~」
とか言い合いつつ朝会を行った体育館から職員室に引き上げてきたのだ。
そういう俺も感心して帰ってきたのだが、さて、生徒はどう受け止めたのであろう。
そう思って改めてこの言葉をかみしめてみると、やっぱり、年を取って後から考えてみればたしかにそうだよな~~と思えるような、含蓄ある言葉であるが、生徒にはわからないのではないか。だいたい、大人というものは、子供に対してあれこれと教訓じみた説教をたれるが、それは、自分が失敗してきた轍を踏ませたくない、という親切心の表れに他ならない(と思う)。でも、たいてい若いヤツらの心には届かないよな~。今回聞いたありがたい言葉も、これまでの失敗だらけの人生を振り返って苦々しく後悔するネタにしかならない俺のような不良老年の心には刺さるものがあるが、それはともかく、少しでも薬にしよう、という中学生が一人でもいることを願わずにはおれなかった。

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点数のための委員会

 どういうわけか、今年度は図書委員会の担当になった。若い頃に一度させられて、その一年間は学校の図書室が事実上閉館状態になってしまうという、苦い経験が思い出される。しかし、今回は経験豊富な国語の先生が一緒(というかそっちがメイン)なので、心配あるまい。
 で先日、その第一回目の委員会の会合があったのだが、何だかやーな感じなのだ。不良みたいな3年男子がたくさんいる。何でこんなヤツらがよりにもよって図書委員会なんだ?!どうせ内申書目当てであろう、と思うと見てるだけでもムカつくじゃないか。馬鹿みたいに私語ばかりしやがって、会議の進行が妙に妨げられる。それでも一応、正副の委員長を決めるという段にになった。委員長はまあ、いかにも図書委員会をやりそうな感じの、無難な女子が一人だけ立候補してすんなり決まった。ところが、副委員長で、司会の生徒(本部役員)が
「誰かやりたい人いますか」
なんて間抜けな質問を投げかけちゃったモンだから、案の定、
「俺やろうかなあ」
「それってどんな仕事?」
みたいな不規則発言がくだんの不良どもから上がってくる。だが、こんなヤツらにやらせちゃったら後々とんでもないことになるのは火を見るよりも明らかだ。第一、入ってきたばかりの1年生に示しがつかないじゃないか。なんとか阻止せねば…と気が焦る。だが、そこでヤツらの中の一人が絶好のチャンスを与えてくれた。
「ねえ、それって成績に関係あんの?」
それ今だっ!とばかりに介入する。
「おい!成績とか、そういうくだらないことでやるんだったらやるんじゃねえよ!!
すると、その発言の主は一瞬ひるんだものの、
「くだらない?くだらないって…」
とかなんとか反論しようとするから、さらにたたみかけるようにして
「くだらないっていってるんだよ! 何のために委員会があると思ってるんだ! そんな考えでやって何の意味があるんだ! 何のために活動があるんだか、よく考えてやって欲しい!」
すると、その周辺も含めた3年不良連中が予想外に意気消沈して黙ってしまい、その間隙を縫って、普通っぽい女子が
「アタシがやりま~す!」
と手を挙げてくれて無事に委員会が悪たれ連中に乗っ取られるのを阻止できたのだ。やったね。

 それにしても、実際くだらないのは高校入試制度なのである。こんな決まり方でもアホ野郎に決まっちゃえば、そいつがどれだけ何もしないで迷惑をかけまくっても『図書委員会副委員長』という肩書きを高校入試の調査書に書き込まなくてはならない。活動状況を記述することは(うちの県では)できないから、肩書きだけが一人歩きして合否判定においてプラスポイントになる。調査書は生徒にも開示するから、故意に記述しなければそれだけを狙って立候補した生徒にすれば怒り心頭となるし、保護者からだって猛烈なクレームが来るであろう。だが、そんなやつが役職についても一年間迷惑を被るのは委員会で、そいつのせいでずっと足を引っ張られることになるし、もっとちゃんと仕事ができる、本来役職に就くべき人間が一人、入試において損をすることになるのだ。そんなことが許されていいのだろうか?教師としては、許しちゃいけないんじゃないのかな~。
 一方、生徒の方だって、今回はすごすご引き下がったが、もっとごねるやつだっておそらく多いのではないか。何しろ、親にも言われてるし、塾でもいわれてるだろうからね。
「くだらない、といわれようが何だろうが、やります!ってなんで言わなかったのよ!」
と子供をどやしつける母親の姿も想像できる、と家内も言っておった。

 マ、なにしろそういうわけで、久々に『いい仕事』をしたぜ。

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落ちこぼれ生徒の個別指導について

高校入試に向けてラストスパートを展開中の12月中旬、ある保護者から以下のような電話が来たという。(以下要約)

1 (うちの子は)一年生の時から基礎・基本ができていないと指摘されていた。

2 学校では補習を計画してもらっているが、個々の力に合わせた内容ではなく、参加している子達全員への指導が中心だったため、なかなか基礎・基本が身についてこなかった。

3 一年生の時から何度か先生方に相談し、もっと細かく見てほしいとお願いしてきたが、なかなか個別では対応してもらえなかった。

4 受験まで約1ヶ月となり、基礎基本がしっかり定着していないため、勉強がはかどらず、本人も保護者も焦りを感じている。

5 先生方がいろいろな対応で忙しいのは十分承知しているが、頼るのは先生しかいないので、残り一ヶ月間、基礎・基本だけでも集中的に指導をしてほしい。


 これ、どうとらえればいいんでしょうかね。われわれは、この生徒をずっと放ったらかしにしてたのでしょうか。ここにあげられた要望というか相談というか苦情の内容には、実はいろいろな問題が内包されていて、一筋縄ではいかないのだ。

まず、 この内容が職員室に伝えられた際に一様に漏れたつぶやきは、
「この子の、家庭学習はどうなっているのよ?」
であった。改めて俺が言うほどのことではないが、「学習活動」とは「授業」のことではない。学校の授業は極めて重要な部分ではあるが、ごく一部である。そのほかにも、宿題や、提出物の作成や、自習の時間や、朝学習や、塾そのほか、いろいろな場面で子供達は「学習活動」をやっているのだが、中でも重要なのが「家庭学習」なのである。しかも、「自主的に」ってところが肝心だ。授業で学んで
「わかった!」
というのは、単なるきっかけに過ぎない。あるいは、道筋を照らしてあげただけ、とも言える。大事なのはそこからだ。理解しているということと、それを応用して問題を解けるということは、一致しない。だいたい勉強のできないヤツは、せっかく教えてやっても
「あ~~あ~~わかったわかった!これでもう大丈夫!」
と独り合点し、そのまま遊びに行ってしまう。そして、いざ中間・期末テストの時に問題を見て手も足も出ない自分に気づいて茫然とする。(度重なればあきらめちゃってどれだけ出来が悪くても気にしなくなる。)なぜそうなるのか。
定着していないからである。理屈がわかるだけで何でもできるようになれるんだったら、誰だって東大に入れるだろうが。
 一見簡単なことでも、定着して自分の血肉にするまでにはなかなかつらい努力が必要、ということが親子共々わかってない。だから、いざ成績を突き付けられてから大慌てしたあげく
「塾に入れば大丈夫。一安心。」
とか、
「学校の先生に個別指導をしてもらえないものか。」
という発想になるのだが、結局のところそれってラクして他人になんとかしてもらおうという魂胆だよね。だ~か~らっ、ダメなんだって、全然わかってない。大事なのは、自分一人でリビングのテーブル(イチ推し)で、または勉強部屋の机に向かって、あるいは塾の自習室で、自発的に孤独に学習を進める部分なのに!

 次に、公立学校というフィールドでは、先生が誰かを呼んで個別指導、というのはそう簡単にできることではない。
 まず、人手不足。教員の数は生徒の人数に応じて法律で決まっている上、授業以外にもいろんな仕事を抱えていて忙殺されており、それだけでも全く勤務時間内に終わらない仕組みになっている。(たとえば俺は勤務時間終了1時間後まで毎日部活動の指導をしている。)だから、学習の遅れ気味の生徒のケアについては、ある程度まとまった人数を一定の時期(長期休業中など比較的ヒマな時期)に一カ所に集めて指導するぐらいが関の山である。しかもそれにしたって行事だ出張だ、といろいろあるから、そうそういつでもできることではない。大昔みたいに「暗くなってからも宿直室に呼んで熱意の指導」というものも、今のご時世ではやるわけにいかない。
 さらに、そういう勉強会を開催するに当たっては、受講するヤツらに声をかけねばならないが、そこでは、実際に指導が必要なおバカちゃんにピンポイントで呼び出しをかけて勉強会に来させるにはどうするか、というチョー根本的なことが問題になる。つまりそいつにとっては「先生からの呼び出し」がかかるわけだから、周りはみんなして
「どうしたどうした何だ何だ(何か悪いことでもしたんだろ?)」
と詮索する。そこで
「あいつは補習だってよ。」
となれば、本人の名誉にかかわる。いや本人も仲間達もわかってはいるのだが、先生から呼ばれた、という事態はまた別の意味がある。すなわち、そいつが
「公式に勉強できないヤツと認定された」ということになっちゃうのだ。どう考えても愉快なことであろうはずがないのだから、切羽詰まった3年生ならともかく、1・2年生であれば嫌がって逃げ回る傾向があるのは当然だ。だが放っておくわけにはいかない。
 仕方がないから、全体に向かって、あくまでも「平等」という建前を前面に押し出して、自由参加として補習を開講する旨を案内するが、それで応募してくる生徒は、たいていは中の上の成績の者。つまり、とりあえず自主学習を進められるけどなんか自信ないな~、みたいな立ち位置の、正直言って来なくてもいい連中ばっかりである。そして、それでは「落ちこぼれ救済」という本来の目的は薄れてしまう。これではいかん!と、本当にヤバいのをリストアップして個別に召喚し、なんやかんや言い訳つけて逃げようとするのを説得してその補習に来させるが、やっぱり中の上の連中が邪魔をして(そいつらだって教えてもらいに来てるわけなんだから相手をしないわけにはいかないのよ)、そうそう「特定のこの子を中心に」やる、というわけにはいかなくなる。
 もし、保護者に頼まれたにしても何にしても、一人だけ呼び出して補習なんかやった日には、間違いなく周りの生徒や保護者から
「ひいき!」
という声が上がり、それは教師にとって致命的な問題である。ほかの生徒だってそうしてほしいのはいるし、こっちは金出して塾だ家庭教師だとやってるのに、あいつだけ何だ!と怒る保護者だって現われるであろう。つまり学校の信用にかかわっちゃうわけだ。仕方がないので、あくまでも「落ちこぼれを呼び出す」という肝心のところは隠して、しかも個別で、という形をとらないで、補習をやらなければならない

 さらにネックになるのは、その落ちこぼれ生徒の学力の程度である。極端な話、掛け算九九ができないとか、アルファベットが覚えられないとか、聞くこともあるだろうが、具体的に考えてみてよ、
例えば、2×9=18 はわかるけど、18÷9 が計算できない、という生徒(本当にいるんだよ、人としては普通に生活しているのに!)に素因数分解を具体的にどうやって教えればいいのか?
 そこまでではないにしても、例えば、X+(a+b)X+ab=0 の意味がわからない生徒にとって、X+8X+15 という因数分解で、まず15が何と何を掛け合わせたものか、それは3と5だ。おっと3と5をたしたら8になるじゃん。と脳内で思考するのが、極めて、極めて、極めて、複雑な作業である、ということがお分かりいただけるであろうか。
というわけで、一つの問題を解くのに、先生が一人つきっきりになっても何十分もかかる、という現象がそういう補習教室のそこここで発生することになる。しかも、たいていは集中力がなくてことさらに時間がかかり(だからよけい飽き飽きし)、やっと教えても次の日にはもう忘れていて、また最初からやり直し。さんざん教えてやっても、とにかくちょっとしか進まないから全然達成感が感じられず、勉強が余計にイヤになる。「基礎・基本ができてない」というのはそういう生徒のことをいうんだよ。まさに砂に水を撒くようなもので、どれだけ時間をかけても足りない、というのが実情である。
(しかもそこまでバカなくせに
「音楽の先生が数学教えるんですか~?」
と人のことをバカにするのだけは、こういう奴らは絶対に忘れないからね。)


以上、様々記述してみたが、冒頭に書いた保護者の不満に対しては、ほぼ答えになっているんじゃないかな。しかも、これほどの悪条件の中にあっても、何と驚くまいことか、こっちはあの手この手で「補習」を行っている。小テストをやって、できの悪い奴を基準点に達するまで何度でも残して再テストをさせるとかね。あるいは、受験間際になれば、なりふり構わず「落ちこぼれ」を呼び出して、数学で絶対0点を取らないように中1の一学期の内容を徹底的に叩き込むとかね。

 とにかく、ちょっとはこっちの事情だって察してほしいし、わが子に勉強させるというのはどういうことなのか、親としても少しは研究してほしいものである。他力本願でどうにかしようったって、そうは問屋が卸さないのよ。要は本人のやる気次第!

新たな符牒

 3月末から4月初めにかけてはクラス編成の時期である。3月中は、基本的なクラス分け(かなり手間がかかる)。4月に入ってからは、担任が誰になるかわかってくるので、それを前提に具体的な詰めの作業(最終確認プラスアルファ程度)になるのが普通かな。
 クラス編成を行うには、生徒一人一人について、様々な記号(個人情報)がついたカードを用意し、そのカードをまず期末試験なんかの得点順に並べて各クラスの平均的な学力がばらつかないようにし、それぞれのカードに着色されてたクラスカラーの数が新クラスでも均等になるように入れ替えをし、その他にもいろいろな記号をもとに微調整を行う。かつてよりも今の方が圧倒的に難しくなってるな~とは思うが、とにかく、この「クラス編成会議」でそれぞれの教員がどれだけ生徒のことをよく見てるかが、あぶり出されてくるようなところもある。また、「記号」についても、担任だけの主観的な判断でつけるわけでもない。
「コイツが二重マルって、そりゃないっしょ~」
「そうかにゃ~?キミは知らないかもしれないけど、けっこう使えるヨ~この子。」
「この子はバツつけなくてもいいんじゃない?ホニャララで怒られたとき以来がんばってるし。」
「そういえばそうかもね(言いながら消しゴムで「バツ」を消す)。」
なんて会話も頻繁になされる。
 で、おのおのの生徒を表すカードに記入されるその記号といえば、まず「行動」という欄に二重マルがついているのは品行方正なリーダーで学級委員として活躍が期待できる、マルはそれに準ずる生徒。一方、「バツ」がついているのは日頃の行状に問題があるヤツらだ。「二重バツ」とか「大バツ」なんて言い方をされるヤツは完全な不良、反社会的ということで「反」という記号を使うこともある。一方、仲間となじむのが苦手?な生徒には、非社会的ということで「非」という記号が行動欄に記入されることもあるが、昨今ではそういう区別はあまり意味がないのかもしれない、発達障害の一つの形、というくくりで認識される場合も多くなってきたので。「運動」欄に丸・バツをつけるのは体育祭なんかで圧倒的に強い(または弱い)クラスを作らないため(ふたを開ける前から勝負の行方が明らかでは行事が盛り上がらない)、また家庭環境で「マル母」だと母子家庭、ピアノが弾ける生徒には「P」、「低」と書いてあれば低学力、つまり全然勉強が出来ない。さらに重要なのは、誰と誰が一緒にはできないか、という条件のチェックである。双子の兄弟を初めとして、いとこ同士、仲の悪い同士、恋人同士?、仲の良すぎる同士(授業中おしゃべりしまくる)、親同士が犬猿の仲、小学校時代のしがらみ(小学校からの申し送りの資料も取っといてある)、イジメ=いじめられの関係など、多岐にわたる。その他にも、もちろんいろいろある。
 とにかく、実際に担任としてクラスを任される教師としてはあまりにも手間がかかる生徒ばっかり多く引き受けてしまえば、大変なこと(学級崩壊、毎日生徒を呼び出して説教、保護者との対応、最終的には担任自身が体調を崩したり、精神を病んで休職に追い込まれたり)になるので、冗談ごとでは済まされない。もちろん、生徒にとっても、あまりにも落ち着かないクラスができあがってしまって連日授業にならないということになれば、精神的にも学力的にもとんでもない不利益を被るわけだし。最初から問題を抱えた状態で学級開きをするなんて、できるだけ避けたいではないか。だが、クラスの数は限られてるから、全部が全部教師の思いの通り、生徒の満足できる通りにできるわけはない。例えば3クラスしかないのに不良が4人いた場合は一人ずつ別々のクラスというわけにはいかず、どこかのクラスは絶対に不良を2人抱えねばならなくなる。だからここは本音がぶつかり合う場だ。生徒にしても、この場でだけは、非人間的に記号化された1枚のカードとして、あっちこっちやりとりされる。そのカード一枚一枚にしても、ただ読んだだけでは全員がいい子ちゃんにしか見えない「指導要録」なんかとは違って、ズバリ真実が書いてある。(あんまり言いたくもない現場の状況だが、出版された本に著述されてる場合もあるから、特に秘密ってわけでもないだろうし、まあいいでしょ。)

 で(実はここからが本題)、俺は今年度、別の学年にスライドすることになったため、それまで縁のなかった学級編成会議に途中(4月)から参加する形になったのだ。それで、その会議において、その学年の音楽の授業の様子なども思い出しつつ、例のカードをじっと見ていたわけ。ところが、なんだか意味不明の記号が書いてあるカードが何枚か、というよりも何枚もある。
??なんだろう??
それぞれの生徒の様子とは妙に脈絡のないマークのしかたで、なんのことかさっぱりわからない。その記号とは「MP」。はて? …きいてみるか。
俺「なんですか、これ?」
学年主任「うん、これはモンスターペアレンツの記号だよ。」
俺「!!」
まさに驚き、どっひゃ~~である。クラス編成の条件に、「MP」という新しい符牒が加わったわけだな。俺は初めて見たよ、よその学校ではとっくに常識になってるかもしれないけど!

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日本語の変遷

新任の若い奴が、先日の体育祭の結果を受けて、今日学級通信を書いていたが、
「だんとつ、ってどういう漢字で書くんでしたっけ?」
なんて言ってる。

???

だんとつってどういう漢字??
ていうか、普通だんとつって文章の中に書かないでしょ。話し言葉だから普通に使っているけど、もともと
「断然トップ」
の省略形じゃなかったけっか…。そういう言葉が発生したのと同時代に生きてきたジジイにしてみれば、当然わかっていることが、新しい世代の連中は知らない、知らないから
「漢字でどう書くの?」
みたいな疑問を持っちゃうってことか。時代の流れを感じちゃいました。

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トラウマ

先日ある中一女子の保護者と話したときに、「小学校からの申し送り」の話題になって、
「暴行事件のことは(小学校の先生から)お聞きではないですか?」
という。そんな話は知らない、と答えると、こういうことを話してくれた。

 小学校の時、娘が受けた暴行のこと。被害者の生徒(その時は児童)は、いつも学校のことを何でも話す子だったのに、そのことは全く言わなかったので、その頃フルタイムで働いていた母親は、発覚するまで気付かなかった。といっても、体にアザがあったり、気分が悪いなどで救急搬送されたり、ということが重なっていて、かつ、いつもは元気よく走って家を出て行くのにその時分には極端にゆっくり歩いて行っていたのを覚えてはいる。
 相手は男子5人。それも、極めて悪質で計画的。まず首謀者(一人)が職員室から見えない場所を探しだし、プールの裏側とか、階段の踊り場とか何カ所かに目星を付ける。次に、仲間を誘う。誘っても色よい返事をしないヤツはぶん殴っていうことを聞かせた。そして、被害者の女子を物陰に引っ張り込んでは、毎日毎日殴る蹴るの暴行を加えていた。しかも、首謀者は見てるだけ。実際には一人がその女の子を羽交い締めにし、残りの児童3人で代わる代わる殴っていたという。しかも、首謀者は
「服で隠れてないところは殴るな。」
という指示まで出していた。
 発覚したのは、殴り役の男子の一人が、毎日、泣きもせず、黙って自分の顔をじっと見ながら殴られている被害者の目や表情が脳裏に焼き付いて、あまりの罪の意識に耐えられなくなって、大人(学童だか先生だか)に白状したことによる。原因は、その首謀者が被害者の女子を好きだったのだが、相手に袖にされたこと。そしてその女子生徒は未だに男が大嫌いなのだという。(当たり前だ。「未だに」どころか、一生男性というものに対してある種の距離をおき続けるであろうことは想像に難くない。)
 さて皆さん、これ、いったい何年生の時の話だと思いますか?





なんと!小学校1年生!
これほどの悪質な事件を、小学1年が計画して実行できる、ということには耳を疑うが(もしかしたら誰かの入れ知恵があったかもしれないが、それにしたって)、現実に起こっていることは起こっている。たとえ6歳でも智恵があるヤツは智恵がある。行動するヤツは動く。子供に対して「天使のよう」なんて比喩を使う向きもあるが、現実はそんなものではない。「サカキバラ」みたいな事件もあったしね。年齢は関係ないのだ。
 そして、この首謀者の男子は、実は今現在俺が担当している学年の生徒なのだ。新学期からコイツに対して憎しみのこもった対応をしないように、俺自身が気をつけなければならないではないか。

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