最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

高校説明会なんか行く必要なし!

 昨今、夏休みにはいろいろな高校で学校説明会、見学会、体験授業、部活体験会など、様々な行事が行われる。中学3年生にとっては高校の様子を見に行くチャンスでもある。
 ところが、それを
「行く必要なし!」
と切り捨てるとは、これ如何に。
 今日ある3年の担任から聞いたのだが、保護者から相談があって、つまりその御子息が通っている塾の先生から、
「その高校の説明会については、行く必要はない。何しろ、入試担当の先生が我が塾に来てくれて、そこで入試について説明をしてくれるし、高校説明会の内容はすべて塾で聞く話と重複するはずだから、行ったって時間の無駄だ。そんなの行ってるヒマあるなら、ウチの塾で勉強してた方がよっぽど有意義だよ。」
と言われたという。件の担任は、
「実際いってみなければわからないことって多いはずですし…、第一(説明会の)参加の申し込みをしたんでしょう?」」
と当然のことを説明すると、相談してきた母親は、
「そうですよねえ。だから、私だけでも行こうかと思うんです。」
だって。
本人が行かなきゃ何の意味もないじゃないか!

 以前、かなりレベルの高い私立進学校に「単願」で受験して合格したにもかかわらず、その高校に入りたくない!と言いだして結局別の学校を受け直した、という大事件があった。そいつもやっぱり、塾でその高校の入試担当者と面談をして確約もらって単願受験をしたのだが、いざその高校に初めて行った受験日当日、校門から入った瞬間の雰囲気がどうにも自分になじめない、と思ったらしい。そして一日受験の日程が進むにつれて、
「どうしてもこの学校で3年間過ごすなんてイヤだ。絶対我慢できない!」
という意志が強固に形成されてしまった、ということだが、結局そいつは別の高校に進学した。今回、そのことを思いだしたよ。

 高校説明会は、単なる個人相談会ではない。実際に行けば、学校全体の雰囲気や先生方の雰囲気、体育館?に集められた4月以降友達となるかもしれない受験生達の顔ぶれとその雰囲気など、数値化できない、しかし本人にとって絶対無視できない重要情報がてんこ盛りのはずなのだ。そういうのを一切無視するその塾って一体何?しかも驚くべきことに、その欠席しようとしている説明会を行う高校って「公立」なのだ。公立の入試担当者が塾に出向いて合格基準について説明するって?!そりゃスキャンダルじゃないのかい?それとも公立高校もそういうことをするのが今じゃトレンドなのか。世の中では実にあきれたことがまかり通ってるもんなんだな。
 
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志願先変更


 ついに県公立高校の出願が始まり、今日の14:00、最終倍率が県教委のHPにアップされた。その速報を帰りの会の時にクラスで発表し、
「ウチのクラスだけで(22人受けるうちの)10人ぐらい落ちるかも知れないぞ!」
と脅したところ(というより本当にそういう現実なのだ)、生徒たちはかなり真剣に受け止めていたようだった。実際思った以上に倍率が高い。だいたいからして、いつだって倍率割れしている工業高校や定時制なんかまで軒並みちゃんと倍率が出ているとか、まさに驚きの数字が並んでいる。みんなして、
「先生、1.4倍ってやばいですか?」
「先生、60人落ちるって、やばくないですか?」
と、口々に聞いてくる。何という度胸のなさ。そういう倍率が出るなんて、最初っからわかってたんじゃないのかい!そんなのやばいに決まってるだろ、三者面談の時から無茶は無茶だって言ってるのを、
「塾の先生は大丈夫だって言ってました!」
とか偉そうに胸をそらして、人の言うことも聞かずに出願を強行したのはどこのどいつじゃい!とは言いたいけれども口には出さず、
「やばいって、どういう基準の話なんだ?意味わからないぞ。要するに点数を取ればいいだけの話だ。基本的に志願先変更は勧めないからな!」
と言い捨てて突き放す。
「今日から死のう(死ぬほど勉強しよう、の意か)…」
とか言いながら三々五々帰っていく生徒。だが中には、
「倍率2倍って2人だけ落っこちるってことだと思っていた」
なんて言ってるヘキサゴンな女子なんかまでいるのだ。
縁なき衆生は度し難し!とはまさにこのこと。もう俺知らんわ!
 そして、帰りの会が終わったと思ったら、事務員さんが来て
「crabface先生、ホニャララさんのお母さんが、至急三者面談をしたいということで、相談室でお待ちですが…。」
と、ビックリ仰天の報告をしてきた。ようするに、ネットを見て慌てて志願先変更をしよう、というんだな。本当にヘタレな…。でもまあいいでしょ。その方が望みあるし。と帰りかけていたその生徒を探し出し、いろいろ手続きの方法を説明して帰す。そうこうするうちに下校放送が流れ出す。部活の連中も解散してしまった。なんということ!定期演奏会でやる曲の楽譜を放課後に渡そうとして、空き時間に用意しておいたのに…。
 本当に、悪夢のように物事が思ったように進まない。毎日こんなんばっかりじゃ。

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原点に戻りつつある?高校入試

 今度高1になった連中の高校入試事情は、本当にヤバかった。というか、うちの学年はものの見事に失敗した。

 そもそもウチの県の公立入試(普通科の話)は、昭和末年度に推薦と一般に二分化されたものが前期と後期、という風に形を変えてずっと続いてきた。それも、「推薦入試」の流れをくんだ「前期募集」は調査書と面接だけで学力試験はなし、募集人員は定員の25~せいぜい50%、一方「後期」の方は5教科の学力検査、という形だったのだ。だが、特に上位校なんかで調査書の数字や生徒会みたいな実績はいいんだけど入学してからさっぱり授業についてこられない、という生徒が続出したことで、何年か前から「前期」でも学力検査に似たようなテストを行ってもいいようになっていた。まあ、「推薦入試」導入当初の高邁な理想は(下々が危惧したとおりの筋書きで)崩れつつあったわけである。何しろ、偏差値60の生徒が、それまで67でも危ないといわれていた進学校にヒョコッと合格しちゃっても、授業内容はまず理解できないだろうからね。

 さて、今年度であるが、そんな現状に鑑みてか学力重視の世論の風に流されてか知らんが、かなり抜本的な改革が行われた。まず、募集人員の比率を「前期」と「後期」で逆転させ、5~8割は「前期」で採っちゃう。しかも学力検査は前期で5科、後期で3科、その一方で、調査書に記述されるいろんな特別活動の実績は高校毎の方針できちんと点数化して(例えば、生徒会長は3点、副会長は2点、とか)加算する、というような形に変わったのである。つまり、かなり徹底的な「学力重視」の入試に変わったのだ。

 だがこの改革は、それぞれの指導の方針の違いにより、中学校毎でかなり明暗を分けることになった。つまり、それまでの流れで、「前期は受けたい高校、後期は合格する高校」とした中学と、昔を思い出して「前期は2ランクぐらい下げてでも安全パイ、後期は欠員補充のつもり即ち無いものと思え」と指導をした中学があったのだ。結果は当然、前者の中学は大変なことになってしまった。何しろ、募集人員は定員を下回るわけだから、特に人気のある高校では前期で驚くほどの倍率となり、高望みをした生徒は軒並み討ち死にをする。で、そういう連中がランクを下げて来るもんだから、後期は中位の高校もビックリするぐらいの倍率になる。一方、底辺の学校も、不景気も影響して定員割れを起こさない。結論を言えば、何が何でも県公立高校に行きたいヤツは、とにかく前期で合格しなければならなかったのだ。
 そして、流れに乗り遅れた我が学年は、前期が終わった時点で190人中50人近くも進路が決まってない、という惨憺たる有様だった。これは、私立進学もけっこうな割合だったことを考えると、すごい数字じゃないだろうか。何しろ、事前のシュミレーションでは、後期入試を受けるのは各クラス2~3人、と言われていたんだからな。朝、昇降口に立っていると、(上記のことをしっかり分析して把握していて)うちの学年の進路指導について声高に批判する生徒の声も聞こえてきたりした。
 だが、言い訳させてもらえるなら、そもそも親も本人も気位の高い地域だ(もっとハッキリ言えば元々中学校のことなんか全く信頼していない)、というのも問題なのだ。例えば面談なんかで、(コイツ何考えてんだ!)みたいな高校を受ける、と申し出てきても、
「イヤ、それはちょっと危なかろうと存じます…」
なんて担任が指導して変えさせたとすると(って、そう簡単には変えないけどなっ)、後で
「担任のせいで(目標を)下げさせられた!」
①うちの子じゃ無理なんだって、②担任の先生に言われてさっ!」
と親が触れ回ることになる。(あくまでも大事なのは①じゃなくて②なのよね~)じゃ、そのまま受ければどうなるか、と言えば、上述の通りだ。まさに学校不信のスパイラル!
 一方では、担任の指導を信頼して平穏無事にほとんどが前期で合格、なんて中学校もあるんだからね。やりきれない。

 閑話休題、そんな我が県の公立入試について驚くべき朗報が最近舞い込んできた。何と、このしんどい公立入試は今年度限りで(つまりたったの2年間で)終わり、再来年度からは「前期」と「後期」を一本化する、というのだ。何のことはない、20年以上昔の状態に戻るということである。
 まあ、例によって文句を言う輩も出るだろうが、その論調はわかっている。曰く、
「一発勝負ということになると生徒の心理的負担が大きすぎる。生徒の青春が暗くなる。」
「学力一辺倒になって、学力による輪切りが進んで高校(や中学)の序列化が加速する。」
だからなんだっちゅうの!
結局、こういうことを言う奴らの考えの土台にあるのは、
「子どもたちがカワイソ~!」
という、何の役にも立たない、というより子どもたちをスポイルする方向にしか働かない、ヒステリックな感情だけである。高校入試の心理的負担を重くして何が悪い?生徒を学力で輪切りにして高校に送り込んで何が悪い?高校入試だって一種のイニシエーションでしょ。人間には個性っちゅうもんがあるでしょ。勉強にだってものつくりにだって向き不向きがあるのに。人生の厳しさ、世の中の仕組みの真実を教える絶好の機会をグズグズにしちゃった今までのやり方なんて、結局は間違いだったと、やっと皆さん気づきはじめたということにすぎない。たとえ子どもであっても、厳しいこと、大変なことを背負わせなきゃいけないのさ。親として、そういう覚悟を固められないんじゃ、大人としてどうなの、と言いたいよね。

 まだ本決まりじゃないらしいが、それでも、雲の上の方でそんな方向性が話し合われるようになった、ということをまずは喜んでおこうじゃないか。

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高校入試は親の仕事?

以前に書いた受験指導は不親切に決まってるという記事に、最近拍手コメントをくださった方がいて、なかなか面白い(と言っちゃ失礼に決まってるが)というか中学生の保護者としての実感を典型的に示しているように思えるので、紹介しようかと思う。このコメントが来たのは3学期が始まってからだったが、憤懣やるかたない思いもさめやらぬ、生々しい迫力(状況が目の当たりに見るようだ)があり、よその学校のこととも思えない。この人がどこの人かは知らないが、一応ウチの県の事情を元に説明を加えてみようか。
(傍線は引用者、多少句読点を追加した他は原文のまま)

高校受験生の保護者です。私立高校は偏差値で確約を出して①試験前の相談会できまってしまう現実を目の当たりにしました。それなのに中学校で偏差値という言葉を聞くことはないまま、②個別面談ではまさに受験校の確認作業、担任はいくつ調査書が必要なのかを確認したいだけ?相談する余地はまるでないまま、③受験できるのは日程から3校までと第三志望以下にさーッと線を引かれ、第三志望にも④通学には遠いと更にこちらの話を聞かずさーッと線を引かれました。調査書の数を減らしたいだけ?あげくのはて⑤年末年始は仕事しませんから、と⑥この段で迷ってる場合ではないと言わんばかりの対応でした。願書を確認するための一覧を出させたものの⑦下書きで提出し不明で書けないでいるとことも特に指導なく○(マル)、清書確認欄は空白のまま願書発送、第二志望の推薦書(高校側は誰が推薦して良いとの案内)に戸惑っていたので担任にお願いしたところ、⑧確約が取れていれば誰が書いても落ちないからお母さんに書いてもらえ、と持ち帰ってきました。理解できる説明ではなく教育者の答えとは思えません。⑨問題を起こしたことなど全くなく学校生活を積極的に取り組んできました。中学校の進路指導、疑問です。


①…まさに以前書いたとおり。だが、初めて目の当たりにすれば、その非人間的な現場の実情に戦慄する感性をお持ちの保護者も多いことであろう。
②…それはそうだ、昨今ではほとんど本人・保護者が中学校の指導を待つまでもなく自分で受験校を決めてくるのが常識となってしまったからね。こちらが心配するような作戦でも(塾と相談して)勝手に進めちゃって、いつの間にか受験校が増えてたり変わってたり、というのも日常茶飯事であり、面談では一人あたりの持ち時間の関係もあって「受験校の確認作業」が精一杯である。
③・④…これは担任の説明不足を感じる。家内(およびそのネットワーク)の経験によると、小学校教師に比べて中学校教師は「そんなのわかってて当たり前でしょ」と、説明を省略する傾向が強いというが、この場面でそれがイヤな形で現れちゃったのかも知れない。特に、④の通学が遠い云々は、一人一人の高校への思い(たとえば出身中学の生徒ができるだけいない高校へ行きたいとか)もあるわけだから、ちゃんと本人に話を聞くべきだろうね。問答無用でさーッと線で消しちゃうのはまずい、誰だって不快に決まっている。
⑤…昔の3年担任は冬休みは暮れも正月も含めて一切休めなかった。調査書はA3とかのでかい書式に一枚一枚、文章をギッチリ手書きしなきゃならなかったし、私立の調査書も公立とは別の、それぞれ独自の書式があって、いちいち記述内容も求めるものが違うし(たとえば遅刻早退の回数など、公立の調査書で書く必要のないデータ)、それもすべて手書きせねばならず、3年の担任となれば冬休みはほとんど年賀状を書くヒマどころか寝る時間さえもかなり削る覚悟を固めねばならなかった。さらに、最後に自分の私印の他に校長の職印をもらわねばならないから、当然校長も正月からは学校に詰めきり、できた調査書は学年職員総掛かりで、それぞれの高校宛に宛名書き(通常はなぜか3学年主任が毛筆でしたためる)をした封筒にいちいち中身を照合しつつ袋詰めして…といったあわただしい有様だった。しかし、今はすべてパソコンでデータを作ればもう自動的に完成、しかも12月中旬にはその内容は保護者に開示する関係もあって、副担任なんかが夏休みあたりから作業を始めて最後には(一部の内容は担任さえも知らないまま?)突貫作業で完成させちゃうから、担任も冬休みは意外にヒマになっている。となれば、教師だって人の子だから郷里に帰ったり遊びに行っちゃったり、という予定ができてくる、というものである。だが、そんな事情はそれなりの言い方をするべきだね。本来なら暮れから正月なんて休むに決まってるんだけど、受験生やその保護者にしてみれば重大な問題を戦うに当たってのステーションみたいなモンなんだから。
⑥…2学期末には、確かに「この段で迷ってる場合ではない」はずである。私立の過去問をやるにしてももう秒読み段階のはずだし、年が明ければすぐ出願である。正月明けから始業式までの短い期間にそれぞれの受験する私立宛の調査書や推薦書その他をこっちは準備しておかなければならない。それなのに、年明けと同時にいきなり「受験校変えました。塾に言われて。」などとほざいてくる大タワケ者も最近では多いのだ。もちろんそうなると調査書なども(受験校名が記入してあるので)すべて作り直しだし、その他の仕事をいっぱい抱える担任にしてみれば、学期明けの超忙しいところなのに、さらにてんてこ舞い舞いになってしまう。
⑦…こりゃちょっとマズくないかい?
⑧…これも(言ってることは確かにその通りなのだが)説明が親切じゃないんでないかい?何ならワタシが書きますよ、ぐらい言ってやってもいいんでないの?
⑨…これは、親にしてみればそう言いたくなる気持ちもわかる。でも、特にえこひいきをしてこうなっているのではないであろう。結局、不親切なのだ、構造的に。

 このように、お互いにもともとわかり合えない同士が、わかり合う努力をしないんだから、不満ばっかりつのっていくのは当然である。だが、親の方は合否に対して(かなり直接的に)責任が重くなっているとはいえ、少子化で我が子の高校入試が初めての人だって多くなってるはずなんだから、そこのところの理解は教師の側がもっと深めねばならないであろう。歩み寄っていくべきなのは教師の方じゃないのかねえ。

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高校入試と「お受験」がごちゃ混ぜに

 3年生の三者面談が今日で終わった。まあ最近はいろいろ言ってくる親が多いから、多少のことではもう驚かないけどね。
 今回の面談では2学期の成績と内申書の数字を提示し、私立高校の事前相談(個人で行く)の方針を明確にさせる、という目的もあった。ところが今日、ある母親が、面談終了後(つまり職員だってとっくに帰る時間)に家から電話をかけてきた。成績が悪いなんて納得できない!といういつものヤツかいな、と担任の応対を聞いていたらずいぶん手間取っている。で、終わってから聞いてみると、つまり、2学期の成績の9教科の合計が、ある私立高校を推薦で受験するのに「1」足りないので、どうにかしてほしい、というより、
なぜ足りなかったんだという怒りの電話なのだ。そんなの、もちろんこっちのせいじゃない。本人の責任だよねえ。自分の出来が悪かっただけの話だ。
 ところが、そこから先がなかなか新しい。
というのも、自分の子は、○○高校に入学することを夢見て一生懸命努力していた。(私立単願なのね。)そして、前回の三者面談で、推薦の基準はいくついくつだ、と先生に伝えてあったはずだ、それなのに、なぜ足りないのか。必要な数字をそろえるのがスジじゃないのか。我が子はショックを受けてしまっている。どうしてくれるんだ。主要5教科では「1」上がっているのだから下がったのは技能教科であろうが、そもそもどの教科が下がったのか。(ウチの学校では、現時点では3/5/9教科の数字だけを保護者・生徒に伝えるという申し合わせ。)その教科が下がったことに対して、担任としてはどのような見解をもっているのか…。

 ようするに、
受験を希望する高校の基準に合わせてオマエらが成績を付けるなんて当たり前だろ?という驚愕の主張なのだ。しかも、他にも一件全く同じ内容のクレームがあったという。あのねえ!!
 皆さんわかってらっしゃるだろうがここで確認すると、そんなのあるわけない。中学校は教科担任制だよ。いちいちの教科の成績なんて学級担任なんかが関知してるわけないでしょ。小学校じゃないんだからさ!…そうか、小学校と混同してるんだね、この親。「お受験」だったら、親が
「内申書、よろしくお願いしますね。」
といえば、担任が
「よく書いときましたからね!」
というやりとりもけっこう考えられる、というか存在する。(もっとも、本当によく書いたかどうかは、封をしちゃえばわからないんだけどね。)そんな場面が一般的になってくれば、中学校でもこっちの言いなりに内申点も操作するもんだ、と思っちゃうのも無理もないのかも知れない。
 でも変だよね、その親。自分だって中学生だった時期があるんじゃないの?教科担任制の実際のことなんかわかるよねぇ…。(それとも忘れちゃうのかな…)そして、明白に
「あと一点、追加してください!」
と要求してくるあたり、本当に困る。できるわけ無いじゃん、そんなこと。うっかりやっちゃえば全体での成績のバランスが狂っちゃって(最近じゃみんなして成績を見せ合ってるわけだから)誰それが4なのに何でワタシが3なんですか!という生徒にとっても教師にとっても都合の悪い問題が顕在化しちゃうし、第一、誰か一人にそういうお情けをかければ、他のヤツだって我も我も、とねじ込んで来て収拾がつかなくなるに決まってるし!
 まあ、どうにかその場は担任が説得して電話を切ったが、そんな理不尽なクレームでも30分ぐらいはかかっちゃうわけで。またまた本当に必要な仕事が後回しになるってことさ。



 ところで、その成績だが、以前と比べて「自由度」というものが減っている。どういうことかというと、成績の付け方をかなり明確に規定するようになっているということだ。まず年度当初に「シラバス」という文書を保護者に渡し、教科毎にこれこれの内容で授業を行い、こういう観点と評価方法によってこういうテストをして、その結果の5~1の評価はこんな方法でやりますよ~、と公言するわけだ。そして、ほぼその通りにやる。するとその結果が厳然と出てくる。で、それによって(生徒の名簿と子供の顔との整合性なんかろくろく考えもせずに)機械的に5から1までを割り振っていく。もちろん昔みたいな相対評価じゃないから出来がよければ5の人数も増えるし、何と言っても結果を残せた生徒はそのまんま正しく評価される。しかし、ここで問題なのは、「コイツは一生懸命取り組んでいて、これこれのいいところがあって、それを伸ばしてやりたいな~励ましてやりたいな~」みたいな、評価する側の「さじ加減」が入る余地がなくなる、ということだ。前述のように、生徒は成績を見せ合っちゃうから、
「テストの点がこれこれで、提出物の評価がこれこれで、授業態度だっていっしょで…、なのに、どうしてコイツの方が俺よりいいんだ!」
というのをかなり詳細に分析した上でクレームをつけるときにはつけてくる。それに対して教師の方が説明ができなくなってしまうのだ、変な操作をやっちまうと。もちろん、そんなの不正だろ!といわれればそれまでなのだが、やってもやっても先の見通しがつかなくてやる気をなくしかけていたりする生徒とかを、これまで何度もこんな方法(他にもいろいろあるけど)で救ってきたのは確かだ。だが、今はそんなわけでこの方法は使えない。自縄自縛ってヤツかな、自分で作った基準に足を取られちゃっているわけである。
 さらに言えば、そういうわけで余計に、前述のような、内申点なんとかしてくれ系のクレームは、にべもなく門前払いをするしかなくなっているのさ。誰のせいなんだか。

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受験指導は不親切に決まってる

 高校入試に当たっての、中学校のアドバイスというか進路指導は、はっきり言って不親切きわまりない状態である。保護者からの不平不満は重々承知でやっているのだ。

 もとはといえば、平成4年、埼玉県教育委員会教育長の竹内という、ものの道理もわかってないジジイが「業者テストを学校から追放しろ!偏差値なんて進路指導に使うな!」とエキセントリックに叫んだことから始まった。前兆はあった。長年やってきた業者テストの運用のしかたやそれに伴う進学指導に問題があり、制度疲労としかいいようのない状態に陥るとともに「偏差値輪切り」という批判が強まってきていたし、また「カイワレ親子の偏差値何とか」みたいな本が世間の注目を集め、「偏差値ってナニ?いかがわしい感じじゃね?」という風潮が醸成されつつあったのも確かだ。その頃受験指導を行った若かりし(バカかりし?)俺なんかは文字通り「生徒の顔が数字に見え」てきて、そのあまりの人間蔑視の感覚にある日気づいて恐れおののいた、という得難い経験をした。

 当時の業者テストは、全県一律の問題を実施してその県ごとの公立高校入試に対応し、学校のような小さな母集団(せいぜい多くて400人、ヘタすると50人ぐらいのところも)では得られない貴重なデータを中学校の先生に提供していたのだ。そもそも「偏差値」というものも、会場テスト(かつて中学校で行っていた)の業者のHPを見ればわかるとおり、「悪のレッテル」というものでは決してない。実際、生徒の3年2学期の何回かの偏差値アベレージと、過去のデータと、進路指導担当者会議に持ち寄った進学希望状況なんかを照らし合わせれば、個々の生徒がどこの公立高校に合格できるか否か、なんてことは当時ほぼ正確に予想することが出来たが、それを個別面談かなんかの時に「お宅のお子さんは…」と告げたところで、それは単なる現実に過ぎないんだから、「ウチの子が悪くとられた」と、学校を恨む筋合いのものではないであろう。むしろ感謝してほしいぐらいだ。しかも、その際に「偏差値」という物差しが妙に注目されたので、たとえば政治家なんかが「そんなモン無くしちまえ!」という方向に叫んでみせれば知的レベルの低いヤツにはそりゃウケるであろうな。

 というわけで、時の文部大臣(鳩山だったはず)がそれにいっちょかみしたことで日本中が大騒ぎとなり、「業者テスト」と「偏差値」が中学校から追放された。中学校の職員室では「偏差値」という言葉に対して、まさしく「言葉狩り」が行われた。そして、高校受験に当たっての資料は、すべて中学校の先生が自前の方法で、自分たちの生徒をよく見て、いろいろな方向から収集し、蓄積したデータによって行うように、ということになった。それまでにも伝統的に業者テストのお世話になってなかった学校、なんてのもクローズアップされてもてはやされたりした。だが、とにかく「偏差値」を使うな、というんだから、これはまさしく噴飯物である。俺たち兵隊が不安を訴えても、管理職からは耳あたりのいいきれい事の文言(役人ってそういうのをひねりだすのだけはうまいよな)の洪水を浴びせかけられ、黙らせられた。しかも最後には、「出来ないはずはない」といわれるから。それって「出来ない奴は無能」ということだよね。それ以上は突っ込めない。
 しかし、これが後先を考えない愚かな行為であった、ということは結果が物語っている。(俺たちには最初から明白にわかっていたけど)とにかく、年を重ねるごとに公立中学校に甚大なダメージを与え続けることとなった。

 まず、「業者テスト」は「会場テスト」と名前を変えて生き残りを図った。その際に公立中はもはや相手に出来ないんだから、私立高校(会場を提供してもらう)や塾(受験生を集めてもらう)と結託を強めることとなった。そして、これまで中学校で行っていた時に問題になっていたテストの実施方法を見直すなどしたりして不公平感を無くしたうえ、「偏差値」という最強の武器を駆使してデータを集積するようになったが、そのデータは、すべて塾のものとなった。
公立中の方は、自校作成の「実力テスト」などで合否判定の基準となるデータを収集しようとしたが、何しろ母集団が小さいからデータが意味のあるものかどうか心許ない。隣の中学と一緒の問題を作ることも、あちこちの学校からいろいろデータを持ち寄って検討会をすることも、いきさつ上管理職としては禁止せざるを得ないから、全くの五里霧中である。しかも「偏差値」は使っちゃいけないんだからね。出てくるデータなんて、ほんとお笑いぐさ程度のものしかあるわけない。たとえば、学年全体で200人ぐらいの3年生がいる首都圏の普通の中学校で、公立高校一校あたりの第一希望の人数はせいぜい7~10人ぐらい、ほとんどが5人以下であろう。とてもじゃないが各高校ごとの、信頼できる基準を設定することなんか不可能だ。年を追うごとに乏しくなるデータ。刻々と変化する私立高校の学力水準。「絶対評価の導入」によって高校側からの信用も地に墜ちた調査書の数字。さらに、「行ける高校」から「行きたい高校」へ!という無責任なキャッチコピーに基づく、中学教員へのお上からの圧力。とてもじゃないが、三者面談なんかで保護者が納得できるような資料を用意するなんて、無理に決まっている。

 結局どうなったかといえば、「高校進学指導は塾でやってもらえ!」と言い放つ教員までが現れる事態となったのだ。ま、そこまでは口に出しては言わないまでも、今やほとんどの3年の担任は、自分の過去の経験だけを頼りに生徒や親と話をするしかなく、塾に行ってない変な(あるいは、はっきり言って貧乏な家の)生徒に対して自信を持って進学についてのアドバイスをすることは出来ない。しかも担任の「進学指導の経験」なんて想像以上に乏しいのだ。何しろ、自分の番がめぐってくるのが大概3年に1度なんだからな。3年前の古い印象だけが頼りだなんて、保護者にしてみれば考えたくもないわな。(塾の先生は毎年やってるでしょ?)
そして、三者面談で保護者が当然聞いてくる質問、
「ウチの子はどこの高校だったら学力的にふさわしいですか」という問いには答えることはもちろん出来ないし、上からの指導で、答えることを禁じられている。そして、
「学校見学や説明会などに出向いて、自分にふさわしい学校を自分で探し出してください。」
と答えるよう、強要されている。これは言ってる教員だって無責任きわまりない、と思っているし、親にしてみれば
「ウチの子の担任はこんな大事なことだというのに真面目にやってくれていない!」
あるいは
「中学校じゃ何も教えてくれない」
とハッキリと感じるであろう。さらに
「どこの高校ならウチの子が行けるんですか?!」
とさらに追及してくる保護者も毎年必ずいるのだが、それに対しても
「行ける高校ではなくて行きたい高校、ですっ。」
と答えるわけだ。状況がわかってない保護者にしてみれば、職務放棄か!と怒鳴りつけたいぐらいである。だいたい、(日頃保護者会なんかに出てこなくてあまり関心がない親なんか特に)自分の足で高校を探してこい、といきなり言われるわけだから、面食らう、というか突然背中に火を放たれた気になるではないか。だが、それが現実である。これで、頼みの綱は塾だ!と思わない人間がいたら、かなりの変わり者である。

 というわけで、この騒ぎは進路指導の意味というか、もっと言っちゃえば
公立中学校の存在価値そのものまでもが相対的に軽くなる、という重大な結末を招いたが、現場のそういう絶望的な皮膚感覚って、絶対にお偉方には伝わらないだろうな。(管理職試験も昨今はすごい高倍率なので、上ににらまれるようなことを言ったりやったりする奴は絶対合格しない、と一般的に思われてるから、管理職ねらってる教員はみんなイエスマンばっかりだ。)

今や、生徒がそれぞれ自分の進学先を決めるときには、「会場テスト」と「塾」の護送船団方式で盤石の仕切り、中学校の出る幕なんかない(はっきりとそうおっしゃる生徒・保護者もいらっしゃる)。もちろん、やりようによっては方策は他にもあるが、いずれにせよ流れに乗り損ねた親は子供に悲しい思いをさせることになる。塾は私立高校と提携し、独自の(低めの)合格基準をもらっているところまであるというが、(そして状況証拠は嫌と言うほど見せつけられているが)真偽のほどは中学校には伝わってこない。そんなチャンネルがないからな。何やってるかなんて、わかりゃしねぇさ。時たま、自分の子供が受験生になった教員が、その実態の一部を認識するのみだ。

 そして、もう十何年も前から中学校の進路指導の三者面談では、生徒が申し出てくる受験先を追認するだけである。雲の上の方ではそういうのは「行ける高校ではなく行きたい高校」というスローガンが達成されたことになるのだろうが、実際は「偏差値による合格可能性」に、生徒たちは以前よりズ~ッときつく雁字搦めに縛られているのさ。そして、そうじゃないヤツは、家庭もろともこの日本の社会での負け組が決定している落ちこぼればっかりだ。



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ある「不親切」

 今朝は中間試験で部活の朝練習もないので、職員も多少早めに出勤し「登校指導」があった。朝の職集がある関係で、全員それぞれの校門に散る。といっても校門の数なんて知れているから、一カ所に職員が10人ぐらい並ぶ。PTAの挨拶運動も重なったので保護者も校門前に2~3人いる。校門の両サイドにズラッと並んで、まるで「生徒様のご登校をお出迎えする」といった風情だな。

 それで思い出したのが、娘が私立中受験をした時の、受験校の入り口前に並んだ「塾の先生」の人垣だ。場所によっては、生徒昇降口の前にまで陣取って、
「がんばれよ!」
「おはようっ!」
と口々に声をかける。あくまで家庭学習を貫き、塾の世話にはならなかったウチの娘なんかは、これら大勢の大人たちから露骨にシカトされて嫌な雰囲気ではあった。だが、塾と二人三脚でがんばってきた「普通の」子供たちにしてみれば心強い応援であったことだろう。

 さて、高校入試においても略同型の「塾の応援」が行われているようだ。昔は中学校の教員が手分けして受験校の校門まで出向いて直接自分の生徒の顔を見る、というようなことまでしていたらしいが、少なくとも俺が教員になった20年前にはすでに行われなくなっていた、と思う。そのココロは、
「自分でちゃんと行って、受験して、ちゃんと帰ってこい」
ということ?かな。どういうわけで教員を動かさなくなったのかはわからないが、とにかくその日に至るまでに保護者会なんかでも説明し、生徒には受験校への交通手段とかアクセスを調べさせ、自らの力でやれるように準備させ、万一の時の措置についてもしっかり確認し、バックアップ体制を整え、場合によっては個々に応じて保護者とさらに打ち合わせする。今風の言葉で言えば「生きる力」を育成しようってことになるのかな?
 だが、問題はそういう「教育活動」に対する子供や保護者の評価だ。受験が終わってからの報告なんかを聞いていると時々、
「高校へ行ってみたら校門のところに塾の先生がいてくれて、とてもうれしかった。」
という声がある。その言葉の裏に
「塾の先生は来てくれたのに、中学の先生は来てくれないのか?」
というニオイをどうしても感じてしまうのだが、あながち穿ちすぎた見方ではあるまい。そもそも現状の「受験指導」が不親切きわまりないのだから(それについてもそのうち書こう)、保護者が不満を抱えている場合は多い。生徒の家では
「中学の先生は情が通ってないよね」
なんて会話がなされているのではないだろうか、と思うと忸怩たるものがある。そんな話を聞けば、俺たちだって本当は応援:見送りに行ってやりたかった!と思ってるさ。(塾ばっかりポイント稼ぎしやがって、みたいなセコイ感情もあるし。)でも、教育に対する考え方だってその時々によって変遷がある。こっち(学校)が育てたいと思っている能力と、塾の考えには違いがあったって、当然であろう。その辺のところは親にも理解してほしいものなのだが、やっぱ手抜きとか不親切とかにしか見えねぇだろうな…。結局説明がヘタなんだよ、教員は。

テーマ:高校受験 - ジャンル:学校・教育

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