最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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雑感~平和教育について

 数日前、久しぶりに大きな本屋さんに行って時間をつぶした。お盆の時期の本屋さんといえば、やはり平積みになるのは戦争関連の本であろう。しかし、これほどまでに大量の!とびっくりするぐらい、戦争の本ばっかりなのである。やはり最近の安倍内閣の、いわゆる「安全保障」にかかわる政策が影響しているのであろう。
 これらの本は、俺的にはおおむね3種類に分類できるように思えた。まずは従来の「憲法第9条を守れ、戦争法案絶対反対」、次に「現実の世界情勢が見えないのか、国防はどうすんだ」という安保法案賛成派の書籍、もう一つ個人的に目だったのは、80歳とか90歳の先の大戦経験者が語る「本当の戦争について」の本。
まあ俺がどの立場に組みするか、は明確にするべきではないと思うが、生徒に語らねばならない場面だって全然ないわけではない、というのも困ったことではある。とにかく中立に考えないといけないか。

 もともと俺らが受けた教育では、憲法第9条こそが金科玉条、我が日本は戦争を絶対に起こさない素晴らしい国、というものだった。何しろ俺なんか中学のときにゼロ戦だの戦車だの、そういう兵器のプラモデルを作った、というだけで「好戦的なヤツ」という目で見られて軽蔑されたぐらいだからね(俺にいわせれば、ボクシングとか勝負事に熱中するヤツらの方がよっぽど好戦的)。まあ、一般的には我が国の国民はそうだったのかな。俺の感覚では中学の教員になってからも、組合の先生方、とりわけ社会の先生なんかは平成一桁頃まではそういうスタンスで教壇に立っていたと思う。ところが「自虐史観」という言葉が聞かれるようになってから、ちょっと風向きが変わってきて、従来の立場とせめぎ合っているようである。それが今年になって「安保法案」を巡ってヒートアップしているように、俺には見えた。

物事にはいろいろな見方がある、とつくづく感じる。時代によっても変わってくる。俺の乏しい知識の中からいくつか例を挙げただけでも、

 真珠湾攻撃→世界最強の空母機動部隊による英雄的壮挙
        →卑怯な不意打ち攻撃

 ゼロ戦→世界最高の速度・航続距離・武装を誇る戦闘機
     →防弾装備を無視した非人間的欠陥兵器

 神風特攻隊→日本の将来のために進んで自らを犠牲にした崇高な攻撃
        →犬死を強制された可哀想な若者による愚かな自殺行為

 豊臣秀吉→誰もが見習いたい立志伝中の人物・偉人
       →朝鮮侵略という暴挙を実行した狂った為政者

 江戸時代→世界的に見れば長期安定政権で平和で豊かなリサイクル社会
       →武士が農民を搾取し自由も人権もなかった暗黒の時代

 田沼意次→貨幣経済に着目して社会の変化に対応しようとした辣腕経済官僚
       →賄賂が横行する乱れた世の中を作り出した悪人

 物事をどうとらえ、どう伝えるかによって、眼前の生徒はそれなりの影響を受ける。特に、戦争と平和について、教師が語る言葉は重要だ。ともすれば威勢のいい男子生徒は銃で人を撃ち殺したり戦車でいろいろ破壊しまくる光景にあこがれちゃったりするし、女子は耳をふさぐばっかりの方向に行きかねない。西の方の大きな国の変化などがあって、かつてのような一方的な平和教育も、時代に合わなくなってきているかもしれないし、だからといって
「守りを固めよ、戦争に備えよ! 負ければ、男は殺され女はレイプされる!」
なんてとんでもないことを口走るなんて言語道断の暴挙だ…

 いったいこれからの日本、どうなっちゃうんだろうか、教育の方向はどこへ向かうんだろうか、なんてことをちょっと考えさせられた立ち読み時間つぶしでありました。
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人格の欠陥

 ちょっと前に麻生総理大臣が「医者は社会的常識がかなり欠落…」てなことを言っていろいろ叩かれていた。どうも昔から「センセイ」と呼ばれる職業の人は非常識だ、人格に欠陥がある、という社会的常識がまかり通っている世間があって、場合によっては俺もいらだっていることもあったりする。曰く、「先生と呼ばれるほどのバカでなし」なんてね。まあ、センセイと呼ばれるのは、だいたい医者と教師だが、代議士もそうだったんじゃなかったっけ?

 しかし、考えてもみてほしいのだが、社会的に言って教師の性格に欠陥があって何が悪いのか。じゃあ、キミらの言うところの欠陥のない人格ってどういうのを指すの?

 例えば、ここに浮世離れした学者(芸術家でも人間国宝でも何でもいいのだが)がいたとする。彼は自分の天職に寝食を忘れるほどにすべてを捧げ、優れた業績を残し、世に名声を博することとなった。もちろん、周囲の家族や弟子達が身の回りのことはやってくれるし、生活はほとんど送り迎え付きで自宅と職場を行き来するだけ。政治経済には関心がなく世事に疎い。
 さて、ある時彼は何かの拍子で、何十年ぶりかで一人で出かけることになったのだが、久しぶりに駅に来て、切符の買い方がわからない。新しくできた路線が多くなりすぎて、路線図を見ても何が何だかわからないのだ。お金も小銭なんか何年もさわってないから、財布の中を探るのも一苦労。悪戦苦闘の末切符を買ったが、今度は改札の通り抜け方がわからない。自動改札なんて、彼の体験の中にはなかった。エスカレーターだって、左側は立ち止まり、右側は歩く、なんて習慣は彼の学生時代にはなかった。そして、何をするにも気づいてみると後ろには長い行列が。
…みたいなことがあったときに、周囲の人は彼をみて馬鹿だ、と思わないにしても相当胡散臭いジジイだ思うだろうな。(ちょっと論点がずれてるかも知れない…シクったか)


ようするに、人は、自分のついた職業に合わせて人格や知識に偏りができてくるのは当然のことではないのか、と言いたいのだ。
 医者が患者の体を単なる物体のように思うこともあるかもしれないし、「環境保護」なんて聞いただけで顔をしかめたくなる代議士だって多くいるはずである。

 そして、教師は?
 当然人格には偏りが出ている。俺自身以前にも書いたが、「生徒の顔が偏差値の数字に見える」なんてのは序の口かもしれない。生徒指導で親とトラブルが生じたときに、
「あの母親はダメだ!自分の子供のことを信じてるんだからな!」
なんてことを職員室で平気で放言したりしているのは、あんまり人様には言えないがやっぱり事実だ。(親が子供のことを信じなかったら一体誰が最終的に子供のよりどころになるのか?)
 確かに、生徒に対して大人として向き合うことは大切なのだが、だからといって彼らの気持ちをまったく斟酌しないのでは話にならない。しかも思春期である中学生の精神はまるでサナギの中の内臓状態に魔可不思議なものだ。そんなのとがっぷり四つにつきあっていれば、そりゃ普通の大人としての円満な人格を保つなんてできるわけがありませんよ。人間は環境の動物だしね。
 メシの食い方一つをとっても、教師はやたらに早く食べる。見ていると、まるで魔法のように食べ物がお皿から消えてしまうのだ。何しろ、給食の時間は「休憩時間」じゃないからね。「給食指導」の時間であって、つまりものを食うのが目的ではなく、児童生徒の面倒を見るのが主なのだ。そんな習慣が例えば婚約者とデートの時なんかに出ちゃったりすれば、
「なんて風情のない人かしら」
なんていう印象を相手に与えてしまいかねない。
 まあそういう、「普通の」世間と教員の「常識」との乖離は他にも枚挙にいとまがないのは何となくわかっていただけるであろう、というか、自分の子供を通して
「まったくもう!」
と舌打ちをすることによって直接経験した人も多かろう。何といっても教師の相手は「人間」だから、トラブルも多くなってしまうのだ。

 じゃあ、どういう人が人格に欠陥がなくて、社会的常識が欠落していないのだろうか。「センセイ」を小馬鹿にする前にぜひ教えてもらいたいものだ。

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生徒指導上の問題

 そろそろ異動希望の意向を聞かれる季節だ。俺はきっぱりと「他の学校に異動したいです!!」と校長に言明した。なんとなれば、、、、

 つい最近の給食の時間のこと、担任外の人たちでいつものように小会議室で昼食をとっていたときの会話。
校長:「今度の校長会の生徒指導の会議で、うちの学校が事例の発表をしなきゃいけないらしいんだけど、何かないですかねぇ。」
ほかの教員:「…。(思いつかん…)」
教頭:「私なんかがうちの学校の話をすると、他所の教頭が露骨に、おまえは黙ってろ、って顔をするからねぇ(笑)。」
校長:「うちの学校では何ヶ月かに一回、上履きのかかとをはきつぶして生徒指導主任に取り上げられる奴がいます、ってのはどう?」
一同:「わははは。」
校長:「あとさ、うちの学校では登校時間の5分前に校門に入る決まりになっているんだけど、必ず何人かギリギリで門を入るやつがいます、ってのは?(つまり、遅刻する奴がいないんということ)」
一同:「(力なく)わははは…」
俺:「困りましたね。(マジ生徒指導上の問題なんて思いつかない…)」
校長:「そんなの発表したら怒られちゃうよね。(怒られる、じゃなくて「恨まれる」だろ?)」
教頭:「この間もどこそこの何々教頭が、俺の学校と変わってくれよ、ってしみじみ言ってましたから。(ちょっとうれしそう)」
俺:「この際、うちの学校の「積極的生徒指導」について、というテーマでやるしかないんじゃないですか?有志合唱団を結成して校内を歌声あふれる環境にして生徒たちの心の安定を図ってますとか?」
校長:「(あっさりスルーし)本当に、どうすべえ…(マジ困り顔)」

ちなみに、「消極的生徒指導」とは、生徒が何か問題を起こしたときの対応のことを指し、「積極的生徒指導」とは生徒の様々な質そのものを高めて問題行動を起こさせないようにすることを言う(と俺は理解している)。

 本当に申し分けなさすぎる。今時そんな平和な中学校がこの日本にあってもいいものだろうか。ついこの間の「小中音楽会」でも、複数の中学校の抗争がこじれて下手をすると警察を呼ばなけりゃいけないかも、とか、学級の人数が30人なのにみんな(悪連中)どこかに出歩いて学校に来ないものだから実際に舞台に上がったのは24人だけ、なんて騒ぎを見聞きしてきたばかりだ。
 俺はまだ50歳、あと2校は勤務しなければならないだろう。それなのに、こんな呑気な学校で、しかも音楽教員の巨大お荷物にして音楽の資質をとぎすます重要な場であるところの「吹奏楽部」もないような生ぬるい状態でいつまでもいたら、呆けて使い物にならなくなってしまうではないか。これでは大変である。第一、この学校にきてからというもの、俺はもう5㎏近く体重が増えてしまっているのだ。このままじゃメタボまっしぐら、命さえも危なくなる。

 やはり、ヒラの教員は最前線で困った生徒の困ったトラブルの渦中に常に身を置き、一緒に怒り、走り回り、一緒に悲しんだりする激しい勤務をしなければ本当ではない(ような気がする。実際にはそんなのまっぴらなんだけどね、逃げられない運命であるならば1年でも若くて元気なうちにそういう現場に戻るべきじゃないだろうか)。

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教える内容

 私の弟は、私のような寄り道をしなかったので私より数年早く教師になりました。定時制高校の国語担当です。その弟が家に帰るなり日々つぶやき、あるいは大声で放言していた決まり文句のお言葉。

「あーぁ、ちくしょう、あした何教えようかな」

それに対して母が「何教えるか決まってないのかい」とつっこみを入れるのですが、それにはいつも「……」。

 しかし、この「……(ムッツリ)」の意味は、最初に講師になって赴任した学校ですぐ体感できました。
 とにかくぶっつぶれてとっ散らかった教室では何を教えようと関係ないのです。どうせ生徒は聞いてないし。しかし(俺たち真面目な)先生はどうにかして生徒に授業を聞いてもらいたい。生徒が興味を持てる題材をツカミにして少しでもカリキュラムをこなしたい。でもそのカリキュラムさえ遅れに遅れ、積み残しはボロボロあり、生徒の身になんかもちろんついてない。そんな中でいったい俺たちの「明日はどっちだぁぁぁ」と叫びたくなる、でも投げ出すわけに行かない、という気持ちが結晶したのが上述のつぶやきだったわけです。その証拠に、程なく私も毎日同じセリフをつぶやくようになってしまったのでした。
 いや~、すごい新米時代だったぜ。

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デモシカはこんなにもしょうもない

私が教師になって最初に心がけたこと。

1:なるべく生徒に「ありがとう」をいうこと。
(ま、それはいいとして)

2:上履きのカカトを履きつぶさないこと!

*注
 上履きのカカトを履きつぶす生徒が増えることと学校の荒れは相関している、といわれています。ベテランの生徒指導の先生は、生徒用の下駄箱に並んだ上履きのカカトにたいへん神経をとがらせています。
 それなのに、ねぇ…

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デモシカ教師で悪いか?(その1)

 かつて、デモシカ教師とは他にやれることがなくてやむを得ず教師をやる羽目に陥ったダメな奴らのことを言っていた(と思う)。それというのも、私の親によれば、高度経済成長時代には、民間の方がずーっと給料もよく、希望に満ちあふれていて、それに比べて教師(に限らず公務員)は安月給でショボい仕事。本当に、どこにも行き場のないという人しか教師なんかしなかったという時代があったらしい。その後、「教師を育てなければ国がダメになる」と教員の給与の改善に時の総理、田中角栄が取り組んだ結果、今の教師の待遇があるらしい。
 今では想像もできませんね。なにしろ、教育への煮えたぎるような熱く若い思いを胸に、あるいはツテを頼りコネを頼み、採用試験に何度もチャレンジし、やっとの思いでなるのが、今どきの教師でしょうから。私は「デモシカ」ですよ、なんてちょっと言い出せないような雰囲気が漂っているのが今の職員室です。かつて、あるメーリングリストで私はうっかりその手の発言をしてしまい、袋叩きにあったこともあります。でも、「デモシカ」イコールダメ教員という構図はそもそも存在するのでしょうかね。

 「否」と、この際はっきり申し上げましょう。
 第一、教師は全国津々浦々に何万人いるのか。おそらく一つや二つの市ができてしまうほど膨大な数になると思います。それがすべて教師になりたい、と脇目もふらずに切磋琢磨し、他の世界も知らず、ろくな遊びもできず、子供はかくあるべし、教師はかくあるべし、教育はかくあるべし、との思いに凝り固まって日々精進する…そんな「教師は聖職」な世界が果たして本当に望むべき学校教育の姿を作り上げられるものなのだろうか?またそんなことが実現する可能性があるのだろうか。(つづく)

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デモシカ教師

 デモシカ教師です、私は。それがなにか?
 食うのに困って中学の音楽教師になりました。音楽大学出て、コンピュータ関係に就職したけど、会社がやばくなったのでつぶれる前に退職してプータローを数ヶ月。でももうその時には妻は二人目の子を妊娠中!という二進も三進もいかない状況で、教師にデモなるか!うん、それシカない!という風まかせの人生だけど、生活はあるからね。オトコとしては妻子を養わなければだからね。
 まずは講師として荒れまくっている中学校の現場で心をすり減らしながら、採用試験の勉強の日々。そして、挑戦3回目にしてめでたく10倍の難関を突破して採用となりました。その時点(平成元年)ですでに、競争相手はほとんど教師の子女か、教師になりたい!という使命感に燃えている人ばかり。これが(オレは「最後のデモシカ」かもしれないなあ)…と思った最初でした。

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