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最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

人間の団子


 ソーシャルディスタンスの指導、皆さんどうしてますか。人と人との距離はできれば2メートル、無理でもせめて1メートル、でしたっけ。もう、何を言ってるんだろうか。学校でそんなの無理じゃん、最初っから。
 そして、休み時間ともなれば、あっちこっちで顔を寄せ合い、体を寄せ合い、互いに手足を絡ませ合い、大声で騒ぎまくる光景がうちの中学校では常態化している。要するに、武漢肺炎が問題になる以前、去年の2月時点での光景がそのまま今も眼前に展開しているのであります。いくら
「密集するな。ソーシャルディスタンス!」
などと注意したところで、せいぜいよくてニヤニヤしながらその時だけちょっと互いに距離を取るだけ、大抵は「ガン無視」である。だからと言って、まさか昔のように襟首をつかんで引っぺがすような暴力的な真似はしませんからね。

 しかし、翻って我々教職員の様子はどうなのか。ま、マスクは誰もがつけるようになったけどね。それ以外に関しては何も変わっていない。大体、職員室の机の配置だってこれまでのまんま何も変わっていないし(密だし)、生徒を呼んで話をするときの距離だって、特に変わっているわけではない。生徒を前にして例えば文章の添削をするにも、生徒指導上の注意を促すにも、何しろ生徒のすぐそばまで行かなければ始まらない。授業だって、大きな声で実施するというところは長年の経験でそれほど変えるわけにはいかない。声の大きさに常に注意を払っているわけじゃないからね。本当の本当に、何も変わっていないんだよ。

 それなのに、生徒に対してだけ、3密とか注意したところで、言うことなんか聞くわけないんじゃないでしょうか。生徒だって阿呆じゃない。文句を言ってこないからといって何も思ってないわけじゃなく、言うのが面倒くさいだけだ。冷ややかな目で教師のことを見ているのだ。
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合唱の命運は尽きるのか

12月10日に文科省は「合唱等を行う場面での新型コロナウィルス感染症対策の徹底について」という通知を出した。要は学校で合唱やっててクラスターが何件か出てるから気をつけろ、ということだ。実は近隣の市町村で合唱祭の練習が原因で武漢肺炎の集団感染が発生してしまったうえ、すぐそばの私立高校でも時期を同じうして部活でクラスターが発生している。それらを受けての通知なのかもしれないが、この通知はよく読むと、俺たち「音楽の先生」にとっては重大な内容である。

まず、
「マスクは、(中略)原則、着用することとします。」
とあり、さらに、
「ここでいうマスクは、(中略)鼻と口の両方を隙間がないように覆った(中略)形状のものをよぶ。」
と規定している。心ある人なら気づいてもらえるかもしれないが、これはもはや、
「授業では合唱をやるな」
と言っているのとほとんど同義である。
理由①:合唱に限らず、歌や吹奏楽器の場合、思いっきり大量に、一気に空気を肺に送り込まねばならない
「息を吸え」
というのは音楽表現では欠かせない指導だが、これは、(上記の)マスクをしていてはまず不可能である。「息苦しいマスクの方が効果的なマスクです」なんて乱暴な言い方をする人もいるぐらいだから、そもそも頑張って吸っても空気が入ってこない。無理をすれば鼻や口にマスクが張り付いてしまうから肝心な時に出遅れたりしてしまう。
理由②:合唱で言葉をはっきりと浮き立たせるには口を大きく開けたり閉じたりしなければならない。現代の子供たち(大人も)は口をきちんと開けて大きな声で(必要な声量で)はきはきと話す、という当たり前のことができず、何を言ってるのか聴き取りにくい生徒が思いのほか多いのだが、歌の場合はその欠点が拡大されて露呈してしまう。大勢で一斉に歌う合唱の場合はそれがさらに積み重なってピントのぼけた写真のようになって、歌詞がさっぱり聴き取れなくなり、最悪の場合日本語を言ってるのかどうかすらわからなくなる。
「口を大きく開けろ!」
というのは歌唱表現では欠かせない指導だが、マスクをつけてこれをやると(実際やってみればすぐわかるが)、マスクはすぐにあごの方にずり下がってしまう。
理由③:声がくぐもって正しい発声での音色が本人にも指導者にもわかりにくい。さらに、正しく歌えてるかどうかなど、評価のしようがない。

 それでも無理に歌わせ続けると、中途半端に歌う癖がついてしまい、ワクチンが出回るなどして以前と同様な指導ができるようになったその時に、その癖をを修正するのはほぼ不可能、というのは経験的に(俺なんかはイヤというほど)わかっている。癖がついて何が悪い、という向きもあるだろうが、たかが合唱されど合唱である。合唱祭などで、クラス対抗なんてことになるとやはり、正しい発声を身に着けてる生徒がクラスに多い方が圧倒的に有利なのは確かだし。
 
 さらに、この文書には続きがある。合唱以外の活動として、特に感染リスクの高い活動は「一時的に控えろ」とあり、その中に「リコーダーや鍵盤ハーモニカ等の管楽器演奏」が挙げられている。公表されている様々な実験結果によれば合唱より圧倒的にリスクの低い「管楽器演奏」があっさりやらないでくれリストに入っているのに、なぜ合唱だけは聖域になるのか。
いっそ、「学校の音楽では合唱はやめてください」とはっきり言ったらいいじゃないか。実際、本音ではやってほしくないんだろうが?

本当に煮え切らないことだ。雲の上の人たちに度胸や見識が備わってないんだな。

毎日毎日30人での会食、楽しいな

 武漢肺炎(いわゆる新型コロナ)の第3波はのっぴきならない状況に陥っている。今日は1月6日、明後日は3学期の始業式だ。3学期はいったいどうなってしまうのか。
 そういえば、年末に、総理大臣が連日夜に会食していたとか、50代の野党議員が急死したというのが話題になっていたが、政治家が夜に会食しないでいったいどうやって仕事しろというのか、という話にならないのは、
「会食するな」
と言わなければいけない立場上、仕方がないのであろう。
 しかし、毎日毎日お昼に30人40人で、大手を振って会食している場所がある。それは「学校給食」!!
本当なら空き教室に分散してソーシャルディスタンスをとって食事をしたいところであるが、結局場所がないから30人以上の生徒が一つの教室に集合し、一応個別の机を、すべて黒板の方(前)を向けて距離を取って配置してはいるものの、とてもじゃないが1~2mの間をあけるなんて夢のような話である。
(うちの学校では、教師は生徒と向き合って食べるというわけにいかない、ということで廊下に机を持ち出して食事をしている。お代わりは、これまではセルフでやっていたけどそういうわけにもいくまい、ということで、すべて教員が使い捨て手袋とマスクを装着して対応する。おちおち食ってる暇もない。)
そして、生徒の中には「話好き」が必ず何人もいるし、話好きを通り越して、しゃべってなければ精神が安定しないようなのも中にはいるから、全員無言で!という指導なんか、結局は破られる。そして、ひとたび無言の行が破れてしまえば、あちこちでおしゃべりが始まり、その声は次第に大きくならざるを得ない。
そういうのって会食っていうんだよね。

会食だよね。

会食だよね!

あんまりうるさくなれば、
「こら!静かにしろ!」
と廊下から教室の入口の所へ出張って大きな声で指導しなければならなくなる。いったい俺たちって、何やってんだよ…。

二度目の緊急事態宣言が発出される、ということで世の中動いているが、今回は学校を止めない、という。しかし、現実の状況では一度目の時よりも、今回の方が止めなければならない必要性が圧倒的に大きいと思いますよ。

学校の先生って行儀悪いよね

 教科書展示会に行ってきた。一応、市町村ごとにどこの展示会場に行くか指定されているのだが、勤務校の指定されている会場が自分の住んで場所の反対側なものだから、一人だけ別の地域の会場に行ったわけですよ。で、午後4時、廃校になった小学校の一部を改装した「市立教育センター」の一室で開催されている「教科書展示会」の会場へ行ってみると、先着の先生方が数人、来年度から使用される候補の新しい教科書を静かに閲覧していらっしゃる。自分も、今年度は興味津々だったわけなので、さっそく音楽の教科書を読みふけっていたのだが、5時を回るころ、突然大勢の先生方が会場内にドヤドヤと入ってきた。今のご時世で3密にならないような配慮が必要なはずなのに、そんなのどこ吹く風で、狭い部屋は大混雑である。それのみならず、その狭い間隔で皆さんいろいろとご相談なさっていらっしゃる。とてもじゃないが集中して教科書を評価する環境とは言えなくなってしまった。
 だいたい、音楽の教科書を見るにあたっては、楽譜を脳みその中で音にして聴くという作業をしなければならない場合がままあるのだが、これには静寂な環境がかなり重要なのである。しかし、これは少数の教科の特殊な事情だから、ほかの先生方に静粛を要求するのはいいことではない、という考えは成立するだろうか。
 しまいには、近隣の別の学校同士の先生がでかい声で世話ばなしまで始めやがって、こっちは思わず
うっせーんだよこのバカ野郎!
とか怒鳴りそうになってしまった。(もちろん我慢しましたよ。相手は中学生ってわけじゃないからね)でも、マジでイライラしましたです。
 それにしても、このように行儀の悪い教師というのはなぜ発生してしまうのか。俺の分析によれば、ズバリ、
「自分は特別だと思っている」
俺が一番むかつくのは、合唱祭の練習をしている最中に、例えば「学年リハーサル」とか言って体育館で学年の生徒を集めて互いの演奏を聴きあう場があったりするんだが、そういうところでは、俺は生徒に”絶対の無言”を要求しているわけですよ。そんな一番肝心な事前指導の場面で、俺がそういう指導をして生徒が(悪ガキも含めて我慢して)みんな無言でいるのに、平気でしゃべっている教師がいるっていうこと。ビデオがどうとかなんだとか本人にしてみれば正当な理由があるんだろうけど、こっちは
「なにがあってもしゃべるな!地震があっても停電があっても演奏が止まらない限りしゃべるな!それが一生懸命練習してきた相手に対する礼儀だ!」
って指導してるんだよね。なんだと思っているんだよ!生徒が黙ってても、自分はしゃべっていいって思ってるだろ?ふざけんなよお前も一緒なんだよ!!という自覚がないんだよな~教員って。だから、武漢肺炎で大騒ぎしてるときも、生徒には要求しても教員は誰もマスク付けないし(志村けんが亡くなって文科省が騒ぎ始めて校長会なんかで校長が指導されるようになって初めてつけるようになったけど)。自分は感染しないって思ってるんだよね、本気で。
 以前にも、市教研の音楽の授業研究会で教員が私語しまくったり(授業者には申し訳ないけどみてる価値のない授業だったのは確かだが、それにしても失礼極まりないだろが)、体育祭の開会式で厳粛な雰囲気の中、後ろの方で懇意にしている(!)保護者にヘラヘラ挨拶して世話ばなしなんかしちゃってほかの保護者の顰蹙を買ったり、なんて場面に実際遭遇してきた。
 こういうのって、自分のおシゴトに対するプライドというか、大切にしようという意識が底流にあれば起こりえない現象だと思うのだが…それとも実際許されることなんですか?

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学校閉鎖期間、中学生かく戦えり

 学校再開、とは言っても3月アタマから今までずっと休みだったので、実質的には今が学年の開始である。学級委員や班長など、クラスの組織づくりなんかを今頃やってるし、身体測定なんかも今頃やってるわけですよ。で、そこらへんで生じる半端時間を使って、「私のステイホーム」という掲示物を作ってもらったところ、かなり多彩な内容になったので、このブログではあまりやらないことなんだけど、ちょっと紹介しようかと。(誤字脱字は勘弁してもらって…)

まずは典型的な男子の作文。
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一日の流れを紹介して、はいできました~みたいな。しかしながら、けっこう運動をやって体を鍛えるというのが入っている場合が多いのが頼もしい。

もう一つ。同じような作文。
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「ケン玉」というのがある意味新しいではないか。

さらに、この悪ガキめはボール遊びに辟易した母親にボールを隠されてしまったのであろうか。
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一方、読書の報告もある。何もしていないようで、けっこう中学生は向上心を形にするのである。
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これは男子であるが、女子も何人か読書の報告をしていた。女子の場合はアニメとかマンガについて書きまくる子が多いが。

同じ男子でも、こういうのもある。この子は品行方正で前向きないい子の学級委員であるが、的を絞った報告がなかなか楽しい。
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そういえば、新任の学校で、「愛読書は『趣味の園芸』です。」という男子がいて、中学生の多様さに驚いた記憶がある。そういうのも思い出した。

さらに、謎の関節痛についての謎の文章も。
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最後に、「気持ちの問題じゃん」といわれて納得しているあたり、かえって心配じゃないか。レイアウトも色使いも字の下手さ加減もみんな謎。本当に大丈夫なのか?

一方、女子。
お料理に目覚めた女子も多く発生? 「ステイホーム期間」には大人もけっこう料理に開眼していたようであるが、、中学生も例外ではないのである。
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そして、食べ物の話題はけっこう多かった。この子は何でもない食材についての新たな発見を生き生きと報告していて、とても楽しい読み物になっている。
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姉妹の人間関係がほほえましい遊び。
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「おしゃぴく」という言葉は初めて聞いたが、姉妹間の符丁の一種なんですかね。

そして最後はこれでしょ。この子はとても大人しく、自己主張はまずしない生徒である。
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言論統制?政治的偏向?

 学校は3か月も休みになり、 やっと再開されるとはいえ普通の生活は当分戻らない。特に俺のような音楽教師は影響をもろに受けて、仕事そのものに大幅な変更を余儀なくされている。生徒も学校再開後の音楽の授業にはガッカリするであろう。校務員さんと世話話した時にも、
「音楽嫌いの子供が大勢出ちゃいますね~」
と、(こっちにしてみれば心無い言葉で)慰められる始末。しかしそれは俺のせいではない。情報を隠蔽して春節の時に人的交流をストップせず、よそで大騒ぎが始まらないうちにマスクを買い占め、危険なウィルスを世界中にばらまいたどこかの国が悪いに決まっているのである。で、せめてもの腹いせに、学年だよりの文言に、ちょっとした言葉を入れて起案しといたら、なんと赤が入ってやがった!
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まあ、このまま発行すれば多少角が立つかもしれないのは想定できるのだが、それにしてもかの覇権主義国家の恐ろしさは、最近では看過できない状況であるはずだ。今回のコロナ隠ぺい問題はもとより、尖閣もそうだし、虚構の南京虐殺もそう、どこでもかしこでも、やりたい放題・嘘つき放題。そういう問題意識をわれわれがしっかり持たなければいけない国家危急の時なのに、こういうちょっとした言論統制(おそらく朱を入れた本人はそうとは思っていない。ちょっとした違和感を感じただけのことなのである)が積み重なることで、問題の焦点がうすぼけていくことには恐怖を感じる。こういうことは学校で教えちゃいけないのかね~。俺が子供の頃には、担任の先生が社会の時間に
「沖縄には○○があるから、アメリカもなかなか沖縄を日本に返還できないんだな。」
なんて小学生に向かって言ってたものだったが。
日本、このままでいいのか?

9月新学期っての、やってくれないのかい

とりあえず、今のところの予定では、わが県では6月1日(月)に学校の授業を再開させることになっている。そして、第2第4土曜日は半ドンの授業。1学期の終業式は8月7日。2学期の始業式は8月18日なんだって。そして、それでも授業時数は大幅に足りず、いろんな行事を中止にする方向だそうな。まあ、ウチの市の小中学校は校舎にに冷房が入るから、夏休み返上でも環境そのものにそれほどの問題があるとは思えないが、もう何も言えませんね。

無理しないで9月新学期を導入すればいいのに。東大なんか、優秀な学生が卒業を待たずに海外に流出しているんだって?やっぱり今の時代はグローバルに考えていかないといけないと思いません?

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