最後のデモシカ教師の不謹慎発言

かつて教師に「でも」なるかぁとか、教師に「しか」なれない、という理由で教師になり、学校現場に彩りを与えていたデモシカ教師。そのデモシカ教師の目で現在の教育の裏をあばき、悪態をつく(だけ)!なお、このブログはリンクフリーです…

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定年。再任用。何も変わらず。

 ついに今年度、60歳になってしまった。俺の父親が現役時代には55歳とか58歳だった定年が今では「還暦」とはすごいことだ。しかも未だに引退できないし!(しないとも言えるが)
 3月末からこれまではまさに嵐のような日々で、まず年度末恒例の吹奏楽部定期演奏会を取り仕切り、最後の年だというのに担任を持っていたものだから指導要録などをやっつけ、次は異動の準備。もう勤務年数の残りも少ないし、これまで溜め込んだいろんな資料とか道具とか、いらなくなったものはなんでも捨てちまおう、と思ってももはや時間切れで、一応削減はしたものの結局は自動車3往復分の荷物を運び出すことになる。で、最後にやっとのことで吹奏楽部の会計報告の起案を通したらもう4月になってしまい、この歳で新天地に向けて出発だ!
 で、行った先の学校でも吹奏楽部をやってください、早速だが入学式で演奏ヨロシク!と言われるが、引っ越しの荷物を解く時間もないまま(1年の副担任だから)あれこれ入学式の準備もしなきゃいけないし、始まったら始まったでデカい学校だから授業がいっぱいあってな~ンにもやれないで時間に押し流される。古~い学校だから音楽準備室は歴史的な邪魔もの(大量のレコードだとか)が所狭しとあって何も片付かない。おまけに、といってはヤバすぎるがここの吹奏楽部は5月に定期演奏会をやることになっていてすでにいついつに市民会館が抑えてあります、前任者がちょっとひねくれた臨採の人(長く臨採をやっている)で演奏会の準備はほとんど進んでないうえに部員はサボりグセがついている、オ~イふざけんなよ~こっちはついこの間定演終わらせてきたばっかりじゃないかよ!!というなんだか目が点になる世界を終わらせて、気がついてみるともう6月じゃないか。

 ということで、このブログの更新もこれまでになく滞ったということなのです。再任用で何が変わったか、って何も変わってませんね。給料が大幅減になったことと、それに呼応するかのように若い頃みたいには無理が効かなくなったことぐらいか。音楽の授業も、一時間一時間命を削ってやっているように感じることもある。特に「定期演奏会」の前は危なかった。(これ絶対、何年か前なら年休取って休養するレベルの体力の限界だ)という日々が続いても休むわけにいかない。俺の代わりを務められる能力を持った人間はおいそれと連れてこられるもんじゃないからね。(なにしろ教師は専門職なのだ。)
 折しも中学校の先生の勤務がブラックだ、とか部活動の外部指導者の資格をどうにかしようみたいな話も世の中では出て来ていたが、そんなのバカくさいわ~。しかもたかが部活をちょっといじるぐらいで教員の忙しさの解消につなげようなんて、根本的なところがわかってないでしょ。
このブラックな勤務をどうにかできるっていうならやってみろよ。
ってとこですかね。とにかく、まだ生きながらえていた、という報告であります。
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テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

上履きの匂いを嗅ぐ

先日の掃除の時間のことでした。バカ男子共が何やら掃除場所へ行きもせずに教室で馬鹿騒ぎをしている。それも、でかい声で、
「うわーーーーー!」
「はっはっはっはっは!」
「ぎゃ~~~!!」
「おぅええええ~~!」
って感じの獣じみた騒ぎであります。掃除もせんと、なにやってるんだ!ってもんで、こっちは怒ってそいつらの方へ行くと、なんとそのうちの一人が仲間の上履きに顔を突っ込んで臭いを嗅いでいる!
「おぅえええ~~~~!」
というのはつまりその雄叫びと言うか、吐き気だな。なのである。そして、
「お、これは我慢できる!」
だの、
「コイツの上履きはヤバすぎる!!!」
「これはまだ新しいど。ゴムの臭いが残っている!」
と品評会をしている。一体ここは日本なのか、いや、この世のものなのか。
「何ふざけてんだ!やめろ!」
とこっちはかなり本気モードだが、もはや興奮状態のこいつらには通じない。
「先生も嗅いでみ?!コイツの靴チョ~やばいよ!」
と満面の笑みでこっちに叫んで、信じられないことにその上履きを押し付けてくる。サツイが実際の行動に移らないように、避難するしかないと思いませんか?
 それにしても、これが何日か前の3年生を送る会で最高の発声と音程と音楽性で「虹」の3部合唱をやって3年生達を魅了した同じ人たちとはとても思えません。ホントに中学生って二重人格すぎるよね。

PTAは任意加入!任意加入なんだよ!


 一時話題になっていた「PTAは任意加入」という事実が、またちょっとどこかで取り上げられていた。PTAが強制加入だとすると憲法21条に抵触しちゃうらしく、これについての裁判も起こされているようだ。

 ところで、わが長男が中学生だった時(15年位前)、俺は長男の進学した中学校(公立)に勤務していた。つまり学区に住んでいた。まあそれが原因の一つとなってわが子たちが深刻ないじめ被害に遭ったため、せっかく買ったマイホームをたった5年で売っ払って引っ越し、子供たちも転校を余儀なくされたのだが、それは別の話。
 そのころのことを冷静に思い出してみると、俺はほかの生徒の親と同様に、Parent-Teacher Associationの「P」としてPTAの会費を払っていた。しかし、つらつら考えるに、職員室でも会費の集金があったので、「T」としても会費を払っていたはずなのだ。これって、二重取りじゃないのか。教師と保護者が同一人物であった場合、会員は一人なんだから、どっちかは払う必要ないよね。もう時効だろうが、返してもらいたいもんだ、はした金だけど。
 さらに言えば、2年目には「P」の立場での役員を押し付けられた。これも、やる必要なんかないはずだよね、なにしろ、同一人物であるところの「T」である自分は自動的に役員なんだから。過去に戻って文句言いたいところだが、その当時はそういう仕組みにも無関心だったし、そんな理屈は思いもよらなかった。何より「学区の教師」として、世間体をめっちゃ気にしてたし。まあ、ムカつく地域に居を構えた身の不運としか思わなかったけど、PTAが任意加入とか、もっと早くに知っておきたかったよ!

 ところで、保護者の任意加入はわかったが、教師はどうなんだろうか。年度当初の職員会議でも、校務分掌の一つとしてPTAの各種委員会の担当を教師全員に割り振るのが普通であろう。4~5月のPTA総会で転入職員の紹介もあるが、それは「職員はすべて会員である」という前提に立っているようだが、それでいいんだろうか。けっこう余計な仕事のように思えて(本当に余計なこともある)、しかも思ったより面倒くさくて舌打ちしたくなる時も多いのだが。
 まあ、こっちのサイドから文句を言うわけにもいかないだろうから、こういう時に貧乏くじなのはいつだって教師のほう、という気がするな。

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前次大戦の対戦相手?

 今、冬休み。学区の小学校の吹奏楽クラブを教えに来てくれ、という要請を受けて、部員を連れてその小学校へ行ってきた。パート練習とかを見ながら何となく学級の掲示物を見ていたら、6年生のある教室で、大東亜戦争の頃の生活についてなどについての、児童制作の掲示物があったのだが、その中に、
「日本は中国、韓国、アメリカなど、いろいろな国と戦いました。」
という記述があった。はて?大東亜戦争で韓国と戦ったとは何のこと?この当時は朝鮮半島の住民は日本人として、兵士も大日本帝国陸海軍として、中国や米英を相手に戦っていたはずなのだが?
たくさんある掲示物の中の一つだけにさりげなく(しかし堂々と)そう書いてあったのだが、こういう重大な間違いを見逃すというのは困ったことだ。小さくちょこっと書いてあることでも、意外に後々まで印象に残ってしまう児童もいるかもしれないではないか。昨今、歴史認識とかなんとかかまびすしく言われるが、事実として間違っていることを放っておくのだけは絶対にまずいであろう。もし、気づかないというのであれば、やはり教師の資質が低下しているという話になってしまうではないか。

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不快な音楽会~音楽教師の孤独その2


今回はまるっきりの愚痴ですから。

今年度のわが勤務校の合唱祭。最後に職員アンケート(自由記述)のまとめをさせられて、無事終了となったのだが、今回、この仕事は不愉快極まりないものであった。
 まず、こういう記述があった。
来年度以降、もっと合唱の声の大きさ、響き、ハーモニーも高めていかないといけない、と強く感じた。練習方法も含めて。
なに、これ。俺の指導がそんなに下手だと。生徒の声は小さく、響きがなく、音程がめちゃめちゃだからハーモニー感もないと。そういうことですね。そして、来年度以降は音楽の教師なんか相手にしないで自分たち他教科の教員ががっちり指導に介入していこうと。そういうこと?
これほど失礼千万なことを、音楽の教師が読むことがわかっていて書いてくるとは、すごい人間性の持ち主だ。校内音楽会の後で金賞クラスが参加した「市内小中音楽会」の時には校長が
「うちの学校の合唱は水準が高いねえ!」
と顔中笑いにして言ってたんだけどね。これ書いた人は何がご不満なんだろうか、聞いてみたいものだが、残念ながら無記名でやがんの。

~略~担任の合唱指導の力量の違いや、曲数がこなせないとか、~略~
担任の合唱指導の力量」だとよ!笑わせてくれる。いつ誰がそんなの要求したんだ?お前らにそんなもの最初から、一つも期待したことなんかない。新任以来何十年も!思い上がるのもいい加減にしろ!と言ってやりたいよ。 あわせて、
私が若いころは合唱指導をどうしたらよいかわからず、先輩の先生のやり方を盗んでまねたりしていました。若い先生たちにサンプルとなるような、学級での担任の合唱指導を、ある年齢以上の教員は、していかなくてはいけないなあ、と思いました。
な~んてのもあった。今までこういう思い上がった先生がクラス合唱に手を出して、変にいじり回しこねくり回し、せっかくの指導を台無しにしてくれたことはあるけど、役に立ったことなんか記憶にない。もちろん、音取り用のCDをクラス人数分製作して夏休み前に配るなど、有効な側面支援をしてくださる担任の先生もいらっしゃって、そういうのは感謝なのだが、割り箸を奥歯に咥えて声出すみたいな、わけのわからない民間療法を生徒に押し付けるとか、女子のせっかくの頭声的発声を地声に戻してホールでの響きをかき消しちゃったりとか、迷惑なことしか記憶にない。大体、そういう担任のクラスであればあるほど、そもそも女子の声が聞こえなくなる。なんでなんだろうね~。だいたい、こういう指導にしゃしゃり出てくる先生は、昔(学生時代)合唱部だった、とかそういうことで妙に自信があったりするんだけど、神話時代の音楽指導(腹を膨らませて息吸え、とか)にどっぷり浸ってて、現代の科学的(になりつつある)な教科指導を知らない場合が多い。第一、音楽専科と違うことを教えたら、自分の立場が危うくなることぐらいわからないのか。

もっとも、市町村によっても違うかもしれない。これまで(といってももう10年近く前になるが)勤務していた市ではそういうことはなかった。
「まったく生徒に任せたまんまで合唱練習が進んでいく。楽させてもらった。」
「今年の放課後練習は怒鳴らないでやろう、と決心していたが、本当に一度も怒鳴らないで終わってしまった。」
という感謝の言葉をいただいたことは多々あるし、プロ教師の会の河上亮一氏も
「女子の細いきれいな声は音楽の先生に任せるしかない。」
みたいなことを何かに書いていたのも読んだことがある。若いペーペーだった時期から、音楽のことは音楽の先生に任せるべし!という風潮のなかで、俺は仕事をしてきた(させられてきた)。だからいろいろな工夫を考えたし、卒業式なんかの指導では(今日はどうやって…???)と何日も前から頭を悩まし、緊張して取り組んできた。そして、それが当たり前だと思っていた。変な民間療法の指導をする人も俺が取り組んでいる合唱祭に影響を与えるほどの人数というか勢力はなかったし。
ところが、現任校の市にきてから風向きが変わったんだよな~。どういういきさつでこうなったのか、よほど指導力のない音楽教師ばかりがのうのうとのさばっていたのか?(そうと確信するに足る様々な状況証拠を俺は把握しているが。)しかも、それまで勤務していた市に比べて合唱祭のグレードはまるっきり低いのに。偉そうに何言ってるんだっつうの。
いずれにせよ、こんなふうに音楽教師がないがしろにされたのでは何をかいわんや。ただただ怒りに震えるばかりである。一時、
「合唱祭は大声コンテストではない」
というスローガンが出回ったこともあったが、俺みたいな頑迷なジジイが消えていくに従い、合唱祭は大声コンテストに戻っていくのであろう。歴史は繰り返す。だが、知ったこっちゃない!勝手に怒鳴り合いやってろっつーの!

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音楽教師の孤独

音楽の教師になって以来ずっと、音楽の教師って、なんだかとても損な役回りである、と思っていた。

 まず、音楽の授業って、生徒が黙って座っていただけでは成立しない。例えば、一人残らず数学や英語が嫌いな生徒ばかりの教室でも、そいつらが座っている限り数学や英語の授業は成立する(というほど単純な話ではないのは分かっているが一応)。体育が嫌いな生徒ばかりでも、強面の先生が怒鳴りつけ、殴りつければ(という時代もなかったわけでもない)一応授業は成立する。だが、音楽の授業は、生徒が「音楽が好き」で、「その気になって」いなければ成立しない。
「歌うから立ってください。」
などという指示を出したとして、生徒が言うことを聞かなかったからといって、怒鳴ったり殴ったりしては「音楽」の雰囲気はぶち壊れて楽しくなくなっちゃうし、音楽嫌いな生徒ばかりの前で
「一緒に歌いましょう」
といっても無視されれば、やっぱり成立しない。今ではいろいろ(周囲からしてみれば)魔術も使えるようになったので何とも思わなくなったが、若いころ他教科の先生がどれほどうらやましかったことか。

 そして未だに、一番腹立たしいのが、俺みたいなボンクラ音楽教師が卒業式の式歌斉唱の指導とかで四苦八苦しているときに
「ホニャララ先生はすごい(すごかった)!何しろあの先生が教えると、生徒が見る見るうちに変わっていくのさ!すごく大きな声で歌い始めるのさ。」
「ホニャララ中学校じゃ、生徒の声が大きくてさ。全校合唱では体育館のガラスが本当にビリビリ響くんだよ。本当にさ!あの音楽の先生は本当にすごいねえ!」
みたいなことをこちらに言ってくる同僚の存在である。これは全くイライラする。だからどうしろちゅうんだ?教えてくれよ!!ってこと。
 この世界では、伝説的に偉大な音楽の先生、というのが存在していて、かつてその人と同僚だった先生がその時にいかに感動したか、という話をするのである。もちろんその人は掛け値なしに尊敬できる素晴らしい指導者なのは間違いない。それは実績にも表れているし、小中音楽会みたいな行事の際の、その先生が指導した生徒たちの演奏を聴いても(いやっちゅうほど)わかる。
 だが、そのホニャララ先生がどれほどのものか、その本当のところは他の音楽の教師には全く知るすべがないのである。何しろ、その場に居合わせないわけだから。昔からどんなに大きな学校でも音楽の教師は1校にせいぜい3人、今やほとんどの学校で1人しかいない。自分の勤務校を放ったらかしてその大先生の指導を見に行くなんてことできるわけないでしょ。実際、その先生がどんな表情で、どんなテクニックを駆使して、どんな指示をして、そもそも生徒とどんな関係を築いていたからそういう指導ができるのか、また、「大きい声」といってもどの程度の大きさなのか、声の質はどんなだったのか、響きはどういう風についていたのか、絶対に知るすべはない。また、知ったところでそれを自分が実践できるわけでもない。

 結局、様々な断片的な情報を組み合わせ、自分でできることを自分でイメージし、自分で工夫し、自分で完成させ、生徒とともに試行錯誤していくほかに方法はないわけだ。だから、その結果がホニャララ先生と違っていて周りの先生がもどかしい思いをしたところで、そんなのどうすることもできないわけですよ。私は私で必死にやっているんです。

 最後に、音楽の教師は、というか技能教科の教師は、常にほかの先生方から評価の対象にされる、ということ。なにしろ、体育はグラウンドでやっている授業はすべて見ようと思えばオープンであるし、美術ならば作品が並ぶ。(アホな美術教師の指導の下では幼稚な作品が並ぶ:これホント。)音楽の場合は音楽室から聞こえてくる合唱の声が直接的に評価される。それどころか、卒業式や入学式では全職員の前で歌唱指導をしなければならない。これはすっごいストレスなんですよ、実際。うまくいけば
「今年の生徒はよく歌うね。」
うまくいかなければ
「日頃の音楽の授業、どうなってるんだよ?(先生のせい)」
そして、いつだって指導者は褒められないような仕組みになっている。誠に、音楽の先生とは損な役回りである、ということが…少しはわかってくれよ~~~!!

テーマ:うたと音楽 - ジャンル:学校・教育

家の手伝い

 金曜日から三者面談が始まった。母親(時には父親)と生徒本人と担任の先生の三人でお話し合いをする。3年生は進路の問題(どこの高校へ行くの?!)があって、ある意味修羅場だが、2年生ぐらいだとまだのんきなところである。
 さて、今年受け持つ2年生のわがクラスは、特に女子を中心に、掃除をサボるヤツが多いのであります。そんなこんなで、お勉強の話もさることながら家事のお手伝いなんかどうなっているのよ?という話になる。そこで、初日からわかっちゃったこと。それは、

「家の手伝いをちゃんとやっている中学生は勉強ができる。」

という明白な傾向。家の手伝いをするから勉強ができるのか。それとも、勉強ができる生徒は家の手伝いもできるのか。そして、
「勉強ができるようになるためには、家のお手伝いをするべきなのか!」
という命題に行き着く。

 家に帰って、家内に行ってみたら、
「そんなの。当り前じゃない。家の教育力の問題なんだよ。お手伝いをきっちりできるような子供を育たられるような家なら、その子はちゃんと教育されているんだから、勉強だってきっちりやるのよ。」

なるほど。ワケも分からず一過性の
「家の手伝いせよ」
なんて働きかけはあまり意味がないというわけか。そりゃそうだ。

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

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